
私が写真を始めたのは、兄の部屋で古いフィルムカメラを見つけた、あの冬のことからだった。
それまで、カメラに触ったことは一度もなかった。
ただ、その重さと冷たさが、手のひらに残っている。
※
兄は北海道の小さな漁村で写真家をしていた。
函館から車で二時間ほど走った、海が見える山のふもとの集落だった。
民宿の一室を借りながら、雪や海や、漁師たちの仕事を撮り続けていた。
私とは四つ違いで、子どもの頃は仲が良かった。
兄が買ってきたフィルムカメラで二人並んで撮った写真は、今も実家のアルバムに残っている。
でも、私が中学二年の春に、両親が離婚した。
兄は父について北海道へ渡り、私は母と一緒に東京に残った。
以来、兄とはほとんど顔を合わせていない。
お正月に短いメールが届くくらいで、電話で話したことも、数えるほどしかなかった。
もともと口数の少ない人だったから、それが自然なことのように思っていた。
私は仕事に追われる日々を送り、兄のことは頭の片隅にしか置いていなかった。
※
三十二歳の誕生日に、兄からLINEが届いた。
「今度、東京に行っていいか」
メッセージを見た瞬間、少し戸惑った。
兄が東京に来ると言い出したのは、初めてのことだった。
でも私はちょうど大きなプロジェクトの佳境で、週末も仕事が入っていた。
「今は忙しい時期だから、落ち着いたらまた」
そう返すと、兄からの返信は来なかった。
既読はついていた。
私はそれきり、兄に連絡を取らなかった。
「落ち着いたら」というのはいつのことだったのか、自分でもよくわからなかった。
仕事が落ち着いた頃には、兄にLINEを送ることをすっかり忘れていた。
※
兄が亡くなったと知らされたのは、翌年の二月だった。
父からの電話だった。
肺に腫瘍が見つかって、半年前から治療を続けていたが、手術後に容態が急変したのだという。
電話を切った後、私はしばらくソファに座ったまま動けなかった。
半年前。
あのLINEが届いたのは、ちょうどその頃だった。
「今度、東京に行っていいか」
兄はあの時、病気のことを知っていたのではないか。
そう思った瞬間、胸の中に何かが引っかかって、ずっとそこに留まり続けた。
私は返事を間違えた。
いや、間違えたというより、考えもしなかった。
ただ都合が悪かっただけで、そのメッセージの向こうに兄がいることを、ちゃんと考えていなかった。
※
葬儀を終えた翌週、兄の荷物を引き取るために北海道へ向かった。
二月の函館は、記憶の中よりずっと白かった。
空港を出た瞬間、冷気が頬を刺した。レンタカーで山間の集落まで走ると、兄が借りていた民宿の一室に辿り着いた。
部屋は六畳ほどで、木造の窓から海が見えた。
海と空の境が溶けて、どちらがどちらかわからなかった。
雪原の向こうに、鉛色の水平線がぼんやりと続いていた。
こんな場所で、兄は何年も暮らしていたのかと思った。
部屋の中はきれいに片付いていた。
民宿の女将さんが「几帳面な方でしたよ」と教えてくれた。「あまり話す方じゃなかったけど、いつも朝早く出て、夕方には戻ってきていました」と。
女将さんはそう話しながら、少し目を細めた。
「先生の写真は、うちにも飾ってあるんですよ」
壁を指さすと、そこに一枚の白黒写真が掛かっていた。
嵐の前の海だった。波が高く、空が暗く、でも水平線の向こうに細く光が差している。
何も言えなかった。
その写真の前に立って、私はただ黙っていた。
※
部屋の荷物を整理していると、押し入れの奥に段ボール箱が一つと、古いカメラが三台あった。
段ボールを開けると、現像済みのフィルムと写真が何十枚も入っていた。
それから、黒い表紙の手帳が一冊。
表紙には「記録」とだけ、兄の字で書かれていた。
几帳面な字ではなかったが、丁寧な字だった。
私は手帳を手に取り、ゆっくりとめくった。
毎日の撮影記録が書かれていた。どのフィルムで何を撮ったか、天気と光の具合、露出の設定。
細かい内容はよくわからなかったが、几帳面に、日付とともに綴られていた。
途中のページで、手が止まった。
三月十四日、という日付があった。
私の誕生日だった。
そのページには撮影記録がなく、一行だけ書かれていた。
「さとこ、三十歳。元気にしているといいな」
翌年の同じ日のページを探すと、また一行あった。
「さとこ、三十一歳。今年も会えなかった。来年こそ行けるか」
その次の年も。
「さとこ、三十二歳。東京に行くとメッセージを送った。落ち着いたらと言われた。また来年にするか」
私は手帳をそこで閉じた。
窓の外で、雪がまた降り始めていた。
細かい雪が、音もなく海のほうへ流れていった。
兄は毎年、私の誕生日を手帳に書いていた。
私は兄の誕生日を、もう何年も覚えていなかった。
部屋の中の空気が、急に重くなった。
手帳を膝の上に置いたまま、私はしばらく動けなかった。
※
しばらくしてから、手帳の最後のページに何かが挟まっていることに気がついた。
折り畳まれた便箋だった。
薄い紙を開くと、兄の字で数行書かれていた。
「さとこへ。
病気のことは心配をかけたくなかったから、言わなかった。
東京に会いに行こうと思っていたが、体の調子が悪くなって、結局行けなかった。
お前のことを覚えているか。小学五年の冬、俺が現像した白黒写真を見て、『この雲がすごい』と言ったこと。
俺はあの言葉が嬉しくて、ずっと写真を続けることができた。
カメラを一台残しておく。
使わなくてもいい。ただ、持っていてくれ。
兄より」
私は何度も、その手紙を読んだ。
声が出なかった。
涙が頬を伝って、便箋の上に落ちた。
兄が最後に書いた言葉が、あの頃の私の言葉への返事だとは思っていなかった。
小学五年生のときのことなんて、すっかり忘れていた。
兄はずっと、覚えていたのだ。
病気を抱えながら、一人でこの雪の中に座って、私への手紙を書いていたのだ。
※
帰りの飛行機に乗る前に、私は押し入れの中から一番古いカメラを取り出した。
ずっしりと重くて、金属の匂いがした。
レンズを窓に向けると、雪原の向こうに灰色の海が見えた。
私はシャッターを押した。
カチッという音が、部屋に静かに響いた。
初めて聞く音のはずなのに、なぜか懐かしかった。
フィルムが入っていなかったから、何も撮れていない。
でも、その音を聞いた瞬間、何かが胸の中でゆっくりと溶けるような気がした。
※
あれから二年が経った。
今も、兄のカメラを持って撮り続けている。
上手くはない。フィルムを現像に出すたびに、ピントが合っていなかったり、露出が狂っていたりする。
でも、撮るたびに兄のことを思い出す。
雲の形を見る時、光の角度を探す時、シャッターを押す瞬間に、兄が隣にいるような気がする。
先日、手帳に書かれていた撮影地のひとつに行ってみた。
函館から南に下った岬の先で、海が三方から見える場所だった。
兄の手帳には「光が回る場所」とだけ書かれていた。
行ってみると、本当に光が柔らかく回っていた。
朝の低い太陽が海の面を照らして、白い光が岩の上を流れていた。
私はそこで、一本のフィルムを使い切った。
帰りの車の中で、ハンドルを握りながら思った。
兄はこういう場所を、ずっと一人で歩き回っていたのだと。
見ることが好きで、でも上手に言葉にできなくて、だからシャッターを押し続けていたのだと。
私は、兄のことを何もわかっていなかった。
あの冬、兄が残したのはカメラだけではなかった。
見るということの意味を、兄は静かに伝えてくれていたのだと、今は思っている。
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同じように、大切な人への想いが届かなかった話をご覧ください。
→ 兄妹の情
見知らぬやさしさに心が震える話はこちら。
→ おじさんとの約束