
俺がタクシーのダッシュボードに折り鶴を置くようになったのは、三年前の冬のことだ。
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おふくろは、俺が高校に上がった年に親父を癌で亡くした。
小さな団地の3DK。五階建ての四階で、エレベーターはなかった。パートを掛け持ちしながら、俺を一人で育ててくれた。朝は弁当屋の仕込み、昼過ぎからスーパーのレジ。夕方に団地に戻ると、階段を一段ずつゆっくり上がりながら、息を切らしていた。
弁当は毎朝五時起きで作ってくれた。おかずはいつも卵焼きと冷凍のコロッケばかりで、「ごめんね、今日もこんなので」と笑っていた。台所の蛍光灯の下で、まだ暗い窓を背にしておふくろが卵を焼いている姿を、俺は布団の中から薄目で見ていた。
俺は「うまいよ」とだけ返した。
本当はもっと別の言葉を伝えるべきだったのだと、今になって思う。
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高校を卒業して、都内でタクシーの運転手になった。
最初は月に一度、団地に顔を出していた。階段を上って四階のドアをノックすると、おふくろは必ずエプロン姿で出てきた。
「ご飯食べてく?」
「いや、今日は時間ないから」
「そう。じゃあ、これ持ってって」
そう言って、漬物やら佃煮やらを紙袋に詰めて渡してくれた。袋はいつもパンパンで、一人暮らしの俺が一週間かけても食べきれない量だった。紙袋の底には、いつも決まって俺の好きなきんぴらごぼうが入っていた。帰りの電車で袋の中身を覗くたびに、少し胸がざわついた。
そのうち月に一度が二ヶ月に一度になり、半年に一度になり、電話にも出ないことが増えた。
忙しかったのは本当だ。夜勤明けの朝、営業所で売上伝票を書きながら、団地のことを思い出すことはあった。でも車のエンジンをかけると、すぐに忘れた。
忙しいふりをしていたのも、本当だった。
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おふくろが倒れたと聞いたのは、十二月の夜勤の最中だった。
営業所に入った連絡を、先輩が無線で伝えてくれた。「すぐ行け」と言われ、メーターを倒して客を降ろし、そのまま高速に乗った。フロントガラスの向こうに街の灯りが流れていた。普段なら目にも留めない光の一つ一つが、やけに滲んで見えた。
病院に駆けつけた時、おふくろは眠るように横たわっていた。
医者は「苦しまなかったと思います」と言った。
白いシーツの上に出たおふくろの手は、思っていたよりずっと小さかった。爪がきれいに切り揃えられていた。指先が少し曲がっていた。何十年もの水仕事で、関節が変形していたのだと、その時初めて気がついた。
俺は何も言えなかった。その手を握ることもできなかった。
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葬儀は親戚の叔母と二人きりで済ませた。
翌週、遺品を整理するために団地を訪れた。
104号室のドアを開けると、線香の匂いがまだかすかに漂っていた。玄関の三和土に、おふくろのサンダルが揃えて置いてある。もう履く人のいないサンダルが、まだそこに誰かを待っているように見えた。
台所は綺麗に片付いていた。茶碗が一つ、伏せて置いてある。水切りカゴの中にも一つだけ。冷蔵庫を開けると、味噌と漬物と、ラップをかけた煮物の小鉢が一つ。何年もそうだったのだろう。一人ぶんの台所だった。
テーブルの上に、折りかけの折り鶴が一羽、置いてあった。
赤い千代紙。翼の片方だけが折られた、未完成の鶴。
その横に、使い古しの老眼鏡と、折り紙の束。束の一番上の千代紙には、爪で軽くつけた折り線がうっすら残っていた。
俺は首をかしげた。おふくろが折り紙なんてやっていたとは、聞いたこともなかった。
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押し入れを開けた時、息を呑んだ。
段ボール箱が三つ。どれも蓋が閉まらないほど、折り鶴で溢れていた。
赤、青、金、銀、花柄。千代紙のものもあれば、スーパーの広告の裏を正方形に切ったものもある。新聞の折り込みチラシで折られた鶴もあった。特売の文字が翼の表面に透けていた。一羽、一羽、丁寧に折られていた。不揃いな紙で、それでも角はきっちりと合わせてあった。
箱の側面に、小さなメモが貼ってあった。
「二〇二〇年四月一日~」
日付だった。別の箱には「二〇二一年」。もう一つには「二〇二二年」。
手が止まった。ざっと見ても千を超えている。毎日一羽ずつ折ったとして、三年で千を超える。
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そこへ、インターホンが鳴った。
隣の佐藤さん——七十代の小柄な女性が、菓子折りを持って立っていた。
「お母さんのこと、本当に残念だったわね」
佐藤さんは茶の間に上がり、俺が淹れた茶を受け取って、湯呑みを両手で包みながら話し始めた。
「お母さんね、毎朝一羽ずつ、鶴を折ってたの。知ってた?」
俺は首を横に振った。
「あたしが聞いたのよ。『何のおまじない?』って。そしたらお母さん、笑ってこう言ったの」
佐藤さんは少し目を潤ませた。
「『息子が帰ってくる日まで、毎朝一羽ずつ折ってるの。手を動かしてないと、寂しくなっちゃうから。折ってる間はあの子のこと考えてるから、会ってるのと同じなのよ』って」
俺は座っていることができなくなり、台所に立った。
蛇口をひねって水を飲もうとした。手が震えて、コップをうまく持てなかった。
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佐藤さんは続けた。
「お母さんね、あなたの話ばっかりしてたのよ。タクシーの運転手やってるんだ、夜遅くまで大変なんだって。いつもね、自慢してた」
「……」
「あたしが『寂しくないの?』って聞いたらね、『寂しくないわよ。忙しいんだから、邪魔しちゃいけないの。あの子が元気で走ってるなら、それでいいの』って」
佐藤さんが帰り際に、こうも言った。
「お母さん、あなたが来る日はね、前の日から煮物を仕込んでたのよ。きんぴらと筑前煮とね。あなたが来なくなってからも、時々作ってた。冷蔵庫に入れたまま、一人で食べてたみたいだけどね」
蛇口から流れる水の音だけが、台所に響いていた。
※
佐藤さんが帰った後、もう一度押し入れの前に座った。
折り鶴を一羽、手に取った。
翼の裏に、薄い鉛筆の文字が書いてあった。
「4月3日 今日はいい天気。洗濯日和」
別の鶴を開いた。
「6月12日 膝が痛い。でも元気」
また別の鶴。
「8月15日 暑い。息子は夏バテしてないかな」
「10月2日 今日は肉じゃがを作った。一人ぶん」
「11月20日 廊下で転んだ。誰にも言わない」
「12月24日 今年も来なかった。でも元気ならいい」
「1月1日 あけましておめでとう。今年は会えるかな」
おふくろは毎朝、鶴の翼の裏にその日の天気や体の調子や、俺のことを一行だけ書いて、折っていたのだ。
千を超える鶴の、一羽一羽に。
誰にも見せるつもりのない、一行の日記だった。
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最後に、テーブルの上に残された折りかけの鶴を、そっと開いた。
そこにはこう書いてあった。
「12月7日 少し胸が苦しい。でもあの子には言わない。心配するから」
翌日、おふくろは倒れた。
この折りかけの鶴が、おふくろの最後の朝だった。翼の片方だけが折られて、もう片方は開いたまま、テーブルの上に残されていた。おふくろはきっと、この鶴を折り上げてから出かけるつもりだったのだと思う。
※
その夜、俺は104号室の茶の間で一人、折り紙を折った。
押し入れから千代紙を一枚取り出し、おふくろの鶴を手本にして折った。不器用な手で何度もやり直しながら、一羽だけ。首の角度がどうしてもおふくろのようにはいかなかった。翼の端がわずかにずれた。それでも、なんとか鶴の形にはなった。
翼の裏に、こう書いた。
「ただいま。遅くなって、ごめん」
団地の窓の外では、十二月の風が吹いていた。どこかの部屋のテレビの音が、薄い壁越しに聞こえてきた。おふくろも毎晩、こうして一人でこの音を聞いていたのだろうか。
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あれから三年が経った。
俺のタクシーのダッシュボードには、おふくろが折った鶴が一羽、置いてある。
信号待ちのたびに、赤い千代紙の鶴が目に入る。夜の首都高を走っている時も、雨の日の渋滞で止まっている時も、あの小さな鶴はいつもそこにいる。
翼の裏には、こう書いてある。
「3月9日 今日も息子は元気で走ってるかな」
——走ってるよ。毎日、走ってる。