雪の日の兄の手帳

手帳を読む女性

私が写真を始めたのは、兄の部屋で古いフィルムカメラを見つけた、あの冬のことからだった。

それまで、カメラに触ったことは一度もなかった。

ただ、その重さと冷たさが、手のひらに残っている。

兄は北海道の小さな漁村で写真家をしていた。

函館から車で二時間ほど走った、海が見える山のふもとの集落だった。

民宿の一室を借りながら、雪や海や、漁師たちの仕事を撮り続けていた。

私とは四つ違いで、子どもの頃は仲が良かった。

兄が買ってきたフィルムカメラで二人並んで撮った写真は、今も実家のアルバムに残っている。

でも、私が中学二年の春に、両親が離婚した。

兄は父について北海道へ渡り、私は母と一緒に東京に残った。

以来、兄とはほとんど顔を合わせていない。

お正月に短いメールが届くくらいで、電話で話したことも、数えるほどしかなかった。

もともと口数の少ない人だったから、それが自然なことのように思っていた。

私は仕事に追われる日々を送り、兄のことは頭の片隅にしか置いていなかった。

三十二歳の誕生日に、兄からLINEが届いた。

「今度、東京に行っていいか」

メッセージを見た瞬間、少し戸惑った。

兄が東京に来ると言い出したのは、初めてのことだった。

でも私はちょうど大きなプロジェクトの佳境で、週末も仕事が入っていた。

「今は忙しい時期だから、落ち着いたらまた」

そう返すと、兄からの返信は来なかった。

既読はついていた。

私はそれきり、兄に連絡を取らなかった。

「落ち着いたら」というのはいつのことだったのか、自分でもよくわからなかった。

仕事が落ち着いた頃には、兄にLINEを送ることをすっかり忘れていた。

兄が亡くなったと知らされたのは、翌年の二月だった。

父からの電話だった。

肺に腫瘍が見つかって、半年前から治療を続けていたが、手術後に容態が急変したのだという。

電話を切った後、私はしばらくソファに座ったまま動けなかった。

半年前。

あのLINEが届いたのは、ちょうどその頃だった。

「今度、東京に行っていいか」

兄はあの時、病気のことを知っていたのではないか。

そう思った瞬間、胸の中に何かが引っかかって、ずっとそこに留まり続けた。

私は返事を間違えた。

いや、間違えたというより、考えもしなかった。

ただ都合が悪かっただけで、そのメッセージの向こうに兄がいることを、ちゃんと考えていなかった。

葬儀を終えた翌週、兄の荷物を引き取るために北海道へ向かった。

二月の函館は、記憶の中よりずっと白かった。

空港を出た瞬間、冷気が頬を刺した。レンタカーで山間の集落まで走ると、兄が借りていた民宿の一室に辿り着いた。

部屋は六畳ほどで、木造の窓から海が見えた。

海と空の境が溶けて、どちらがどちらかわからなかった。

雪原の向こうに、鉛色の水平線がぼんやりと続いていた。

こんな場所で、兄は何年も暮らしていたのかと思った。

部屋の中はきれいに片付いていた。

民宿の女将さんが「几帳面な方でしたよ」と教えてくれた。「あまり話す方じゃなかったけど、いつも朝早く出て、夕方には戻ってきていました」と。

女将さんはそう話しながら、少し目を細めた。

「先生の写真は、うちにも飾ってあるんですよ」

壁を指さすと、そこに一枚の白黒写真が掛かっていた。

嵐の前の海だった。波が高く、空が暗く、でも水平線の向こうに細く光が差している。

何も言えなかった。

その写真の前に立って、私はただ黙っていた。

部屋の荷物を整理していると、押し入れの奥に段ボール箱が一つと、古いカメラが三台あった。

段ボールを開けると、現像済みのフィルムと写真が何十枚も入っていた。

それから、黒い表紙の手帳が一冊。

表紙には「記録」とだけ、兄の字で書かれていた。

几帳面な字ではなかったが、丁寧な字だった。

私は手帳を手に取り、ゆっくりとめくった。

毎日の撮影記録が書かれていた。どのフィルムで何を撮ったか、天気と光の具合、露出の設定。

細かい内容はよくわからなかったが、几帳面に、日付とともに綴られていた。

途中のページで、手が止まった。

三月十四日、という日付があった。

私の誕生日だった。

そのページには撮影記録がなく、一行だけ書かれていた。

「さとこ、三十歳。元気にしているといいな」

翌年の同じ日のページを探すと、また一行あった。

「さとこ、三十一歳。今年も会えなかった。来年こそ行けるか」

その次の年も。

「さとこ、三十二歳。東京に行くとメッセージを送った。落ち着いたらと言われた。また来年にするか」

私は手帳をそこで閉じた。

窓の外で、雪がまた降り始めていた。

細かい雪が、音もなく海のほうへ流れていった。

兄は毎年、私の誕生日を手帳に書いていた。

私は兄の誕生日を、もう何年も覚えていなかった。

部屋の中の空気が、急に重くなった。

手帳を膝の上に置いたまま、私はしばらく動けなかった。

しばらくしてから、手帳の最後のページに何かが挟まっていることに気がついた。

折り畳まれた便箋だった。

薄い紙を開くと、兄の字で数行書かれていた。

「さとこへ。

病気のことは心配をかけたくなかったから、言わなかった。

東京に会いに行こうと思っていたが、体の調子が悪くなって、結局行けなかった。

お前のことを覚えているか。小学五年の冬、俺が現像した白黒写真を見て、『この雲がすごい』と言ったこと。

俺はあの言葉が嬉しくて、ずっと写真を続けることができた。

カメラを一台残しておく。

使わなくてもいい。ただ、持っていてくれ。

兄より」

私は何度も、その手紙を読んだ。

声が出なかった。

涙が頬を伝って、便箋の上に落ちた。

兄が最後に書いた言葉が、あの頃の私の言葉への返事だとは思っていなかった。

小学五年生のときのことなんて、すっかり忘れていた。

兄はずっと、覚えていたのだ。

病気を抱えながら、一人でこの雪の中に座って、私への手紙を書いていたのだ。

帰りの飛行機に乗る前に、私は押し入れの中から一番古いカメラを取り出した。

ずっしりと重くて、金属の匂いがした。

レンズを窓に向けると、雪原の向こうに灰色の海が見えた。

私はシャッターを押した。

カチッという音が、部屋に静かに響いた。

初めて聞く音のはずなのに、なぜか懐かしかった。

フィルムが入っていなかったから、何も撮れていない。

でも、その音を聞いた瞬間、何かが胸の中でゆっくりと溶けるような気がした。

あれから二年が経った。

今も、兄のカメラを持って撮り続けている。

上手くはない。フィルムを現像に出すたびに、ピントが合っていなかったり、露出が狂っていたりする。

でも、撮るたびに兄のことを思い出す。

雲の形を見る時、光の角度を探す時、シャッターを押す瞬間に、兄が隣にいるような気がする。

先日、手帳に書かれていた撮影地のひとつに行ってみた。

函館から南に下った岬の先で、海が三方から見える場所だった。

兄の手帳には「光が回る場所」とだけ書かれていた。

行ってみると、本当に光が柔らかく回っていた。

朝の低い太陽が海の面を照らして、白い光が岩の上を流れていた。

私はそこで、一本のフィルムを使い切った。

帰りの車の中で、ハンドルを握りながら思った。

兄はこういう場所を、ずっと一人で歩き回っていたのだと。

見ることが好きで、でも上手に言葉にできなくて、だからシャッターを押し続けていたのだと。

私は、兄のことを何もわかっていなかった。

あの冬、兄が残したのはカメラだけではなかった。

見るということの意味を、兄は静かに伝えてくれていたのだと、今は思っている。

同じように、大切な人への想いが届かなかった話をご覧ください。
兄妹の情

見知らぬやさしさに心が震える話はこちら。
おじさんとの約束

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

広告なしで読む

月額 500円(初月無料)または 2,980円 の買い切りで、
広告のない、静かな読書体験をお届けします。

いつもお読みいただきありがとうございます。
いただいたご支援は、サーバー代やドメインの維持・更新費用に大切に使わせていただきます。

プランを見る