
祖母が死んだのは、去年の冬のことだった。
享年87歳。老衰だった。最後まで誰にも迷惑をかけまいとする人だったから、入院してからわずか三日で逝ってしまった。
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俺と祖母の関係は、どこにでもある普通の祖母と孫だったと思う。
小さい頃はよく田舎の祖母の家に預けられた。両親が共働きで、夏休みとか冬休みになると「おばあちゃんちに行っといで」と言われて、片道三時間の電車に揺られて行った。
祖母の家は古い木造の平屋で、夏は風が通って涼しくて、冬はこたつに潜り込むと出られなくなるような、そんな家だった。
祖母はいつも俺が来ると「まあまあ、遠いとこよく来たねえ」と言って、冷蔵庫からゼリーを出してくれた。あのカップのゼリー。スーパーで6個入りで売ってるやつ。
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中学に上がってからは、部活が忙しくて祖母の家にはあまり行かなくなった。高校、大学と進むにつれて、盆と正月に顔を出すくらいになった。
それでも祖母は電話をくれた。月に一回くらい。
「元気にしとる? ごはんちゃんと食べとる?」
「うん、食べてるよ」
「そう、ならよかった。忙しいのに電話してごめんねえ」
いつも最後に「ごめんねえ」と言う人だった。電話をかけてきたのは自分なのに。
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社会人になって東京で一人暮らしを始めてからは、祖母に会う回数はさらに減った。年に一回、正月に実家に帰ったときにちょっと顔を出すくらい。
祖母は俺を見ると相変わらず「まあまあ」と言って喜んでくれたけど、年々体が小さくなっていくのがわかった。背中が丸くなって、声も小さくなって、歩くのもゆっくりになった。
でも俺は、忙しさを言い訳にして、「まあ元気そうだし大丈夫だろ」と思ってた。
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祖母が倒れたと連絡が来たのは、十二月の半ばだった。仕事が立て込んでいて、すぐには行けなかった。
「容態は安定してるから、週末でいいよ」と母に言われて、俺はそれに甘えた。
結局、祖母は俺が着く前の日の夜に息を引き取った。
最後に会ったのは、十ヶ月前の正月。あのとき祖母は俺の手を握って、「体に気をつけてねえ」と言った。いつもと同じ言葉だった。
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葬儀のあと、祖母の家の片付けを手伝った。
古い家には物が溢れていた。使い古した台所用品、色褪せた座布団、何十年も前のカレンダー。でも不思議と散らかってはいなくて、一つ一つが丁寧に扱われているのがわかった。
仏壇の引き出しを整理していたとき、小さな巾着袋を見つけた。中に入っていたのは、古びたお守りだった。
布がすり切れて、刺繍の文字もほとんど読めない。それくらい、長い間持っていたものらしい。
「これ、なんだろう」と母に見せると、母は少し驚いた顔をした。
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「あんたが高校受験のとき、おばあちゃんが買ってきたお守りよ。あんたに渡そうとしたんだけど、『こんなもの迷惑かもしれんし』って結局渡せんかったの」
俺は何も言えなかった。
「大学受験のときも、就職のときも、ずっとそのお守り持って、仏壇に手を合わせとったよ。あんたがうまくいくようにって」
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俺はそのお守りを手に取って、そっと開けてみた。本当はお守りを開けちゃいけないって言うけど、もう関係ないと思った。
中には小さく折りたたまれた紙が入っていた。
広げると、祖母の字で書いてあった。震えた字だったけど、一文字一文字、丁寧に書いてあった。
「まーくんが元気でしあわせでありますように」
まーくん。小さい頃、祖母だけが俺をそう呼んでいた。中学に上がった頃に「もうその呼び方やめて」と言って、それから祖母は俺のことを名前で呼ぶようになった。
でもこのお守りの中では、ずっと俺は「まーくん」だった。
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涙が止まらなかった。
祖母はいつも遠慮していた。電話するのも「ごめんねえ」、何かしてくれるのも「こんなものしかないけど」。お守りだって、渡したかったのに渡せなかった。
でもその遠慮の裏側に、ずっとこんなに大きな気持ちがあったのだと思うと、胸が苦しくなった。
俺がもっと会いに行っていれば。電話をもっとちゃんと聞いていれば。あの「ごめんねえ」に「全然迷惑じゃないよ」って、ちゃんと言ってあげていれば。
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あれから一年経った今も、あのお守りは俺の財布に入っている。
中の紙は元通りに折りたたんで、そっと戻した。
時々、仕事で疲れたときとか、何もかもうまくいかないときに、財布の中のお守りに触れる。すると祖母の「まあまあ、遠いとこよく来たねえ」という声が聞こえる気がする。
ばあちゃん、ごめんね。そして、ありがとう。
俺は今日も元気だよ。ちゃんとごはんも食べてるよ。