姥捨て山

祖母の遺品を整理していたら、菓子の缶の中から、木の枝が一本出てきた。

乾いて、飴色になって、途中で折れている。

長さは、私の手のひらより少し短いくらい。

それが、缶の底に、写真の束と一緒に、まっすぐ寝かせてあった。

私を育てたのは、母ではなく、祖母だった。

父は町の工場に勤めていて、朝は暗いうちに出て、帰りは私が寝てからだった。

母は、私が三つのときに家を出た。

理由は、大人になってから察しがついた。

察しがついても、誰も、そのことを口にしなかった。

だから私にとって、台所に立っている背中は、いつも祖母の背中だった。

祖母は、朝、竈の前でしゃがんで火を熾す。

その煙の匂いが、私の目覚まし時計だった。

秋になると、軒下に柿を吊るす。

渋柿の皮を剥く祖母の手つきは、驚くほど速かった。

薄い皮が、途切れずに、くるくると落ちていく。

「婆ちゃん、切れんの」

「切れん。四十年やっとるけん」

「四十年」

「あんたが四十になったら、剥けるようになる」

その言葉を、私は本気で信じていた。

四十になれば、なんでもできるようになるのだと。

私は今、四十四だ。

柿は、いまだにうまく剥けない。

剥こうとすると、皮が途中で切れる。

私の生まれた村には、背負い坂という坂がある。

集落の裏から、霧生山の中腹まで続く、細い坂だ。

今は舗装されて、軽トラックがぎりぎり通れる。

私が子どもの頃は、まだ土の道だった。

その坂の名前の由来を、私は祖母から聞いた。

小学校に上がる前の、冬だったと思う。

囲炉裏の火の匂いと、祖母の膝の硬さを、いまでも覚えている。

「昔はな、この村では、年寄りを山に置いてきたんじゃ」

祖母は、火箸で灰を均しながら、そう言った。

「食うもんがのうなったら、いちばん年寄りから、山へ」

私は、意味がよく分からなかった。

分からないまま、こう聞いた。

「置いてきて、どうするん」

「どうもせん」

「帰ってこんの」

「帰ってこん」

祖母は、火箸を灰に立てた。

「その代わりにな。子は、親を背負うて登るんじゃ。抱えるんでも、引っ張るんでもない。背負うて」

「なんで」

「背負うたら、顔が見えんじゃろ」

祖母は、そう言って、私の頭を撫でた。

その手が、木の皮みたいに乾いていたのを覚えている。

「顔が見えんかったら、泣いても分からん。親も、子も」

祖母の話には、続きがあった。

それが、この村の背負い坂の、本当の由来だ。

ある年の、ひどい飢饉の秋。

ひとりの男が、自分の母親を背負って、その坂を登った。

母親は痩せて、羽根のように軽かったという。

男は、何も言わなかった。

母親も、何も言わなかった。

ただ、登っている間じゅう、背中の上で、母親の腕が動いていた。

男には、それが何をしているのか、分からなかった。

枝の折れる音が、ぱき、ぱき、と、後ろで鳴っていた。

道の脇の木に手を伸ばしては、細い枝を折る。

折っては、地面に落とす。

「なにをしよるん」

男が、初めて口をきいた。

母親は答えなかった。

その代わりに、また、ぱき、と鳴った。

山の中腹の、平らな場所に着いた。

男は、母親を下ろした。

落ち葉の上に、丁寧に座らせた。

男は、母親の顔を見なかった。

見たら、背負って帰ってしまうと、分かっていたからだ。

背を向けて、一歩、歩き出した。

そのとき、母親が、初めて口をきいた。

「これは、あんたが帰る道の、目印じゃ」

男は、振り返った。

振り返って、坂の下を見た。

落ち葉の上に、白い折れ口を上にして、木の枝が点々と続いていた。

自分の登ってきた道が、そのまま、光の粒のように残っていた。

「そのお母さんは、な」

祖母は、話をここで少し止めた。

灰を、また均した。

「自分が帰る道は、いらんかったんよ」

私は、幼いなりに、それが恐ろしい話だと思った。

恐ろしくて、その晩は祖母の布団に潜り込んだ。

祖母は、笑って背中を叩いてくれた。

「親いうもんは、そういうもんじゃ」

その言葉の意味を、私は四十年、分からずに生きた。

祖母の話には、もうひとつ、続きがあった。

それを聞いたのは、私が中学に上がった年の盆だった。

仏壇に置かれた古い写真を指して、私が「これ誰」と聞いたのがきっかけだった。

写真の中の女の人は、目つきが祖母によく似ていた。

「わたしの母じゃ」

祖母は、そう言って、少し黙った。

それから、思いがけないことを口にした。

「わたしの父はな、この人を、一度、坂へ連れて行った」

私は、耳を疑った。

「昔の話やろ」

「昭和じゃ。戦争の、終わったばっかりの」

祖母の声は、いつもと同じ調子だった。

それが、かえって怖かった。

「食うもんが、ほんまに、のうなったけん。父は、背負うて登った」

「……それで」

「途中で、背負うたまま、帰ってきた」

祖母は、湯呑みを両手で包んでいた。

「村の衆には、笑われたそうじゃ。弱虫の坂じゃと」

「婆ちゃんは」

「わたしは、玄関で待っとった」

祖母は、私の顔を見た。

「帰ってきた父の背中で、母が、木の枝を握っとった」

「……なんで」

「折るためじゃ」

祖母は、それだけ言って、話を終わりにした。

私は、その夜も眠れなかった。

中学生の私が考えたのは、こういうことだ。

あの人は、途中まで、自分が捨てられると思っていた。

思っていて、それでも、息子の帰り道の心配をしていた。

そして、息子が背負ったまま帰ってきたとき、握っていた枝を、どうしたのだろう。

捨てたのだろうか。

それとも。

その先は、考えられなかった。

祖母が、物を忘れるようになったのは、八十を過ぎた頃だ。

最初は、鍋を焦がすくらいだった。

次に、私の名前が出てこなくなった。

それでも祖母は、毎朝きちんと起きて、仏壇に水を上げていた。

順番だけは、体が覚えているようだった。

本格的におかしくなったのは、その年の梅雨からだ。

夜中に、玄関で立っていることがあった。

「どこ行くん」

「帰る」

「ここが家じゃろ」

「ちがう」

祖母は、暗い土間を指さして、はっきり言った。

「わたしの帰る道は、こっちじゃない」

夏の終わりには、祖母は柿の木の下に立つようになった。

まだ実も生っていない、青い葉ばかりの木の下だ。

「婆ちゃん、なにしよるん」

「剥かにゃいけん」

「まだ、生っとらんが」

「生っとる」

祖母は、何もない枝に手を伸ばして、掴む仕草をした。

その手が、宙で、皮を剥く動きをした。

くるくると、途切れずに。

四十年の手つきだけが、残っていた。

私は、その手を見ていられなくて、家の中に入った。

入って、流しで水を出して、蛇口の音を大きくした。

背筋が、冷えた。

なぜ冷えたのか、そのときは分からなかった。

施設を探すと決めるまでに、半年かかった。

妻は、最初から反対しなかった。

反対しないことが、いちばんこたえた。

「わたしは、どっちでもええよ」

妻は、洗濯物をたたみながら言った。

「あんたが決めたことに、文句は言わん。ただ、あとで、わたしのせいにせんといて」

そのとおりだと思った。

父は、その頃にはもう亡くなっていた。

相談できる相手は、村にはいなかった。

夜、私は何度も、あの坂を車で上がった。

上がって、峠で停めて、エンジンを切って、下の集落の灯りを見た。

灯りは、年々減っていた。

私が子どもの頃は、山の裾に、金平糖を撒いたみたいに広がっていた。

今は、数えられる。

食うものがないから山へ、という時代ではない。

私には仕事がある。家がある。車もある。

それなのに、私は、祖母を山の向こうへ連れて行こうとしている。

昔のほうが、まだ正直だったのかもしれない。

そう思って、自分に嫌気が差した。

嫌気が差しながら、私は契約書を取りに行った。

秋になって、私は施設を探した。

村から車で四十分の、山を越えた町にある施設だった。

清潔で、明るくて、職員の人も感じがよかった。

それでも私は、契約書に判を押しながら、手が震えていた。

入所の日の朝、祖母は、いつもより早く起きていた。

仏壇の水を、替えていた。

私が起きたときには、もう替わっていた。

祖母は、割烹着を着て、台所に立っていた。

「婆ちゃん、今日は、ええけん」

「なにが」

「飯は、下で食うけん」

祖母は、私の顔を見て、それから、こう言った。

「あんた、どこぞ行くん」

「うん」

「遠いんか」

「……ちょっと、遠い」

祖母は、頷いた。

そして、戸棚から干し柿の袋を出して、私の鞄に入れた。

「持って行き」

私は、その袋を、取り出せなかった。

車に乗せるとき、祖母は玄関で一度だけ立ち止まって、家の中を振り返った。

振り返って、何も言わずに、靴を履いた。

私は、あのとき、あの人が何を見ていたのか、いまも考える。

入所の日は、よく晴れていた。

祖母は、朝から機嫌がよかった。

どこへ行くのか、分かっていないようだった。

私は、それに助けられていた。

助けられて、ほっとしている自分が、いちばん嫌だった。

車は、背負い坂を登って、峠を越えていく道を通る。

昔の土の道ではない。舗装された、なんでもない坂だ。

助手席の祖母は、窓の外を見ていた。

「婆ちゃん、寒ない」

返事はなかった。

私は、窓を少しだけ開けた。

その途端、祖母の手が動いた。

細い腕が、開いた窓から、外へ伸びた。

道の脇に、木の枝が張り出している。

祖母の指が、その枝を掴んだ。

ぱき、と鳴った。

私は、慌ててブレーキを踏んだ。

「危ない。婆ちゃん、なにしよるん」

祖母は、私を見なかった。

枝を、窓の外に落とした。

そして、また、次の枝に手を伸ばした。

私は、車を停めなかった。

停められなかった。

ゆっくりと坂を登りながら、私はバックミラーを見た。

後ろの道に、白い折れ口が、点々と落ちていた。

祖母は、痩せた腕を、一生懸命伸ばしていた。

一本、また一本。

車の中は、静かだった。

枝の折れる音だけが、ぱき、ぱき、と鳴っていた。

私は、その音を、四十年前に聞いていた。

囲炉裏の火の前で。

祖母の膝の上で。

「婆ちゃん」

私は、前を見たまま言った。

「それ、なにしよるん」

祖母は、答えなかった。

私は、もう一度聞いた。

声が、割れていた。

「なあ。それ、なんの目印なん」

そのとき、祖母が、はっきり言った。

「これは、あんたが帰る道の、目印じゃ」

私は、峠の待避所に車を停めた。

停めて、ハンドルに額をつけた。

どれくらい、そうしていたのか分からない。

顔を上げたとき、祖母は窓の外を見ていた。

道の脇の、木の枝を。

「婆ちゃん」

「はい」

「ごめんな」

祖母は、私のほうを見なかった。

その代わり、右手を、私の膝の上に置いた。

柿を四十年剥いてきた、乾いた手だった。

その手が、二回、膝を叩いた。

ぽん、ぽん、と。

子どもの頃、私が泣いたときに、いつもされていた叩き方だった。

何も言わずに、ただ、二回。

私は、それで、余計に泣いた。

祖母は、最後まで、私を責めなかった。

責める言葉を、あの人は、もう持っていなかったのかもしれない。

持っていないことに、私は救われた。

救われた自分が、また、嫌だった。

祖母は、私が泣いているのを、たぶん見ていた。

けれど、何も言わなかった。

背負い坂の話を、あの人は忘れていない。

私の名前は忘れても、あの話だけは、忘れていない。

いや、違う。

忘れていないのではない。

あの人は、その話の中に、もう入ってしまっていた。

自分が、山へ登る側の人間だと、分かっていたのだ。

分かっていて、朝から機嫌よく、車に乗った。

そして、自分の帰り道ではなく、私の帰り道を作っていた。

祖母は、施設で三年生きた。

私は、月に二度、あの坂を通って会いに行った。

施設の部屋は、二階の、山側の窓だった。

面会に行くと、祖母はたいてい窓のそばの椅子に座っていた。

外には、峠の山が見える。

背負い坂の、ちょうど裏側にあたる斜面だ。

「婆ちゃん、来たで」

「はい、はい」

祖母は、私を客だと思っているようだった。

それでも、必ず、お茶を出そうとして立ち上がる。

職員さんが、笑って止める。

私は、持ってきた干し柿を、一つずつ、袋から出した。

祖母は、それを見て、少しだけ目を細めた。

「これ、ようできとる」

「婆ちゃんが作ったんじゃ」

「そうかね」

「去年の」

「そうかね」

祖母は、干し柿を、食べなかった。

手のひらに乗せて、しばらく撫でていた。

柿の粉が、指について、白く光った。

撫でて、それから、こう言った。

「これ、あんた、持って帰り」

私が、誰なのかも分からんのに。

持って帰れ、と言う。

最後まで、あの人は、私に何かを持たせて帰そうとした。

最後のほうは、私が誰なのか、まったく分からなくなっていた。

それでも、私が帰ろうとして立ち上がると、祖母は必ず、窓のほうを指さした。

「気ぃつけて、下りよ」

毎回、同じことを言った。

その言葉だけが、最後まで、消えなかった。

葬式のあと、村の古い衆が、私にこんなことを言った。

八十九になる、隣の集落の爺さんだった。

「あんたの婆さんは、若い頃、坂の掃除をしよったよ」

「掃除」

「枝じゃ。道に落ちとる枝を、拾うて集めよった」

私は、意味が分からなかった。

爺さんは、湯呑みを置いて、続けた。

「毎年、秋になったら、ひとりで登って、拾うて回りよった。誰に頼まれたわけでもないのに」

「なんで、そんなこと」

「さあ。聞いても、笑うだけじゃった」

爺さんは、少し考えて、こう付け加えた。

「あれは、たぶん、拾いよったんじゃのうて、探しよったんじゃな」

私は、その言葉を、しばらく飲み込めなかった。

探していた。

坂に落ちた、誰かの折った枝を。

自分の母が、自分の父の背中で折った、あの枝を。

昭和の、あの秋の。

何十年も、毎年、秋になるたびに。

それが見つかったのかどうか、爺さんも知らないと言った。

私も、知らない。

知らないまま、缶の中に、一本ある。

遺品の缶に入っていた枝が、いつのものかは分からない。

あの日、車の窓から落としたうちの一本を、私が拾って持ち帰った覚えはない。

帰り道、私は坂で車を停めて、落ちた枝を全部拾おうとした。

けれど、暗くなってきて、途中でやめた。

拾えたのは、たしか、三本か四本だった。

それを、どうしたのか、覚えていない。

覚えていないのに、缶の中に、一本ある。

写真の束と一緒に、まっすぐ寝かせてある。

祖母が、いつ、どうやって、それを持って帰ったのか。

考えても、答えは出ない。

去年の秋、私は初めて、ひとりで背負い坂を歩いて登った。

車ではなく、足で。

中腹の、平らな場所まで。

昔、男が母親を下ろしたと言われている、あの場所だ。

今はただの杉林で、標識も、祠も、何もない。

私はそこに立って、坂の下を見た。

落ち葉の色が、山の裾まで続いていた。

白い折れ口は、ひとつもなかった。

それでも、私は、下りる道が分かった。

分かっていることが、こんなに恐ろしいとは思わなかった。

枝を折ってくれた人は、もう、背中にいない。

その枝を、私は今、車のダッシュボードに置いている。

飴色の、途中で折れた、なんでもない木の枝だ。

乗せるとき、妻には「なにそれ」と笑われた。

「お守り」

そう答えておいた。

嘘ではない。

背負い坂は、いまも同じ場所にある。

舗装されて、白い線が引かれて、カーブミラーまで立っている。

私はその坂を、月に何度も通る。

通るたびに、道の脇の木を見る。

折れた跡は、もう、どこにもない。

それでも、私は迷わない。

親というのは、こういうものだ。

自分の帰り道を捨てて、子の帰り道だけを、後ろに置いていく。

そして、置いていったことを、決して言わない。

言われて初めて気づく子どもが、坂の下で、ようやく泣くのだ。

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