思いやりと妹への愛情

公開日: 兄弟姉妹 | 心温まる話

金魚

十年前、私が金魚すくいの店を営んでいた時のことです。

ある日、7歳くらいの女の子と10歳くらいの男の子が兄妹で来店しました。妹は他の子供たちが金魚すくいを楽しんでいるのを興味津々で見ていましたが、すぐに兄に何かをせがむような仕草をしました。二人の身なりからは裕福さは感じられず、男の子は料金を示す『1回300円』の看板を見つめていました。

しばらくして、男の子は決心したように私に向かって「1回」と言い、握りしめていた三枚の百円硬貨を差し出しました。その硬貨は彼がどれほど大切にしていたかがわかるほど熱を帯びていました。

妹は紙を受け取ると、満面の笑みで金魚すくいに夢中になりました。

一方、男の子は妹が楽しそうに遊ぶのを見ていると、自分も参加したくなったのか、ソワソワとしていました。そんな時、私はわざと紙を水に落とし、「あー、しまった、濡れてもうた。しゃーない、勿体無いからボク使え」と言って濡れた紙を男の子に渡しました。彼は「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、金魚すくいを始めようとしました。

その瞬間、妹が躓いて兄とぶつかり、紙が破れてしまいました。妹が泣きそうな顔をしているのを見て、男の子は「あげてもいい」と言って、自分の手にした紙を妹に差し出しました。そして、「俺、ちょっと向こう見てくるから、ここで遊んどけよ」と言って、場を離れました。

妹は再び金魚すくいを始め、楽しそうにしている様子を兄は隠れて見守っていました。遊び終わった時、兄は再び現れ「ありがとう」と笑顔で私に感謝を述べ、妹にも同じことを言わせて、二人は手をつないで帰っていきました。

その日の出来事は今でも私の心に残っています。兄が見せた思いやりと妹への愛情、そして何よりもその純粋な笑顔は、私が忘れることのできない宝物です。

関連記事

母の手

あのハンバーグの味

私の母は生まれながらにして両腕に障害を持っていました。 そのため、家庭の料理はほとんど父が担当していたのです。 しかし学校の遠足などで弁当が必要な時は、母が一生懸命に作っ…

コーヒーのドリップ(フリー写真)

店長さんの嘘

俺がまだ受験生だった頃の話。 当時、塾の自習室にはどうにも居辛くて、自習室代わりによく利用している喫茶店があった。 普段は20時前には自習室に戻っていたんだけど、そこの店長…

桜の木(フリー写真)

トムの桜

小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたので、ティッシュを渡してあげた。 「どうしたんだ?」 と聞いたところ、ムカつく猫が居たので捕まえて、水の入ったポリバケツに放り…

家族

父の告白

ある日、僕が父に「結婚したい子ができた」と告げると、数日後、家族会議が開かれた。 その時の父は、これまでにない真剣な表情で、衝撃の事実を告げた。 「実は、俺とお前は血の繋…

親子の手

またあなたの子供になりたい

私が6歳のとき、父が再婚し、新しい母親がやって来ました。 「今日からこの人がお前のお母さんだ」と父が紹介したその日から、彼女は私を本当の子供のように可愛がってくれました。 …

赤ちゃん

奇跡のメッセージ

結婚して五年目、ようやく待ちに待った子どもが生まれた。 抱きしめた瞬間、涙があふれ、世界で一番の宝物だと思った。 二年が経ち、子どもに障害があることが判明した。 目…

戦闘機

戦場の軍医と従兵の絆

先日、私は大伯父の葬儀に参列しました。読経の声が静かに流れる中、私は大伯父がかつて語った、唯一の戦争の話を思い出していました。 医師であった大伯父は軍医として従軍し、フィリピン…

瓦礫

被災からの救済と感謝

被災した時、私は中学生でした。家は完全に崩壊しましたが、たまたま外に近い部屋で寝ていたため、腕を骨折するだけで済み、何とか自力で脱出できました。しかし、奥の部屋で寝ていた母と妹は助か…

水滴

やさしさに感激

絵画教室に通っている私は、教室までバスを利用しています。 先日の猛暑日、バス停の近くの植え込みのコンクリートの囲いに座ってバスを待っていました。白いパンツを履いていたので、小型…

朝焼け

彼女の愛と意志

親父がサラ金で作った借金を抱えて逃げてしまった。 その結果、長い間別居していた母と再び一緒に住むことになった。表面上は友達や母に明るく振る舞っていたが、内心はかなり参っていた。…