兄が遺した手紙

公開日: 戦時中の話

雨(フリー写真)

うちの婆ちゃんから聞いた、戦時中に体験した話。

婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、戦闘機に乗って戦ったらしい。

そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。

婆ちゃんは当時、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。

ある日の夜、コツンコツンと雨戸を叩く音がしたそうです。

誰ぞと声を掛けども返事は無し。

仕方無く重い雨戸を開けたのですが、それでも誰も居ない。

婆ちゃんはそれに何か虫の報せを感じたそうで、

「兄ちゃんか?」

と叫んだそうです。返事はありませんでした。

その後、戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。

そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。

婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。

遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。

婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「キミイよ。兄ちゃんが天国に逝けるように祈ってくれ。

弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。

この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ。誇りを捨てるな。

貧しくともよし、泥をかぶってもよし。

金を持っても、美味いものを食ってもよいのだ。

ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚された時こそ、怒れ。

黄色のリボンがよく似合っていた。

兄はいつも共にある。美しくあれ、キミイよ」

婆ちゃんは疎開先の製糸工場に居る時、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを、毎日お下げに巻いていたそうです。

お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、あの雨の日に私に会いに来たのだと、婆ちゃんは生涯信じていました。

関連記事

旧日本兵の方(フリー写真)

やっと戦争が終わった

祖父が満州に行っていたことは知っていたが、シベリア行きが確定してしまった時に、友人と逃亡したのは知らなかった。 何でも2、3日は友人たちと逃亡生活を過ごしていたが、人数が居ると目…

椅子と聖書(フリー写真)

特攻隊員の方の手紙

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならない時が来ました。 晴れて特攻隊員に選ばれ出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。 母チャン、母チャンが 私…

空(フリー写真)

祖父の恩人

仕事でどうしようもないミスをしてしまい、次の日に仕事に行きたくないと鬱ぎ込んでいた時の事だ。 家に帰りたくなく、仕事帰りにいつもは乗らない電車に乗って他県まで行ってみた。 …

広島平和記念碑 原爆ドーム(フリー写真)

忘れてはならない

今日が何の日かご存知であろうか。知識としての説明は必要ないだろう。 だが一歩その先へ。それが、自分の経験であったかもしれないことを想像して頂きたい。 向こう70年、草木も生…

南国の夕日(フリー写真)

特攻隊員の方の遺書

戦いは日一日と激しさを加えて参りました。 父母上様、長い間お世話になりました。 私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。 私は…

沖縄の夕暮れ(フリー写真)

立派な将校さん

戦時中の沖縄での事です。 当時12歳だった叔父さんは、自然の洞穴を利用して作られた壕の中に居た。 他の住民や、部隊からはぐれた大怪我を負った兵隊たちも隠れていた。 息…

戦闘機

戦時の影

私が今、介護福祉士として働いているところに、とある老人がいる。彼は普段から明るく、食事もよく食べ、周囲を和ませる存在だ。 先日、妹が修学旅行で鹿児島に行く話をしたとき、彼が珍し…

象(フリー写真)

三頭の象

上野の動物園は、桜の花盛りです。 風にぱっと散る花。お日様に光り輝いて咲く花。 お花見の人たちがどっと押し寄せ、動物園は砂埃を巻き上げるほどに混み合っていました。 象…

ピアノ

最後の演奏会

8年前、九州の西日本新聞に掲載され、映画化された物語があります。これは特攻出身の学徒兵たちの話です。 当時東京に住んでいた私は、銀座の東映でその映画を軽い気持ちで観に行きました…

戦闘機

戦場の軍医と従兵の絆

先日、私は大伯父の葬儀に参列しました。読経の声が静かに流れる中、私は大伯父がかつて語った、唯一の戦争の話を思い出していました。 医師であった大伯父は軍医として従軍し、フィリピン…