
祖父が死んだのは、私が二十六歳の春だった。
保育士として働き始めて三年目の四月の朝、母からの電話で知らされた。
「おじいちゃんが……今朝、湖のそばで倒れているのを見つかって」
受話器を持ったまま、私はしばらく声が出なかった。
窓の外では、淡い桜が風に揺れていた。
※
祖父は長野県の山奥、三十世帯ほどの小さな集落に一人で暮らしていた。
祖母が七年前に亡くなってからは、釣り一筋の生活を送っていた老人だった。
物心ついた頃から、祖父はほとんど喋らない人だった。
夏休みに里帰りするたびに、広い縁側でただ黙って煙草を吸っているか、夜が明けきらないうちから一人で湖へ出かけていった。
「おじいちゃん、おはよう」と声をかけても、「うん」か「そうか」しか返ってこない。
笑顔を見た記憶がなかった。
幼い私にとって、祖父は怖い人だった。
「なんで、おじいちゃんはいつも無口なの?」と母に訊いたことがある。
母はちょっと考えてから、「そういう人なのよ」とだけ言った。
それ以上は何も教えてくれなかった。
祖父の目は、いつも遠くを見ていた。
縁側に腰かけ、煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら、その先にある何かを静かに見ていた。
その視線の先に私がいたことは、一度もなかったと思う。
※
中学に上がってから、私と祖父の距離はさらに遠くなった。
高校受験に合格して報告に行った夏も、祖父は「そうか」と言っただけで、すぐに縁側に戻ってしまった。
受験のプレッシャーで押しつぶされそうだった私には、その一言が正直、つらかった。
大学進学で東京に出てからは、年に一度の正月にも帰らなくなった。
「どうせおじいちゃん、何も言わないし」と母に言い訳して、友人との旅行を優先した。
母は何も言わなかった。
保育士の資格を取り、就職が決まった春、祖父への電話も自然と途絶えた。
祖父が感情を持った人間なのかどうか、私にはわからなかった。
それよりも、自分の生活のほうがずっと大事だった。
※
葬儀は、集落の小さな公民館で営まれた。
漁師あがりの老人たちが、黙って頭を下げて通り過ぎていった。
祖父がどんな人生を送ってきたのか、私は何も知らないまま、その棺の前に立っていた。
通夜の夜、叔母が「さくらちゃん、よく来てくれたね」と言った。
私は何も答えられなかった。
祖父が亡くなったことより、生前ほとんど会いに来なかったという後ろめたさのほうが、胸に重くのしかかっていた。
葬儀の翌日、叔母と二人で祖父の家の遺品整理に取りかかった。
山際に建つ古い平屋は、何十年も変わらないままの佇まいだった。
玄関の框には土がついたまま長靴が揃えてあり、台所の棚には柿の種の袋と煎餅の缶が並んでいた。
縁側の外には、春霞をたたえた湖が広がっていた。
水面に朝日が反射して、きらきらと光の粒が揺れていた。
祖父はここで一人、何を思って生きていたのだろうと、ぼんやり考えた。
仏間の押し入れを開けると、奥の奥から大きな段ボール箱が出てきた。
叔母が「何だろうね」と呟きながら蓋を開けると、年代別に整理された小さなノートが数十冊、きっちりと並んでいた。
表紙に「釣り日誌」と墨で書かれていた。
※
一番古いノートは、私が生まれた年のものだった。
薄黄色に変色したページに、祖父の几帳面な文字でびっしりと記録が並んでいた。
日付、天気、水温、風向き、釣れた魚の種類と大きさ、リリースしたかどうか。
几帳面な人だったんだな、と思いながら何ページかめくっていると、ある日付で手が止まった。
四月、私の誕生日と同じ日付だった。
「今日はさくらの誕生日。湖の北側まで歩いて、鯉を一匹放してきた。いい子に育っている。よかった、よかった」
さくら、というのは私の名前だ。
胸の奥が、ざわりと揺れた。
翌年の同じ日付のページを確認した。
「さくら、今年も誕生日を迎えた。鯉を一匹。よく笑う子だと聞いた。よかった、よかった」
また同じ言葉。
「よかった、よかった」。
震える手でページをめくり続けた。
どのノートにも、毎年必ず私の誕生日の記録があった。
入学式の日、学芸会の日、高校受験の日、就職の日。
そのたびに祖父は湖に出かけ、鯉を一匹か二匹放し、短い言葉を残していた。
「さくらが東京の大学に行くそうだ。遠くなるが、心配はしていない。あの子は強い。よかった、よかった」
大学進学の年の記録を見て、私は床に座り込んだ。
「そうか」の一言で済ませた祖父が、日誌にはこんなことを書いていたのか。
正月にも帰らなかったその年、祖父は一人で湖に行き、鯉を放した。
「さくらが保育士になるそうだ。子どもが好きだったから、きっと向いている。よかった、よかった」
私が就職した年の記録を読んで、涙がこぼれた。
祖父に就職を報告したのは母だったと気がついた。
私が声もかけずにいたのに、祖父はずっと、母越しに私の生活を聞いていたのだ。
そして一人で湖へ行き、私のことを日誌に書いた。
もしかしたら「今日も顔を見せに来なかった」と思いながら。
それでも「よかった、よかった」と。
※
最後のノートを開いた。
去年の秋の記録だった。
「さくらに彼ができたらしい。娘から聞いた。鯉を二匹放した。あの子が幸せならそれでいい。よかった、よかった」
その一行を読んで、廊下に膝をついた。
声を殺して泣いた。
祖父は一度も「おめでとう」と言ってくれなかった。
何も言わないから、何も感じていないのだと思っていた。
違った。
誕生日のたびに湖へ行き、名も知らない鯉を一匹放して、たった数行の言葉を残していた。
それが祖父にできる、唯一の「おめでとう」だったのだ。
叔母が「さくらちゃん?」と声をかけてきたが、すぐには顔を上げられなかった。
「ちょっと待って」とだけ言った。
叔母は黙って、そっとそこを離れてくれた。
日誌を胸に抱いたまま、しばらく泣いた。
祖父がどれほど不器用な人間だったかを、ようやく理解した。
「そうか」しか言えなかったのは、感情がなかったからじゃない。
言葉にすると、何かが崩れてしまうのが怖かったのかもしれない。
子どもの頃の私には、そんなことは想像もできなかった。
※
遺品の整理が終わりかけた頃、押し入れの奥からもう一つ、布で包まれた細長いものが出てきた。
開けると、古い竹の釣り竿だった。
継ぎ目が擦り切れて、握り部分の布巻きが色褪せていた。
何十年も使い続けた竿だということは、その傷み方を見ればわかった。
叔母が「これは古いねぇ、捨てようか」と言いかけた。
私は思わず「もらっていい?」と遮った。
叔母が少し驚いたように「釣りするの?」と訊いた。
「しない。でも、捨てたくない」
叔母は「そっか」と言って、笑ってくれた。
東京の部屋に帰ると、その釣り竿を部屋の隅に立てかけた。
使えもしないのに手放せない。
祖父の手の温もりが、まだこの竿に染みついているような気がして。
春になるたびに、あの湖の光を思い出す。
四月の朝日を受けてきらめいていた水面と、一人で湖畔を歩いていただろう祖父の後ろ姿。
そして釣り日誌に繰り返し書かれていた、あの五文字。
よかった、よかった。
伝えそびれたままになっている「ありがとう」を、今年の誕生日に、湖に向かって言おうと思っている。
あなたが見守っていてくれたこと、ちゃんと気がついたよ、と。
※
▶関連記事: 大好きなおじいちゃん|厳しい母