雪と一緒にいるから

公開日: ちょっと切ない話 | 夫婦

富士山

「ゆきをとってきて…おねがい、ゆきがみたい…」

あなたはそう言って、季節外れの雪をほしがりましたね。

あれから、何年もの月日が流れました。

あなたは、いま、ゆっくりと休めていますか。

僕に向かって、またあの時のように、雪が見たいとせがんではいませんか。

あなたの病気が発覚したのは、ちょうど今頃。

梅雨のじめじめした空気が続く、そんな季節のことでした。

あなたが最初にそのことを打ち明けたのは、ご両親ではなく、恋人だった僕でした。

「私ね、癌が見つかったの。絶対元気になって帰ってくるから、待っててね」

そう言って、あなたは笑っていました。

あの時の笑顔を、今でも鮮明に思い出します。

ここは田舎で、大きな病院なんてありません。

あなたは遠く離れた街の病院に入院することになりました。

本当は、僕だって毎日でも見舞いに行きたかった。

でも、僕には大学がありました。

それをあなたは知っていて、

「大学に行きなさい。あなたの夢を叶えて」

そう背中を押してくれました。

だから僕は、まさかあなたの病が、あんなにも早く進んでしまうなんて思っていませんでした。

やっと得られた夏の休みに、僕はあなたの病室へ向かいました。

でも、あなたはすでに起き上がることも難しくなっていて。

それでも、僕が来たとき、あなたはにこっと笑ってこう言いました。

「ねえ、大学の話、たくさん聞かせて」

僕が語る、何でもない大学の話に耳を傾けてくれるあなたは、変わらず眩しかった。

そして、あなたはぽつりとこう言ったのです。

「ゆきをとってきて…おねがい、ゆきがみたい…」

正直、困りました。

真夏の本州に、雪なんてあるはずがない。

でも、あなたは雪が大好きでしたよね。

冬になると、毎週のようにスキーに行っていたあなた。

「…今から取ってくるよ」

ようやく僕がそう言うと、あなたは安心したように微笑みました。

僕はあなたの枕元に、スケッチブックを置いて行きました。

寂しくないように。

雪景色の次に好きだった「絵」を、あなたがたくさん描けるように。

そして僕は、たった一つの望みに賭けました。

富士山に登ろう

富士山の頂上には、真夏でもわずかに雪が残っていると聞いたから。

僕はクーラーボックスを担ぎ、あの高く険しい山を登ったのです。

あなたに、雪を届けたくて。

山を下りる頃には雪は溶けかけていたけれど、それでも、あなたの元へと急ぎました。

でも……

僕が病室に戻ったときには、あなたはもう——旅立っていました。

あなたの母から話を聞きました。

僕が出発した直後、容体が急変したのだと。

享年19歳。

あまりにも早すぎる別れ。

その時、僕は思いました。

最期まで傍にいればよかった、と。

でも、あなたのお母さんは言ってくれたのです。

「これでよかったんです…」

あの子は、あなたに心配かけたくなかったから。

雪が見たいというのは、ただの口実だったと。

「…あの子の彼氏でいてくれて、本当にありがとう」

お母さんは何度も、僕にそう感謝してくれました。

違うんです。

僕のほうこそ、感謝しているんです。

その時、病室のサイドテーブルに置かれていたスケッチブックに気づきました。

僕が渡した、あのスケッチブックです。

ページをめくると、そこには、一面の銀世界が描かれていました。

真っ白な雪が静かに降る、あなたの好きな世界。

その裏に、メッセージが残されていました。

「私が居なくなっても、悲しまないで!
私は、雪と一緒にいつもあなたの傍に居るから!!
大好きだったよ!ありがとう!!」

その瞬間、ようやく涙がこぼれました。

あなたは、苦しい中でも僕のことを気遣ってくれていたんですね。

「…ありがとう」

何度も、何度も、感謝の言葉を呟きました。

雪を渡すことは、間に合わなかった。

でも、あなたはそれでも良かったのですか?

最期のときに、一緒にいられなくて、ごめんなさい。

でも、一つだけ、伝えさせてください。

僕も、あなたのことが大好きでした。

いいえ。

あなたのことが、大好きです。

今も、ずっと。

雪を見ると、いつもあなたを思い出します。

あなたが、大好きだったものだから。

関連記事

手のひら(フリー写真)

出会い

昔、美術館でバイトをしていた。 その日の仕事は、地元の公募展の受け付け作業。 一緒に審査員の先生も一人同席してくれる。 その時に同席してくれたのは、優しいおじいちゃん…

自衛隊員の方々(フリー写真)

直立不動の敬礼

2年前、旅行先での駐屯地祭での事。 例によって変な団体が来て、私は嫌な気分になっていた。 するとその集団に向かって、一人の女子高生とおぼしき少女が向かって行く。 少女…

教室(フリー背景素材)

先生の涙

私がその先生に出会ったのは、中学一年生の時だった。 先生は私のクラスの担任だった。 明るくて元気いっぱい。 けれど怒る時は物凄い勢いで怒る。 そんなパワフルな先…

母猫(フリー写真)

母猫の選択

Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに、家中猫だらけになってしまったそうだ。 住み着いた猫が仔を作り、その仔もまた仔を作る。 一時は家庭崩壊しかけたほど猫が…

砂浜を歩くカップル(フリー写真)

当たり前の日常

小さな頃から、私と彼はいつも一緒でした。 周りがカップルに間違えるほどの仲でした。 私が彼に恋愛感情を抱いていると気付いたのは、高校3年生の時です。 今思うと、その前…

虹

天からの手紙

妊娠と同時に、夫の癌が発覚しました。彼は子供の顔を一目見るまで頑張ると決心していましたが、残念ながら間に合いませんでした。夫が亡くなってからは、私一人で息子を育てています。息子は本当…

手紙

夫から届いた一歳の贈り物

そんな日々の中、息子が一歳の誕生日を迎えた。 いつも通り保育園に迎えに行き、帰宅すると、ポストに二通の可愛らしい封筒が入っていた。宛名は、息子と私。 差出人の名前を見て、…

献花(フリー写真)

課長の笑顔

私の前の上司(課長)は無口、無表情。雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物でした。 誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、堅過ぎて近寄り難い雰囲…

婚約指輪(フリー写真)

脳内フィアンセ

もう十年も前の話。 俺が京都の大学生だった頃、男二人、女二人の四人組でいつも一緒に遊んでいた。 そんな俺たちが四回生になり、めでたく全員就職先も決まった。 「もうこう…

花束

深く、不器用な愛情

私は先天性の障害を持つ足で生まれました。 幼い私が、治療で下半身がギプスに覆われた時のことです。 痛みで泣き叫んだ夜、疲れ果てて眠った私を見て、強がりの父が涙を流していま…