母の秘密の願い

公開日: ちょっと切ない話 |

浅草

都会の喧騒とは異なる田舎の空気。

私はその中で母の日常を想像していた。彼女はいつも家のことに追われ、人混みの多い場所に足を運ぶことはなかった。私が東京に単身赴任してからも、母は田舎の生活を続けていた。

私と母、距離を置いて暮らしている中でも、絆は変わらなかった。時折、私は母に「東京に来てみないか?」と声をかけた。しかし、母はいつも「人ごみは得意じゃない」と断っていた。

ある日、突如として母の命は終わった。脳梗塞。突然の出来事に、心は混乱し、悲しみにくれた。

遺品整理の中で、私はあるガイドブックを見つけた。それは、東京のガイドブックだった。

驚くべきことに、その本には多くの場所が赤鉛筆で線引きされていた。浅草、皇居などの観光名所が際立っていた。

そして、その中には私の好きな焼肉屋なども印がつけられていた。さらには、いくつかの場所の隣には私の名前が記されていた。

父にそのことを伝えると、彼は涙ながらに語った。「行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。お前が誘ってくれるのを待っていたんだ。」

それを知った瞬間、私の胸は痛みを伴う感情でいっぱいになった。

どれだけ母が東京で私と一緒に過ごすことを夢見ていたのか、そのガイドブックには彼女の深い愛情が詰まっていた。

私は、その愛情に気付くのが遅すぎたことを悔やんだ。母の死に顔を見た時、葬式の時よりも、この時の涙は止まらなかった。

今も、母のこの気持ちをもっと早く知っていたらと、後悔の念は消えない。

しかし、その後悔を胸に刻みながら、私は母の愛をいつまでも大切にしていくことを誓った。

関連記事

手紙(フリー写真)

神様に宛てた手紙

四歳になる娘が字を教えて欲しいと言ってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。 ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。 「○○ちゃんから…

どんぐり(フリー写真)

どんぐり

毎年お盆に帰省すると、近くの川で『送り火』があります。 いつもは淡い光の列がゆっくり川下に流れて行くのを眺めるだけなのだけど、その年は灯篭に『さちこ』と書いて川に浮かべました。 …

カーネーション(フリー写真)

本当のお母さん

俺が6歳の頃、親父が再婚して義母がやって来た。 ある日、親父が 「今日からこの人がお前のお母さんだ」 と言って連れて来たのだ。 新しい母親は、俺を本当の子供のよ…

教室

思春期の揺れる心

中学1年生のころ、私の身近にはO君という特別な存在がいました。 私たちは深く心を通わせ、漫画やCDの貸し借りを楽しんだり、放課後や週末には図書館で学び合ったりしていました。 …

スマートフォン

父の遺した言葉

私は今、高等学校3年生です。父がこの世を去ったのは10月26日のことでした。 父は、私が心から尊敬し、誇りに思える素晴らしい人でした。彼の死に際して、母と妹は慟哭しました。 …

猫(フリー写真)

猫のアン

私が小学生の時、野良猫が家に懐いて子猫を生んだ。メス一匹とオス三匹。 その内、オス二匹は病気や事故で死んだ。 生き残ったメスとオスには、アンとトラという名前を付けた。 …

恋人同士(フリー写真)

天邪鬼な君

関係を迫ると、あなたは紳士じゃないと言われる。 関係を迫らないと、あなたは男じゃないと言われる。 度々部屋を訪れると、もっと一人の時間が欲しいと言われる。 あまり部屋…

チューリップ(フリー写真)

立派なお義母さん

結婚当初は姑と上手く噛み合わず、会うと気疲れしていた。 意地悪されたりはしなかったけど、気さくでよく大声で笑う実母に比べ、足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は喜怒哀楽…

最後の夜

彼女が残した二通の手紙と、約束

彼女がこの世を去りました。病死でした。 彼女と出会ったのは、もう七年ほど前のこと。当時、彼女は大学一年生で、私は社会人。 持病があり、彼女は寂しそうに笑いながらこう言いま…

クリスマス(フリー写真)

サンタさんへの手紙

6歳の娘がクリスマスの数日前から、欲しいものを手紙に書いて窓際に置いていた。 何が欲しいのかなあと、夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった…