
四月に入ってから、上の子の帰りが、二十分ほど遅くなっていました。
学童には行っていません。
まっすぐ帰れば、十五分の道のりです。
その遠回りの帰り道の理由を、私はしばらく知らずにいました。
訊いても、奏太は、べつに、としか言わないのです。
私は、諏訪湖の 北側の団地で、二人の男の子を育てています。
上が奏太で、この春から小学一年生になりました。
下が湊で、幼稚園の年中です。
私は、精密部品の検査のパートに出ています。
顕微鏡をのぞいて、金属の小さな傷を数える仕事です。
諏訪の冬は、朝の気温が氷点下十度まで落ちます。
湖に氷が張って、真ん中が盛り上がる年もあります。
御神渡り、と土地の人は呼びます。
私は、その氷の筋を、湊と二人でよく見に行きました。
湊は、氷の上を渡る風の音がすると、必ず立ち止まります。
怖がっているのか、聞き入っているのか、私にはわかりません。
わからないまま、十分でも二十分でも、隣に立っていました。
そういう時間を、私は湊とばかり過ごしていました。
湊には、生まれつきの障がいがあります。
ことばは、まだほとんど出ません。
着替えも、トイレも、一人ではできません。
食べられるものは、白いごはんと、豆腐と、決まった銘柄のパンだけです。
うるさい場所に入ると、耳をふさいでその場に座り込みます。
それでも、手をつないでいると、湊はずいぶん落ち着いていられます。
つなぐのは、必ず左手だと決まっています。
右手は、いつも何かを握っているからです。
石だったり、洗濯ばさみだったり、その日によって違います。
洗濯ばさみは、いちばん機嫌のいい日に握るものです。
三歳の健診のとき、保健師さんに相談したのが始まりでした。
紹介された病院で、半年かけて検査を受けました。
診断名を聞いた日のことを、私はよく覚えていません。
覚えているのは、帰りのバスで湊が寝てしまい、重かったことだけです。
重かった、という感触だけが、その日の記憶です。
今年は、湊の就学のことを決めなければならない年でした。
年が明けてすぐ、奏太がにこにこしながら言いました。
「来年は湊も一年生だね。一緒に学校行くんだ」
奏太は、ランドセルを背負ったまま、玄関でそう言いました。
奏太は、幼稚園のころから、湊の手を引いて歩く子でした。
自分が食べたいおやつを、先に湊に選ばせる子でした。
私が叱ると、湊が泣くより先に、奏太が泣く子でした。
運動会のかけっこで、最後に走る湊を待って、ゴールの手前で止まった子でもあります。
先生には、ちゃんと走りなさいと注意されました。
奏太は、はい、と答えて、翌年も同じことをしました。
私は、返事をしませんでした。
奏太の通う小学校には、特別支援学級があります。
けれど、そこに湊が入るのは、難しいだろうと言われていました。
市の就学相談で、何度も同じ説明を受けていたのです。
隣の学区に、支援学級の手厚い小学校がある。
湊さんには、そちらのほうが合うかもしれない。
その言い方は、とても丁寧で、そして動きませんでした。
相談員の方は、資料を何度も指で押さえながら話しました。
教員の配置。介助の人数。教室の広さ。
どれも、私に反論できる種類の話ではありませんでした。
帰り道、私は湊の手を引きながら、ずっと数字のことを考えていました。
数字で決まることに、腹が立つより先に、疲れていたのだと思います。
その帰りに、奏太の遠回りの帰り道と同じ道を、私も一度だけ歩きました。
そのときは、ただの遠回りにしか思えませんでした。
一年生になる春
二月の日曜の午後でした。
湊が昼寝をしている横で、奏太が入学式の写真を見ていました。
自分が写っている、まだ真新しいランドセルの写真です。
奏太は、その写真の余白に、鉛筆で小さく人を描き足していました。
自分の隣に、もう一人、背の低い人を描いてありました。
消しゴムで消しかけて、やめた跡がありました。
背の低い人の足もとには、小さな四角も描いてありました。
洗濯ばさみのつもりだろうと、私にはすぐわかりました。
湊を描くときに、あの子は必ず、右手に何かを持たせます。
「湊のは、何色にする?」
私は、そこで言うしかないと思いました。
遅かれ早かれ、言わなければならないことでした。
湊は、奏太と同じ学校には行けないかもしれない。
別の学校になるかもしれない。
そういう話を、私はできるだけ静かに伝えました。
湊が起きないように、声を落として話しました。
けれど、静かに言えば伝わり方が優しくなるわけでもありません。
私は、自分の都合で声を落としていただけでした。
奏太の顔が、みるみる崩れていきました。
「なんで」
それしか言えないまま、涙だけが出ていました。
拭くこともせず、顎から膝に落ちるままにしていました。
私は、ティッシュを取ろうとして、途中でやめました。
拭いてしまえば、話が終わってしまう気がしたのです。
それから、奏太はけんめいに条件を並べはじめました。
朝は、ぼくが手をつないで連れて行く。
休み時間のたびに、教室を見に行く。
給食も、隣に座って食べさせてあげる。
いじめられないように、ぼくが守る。
どれも、一年生にできることではありません。
できないとわかっていて、それでも並べているのがわかりました。
並べれば、どれか一つくらいは通るかもしれない。
そういう交渉の仕方を、この子はどこで覚えたのでしょう。
たぶん、私から覚えたのだと思います。
相談員の方に、私がしてきたのと同じ並べ方でした。
いくつも条件を出して、どれか一つを通してもらう。
その情けなさを、私はこの子に見せていたのです。
「だから、一緒の学校にして」
奏太は、泣きながら私の腕を引っぱりました。
私は、ごめんね、としか言えませんでした。兄が弟のために何かを我慢する姿を、私はこの日まで軽く見ていたのだと思います(兄が塗らせなかった富士の裾)。
ごめんね、を三回言ったところで、奏太は手を離しました。
「湊と行くんだもん」
そう言い残して、奏太は自分の部屋に入り、戸を閉めました。
部屋の戸の内側
私は、しばらくその場から動けませんでした。
一年生の子どもに、弟を気づかう言葉を言わせてしまった。
その上で、それを否定してしまった。
自分のしたことが、ひどく汚いことのように思えました。
湊のことで、私はいつも誰かに頭を下げていました。
幼稚園にも、病院にも、近所にも。
そのぶん、奏太には何も頼んでこなかったつもりでした。
つもりでいただけだと、その日わかりました。
台所に立っても、手が動きませんでした。
炊飯器の湯気だけが、換気扇に吸われていきました。
団地の外で、除雪車が低く唸る音がしていました。
windowの外は、もう暗くなりかけていました。
私は、奏太の部屋の戸の前に座りました。
中からは、何も聞こえてきません。
泣き声もなければ、物音もしません。
その静けさが、いちばんこたえました。
泣いていてくれたほうが、まだ楽でした。
泣き声なら、抱きしめに行く口実になります。
抱きしめれば、済んだことにできます。
済んだことにしたいのは、いつも私のほうでした。
戸の下の隙間から、うっすら灯りが漏れていました。
何かを、書いているようでした。
鉛筆の芯が、紙を擦る音が、ときどき聞こえました。
書いては消し、また書いているようでした。
夫は、その日も仕事でした。
就学のことを相談しても、よくわからないから任せる、といつも言う人でした。
責めるつもりはありません。
けれど、決めるのはいつも私で、泣くのもいつも私でした。
その日は、さすがに腹が立って、夫の携帯に電話をかけました。
呼び出し音を七回聞いて、私は切りました。
言葉にすれば、責める言い方しかできない気がしたからです。
湊が目を覚まして、私の膝に頭を乗せてきました。
髪から、汗と、幼稚園の砂の匂いがしました。家族の時間というものは、こういう匂いの積み重ねなのだと思います(家族の時間を繋いだ子山羊)。
私は、その頭を撫でながら、戸の向こうの物音を待っていました。
三十分ほど経ったころ、戸が開きました。
遠回りの帰り道
奏太は、目を真っ赤にして出てきました。
そして、私の前にきちんと正座をしました。
一年生が正座をすると、膝小僧がずいぶん白く見えます。
「あのね」
奏太は、そこで一度、息を吸いました。
「本当は、湊と一緒の学校がいい」
「でも、絶対にむりだったら、がまんする」
「そのかわり、湊が楽しく行けて、いじめのない学校をさがしてね」
その言い方は、頼むというより、確かめる言い方でした。
「やくそくして」
私は、うん、と言うのがやっとでした。
差し出された小指に、自分の小指を掛けました。
その指が、思ったより硬くて、驚きました。
鉄棒の練習で、豆ができていたのです。
逆上がりが、まだできない子でした。
できないことのほうが、この子にはずっと多いのです。
二人で泣きながら、指切りをしました。
その晩、帰ってきた夫にこの話をしました。
夫は、玄関に立ったまま、声を上げて泣きました。
コートも脱がず、鞄も置かずに、しゃがみ込んでしまいました。
「おれ、なんも見てなかったな」
夫が自分のことをそう言ったのは、結婚して初めてでした。
翌日から、夫は就学相談の資料を自分で読むようになりました。
任せる、という言葉は、それきり聞かなくなりました。
日曜には、夫が湊を連れて、近所の公園まで歩くようになりました。
歩きながら、湊の手をどちらでつなぐかを覚えていきました。
左です、と私が言うと、夫は、知ってる、と少し得意げに答えました。
四月になり、奏太は二年生になりました。
そして、帰りが遅くなりはじめたのです。
最初は、友だちと寄り道でもしているのだろうと思いました。
けれど、家に帰ってくる奏太の靴には、いつも同じ場所の土がついていました。
団地の周りは、どこも黒い土です。
奏太の靴の底には、細かい赤茶色の粒が挟まっていました。
洗っても、次の日にはまた同じ土がついていました。
団地の周りにはない、赤い色の混じった土でした。
担任の先生からも、下校が遅いようですと連絡がありました。
「誰かと一緒というわけでもないみたいで」
友だちと帰る日もあるが、途中で別れているようだと言われました。
叱ってほしいわけではありません、とも言われました。
私は、はい、とだけ答えて、電話を切りました。
心配よりも先に、後ろめたさが来ました。
この子のことを、私は最近、ほとんど見ていなかったのです。
私は、その日、少し早く仕事を切り上げました。
校門の前の十七回
学校の門の陰で待っていると、奏太が一人で出てきました。
奏太は、家とは反対の方向へ歩いていきました。
私は、離れてついていきました。
坂を下り、川を渡り、線路沿いの道をまっすぐ進みます。
川沿いの土手が、ちょうど赤茶色の土でした。
工事で入れた山土だと、あとで知りました。
奏太は、その土手を通るのが近道だと、どこかで見つけたようでした。
歩幅の小さい足で、二十分近く歩き続けました。
途中で一度も休まず、寄り道もしませんでした。
私は、少し離れた電柱の陰から、その背中を見ていました。
ランドセルが、いつもより大きく見えました。
背中で上下に跳ねる音が、道の向こうまで聞こえました。
私は、声をかけようとして、やめました。
声をかければ、この子は理由を言わずに帰ってくる。
そんな気がしたのです。
遠回りの帰り道の先にあったのは、隣の学区の、あの小学校でした。
奏太は、校門の少し手前で立ち止まりました。
そして、金網越しに、校庭を見ていました。
下校の時間で、支援学級の子どもたちが、先生と歩いていました。
列の後ろのほうに、耳をふさいで立ち止まった子がいました。
先生は、急かさずに、その子の横にしゃがみました。
しゃがんだまま、しばらく何も言わずに一緒に立っていました。
列の先頭の子も、待っていました。
待つことが、当たり前になっている列でした。
奏太は、その様子を、金網に額をつけるようにして見ていました。
奏太は、その列を、じっと目で追っていました。
しばらくすると、用務員さんらしい年配の男の人が出てきました。
男の人は、奏太に気づいて、笑いながら何か話しかけました。
奏太も、何か答えていました。
二人は、慣れた様子で、二言三言やりとりをしていました。
奏太が歩き出したのを見届けてから、私はその人に声をかけました。
息子が、ご迷惑をおかけしていませんか、と。
男の人は、とんでもない、と手を振りました。
そして、少し困ったような顔で言いました。
「あの子、いつも同じことを聞くんですよ」
この学校に、いじめはありますか。
けんかをしたら、先生はどうしますか。
給食は、パンの日が何回ありますか。
耳をふさぐ子がいたら、先生は怒りますか。
「そのたびに、わしも真面目に答えとるんです」
用務員さんは、帽子を取って頭をかきました。
「弟さんが来るんだって、言うてました」
その言い方が、あんまり誇らしそうだったので覚えている、とも言われました。
私は、弟のことを誇らしそうに話す奏太を、家では見たことがありませんでした。
家では、湊のことで我慢する子でしかなかったのです。
初めのころは、門の外から五分だけ見て帰っていたそうです。
そのうち、掃除の時間や、給食の匂いのする時間に合わせて来るようになった。
雨の日も、傘を差して同じ場所に立っていたそうです。
「傘、うちの軒下で畳んでから、また差して帰りよった」
「下見ですな。あれは」
私は、下見という言葉を、口の中で繰り返しました。
七歳の子が、弟のために学校を下見する。
そんなことが、本当にあるのだと思いました。
用務員さんは、あの子が四月から十七回来ていた、と言いました。
私は、その場で、金網に手をついたまま動けませんでした。
奏太が私に出した条件は、思いつきではありませんでした。
自分の足で、確かめてから言った言葉だったのです。
指切りのあとで
湊の就学先は、その隣の学区の小学校に決まりました。
決め手になったのは、就学相談の資料ではありませんでした。
私が何度見学しても見えなかったものを、奏太は毎日見ていたのです。
私が見ていたのは、教室と、設備と、先生の人数でした。
奏太が見ていたのは、立ち止まった子に、先生がどうするかでした。
設備は、紙に書いてあります。
書いていないものを、あの子は毎日、金網越しに確かめていたのです。
湊の通う学校が決まった日、奏太は、そう、とだけ言いました。
喜びもせず、指切りのことも持ち出しませんでした。
約束は守られた。それだけのことだと思っているようでした。
入学式の朝、奏太は自分の学校を一時間遅れで行くことにしました。
先生が、そうしていいと言ってくれたからです。
玄関で、奏太は湊のランドセルの肩ベルトを、左だけ少し伸ばしました。
「こっちの手、つなぐから」
湊は、その手を見てから、自分の左手を差し出しました。
湊は、右手に洗濯ばさみを握ったまま、うなずきました。
うなずいたように、私には見えました。
三人で坂を下りて、川を渡って、線路沿いの道を歩きました。
その道は、もう遠回りではありませんでした。