震災と姑の愛

瓦礫

結婚当初、姑との関係は上手く噛み合わず、会う度に気疲れしていた。

意地悪されることはなかったが、実母とは違い、姑は喜怒哀楽を直接表現せず、シャキシャキとした仕事ぶりの看護士だった。

「私、あまり好かれていないのかな」と思いながらも、距離を保って接していた。

ある年、二人目を秋に出産したため、混雑を避けて1月中旬に帰省することに。

しかし早朝、阪神淡路大震災に見舞われた。

夫たちのためにお弁当と朝食を作っていた私と姑は、立てずに座り込んだ。

食器棚が開き、次々と食器が落ちてきた。

目を開けると、姑が私を守るように覆いかぶさっていた。

夫と舅が駆けつけ、私たちを廊下に連れ出した。

玄関のドアを開けると、景色は一変していた。

姑は、私たちに早く逃げるように促し、上着やマフラーを持ってきた。

「お義母さんは?」と尋ねると、「後で逃げるから」と言われた。

足が悪く、階段では逃げられないと思っていたのだ。

夫が姑を背負おうとしたが、姑は拒否した。

「あなたの守るのは子供と嫁」と言い、私の髪を撫でて笑った。

結局、舅が姑を連れて後から逃げることになり、私たちは先に逃げた。

避難所で再会した時、言葉にならないほど泣いた。

マンションは後に全壊した。

避難所で気づいたが、姑は家族の上着を持ってきたが、自分はセーターにエプロン姿だった。

初めから家族だけを逃がすつもりだったのだ。

母乳が出なくなった時、姑は看護士としての経験を活かし、マッサージを手伝ってくれた。

避難所で姑は周りを励まし、看護士として活躍した。

震災から時間が経ち、下の子は高校生になり、舅は亡くなった。

姑との関係は変わった。

今では姑の思いを理解し、感謝している。

「ありがとう、おかあさん。あの時の血だらけの貴方を忘れません」。

関連記事

親子(フリー写真)

お袋からの手紙

俺の母親は俺が12歳の時に死んだ。 ただの風邪で入院してから一週間後に、死んだ。 親父は俺の20歳の誕生日の一ヶ月後に死んだ。 俺の20歳の誕生日に、入院中の親父から…

太陽(フリー写真)

一身独立

私が小さな建築関係のメーカーの担当営業をしていた頃の話です。 私の担当区域には、小さな個人商店がありました。 先代の社長を亡くし、若くして社長になった社長には二人の男の子が…

手を繋ぐカップル(フリー素材)

可愛い彼女がいた

俺には可愛い彼女がいた。 性格は素直でスタイルも良かったが、周囲からは 「え、あの女と付き合ってるの? お幸せに(笑)」 と、よく馬鹿にされた。 彼女は頭が非常…

蒸気機関車(フリー写真)

まるで紙吹雪のように

戦後間もない頃、日本人の女子学生であるA子さんがアメリカのニューヨークに留学しました。 戦争直後、日本が負けたばかりの頃のことです。人種差別や虐めにも遭いました。 A子さ…

サッカーボール(フリー写真)

先輩の声

高校の頃はあまり気の合う仲間が居なかった。 俺が勝手に避けていただけなのかもしれないが、友達も殆ど居らず、居場所などどこにも無かった。 そんな人間でも大学には入れるんだね。…

ママと娘

パパに届けたくて

4歳になる娘が、「字を教えてほしい」と言ってきました。 正直、どうせすぐ飽きるだろうと思いながらも、毎晩少しずつ教えてあげるようになりました。 「あ」はこう書くんだよ。「…

水滴

やさしさに感激

絵画教室に通っている私は、教室までバスを利用しています。 先日の猛暑日、バス停の近くの植え込みのコンクリートの囲いに座ってバスを待っていました。白いパンツを履いていたので、小型…

オフィスの写真

もう一度、あの笑顔に会いたくて

私の前の上司、課長は無口で無表情な人でした。 雑談には加わらず、お酒も飲まない。人付き合いを避ける、どこまでも堅物な方でした。 そのぶん、誠実で公平。どんな場面でも冷静に…

景色

忘れないでね

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなった。その5年後、こんな手紙が届いた。どうやら死期が迫った頃、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。 ※ Dear 未来の○○、元気で…

女性の後姿(フリー写真)

宝物ボックス

俺が中学2年生の時だった。 幼馴染で結構前から恋心も抱いていた、Kという女子が居た。 でもKは、俺の数倍格好良い男子と付き合っていた。俺が敵う相手ではなかった。 彼女…