姥捨て山

姥捨て山

祖母の遺品を整理していたら、菓子の缶の中から、木の枝が一本出てきた。

乾いて、飴色になって、途中で折れている。

長さは、私の手のひらより少し短いくらい。

それが、缶の底に、写真の束と一緒に、まっすぐ寝かせてあった。

※

私を育てたのは、母ではなく、祖母だった。

父は町の工場に勤めていて、朝は暗いうちに出て、帰りは私が寝てからだった。

母は、私が三つのときに家を出た。

理由は、大人になってから察しがついた。

察しがついても、誰も、そのことを口にしなかった。

だから私にとって、台所に立っている背中は、いつも祖母の背中だった。

祖母は、朝、竈の前でしゃがんで火を熾す。

その煙の匂いが、私の目覚まし時計だった。

秋になると、軒下に柿を吊るす。

渋柿の皮を剥く祖母の手つきは、驚くほど速かった。

薄い皮が、途切れずに、くるくると落ちていく。

「婆ちゃん、切れんの」

「切れん。四十年やっとるけん」

「四十年」

「あんたが四十になったら、剥けるようになる」

その言葉を、私は本気で信じていた。

四十になれば、なんでもできるようになるのだと。

私は今、四十四だ。

柿は、いまだにうまく剥けない。

剥こうとすると、皮が途中で切れる。

※

私の生まれた村には、背負い坂という坂がある。

集落の裏から、霧生山の中腹まで続く、細い坂だ。

今は舗装されて、軽トラックがぎりぎり通れる。

私が子どもの頃は、まだ土の道だった。

その坂の名前の由来を、私は祖母から聞いた。

小学校に上がる前の、冬だったと思う。

囲炉裏の火の匂いと、祖母の膝の硬さを、いまでも覚えている。

「昔はな、この村では、年寄りを山に置いてきたんじゃ」

祖母は、火箸で灰を均しながら、そう言った。

「食うもんがのうなったら、いちばん年寄りから、山へ」

私は、意味がよく分からなかった。

分からないまま、こう聞いた。

「置いてきて、どうするん」

「どうもせん」

「帰ってこんの」

「帰ってこん」

祖母は、火箸を灰に立てた。

「その代わりにな。子は、親を背負うて登るんじゃ。抱えるんでも、引っ張るんでもない。背負うて」

「なんで」

「背負うたら、顔が見えんじゃろ」

祖母は、そう言って、私の頭を撫でた。

その手が、木の皮みたいに乾いていたのを覚えている。

「顔が見えんかったら、泣いても分からん。親も、子も」

※

祖母の話には、続きがあった。

それが、この村の背負い坂の、本当の由来だ。

ある年の、ひどい飢饉の秋。

ひとりの男が、自分の母親を背負って、その坂を登った。

母親は痩せて、羽根のように軽かったという。

男は、何も言わなかった。

母親も、何も言わなかった。

ただ、登っている間じゅう、背中の上で、母親の腕が動いていた。

男には、それが何をしているのか、分からなかった。

枝の折れる音が、ぱき、ぱき、と、後ろで鳴っていた。

道の脇の木に手を伸ばしては、細い枝を折る。

折っては、地面に落とす。

「なにをしよるん」

男が、初めて口をきいた。

母親は答えなかった。

その代わりに、また、ぱき、と鳴った。

山の中腹の、平らな場所に着いた。

男は、母親を下ろした。

落ち葉の上に、丁寧に座らせた。

男は、母親の顔を見なかった。

見たら、背負って帰ってしまうと、分かっていたからだ。

背を向けて、一歩、歩き出した。

そのとき、母親が、初めて口をきいた。

「これは、あんたが帰る道の、目印じゃ」

男は、振り返った。

振り返って、坂の下を見た。

落ち葉の上に、白い折れ口を上にして、木の枝が点々と続いていた。

自分の登ってきた道が、そのまま、光の粒のように残っていた。

※

「そのお母さんは、な」

祖母は、話をここで少し止めた。

灰を、また均した。

「自分が帰る道は、いらんかったんよ」

私は、幼いなりに、それが恐ろしい話だと思った。

恐ろしくて、その晩は祖母の布団に潜り込んだ。

祖母は、笑って背中を叩いてくれた。

「親いうもんは、そういうもんじゃ」

その言葉の意味を、私は四十年、分からずに生きた。

※

祖母の話には、もうひとつ、続きがあった。

それを聞いたのは、私が中学に上がった年の盆だった。

仏壇に置かれた古い写真を指して、私が「これ誰」と聞いたのがきっかけだった。

写真の中の女の人は、目つきが祖母によく似ていた。

「わたしの母じゃ」

祖母は、そう言って、少し黙った。

それから、思いがけないことを口にした。

「わたしの父はな、この人を、一度、坂へ連れて行った」

私は、耳を疑った。

「昔の話やろ」

「昭和じゃ。戦争の、終わったばっかりの」

祖母の声は、いつもと同じ調子だった。

それが、かえって怖かった。

「食うもんが、ほんまに、のうなったけん。父は、背負うて登った」

「……それで」

「途中で、背負うたまま、帰ってきた」

祖母は、湯呑みを両手で包んでいた。

「村の衆には、笑われたそうじゃ。弱虫の坂じゃと」

「婆ちゃんは」

「わたしは、玄関で待っとった」

祖母は、私の顔を見た。

「帰ってきた父の背中で、母が、木の枝を握っとった」

「……なんで」

「折るためじゃ」

祖母は、それだけ言って、話を終わりにした。

私は、その夜も眠れなかった。

中学生の私が考えたのは、こういうことだ。

あの人は、途中まで、自分が捨てられると思っていた。

思っていて、それでも、息子の帰り道の心配をしていた。

そして、息子が背負ったまま帰ってきたとき、握っていた枝を、どうしたのだろう。

捨てたのだろうか。

それとも。

その先は、考えられなかった。

※

祖母が、物を忘れるようになったのは、八十を過ぎた頃だ。

最初は、鍋を焦がすくらいだった。

次に、私の名前が出てこなくなった。

それでも祖母は、毎朝きちんと起きて、仏壇に水を上げていた。

順番だけは、体が覚えているようだった。

本格的におかしくなったのは、その年の梅雨からだ。

夜中に、玄関で立っていることがあった。

「どこ行くん」

「帰る」

「ここが家じゃろ」

「ちがう」

祖母は、暗い土間を指さして、はっきり言った。

「わたしの帰る道は、こっちじゃない」

夏の終わりには、祖母は柿の木の下に立つようになった。

まだ実も生っていない、青い葉ばかりの木の下だ。

「婆ちゃん、なにしよるん」

「剥かにゃいけん」

「まだ、生っとらんが」

「生っとる」

祖母は、何もない枝に手を伸ばして、掴む仕草をした。

その手が、宙で、皮を剥く動きをした。

くるくると、途切れずに。

四十年の手つきだけが、残っていた。

私は、その手を見ていられなくて、家の中に入った。

入って、流しで水を出して、蛇口の音を大きくした。

背筋が、冷えた。

なぜ冷えたのか、そのときは分からなかった。

※

施設を探すと決めるまでに、半年かかった。

妻は、最初から反対しなかった。

反対しないことが、いちばんこたえた。

「わたしは、どっちでもええよ」

妻は、洗濯物をたたみながら言った。

「あんたが決めたことに、文句は言わん。ただ、あとで、わたしのせいにせんといて」

そのとおりだと思った。

父は、その頃にはもう亡くなっていた。

相談できる相手は、村にはいなかった。

夜、私は何度も、あの坂を車で上がった。

上がって、峠で停めて、エンジンを切って、下の集落の灯りを見た。

灯りは、年々減っていた。

私が子どもの頃は、山の裾に、金平糖を撒いたみたいに広がっていた。

今は、数えられる。

食うものがないから山へ、という時代ではない。

私には仕事がある。家がある。車もある。

それなのに、私は、祖母を山の向こうへ連れて行こうとしている。

昔のほうが、まだ正直だったのかもしれない。

そう思って、自分に嫌気が差した。

嫌気が差しながら、私は契約書を取りに行った。

※

秋になって、私は施設を探した。

村から車で四十分の、山を越えた町にある施設だった。

清潔で、明るくて、職員の人も感じがよかった。

それでも私は、契約書に判を押しながら、手が震えていた。

入所の日の朝、祖母は、いつもより早く起きていた。

仏壇の水を、替えていた。

私が起きたときには、もう替わっていた。

祖母は、割烹着を着て、台所に立っていた。

「婆ちゃん、今日は、ええけん」

「なにが」

「飯は、下で食うけん」

祖母は、私の顔を見て、それから、こう言った。

「あんた、どこぞ行くん」

「うん」

「遠いんか」

「……ちょっと、遠い」

祖母は、頷いた。

そして、戸棚から干し柿の袋を出して、私の鞄に入れた。

「持って行き」

私は、その袋を、取り出せなかった。

車に乗せるとき、祖母は玄関で一度だけ立ち止まって、家の中を振り返った。

振り返って、何も言わずに、靴を履いた。

私は、あのとき、あの人が何を見ていたのか、いまも考える。

入所の日は、よく晴れていた。

祖母は、朝から機嫌がよかった。

どこへ行くのか、分かっていないようだった。

私は、それに助けられていた。

助けられて、ほっとしている自分が、いちばん嫌だった。

車は、背負い坂を登って、峠を越えていく道を通る。

昔の土の道ではない。舗装された、なんでもない坂だ。

助手席の祖母は、窓の外を見ていた。

「婆ちゃん、寒ない」

返事はなかった。

私は、窓を少しだけ開けた。

その途端、祖母の手が動いた。

細い腕が、開いた窓から、外へ伸びた。

道の脇に、木の枝が張り出している。

祖母の指が、その枝を掴んだ。

ぱき、と鳴った。

私は、慌ててブレーキを踏んだ。

「危ない。婆ちゃん、なにしよるん」

祖母は、私を見なかった。

枝を、窓の外に落とした。

そして、また、次の枝に手を伸ばした。

※

私は、車を停めなかった。

停められなかった。

ゆっくりと坂を登りながら、私はバックミラーを見た。

後ろの道に、白い折れ口が、点々と落ちていた。

祖母は、痩せた腕を、一生懸命伸ばしていた。

一本、また一本。

車の中は、静かだった。

枝の折れる音だけが、ぱき、ぱき、と鳴っていた。

私は、その音を、四十年前に聞いていた。

囲炉裏の火の前で。

祖母の膝の上で。

「婆ちゃん」

私は、前を見たまま言った。

「それ、なにしよるん」

祖母は、答えなかった。

私は、もう一度聞いた。

声が、割れていた。

「なあ。それ、なんの目印なん」

そのとき、祖母が、はっきり言った。

「これは、あんたが帰る道の、目印じゃ」

※

私は、峠の待避所に車を停めた。

停めて、ハンドルに額をつけた。

どれくらい、そうしていたのか分からない。

顔を上げたとき、祖母は窓の外を見ていた。

道の脇の、木の枝を。

「婆ちゃん」

「はい」

「ごめんな」

祖母は、私のほうを見なかった。

その代わり、右手を、私の膝の上に置いた。

柿を四十年剥いてきた、乾いた手だった。

その手が、二回、膝を叩いた。

ぽん、ぽん、と。

子どもの頃、私が泣いたときに、いつもされていた叩き方だった。

何も言わずに、ただ、二回。

私は、それで、余計に泣いた。

祖母は、最後まで、私を責めなかった。

責める言葉を、あの人は、もう持っていなかったのかもしれない。

持っていないことに、私は救われた。

救われた自分が、また、嫌だった。

祖母は、私が泣いているのを、たぶん見ていた。

けれど、何も言わなかった。

背負い坂の話を、あの人は忘れていない。

私の名前は忘れても、あの話だけは、忘れていない。

いや、違う。

忘れていないのではない。

あの人は、その話の中に、もう入ってしまっていた。

自分が、山へ登る側の人間だと、分かっていたのだ。

分かっていて、朝から機嫌よく、車に乗った。

そして、自分の帰り道ではなく、私の帰り道を作っていた。

※

祖母は、施設で三年生きた。

私は、月に二度、あの坂を通って会いに行った。

施設の部屋は、二階の、山側の窓だった。

面会に行くと、祖母はたいてい窓のそばの椅子に座っていた。

外には、峠の山が見える。

背負い坂の、ちょうど裏側にあたる斜面だ。

「婆ちゃん、来たで」

「はい、はい」

祖母は、私を客だと思っているようだった。

それでも、必ず、お茶を出そうとして立ち上がる。

職員さんが、笑って止める。

私は、持ってきた干し柿を、一つずつ、袋から出した。

祖母は、それを見て、少しだけ目を細めた。

「これ、ようできとる」

「婆ちゃんが作ったんじゃ」

「そうかね」

「去年の」

「そうかね」

祖母は、干し柿を、食べなかった。

手のひらに乗せて、しばらく撫でていた。

柿の粉が、指について、白く光った。

撫でて、それから、こう言った。

「これ、あんた、持って帰り」

私が、誰なのかも分からんのに。

持って帰れ、と言う。

最後まで、あの人は、私に何かを持たせて帰そうとした。

最後のほうは、私が誰なのか、まったく分からなくなっていた。

それでも、私が帰ろうとして立ち上がると、祖母は必ず、窓のほうを指さした。

「気ぃつけて、下りよ」

毎回、同じことを言った。

その言葉だけが、最後まで、消えなかった。

※

葬式のあと、村の古い衆が、私にこんなことを言った。

八十九になる、隣の集落の爺さんだった。

「あんたの婆さんは、若い頃、坂の掃除をしよったよ」

「掃除」

「枝じゃ。道に落ちとる枝を、拾うて集めよった」

私は、意味が分からなかった。

爺さんは、湯呑みを置いて、続けた。

「毎年、秋になったら、ひとりで登って、拾うて回りよった。誰に頼まれたわけでもないのに」

「なんで、そんなこと」

「さあ。聞いても、笑うだけじゃった」

爺さんは、少し考えて、こう付け加えた。

「あれは、たぶん、拾いよったんじゃのうて、探しよったんじゃな」

私は、その言葉を、しばらく飲み込めなかった。

探していた。

坂に落ちた、誰かの折った枝を。

自分の母が、自分の父の背中で折った、あの枝を。

昭和の、あの秋の。

何十年も、毎年、秋になるたびに。

それが見つかったのかどうか、爺さんも知らないと言った。

私も、知らない。

知らないまま、缶の中に、一本ある。

※

遺品の缶に入っていた枝が、いつのものかは分からない。

あの日、車の窓から落としたうちの一本を、私が拾って持ち帰った覚えはない。

帰り道、私は坂で車を停めて、落ちた枝を全部拾おうとした。

けれど、暗くなってきて、途中でやめた。

拾えたのは、たしか、三本か四本だった。

それを、どうしたのか、覚えていない。

覚えていないのに、缶の中に、一本ある。

写真の束と一緒に、まっすぐ寝かせてある。

祖母が、いつ、どうやって、それを持って帰ったのか。

考えても、答えは出ない。

※

去年の秋、私は初めて、ひとりで背負い坂を歩いて登った。

車ではなく、足で。

中腹の、平らな場所まで。

昔、男が母親を下ろしたと言われている、あの場所だ。

今はただの杉林で、標識も、祠も、何もない。

私はそこに立って、坂の下を見た。

落ち葉の色が、山の裾まで続いていた。

白い折れ口は、ひとつもなかった。

それでも、私は、下りる道が分かった。

分かっていることが、こんなに恐ろしいとは思わなかった。

枝を折ってくれた人は、もう、背中にいない。

※

その枝を、私は今、車のダッシュボードに置いている。

飴色の、途中で折れた、なんでもない木の枝だ。

乗せるとき、妻には「なにそれ」と笑われた。

「お守り」

そう答えておいた。

嘘ではない。

背負い坂は、いまも同じ場所にある。

舗装されて、白い線が引かれて、カーブミラーまで立っている。

私はその坂を、月に何度も通る。

通るたびに、道の脇の木を見る。

折れた跡は、もう、どこにもない。

それでも、私は迷わない。

親というのは、こういうものだ。

自分の帰り道を捨てて、子の帰り道だけを、後ろに置いていく。

そして、置いていったことを、決して言わない。

言われて初めて気づく子どもが、坂の下で、ようやく泣くのだ。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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