わたしのお腹に、新しい命が宿ったとわかった夜、わたしは押し入れから、古いビデオテープの束を取り出した。
もう再生できる機械を探すのにも苦労する、ずいぶん昔の形式だ。それでも、わたしはこれを、一度も捨てられずにきた。
ラベルには、母の字で、こう書いてある。「ゆいへ」。
母が亡くなったのは、わたしが二歳のときだった。だから、本当のところ、わたしに母の記憶はほとんどない。
わたしが母を知っているのは、ぜんぶ、このテープを通してだ。
押し入れの奥から、古い再生機械も一緒に出てきた。父が、いつか娘が見たがる日が来るからと、わざわざ動くものを取っておいてくれたものだ。
埃をぬぐって電源を入れると、機械は低くうなりながら、ゆっくりと目を覚ました。テープを差し込む、かちりという音が、胸の奥のどこかを、そっと押した。
わたしはもう、母が亡くなった年齢に、近づきつつある。母が、どんな思いでこのテープを遺したのか。母になろうとしている今なら、少しはわかる気がして、わたしは再生のボタンを押した。
夫は、わたしがこのテープを大切にしていることを知っている。
「君のお母さんに、会ってみたかったな」と、彼は時々言う。会えるよ、テープの中にいるから、とわたしは笑って返す。
お腹の子は、まだ性別もわからない。それでも、この子が生まれたら、まず最初に、おばあちゃんの歌を聞かせてあげようと、もう決めている。
※
母は、小学校の音楽の先生をしていた。父がそう話してくれた。
オルガンが得意で、子どもたちに歌を教えるのが、何より好きな人だったらしい。
わたしが生まれてから、母はよく、わたしを膝にのせて、即興のでたらめな歌をうたってくれたという。
父と母は、父が勤めていた学校の、近くの喫茶店で出会ったのだそうだ。母がオルガンを弾く発表会に、父がたまたま居合わせたのが始まりだった。
母の弾く音は、決してうまくはなかったけれど、聴いていると、なぜだか涙が出てくるのだと、父はてれくさそうに話した。
「お母さんはな、音を出すんじゃなくて、気持ちを出す人だったんだ」と、父は言った。
わたしのために即興でつくった歌も、メロディーはめちゃくちゃで、歌詞は「ゆいは世界一」の繰り返しだったらしい。
それでもわたしは、その歌でしか眠らない赤ん坊だったという。
病気がわかったのは、わたしが一歳になったばかりの頃だった。
母は、自分に残された時間が長くないことを、早くに悟っていたようだった。
ある日、母は父を枕もとに呼んで、こう頼んだのだと、父はのちにわたしに教えてくれた。
「ゆいのために、ビデオを三本だけ、残します」
「一本目は、ゆいの三歳の誕生日に」
「二本目は、小学校の入学式の日に」
「三本目は……新しいお母さんが来た日に、見せてあげてください」
父は、その三本目の意味を、すぐには受け止められなかったという。
けれど母は、静かに笑って、「あなたが、いつか前を向けるように」と言ったそうだ。
父は、母がテープを撮るのを、廊下からそっと見ていたという。
母は、撮影のたびに、何度も化粧を直し、髪をととのえた。少しでも、元気な顔を遺したかったのだ。
撮り終えると、力尽きたように横になり、それでも「うまく笑えてたかしら」と、父に尋ねた。
三本目を撮り終えた夜、母は、父の手を握って、こう言ったそうだ。
「ゆいが、わたしを忘れて幸せになるのが、いちばんいいの。だから、忘れる魔法を、かけておいたから」
父は、何も言えずに、ただ母の手を握り返すことしか、できなかったという。
それから間もなく、母は、春のはじめの朝に、息をひきとった。
窓の外で、桜のつぼみが、ほどけかけていた朝だったと、父は覚えていた。
二歳のわたしは、何が起きたのかもわからず、母の冷たくなった頬を、不思議そうに、何度もつついていたという。
その話を聞くたびに、わたしは胸が締めつけられる。何も知らずにいられた、あの頃の自分が、いとおしくも、せつない。
※
一本目のテープを再生したのは、わたしの三歳の誕生日だった。
画面のなかの母は、痩せてはいたけれど、とても優しい顔で、こちらに笑いかけていた。
「ゆいちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、すごくうれしいな」
「ママはね、おうちの都合で、テレビの中にお引っ越ししたの」
「だから、こうやってしか、会えないんだけど……ゆいちゃんのこと、ちゃんと見てるからね」
そして母は、画面の向こうで、ゆっくりと手を動かした。
「ゆいちゃん。ママは魔法使いなの。今から、魔法をかけてあげる」
「えいっ。これで、ゆいちゃんはママの歌が大好きになりました」
父が言うには、その日からわたしは、母のうたう即興の歌のテープを、毎晩せがんで眠ったそうだ。
父は、母が遺した歌のテープを、すり切れるまで再生してくれた。音が悪くなるたびに、こっそりダビングして、わたしに気づかれないように差し替えていたのだと、ずっとあとで知った。
歌が好きになる魔法は、たしかに効いた。わたしは小学校で合唱部に入り、中学では、母と同じようにオルガンを習いはじめた。
鍵盤に触れているとき、わたしはいつも、会ったことのない母の手が、自分の手に重なっているような気がしていた。
わたしは、母が魔法使いだということを、心から信じていた。
幼いわたしは、母が本当に「テレビの中に引っ越した」のだと信じていた。
だから、テレビの前に座っては、画面に向かって、その日にあったことを報告するのが日課だった。
「ママ、今日ね、ブランコでいちばん高くこげたよ」「ママ、見て、上手に描けたでしょ」
父は、それを止めなかった。ただ、となりで一緒に画面を見ながら、「ママ、喜んでるな」と、静かに相づちを打ってくれた。
いま思えば、父も、そう言うことで、自分自身を支えていたのかもしれない。
母が「テレビの中にお引っ越しした」という設定は、幼いわたしにとって、悲しみを優しさに変える、最初の魔法だったのだ。
※
二本目を見たのは、小学校の入学式の日だった。
ランドセルを背負ったわたしの前で、父が、少し緊張した手つきでテープを入れた。
「ゆいちゃん、大きくなったね。ご入学、おめでとう」
「ママ、どんなにこの日を楽しみにしていたか……」
母は、そこで少しだけ言葉を詰まらせ、それから、いつもの笑顔に戻った。
「ゆいちゃん、ちゃんと聞いてね。ママが今いるのはね、お空の上なの」
「だから、もう、抱っこしてあげられない。それは、ごめんね」
「でもね、ママの魔法は、ちゃんと効いてるでしょう? ゆいちゃんが歌を好きでいてくれること」
わたしは、テレビの前で、こくんとうなずいた。
「じゃあ、今日も、新しい魔法をかけるよ。えいっ」
「ほうら、ゆいちゃんは、お友だちにやさしくできる子になりました」
その魔法も、不思議と、効いた気がした。わたしは、母にかけられた魔法を、ひとつずつ守って育った。
友だちにやさしくする魔法も、効いた。わたしは、転校してきた子や、教室で一人になっている子に、自然と声をかける子になった。
それが母の魔法のおかげなのか、もともとの自分なのか、わからない。でも、わからなくていいのだと思う。
母がかけてくれたと信じることで、わたしは、なりたい自分に、少しずつ近づけた。それが、魔法というものの、本当の力なのかもしれない。
思春期には、母のいない寂しさが、急に押し寄せてくる夜もあった。
友だちが、当たり前のように「お母さんに叱られた」と話すのを聞くと、胸の奥が、しんと冷たくなった。
そんな夜は、こっそり一本目のテープを再生した。「ゆいちゃん、お誕生日おめでとう」という母の声を、何度も、何度も聞いた。
会えないことの寂しさよりも、たしかに自分を待っていてくれた人がいた、というぬくもりのほうが、最後にはいつも勝った。
母は、もういない。けれど、いなかったわけではない。その違いが、わたしをいつも、ぎりぎりのところで支えてくれた。
※
三本目のテープには、母の字で、こう書いてあった。
「新しいママが来た日の、ゆいへ」
父が再婚したのは、わたしが十歳のときだった。
新しい母は、おっとりした、笑うと目尻にしわのよる、あたたかい人だった。
わたしは、その人を「お母さん」と呼ぶことに、まだ少しの戸惑いがあった。
その人は、決して、母の代わりになろうとはしなかった。
わたしの部屋にある母の写真を、自分から、いちばん見やすい場所に飾り直してくれた。
「前のお母さんに、ちゃんとご挨拶しなきゃね」と言って、毎朝、その写真に手を合わせる人だった。
わたしが戸惑いながらも、その人に少しずつ心を開けたのは、母を消そうとしない、その姿があったからだ。
ある日、新しい母が、台所でわたしを手招きした。
「ねえ、ゆいちゃん。一緒に、なにか作らない?」
その言葉に、わたしは、三本目のテープの母の声を思い出した。おいしいものを、いっぱい作ってあげたかった、という、あの声を。
母が、生きていたら、してあげたかったこと。それを、新しい母が、そっと引き継ごうとしてくれているのだと、わたしは気づいた。
その日、二人でつくった卵焼きは、少し焦げて、いびつな形をしていた。それでも、わたしには、世界でいちばんおいしく感じられた。
きっと、お空の母も、台所のすみで、一緒に味見をしてくれていたと思う。
その人が来て、ひと月ほど経った日曜日。父が、「そろそろ、見ようか」と、三本目を出してきた。
三人で、肩を寄せ合うようにして、テレビの前に座った。
画面に、いちばん痩せた母の顔が映った。けれど、目だけは、まっすぐにこちらを見ていた。
※
「ゆいちゃん。お父さんのお手伝い、がんばってきたね。えらかったね」
「でも、もう大丈夫。新しいお母さんが、来てくれたんだから」
母は、そこで長く、黙った。
「ゆいちゃん。今日で、本当に、お別れです」
「ゆいちゃん、今、背はどれくらい? ママには、見えないなあ」
画面のなかで、母は、こらえきれずに、カメラを抱きしめるようにうつむいた。
「ママ、本当はもっと、生きたかった」
「ゆいちゃんに、おいしいもの、いっぱい作ってあげたかった。背がのびるのを、ずっと見ていたかった」
その声を聞いて、新しい母が、そっと、わたしの手を握った。その手は、少し震えていた。
部屋のなかは、しんと静まりかえっていた。テレビのスピーカーから流れる母の声だけが、十年以上の時を越えて、わたしたちに届いていた。
わたしは、画面のなかの母から、目をそらせなかった。痩せた頬。けれど、最後まで崩れない、優しい目もと。
母は、自分の死を悲しむわたしを案じて、わざわざ最後に、こんな魔法を用意していたのだ。そのことが、たまらなかった。
「じゃあ、ゆいちゃん。これが、ママの、最後の魔法です」
「それはね……『ママを忘れる魔法』です」
わたしは、息を止めた。
「ママを忘れて、お父さんと、新しいお母さんと、楽しく暮らしてね」
「いつまでもママを思って、泣いていたら、ママは安心して、お空にいられないから」
「だから、かけるよ。いい? いち、にの、さん。えいっ」
そこで、テープは、ふっと終わった。
画面が砂嵐に変わっても、わたしたちは、しばらく動けなかった。
父が、そっとリモコンに手をのばし、再生を止めた。部屋には、誰の嗚咽も響かない、深い静けさだけが残った。
それは、悲しみだけの静けさではなかった。母の愛の大きさに、三人とも、ただ圧倒されていたのだ。やがて新しい母が、わたしと父の背に、片手ずつ、そっと手を置いた。その手のあたたかさを、わたしはいまも忘れられない。
※
けれど、その魔法は、効かなかった。
わたしは、母を忘れなかった。一秒たりとも、忘れられなかった。
父も、忘れなかった。新しい母でさえ、会ったこともない母のことを、忘れさせはしなかった。
「お義母さんは、すごい人ね」と、新しい母は、涙をぬぐって笑った。
「最後の最後まで、ゆいちゃんの幸せだけを、考えていたんだもの」
母は、ちゃんと、わたしたちみんなの心の中に、残っていた。
忘れる魔法だけは、母の魔法のなかで、たった一つ、効かなかったのだ。
いや。もしかしたら母は、効かないとわかっていて、それでも、かけてくれたのかもしれない。
忘れていいんだよ、と言ってくれることが、母にできる、最後の精いっぱいの優しさだったのだ。
※
その夜、わたしは、自分でビデオカメラを回した。四本目の、テープのために。
レンズの向こうに、お空の母がいると思って、わたしは話しかけた。
「ママ。ごめんね。魔法、効かなかったよ。わたし、ママのこと、ぜんぜん忘れてない」
「でもね、ちゃんと幸せだよ。お父さんも、新しいお母さんも、大好き。ママがくれた魔法、ぜんぶ守ってるよ」
カメラの前で、わたしは、生まれて初めて、母に向かって、思いきり笑ってみせた。
泣きながら笑うのは、とても難しかった。それでもわたしは、母に、いちばんいい顔を見てほしかった。
母が三本のテープのなかで、ずっとわたしに笑いかけてくれたように、今度は、わたしが母に笑いかける番だと思ったから。
その四本目を、父と新しい母にも見てもらった。二人とも、画面のなかのわたしを見て、静かに泣いていた。
「お義母さんに、いちばんいいものを見てもらえたね」と、新しい母が言った。
そのテープのラベルに、わたしは「天国のママへ」と書いた。
それからは、誕生日が来るたびに、わたしは一本ずつ、母への報告のテープを撮るようになった。
卒業のこと、初めての仕事のこと、夫と出会ったこと。母がわたしにくれた三本に、わたしは何本もの返事を、少しずつ重ねていった。
いつか天国で母に会えたら、まとめて見てもらうのだ。ほら、ママ、わたし、こんなに幸せに生きてきたよ、と。
それが、ゆいが主役の、四本目のビデオの、始まりだった。
※
あれから、長い時が流れた。
わたしは、お腹の子に、いつか、このテープを見せようと思う。
おばあちゃんはね、本当に魔法使いだったんだよ、と、そっと教えてあげよう。
歌を好きになる魔法も、人にやさしくする魔法も、ぜんぶ、かけてくれたんだよ、と。
そして、たった一つだけ効かなかった魔法のことも、ちゃんと話してあげよう。
忘れなさいと言われても、忘れられないくらい、わたしたちは、愛されていたのだと。
お腹にそっと手を当てると、新しい命が、まるで返事をするように、小さく動いた気がした。
テープを巻き戻しながら、わたしは、自分も母のように、いつかこの子に魔法をかけてやりたいと思った。
歌を好きになる魔法。人にやさしくする魔法。そして、たとえ離れても、忘れなくていいのだと伝える魔法を。
母がそうしてくれたように、わたしも、この子の心のなかに、ずっと残れるような母でありたい。
ママ。ねえ、聞こえてる? わたし、お母さんになるよ。あなたがくれた魔法を、今度は、わたしがこの子に、かけてあげる番だね。