弟のマフラーが届かなかった冬

暖かい午後の静かなひととき

十二月の最初の週に、玄関のポストを覗いた。

薄い郵便物しか入っていなかった。宅配の不在票も、段ボールの荷物も、何もなかった。

弟の達也からは、毎年この季節に荷物が届いていたのに。

届かなかった理由は、もうわかっていた。わかっていたのに、ポストを開けずにはいられなかった。

達也は私の三つ下で、東北の雪深い小さな町で育った。父と、私と、三人で。母は私が中学一年の冬に急に逝ってしまった。脳梗塞だった。あまりにも突然で、達也はまだ小学四年生だった。葬儀の日、達也は一言も泣かなかった。ただじっと棺の前に立って、母の顔を見つめていた。幼い弟の背中が、その日だけ大人みたいに見えた。

その翌年の冬、達也は私にマフラーを編んでくれた。

母に習ったのだと、ずっと後になってから知った。

出来は決して上手ではなかった。目が揃わず、片方の端が少し広かった。でも、私の首にはちょうどよく巻けた。学校に巻いていったら、クラスの女子に「かわいい」と言われた。達也に話したら、照れくさそうにそっぽを向いた。十歳の弟がそうやって照れるのが、なんだかおかしくて、私はひとりで笑った。

それから毎年、十二月になると達也から荷物が届くようになった。

高校を出て、私は東京の看護専門学校に進んだ。達也も後を追うように都内の大学に進学した。二人とも実家を出てから、正月にしか顔を合わせなくなったが、荷物だけは毎年届いた。段ボールの箱の中に、色とりどりのマフラーが入っていた。紺、えんじ、深緑、テラコッタ。いつも私の好きそうな色ばかり選んでいた。どうしてわかるの、と聞いたら「なんとなく」と言われた。

就職してから達也は渋谷にあるIT企業に勤めた。プログラマーだと言っていた。都会の仕事に不似合いな気がしたが、達也は好きな仕事に就けたと電話口で嬉しそうに話していた。休日には新宿や代官山を歩いているらしく、私がたまに遊びに行くと都会の店の使い方を知っていて、少し頼もしく感じた。

でも、電話の声は時々、かすれていた。

咳払いを混じえながら話すことが増えた。忙しそうだから、と私は自分に言い聞かせた。

三年前の夏、久しぶりにかかってきた達也の電話で、私は何かが引っかかった。

「最近どう?」と聞いたら、「普通だよ」と返ってきた。その「普通」の声が、どこか薄かった。

「咳してる?」

「乾燥してるだけ。大丈夫」

看護師なら、もう少し食い下がるべきだった。患者さんに対してなら、絶対に聞き流さない変化だった。でも夜勤明けの疲れた頭で、私はそれ以上聞かなかった。「無理しないでね」と言って電話を切った。切った後、しばらくスマホを手に持ったまま立っていたが、結局棚に置いた。

二年前の秋、東京に用事があって達也のアパートに寄った。

玄関先で見た達也の顔が、ずいぶん細くなっていた。頬が少し落ちて、目のまわりに影があった。

「ちゃんと食べてるの?」

「食欲ないだけだよ。最近仕事忙しくて」

部屋に上がって、近所のラーメン屋に二人で行った。達也はスープをあまり飲まなかった。話したのは仕事の愚痴と、父の近況と、地元の高校の後輩の話だった。二時間ほどで私は腰を上げた。改札の前で手を振って別れた。振り返ると、達也がまだそこに立っていた。小さく手を振っていた。ホームに降りてから、なんで振り返ったんだろう、と思った。

少し長くいればよかった、と後から思った。

でも、その時はそれだけだった。

去年の十二月、達也からマフラーが届いた。グレーのマフラーで、編み目がいつもより少し粗かった。指先の感覚が変わったのかな、と思いながら私は首に巻いた。寒い夜の帰り道に、何度も巻いた。患者さんの部屋から廊下に出た時、あの灰色のマフラーが首にあるとほっとした。そのことに、もっと気づくべきだった。

年明けの一月末に、父から電話があった。

「達也が、入院した」

新幹線の中で、私はずっと窓の外を見ていた。

北に向かうにつれて雪が増えた。平野が白くなり、山が白くなり、駅に降り立つと足元の雪が締まった音を立てた。病院はその駅から車で二十分ほどのところにあった。父が迎えに来ていた。助手席に乗り込んでも、二人とも何も言わなかった。

達也はもう意識がなかった。

ベッドの達也は、まるで眠っているみたいに静かだった。細い顔が、さらに細くなっていた。こんなに痩せていたのか、と思った。なぜ気づかなかったのか、と思った。看護師として毎日患者さんを見ていたのに、自分の弟の体の変化に、何年も気づかなかった。

担当医が廊下で話してくれた。肺がん、と聞いた時、頭の中が一瞬、真っ白になった。

「ご本人は、ご存知でしたよ。三年以上前から」

医師がそう言った。

三年以上前から。

私がかすれた声に気づいた、あの夏の電話より前から、達也は知っていた。それなのに「大丈夫」と言い続けた。私も「そうか」と聞き流した。

一週間後、達也は逝った。

父は葬儀の間中、泣いていた。私は泣けなかった。棺の中の達也の顔を見ながら、何も言えなかった。ただ、首に巻いていた去年のグレーのマフラーの端を、ぎゅっと握った。達也が手のしびれに耐えながら編んだ、そのマフラーを。

年が明けて二月になった頃、私はひとりで達也のアパートに行った。

部屋は思ったより整然としていた。本棚の本は背の高さ順に並び、台所の下の棚にはきれいに食器が重ねてあった。冷蔵庫は空だった。まるで、人に見せることを想定していたみたいだった。達也らしくない、几帳面な部屋だった。いや、これが達也の本当の几帳面さだったのかもしれない。私が知らなかっただけで。

クローゼットを開けたら、奥に段ボール箱があった。

蓋を開けると、毛糸が入っていた。

グレーの毛糸が一玉、まだ糸の端も切っていない状態で。その下に、白い封筒が一通。

表には「姉ちゃんへ」と書いてあった。

達也の字だった。

便せんを広げるまでに、少し時間がかかった。

外では雪が降り始めていた。アパートの薄い窓越しに、灰色の空から白いものがゆっくり落ちてくるのが見えた。東北の冬に似た、静かな雪だった。子供の頃、二人でよく雪を踏みしめながら学校に行ったな、と思い出した。達也は雪の上に足跡を残すのが好きで、わざわざ踏み荒らされていない雪の上を選んで歩いていた。

「姉ちゃんへ

こんな形で渡すことになってごめん。

三年前の夏から、ずっと知ってた。告知を受けた時、最初に姉ちゃんに電話しようと思った。でも、夜勤明けで疲れてそうだったし、姉ちゃんは十分つらい仕事してるから、俺のことまで心配させたくなかった。

毎年マフラーを編んでたのは、姉ちゃんに寒い思いをさせたくなかったから。お母さんが俺に教えてくれたのが、それしかなかった。不器用だから他に何もできなかった。

去年のマフラー、少し目が粗かったと思う。手がしびれることが増えて、うまく編めなかった。ごめん。

今年の分は、間に合わなかった。でも毛糸だけ残しておく。不器用でもかまわないから、姉ちゃんが編んでくれたら嬉しい。

達也」

部屋の中がしんとしていた。

しばらく、私はそこに座ったまま、毛糸の感触を指先で確かめた。柔らかかった。達也が選んだグレーは、私の好きな色だった。私の好きな色を、ずっと覚えていてくれた。

葬儀の日に泣けなかった分が、今になってこぼれた。

床の上で膝を抱えて、外の雪が積もるまでそうしていた。達也が子供の頃に開けた足跡みたいに、誰も踏み荒らしていない静かな場所で、ただ泣いた。

春になって、私は棒針を買った。

動画を見ながら、少しずつ編み方を覚えた。目が揃わない。端がどうしても広がる。一段編んでは解いて、また一からやり直した。達也みたいには、きっと一生なれない。でも、毎日少しずつ編んでいる。昼休みに、夜勤明けの朝に、休日に晴れた日の午後に。

完成したら、巻いて病院に行こうと思っている。

達也の温かさを首に巻いて、患者さんのそばに立ちたいから。

寒い思いをさせたくなかった、と弟は書いた。

私も、同じ気持ちで立ちたいと思っている。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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