祖父の釣り日誌

朝の湖畔の釣り人

祖父が死んだのは、私が二十六歳の春だった。

保育士として働き始めて三年目の四月の朝、母からの電話で知らされた。

「おじいちゃんが……今朝、湖のそばで倒れているのを見つかって」

受話器を持ったまま、私はしばらく声が出なかった。

窓の外では、淡い桜が風に揺れていた。

祖父は長野県の山奥、三十世帯ほどの小さな集落に一人で暮らしていた。

祖母が七年前に亡くなってからは、釣り一筋の生活を送っていた老人だった。

物心ついた頃から、祖父はほとんど喋らない人だった。

夏休みに里帰りするたびに、広い縁側でただ黙って煙草を吸っているか、夜が明けきらないうちから一人で湖へ出かけていった。

「おじいちゃん、おはよう」と声をかけても、「うん」か「そうか」しか返ってこない。

笑顔を見た記憶がなかった。

幼い私にとって、祖父は怖い人だった。

「なんで、おじいちゃんはいつも無口なの?」と母に訊いたことがある。

母はちょっと考えてから、「そういう人なのよ」とだけ言った。

それ以上は何も教えてくれなかった。

祖父の目は、いつも遠くを見ていた。

縁側に腰かけ、煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら、その先にある何かを静かに見ていた。

その視線の先に私がいたことは、一度もなかったと思う。

中学に上がってから、私と祖父の距離はさらに遠くなった。

高校受験に合格して報告に行った夏も、祖父は「そうか」と言っただけで、すぐに縁側に戻ってしまった。

受験のプレッシャーで押しつぶされそうだった私には、その一言が正直、つらかった。

大学進学で東京に出てからは、年に一度の正月にも帰らなくなった。

「どうせおじいちゃん、何も言わないし」と母に言い訳して、友人との旅行を優先した。

母は何も言わなかった。

保育士の資格を取り、就職が決まった春、祖父への電話も自然と途絶えた。

祖父が感情を持った人間なのかどうか、私にはわからなかった。

それよりも、自分の生活のほうがずっと大事だった。

葬儀は、集落の小さな公民館で営まれた。

漁師あがりの老人たちが、黙って頭を下げて通り過ぎていった。

祖父がどんな人生を送ってきたのか、私は何も知らないまま、その棺の前に立っていた。

通夜の夜、叔母が「さくらちゃん、よく来てくれたね」と言った。

私は何も答えられなかった。

祖父が亡くなったことより、生前ほとんど会いに来なかったという後ろめたさのほうが、胸に重くのしかかっていた。

葬儀の翌日、叔母と二人で祖父の家の遺品整理に取りかかった。

山際に建つ古い平屋は、何十年も変わらないままの佇まいだった。

玄関の框には土がついたまま長靴が揃えてあり、台所の棚には柿の種の袋と煎餅の缶が並んでいた。

縁側の外には、春霞をたたえた湖が広がっていた。

水面に朝日が反射して、きらきらと光の粒が揺れていた。

祖父はここで一人、何を思って生きていたのだろうと、ぼんやり考えた。

仏間の押し入れを開けると、奥の奥から大きな段ボール箱が出てきた。

叔母が「何だろうね」と呟きながら蓋を開けると、年代別に整理された小さなノートが数十冊、きっちりと並んでいた。

表紙に「釣り日誌」と墨で書かれていた。

一番古いノートは、私が生まれた年のものだった。

薄黄色に変色したページに、祖父の几帳面な文字でびっしりと記録が並んでいた。

日付、天気、水温、風向き、釣れた魚の種類と大きさ、リリースしたかどうか。

几帳面な人だったんだな、と思いながら何ページかめくっていると、ある日付で手が止まった。

四月、私の誕生日と同じ日付だった。

「今日はさくらの誕生日。湖の北側まで歩いて、鯉を一匹放してきた。いい子に育っている。よかった、よかった」

さくら、というのは私の名前だ。

胸の奥が、ざわりと揺れた。

翌年の同じ日付のページを確認した。

「さくら、今年も誕生日を迎えた。鯉を一匹。よく笑う子だと聞いた。よかった、よかった」

また同じ言葉。

「よかった、よかった」。

震える手でページをめくり続けた。

どのノートにも、毎年必ず私の誕生日の記録があった。

入学式の日、学芸会の日、高校受験の日、就職の日。

そのたびに祖父は湖に出かけ、鯉を一匹か二匹放し、短い言葉を残していた。

「さくらが東京の大学に行くそうだ。遠くなるが、心配はしていない。あの子は強い。よかった、よかった」

大学進学の年の記録を見て、私は床に座り込んだ。

「そうか」の一言で済ませた祖父が、日誌にはこんなことを書いていたのか。

正月にも帰らなかったその年、祖父は一人で湖に行き、鯉を放した。

「さくらが保育士になるそうだ。子どもが好きだったから、きっと向いている。よかった、よかった」

私が就職した年の記録を読んで、涙がこぼれた。

祖父に就職を報告したのは母だったと気がついた。

私が声もかけずにいたのに、祖父はずっと、母越しに私の生活を聞いていたのだ。

そして一人で湖へ行き、私のことを日誌に書いた。

もしかしたら「今日も顔を見せに来なかった」と思いながら。

それでも「よかった、よかった」と。

最後のノートを開いた。

去年の秋の記録だった。

「さくらに彼ができたらしい。娘から聞いた。鯉を二匹放した。あの子が幸せならそれでいい。よかった、よかった」

その一行を読んで、廊下に膝をついた。

声を殺して泣いた。

祖父は一度も「おめでとう」と言ってくれなかった。

何も言わないから、何も感じていないのだと思っていた。

違った。

誕生日のたびに湖へ行き、名も知らない鯉を一匹放して、たった数行の言葉を残していた。

それが祖父にできる、唯一の「おめでとう」だったのだ。

叔母が「さくらちゃん?」と声をかけてきたが、すぐには顔を上げられなかった。

「ちょっと待って」とだけ言った。

叔母は黙って、そっとそこを離れてくれた。

日誌を胸に抱いたまま、しばらく泣いた。

祖父がどれほど不器用な人間だったかを、ようやく理解した。

「そうか」しか言えなかったのは、感情がなかったからじゃない。

言葉にすると、何かが崩れてしまうのが怖かったのかもしれない。

子どもの頃の私には、そんなことは想像もできなかった。

遺品の整理が終わりかけた頃、押し入れの奥からもう一つ、布で包まれた細長いものが出てきた。

開けると、古い竹の釣り竿だった。

継ぎ目が擦り切れて、握り部分の布巻きが色褪せていた。

何十年も使い続けた竿だということは、その傷み方を見ればわかった。

叔母が「これは古いねぇ、捨てようか」と言いかけた。

私は思わず「もらっていい?」と遮った。

叔母が少し驚いたように「釣りするの?」と訊いた。

「しない。でも、捨てたくない」

叔母は「そっか」と言って、笑ってくれた。

東京の部屋に帰ると、その釣り竿を部屋の隅に立てかけた。

使えもしないのに手放せない。

祖父の手の温もりが、まだこの竿に染みついているような気がして。

春になるたびに、あの湖の光を思い出す。

四月の朝日を受けてきらめいていた水面と、一人で湖畔を歩いていただろう祖父の後ろ姿。

そして釣り日誌に繰り返し書かれていた、あの五文字。

よかった、よかった。

伝えそびれたままになっている「ありがとう」を、今年の誕生日に、湖に向かって言おうと思っている。

あなたが見守っていてくれたこと、ちゃんと気がついたよ、と。

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