父の球を返す約束

朝の六時半に、私は誰も打たない台の電源を入れます。

三番台。壁際の、いちばん陽の当たらない台です。

球出し機のスイッチを入れ、回転の数字を確かめ、送り出される球をひとつ、手のひらで受け止める。

それから小さく「良し」とつぶやきます。

誰も打たないのに、そんなことをして何になるのか。

女房にも、生きているうちに何度もそう言われました。その女房も、もう三年前に逝きました。

それでも私は、毎朝この台の前に立ちます。

シャッターを半分だけ上げた薄暗い店で、球のはねる音だけを聞きながら。

あの子が、いつ戻って来てもいいように。

確か、名前を蓮といいました。

駅裏の商店街の外れで、私は五十年近く、小さな卓球場をやっています。

父から継いだ店で、床の板は飴色にすり減り、蛍光灯は二本に一本が切れかけている。

昔は近所の子どもらが夕方まで押しかけて、順番待ちの喧嘩まで起きたものです。

けれど今は、昼間に年寄りが二、三人、思い出したように来るだけの、静かな店になりました。

その子が初めて来たのは、二年前の春でした。

制服のまま、大きな鞄を抱えて、入口の硝子戸のところで長いこと立っていた。

入ろうか、やめようか。そんなふうに、つま先で敷居をなぞっていました。

「一人でも、やれますか」

やっと出てきた声が、それでした。

「壁打ちでよけりゃ、いくらでもやりな。ラケットは貸すぞ」

そう答えると、その子は首を横に振りました。

壁ではなく、奥の球出し機のある三番台を、まっすぐに指さしたのです。

「あれ、貸してください。お金は、ちゃんと払います」

財布から、しわの寄った千円札を一枚、律儀に差し出してくる。

その手の甲が、季節はずれに白かったことを、私は今でも覚えています。

それからでした。あの子が毎日、この店に通うようになったのは。

放課後になると、あの子は鞄を三番台の隅にどさりと置いて、黙々とスマッシュを打ち込みました。

球出し機がぽん、ぽん、と一定の間隔で球を吐き、それをあの子が、体ごとぶつけるようにして打ち返す。

松脂とゴムと、汗の匂い。夏になると、その匂いが店じゅうに満ちました。

扇風機の首振りの音、遠くの踏切の警報、私が新聞をめくる音。

そこへ、球の弾ける乾いた音が規則正しく重なって、それがこの店の、二年間の音でした。

あの子には、妙な癖がありました。

球出し機の速さのダイヤルを、いつも、いちばん端まで回すのです。

素人の高校生には、とても返せない速さでした。

現に、十球のうち八球は空を切り、残りの二球も、あらぬ方向へ飛んでいく。

それでもあの子は、速さを一段も下げようとしませんでした。

「そんなに急がんでも、球は逃げやせんぞ」

見かねて私が言うと、あの子は肩で息をしながら、汗もぬぐわずに答えました。

「これくらい返せないと、意味がないんです」

意味、という言葉が、高校生の口から出るには、やけに大人びて聞こえました。

「だいたい、その速さは大会でも出んぞ。もっと基本をな」

「大会には、出ません」

「出んのか。じゃあ何のために打っとる」

あの子は、少し困ったように笑って、それには答えませんでした。

ただ、また球出し機のスイッチを入れ直して、同じ速さに向かっていくのです。

床を転げ、膝を擦りむき、それでも立ち上がって、次の球を待つ。

私はいつしか、新聞を読むふりをしながら、あの子の背中ばかりを見るようになっていました。

あの子は、あまり自分の話をしませんでした。

それでも、散らばった球を二人で拾い集めるとき、ぽつりぽつりと漏らすことがありました。

父親が、卓球の選手だったこと。

若いころ国体まで行った人で、この店にも、昔よく通っていたらしいこと。

「じゃあお前、あの背の高い青井さんとこの息子か」

私が思い出して言うと、あの子は、少しだけ嬉しそうにうなずきました。

「知ってるんですか、父のこと」

「知っとるも何も、あいつのスマッシュはこの商店街の名物だったぞ。壁が鳴ったもんだ」

あの子の目が、そのとき、初めて子どもらしく輝いたのを覚えています。

「父さんのスマッシュ、本当にすごかったんです。僕、子どものとき、一度も返せなかった」

「そりゃあ、子どもに返せる球じゃなかろうよ」

「でも、いつか返すって、約束したんです。父さんと、二人で」

その父親は、あの子が中学へ上がる前に、病で亡くなったと聞きました。

約束は、返す相手をなくしたまま、宙に浮いていたのです。

あの子が球出し機のダイヤルを端まで回すのは、そのためでした。

もう打ってくれる人のいない、父親のいちばん速い球を。

血の通わない機械にだけは、まだ、吐かせることができたからです。

「父さんの球はね、たぶん、これくらい速かったんです」

ダイヤルの端を指でなぞりながら、あの子はそう言いました。

「だから、これが返せたら、父さんに、追いついたことになる気がして」

私は、返す言葉を持ちませんでした。

ただ、拾った球を籠にひとつ、また落としてやることしか、できませんでした。

あの子は、季節が変わっても通い続けました。

夏の終わりには、扇風機の前で二人、氷を齧りながら休んだこともありました。

「おじさんの店、涼しくて好きです」

「ぼろくて涼しいだけの店だよ」

「ぼろいのが、いいんです。父さんがいた頃のままな気がして」

そんな言葉を、あの子は照れもせずに口にする子でした。

生きていたころ、女房もあの子を、よく気にかけていました。

打ち込みの合間に、ぬるくした麦茶を、そっと台の端に置いてやるのです。

「あの子、また少し痩せたんじゃないの」

店じまいのあと、女房はよく、私にそう言いました。

「育ち盛りなんて、痩せたり太ったりするもんだ」

「そうかしらね。あの手、白すぎやしない」

私は、その言葉を、まともに取り合いませんでした。

女房のほうが、よほど、あの子をきちんと見ていたのです。

その女房も、あの子より先に、静かに逝ってしまいました。

だから今、私がこの台を守っているのは、女房のぶんでもあるのかもしれません。

あの子に麦茶を出してやれる者は、もう、私しか残っていないのですから。

雨の日は、商店街のアーケードを打つ雨音が、店の中まで響きました。

客の来ない午後、あの子は打つのをやめて、球を数えながら私の話を聞きたがりました。

「父さんは、どんなふうにここで打ってたんですか」

「そうさなあ。あいつは、負けると悔しくて、閉店まで帰らん子だった」

「父さんが、負ける……?」

「子どものころの話さ。誰だって、はじめは負けるんだ」

あの子は、その話を、宝物のように何度も聞きたがりました。

自分の知らない、若い父親の姿を、この古い店の空気の中に探していたのでしょう。

「じゃあ、僕がここで打ってるの、父さんも見てるかな」

「見とるさ。あの壁のあたりから、腕を組んでな」

あの子は、誰もいない壁のほうを、ふっと振り返りました。

それから、少し照れたように笑って、また球出し機のスイッチを入れたのです。

その横顔を、私は、なぜだか今も、いちばん鮮やかに思い出します。

秋が深くなると、あの子の頬が、少しずつ細くなっていくのが分かりました。

打ち込みの途中で、台に手をついて、じっと動かなくなることも増えました。

「無理すんな。今日はもう上がりにしろ」

「あと、十球だけ。十球だけ、いいですか」

その十球を、あの子はいつも、歯を食いしばって打っていました。

私は、疲れが溜まっているのだろうと、そればかり思っていたのです。

若い子が、部活も掛け持ちで無理をしているのだろうと。

あの白い手の甲の意味を、私は、とうとう最後まで、考えてやりませんでした。

一度だけ、あの子が、あの速い球を返したことがありました。

冬のはじめの、風の強い夕方でした。

何百球目だったか、もう分かりません。

ぽん、と出た球に、あの子の体が、いつもより一瞬早く反応した。

ラケットの真ん中で、ぱしり、と乾いた音が鳴って、球が、まっすぐに機械へ返っていったのです。

あの子は、しばらく、自分の手を見つめて動きませんでした。

それから、私のほうを振り返って、

「おじさん、今の、見てました……?」

声が、震えていました。

「見とったとも。まっすぐだった。父さんの球、返したじゃないか」

あの子は、笑おうとして、うまく笑えずに、その場にしゃがみ込みました。

泣いているのだと、すぐに分かりました。

「一球だけじゃ、まだ、追いついたことにならないですよね」

「馬鹿を言え。一球返せりゃ、二球目も返せる。もう追いついとる」

あの子は、うなずいて、涙を拭って、また球出し機のスイッチに手を伸ばしました。

あのとき、もう十分だと、私が止めてやればよかったのでしょうか。

それとも、あの一球を返せた夕方が、あの子にとっての、いちばんの贈り物だったのでしょうか。

今も、答えは出ません。

ただ、あの震える声だけが、風の音といっしょに、耳の底に残っています。

それは、去年の秋の終わりのことでした。

あの子が、ぱたりと来なくなったのです。

はじめは、受験でも近いのだろうと思っていました。

一週間、二週間。三番台の球出し機は、あの子が最後に回したままの速さで、じっと黙っていました。

ぽん、と出しても、返す人のいない球が、台の上を空しく転がっていくだけでした。

一ヶ月が過ぎたころ、店に、一人の女性が訪ねて来ました。

あの子によく似た、細い顎の人でした。

手に、便箋を一枚だけ、大事そうに持っていました。

「息子が、こちらで大変お世話になりまして」

その、過去形の言い方で、私はすべてを察してしまいました。

膝の裏から、すっと力が抜けていくのが分かりました。

白血病だと、その人は言いました。

夏の来る前には、もう、はっきりと分かっていたのだと。

「あの子、ここへ通うのだけは、最後まで、やめませんでした」

「本当は、もう体がつらかったはずなのに。何度、家で休みなさいと言っても」

母親は、そこで一度、言葉を詰まらせました。

「ここでだけは、あの子、笑って帰ってきたんです」

私は、何も言えませんでした。

あれだけ速い球を追いかけて、床を転げ回っていた、あの子が。

体がつらかっただなんて、私は一度も、気づいてやれなかったのです。

あと十球、と言って歯を食いしばっていた、あの背中を思い出しました。

あれは、若さゆえの無理などでは、なかったのです。

母親が置いていった便箋には、短い言葉が、鉛筆で並んでいました。

あの子が、長い入院に入る前の晩に、書いたものだそうです。

『卓球場のおじさんへ。球出し機のダイヤル、いちばん端のままにしておいてください。』

『父さんの球を返せるようになったら、まっさきに、おじさんに見てもらいたいから。』

それだけでした。

礼の言葉も、別れの言葉も、そこには、ひとつもありませんでした。

あの子は、別れるつもりなど、まるでなかったのです。

戻って来て、あの速い球を返して、私に見せるつもりでいた。

それが当たり前のことのように、ダイヤルはそのままに、とだけ書き遺していた。

私は、便箋を握ったまま、三番台の前に、くずおれるようにしゃがみ込みました。

胸の奥が、絞った雑巾のように痛んで、指の先が、冷たくなっていきました。

「戻って来いよ」

誰もいない台に向かって、私はそう言いました。

「まだ、ダイヤルは端のままだぞ」

「お前の返せなかった球、まだ、ここにあるんだぞ」

「今までありがとう、なんて手紙は、いらんのだ」

母親は、私の隣にしゃがんで、しばらく一緒に、その台を見ていました。

二人とも、ずいぶん長いこと、何も言いませんでした。

四十九日が過ぎたころ、私は、あの子の家に線香をあげに行きました。

母親が、小さな仏壇の前へ、私を通してくれました。

写真の中のあの子は、制服姿で、少しはにかんで笑っていました。

その隣に、もう一枚、古い写真が飾ってありました。

背の高い男の人と、まだ幼いあの子が、二人でラケットを持って写っている。

間違いなく、あの青井さんでした。この店の壁を鳴らした、あの人です。

「主人が、これだけは肌身離さず持っていまして」

母親が、色の褪せた一本のラケットを、私に差し出しました。

あの子が、入院の荷物にまで、それを入れていたのだそうです。

「病室でも、ずっと握っていました。返すんだ、返すんだって」

私は、そのラケットを、両手で受け取りました。

グリップの、汗の染み込んだ感触が、まだ、生きている人の手のように温かい気がしました。

「よく、がんばったな」

写真のあの子に向かって、私は、それだけを言うのが精いっぱいでした。

帰りぎわ、母親が、深く頭を下げて言いました。

「あの子の居場所を、最後まで、残してくださって」

私は、頭を上げてください、とも言えずに、ただ、商店街の暮れた道を歩いて帰りました。

あれから、半年が経ちました。

三番台の球出し機を、私は毎朝、点検します。

回転を確かめ、球の間隔を手のひらで受けて、「良し」とつぶやく。

誰も打たん台の球出し機を、私は毎朝、あの子に打たせるみたいに、調子を見ているのです。

近所の人は、そろそろあの台を片づけて、新しい客用にしたらどうかと言います。

インカムの悪い台はさっさと片づける、それが商売だろうと。

確かに、そのとおりです。私も昔は、そういう男でした。

けれど、あの台だけは、どうしても片づけられません。

あの子は、返しに来ると言ったのです。

父親のいちばん速い球を、返せるようになって、まっさきに私に見せると。

だから私は、ダイヤルをいちばん端に回したまま、待っています。

ぽん、と球が出る。誰も打たない球が、飴色の台の上を、静かに転がっていく。

その転がる音を聞くたびに、私は、あの子の、肩で息をする姿を思い出します。

「これくらい返せないと、意味がないんです」

あの日の、大人びた声を。

意味なら、とうにありました。

お前がこの台の前で汗を流した二年間に、意味がなかったはずが、ないだろう。

父さんに追いつくどころか、お前はもう、じゅうぶん立派に打っていたよ。

だから、そう急ぐな。球は逃げやしない。

いつでもいい。戻って来い。

あの子と過ごした二年は、私の五十年の店の中で、いちばん短くて、いちばん長い時間でした。

客が減り、畳むことばかり考えていたこの店に、あの子は毎日、走って入ってきた。

その足音を、私は、生涯忘れないでしょう。

球の弾ける音がしなくなった店は、こんなにも静かなものかと、今さらのように思います。

あの子のラケットは、今、三番台の壁に、そっと立てかけてあります。

母親が、これはこの店に置いてやってくださいと、届けてくれたものです。

朝、球出し機の調子を見たあと、私はそのグリップを、いちど握ってやります。

冷たくなったグリップが、私の手のぬくもりで、少しだけ温まる。

それだけのことが、この年寄りの、一日の始まりになりました。

球の音がまた鳴る日を、私はまだ、あきらめてはいません。

ぽん、と球が出る。私は今日も、三番台の前で、その音を聞いています。

父さんの球は、私が毎朝、ちゃんと温めて待っているから。

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