その冬の雪は、屋根から下ろすものではなく、屋根まで積み上がってくるものだった。
三日目の朝、店の前に立って上を見たら、隣の物置の屋根と道の高さが同じになっていた。
郡上の奥のこの集落で四十五年生きてきて、そんな景色を見たのは初めてだった。
私は町でただ一軒の電器屋をしている。
店といっても、間口は二間しかない。
売っているのは電球と乾電池と延長コード、それに年に数台のテレビ。
本業はむしろ修理のほうで、掃除機の紐が戻らんとか、炊飯器が炊けんとか、そういう用事で人が来る。
父から継いだときに、母屋の縁側を潰して作業台を入れた。
その台の前で、私は一日の半分を過ごしている。
妻の靖子は、私が作業台にかじりついているのを見ると、いつも同じことを言う。
「あんた、人の家の物ばっかり直しとるな」
「そら、仕事やもん」
「うちの雨樋、三年前から曲がっとるけど」
返す言葉がないので、私はたいてい黙ってドライバーを回した。
子どもはいない。
そのぶん、集落の子が店先に来ると、つい長く相手をしてしまう。
乾電池を買いに来た子に、電池の中身の話を三十分もして、母親に叱られたこともあった。
平成六年の一月だった。
元日の夜から降り出した雪が、三日ぶっ通しで降った。
国道の峠が二か所で止まり、下からの車が入ってこなくなった。
電話は生きていたが、電気は二日目の昼に落ちた。
集落の家々は薪と灯油でどうにか凌いでいたが、困ったのは食い物のほうだった。
店といえば、集落には雑貨屋が一軒あるきりで、そこの棚も二日目の夕方には粗方が空になった。
三日目、公民館で炊き出しと配給をやることになった。
米と味噌と、雑貨屋のおばさんが出した缶詰。
それに、誰かの家の冷凍庫で溶けかけていた肉が寄せられて、大鍋の豚汁になった。
私は発電機を担いで公民館に行った。
店の裏に置いてあった古いやつで、七年前に一度だけ使って、それきりだったものだ。
紐を五回引いて、六回目でかかった。
「おお、点いた」
誰かがそう言って、蛍光灯の下でみんなが少し笑った。
※
その二日目の夜のことを、少し書いておきたい。
公民館の広間に、動けない年寄りが十人ほど泊まった。
ストーブを二台焚いて、ラジオを一台つけっぱなしにしていた。
電池式の小さいやつで、私が店から持ってきたものだ。
アナウンサーが、峠の除雪の見通しを繰り返し読み上げていた。
誰も喋らずに聞いていたが、いちど、天気予報の途中で歌謡曲が流れた。
すると、いちばん奥に寝ていた九十近い婆さまが、布団のなかで手拍子を打った。
「こら、寝んかい」
「寝とるがな。手ぇだけ起きとるんじゃ」
広間じゅうが笑った。
その笑い声で、外の雪の音が急に遠くなった気がした。
寒さより先に人が参るのは、静けさのほうなのだと、あの晩に知った。
※
配給の列は、公民館の入口から廊下まで伸びていた。
私の三つ前に、若い母親と男の子が並んでいた。
子どもは六つか七つくらいだろう。
スキーウェアの上下を着て、その胸に赤い車を抱えていた。
ラジコンだ。
それも、あの年に流行っていた型の、少し値の張るやつだった。
子どもは列が進むたびに、その車をいちど床に置いて、送信機のレバーを押していた。
動かない。
また抱え上げて、少し進んで、また置いて押す。
三度目に置いたとき、後ろに並んでいた年寄りが覗き込んだ。
「坊、それ、電池切れとるんちゃうか」
「電池は換えました」
母親が代わりに答えた。
「雪の日に外で走らせて、水が入ったみたいで」
「ああ、そら難儀やな」
子どもは黙っていた。
顔を上げないまま、車の後ろのアンテナを指でまっすぐに直していた。
アンテナは根元で折れて、白いビニールテープがぐるぐる巻きにしてあった。
私は列を離れて、その子の前にしゃがんだ。
「ちょっと見せてくれるか。おっちゃん、電器屋やねん」
子どもは母親の顔を見て、それから車を渡してくれた。
裏を返して、ネジを四本。
持っていた小さいドライバーで開けたら、基板が白く粉を吹いていた。
水が入って、そのまま何日か置かれたのだろう。
アンテナの根元も、線ごと切れていた。
直せない、ということはない。
ただ、部品がいる。
そして峠は止まっていて、問屋は下の町にある。
私は蓋を戻しながら、なるべく軽い声で言った。
「これはな、部品を取り寄せなあかん」
「どのくらい」
「雪が退いてからやから、まあ、ひと月は見といてくれるか」
子どもは、ひと月という言葉には反応しなかった。
代わりに、こう聞いた。
「サンタさん、怒っとるかな」
「なんでや」
「もらったやつを、壊したから」
母親が、洟をすする音がした。
列の前後が、少し静かになったのが分かった。
私は何か気の利いたことを言おうとして、何も出てこなかった。
「怒らんよ」
結局そう言ったが、自分でも、ずいぶん薄い言葉だと思った。
子どもは、うん、とだけ言った。
※
断ってから、私は列に戻らずに、壁際の椅子に座っていた。
子どものほうを見ないようにしていた、というのが正確なところだ。
ひと月、と言ったが、峠がいつ開くかは誰にも分からなかった。
三日で開くかもしれないし、二週間かかるかもしれない。
そのあいだ、あの子はあの車を抱えて過ごす。
抱えて過ごすということは、毎日いちど、自分が壊したことを思い出すということだ。
六つの子には、それはたぶん、長すぎた。
私は自分の膝を見ていた。
手のなかのドライバーが、やけに軽く感じられた。
※
そのときだった。
列の後ろのほうから、中学生くらいの男の子が出てきた。
紺のジャンパーに、長靴。
集落の下のほうの家の子で、たしか二年生だったと思う。
顔は知っていたが、名前はすぐに出てこなかった。
その子は、自分のリュックから何かを出して、六つの子の前に立った。
青いラジコンだった。
型は違うが、同じくらいの大きさの、よく走るやつだ。
雪の日に持ち歩くようなものではない。
「これ、あげる」
「え」
「サンタさんに、頼まれたんです」
そう言って、その子は母親のほうを見た。
「壊れたほうは、僕が預かってきてって言われました」
母親が慌てて断ろうとした。
「そんな、あかんて。あんたのやろ」
「僕のやないです。預かってただけです」
妙に落ち着いた言い方だった。
嘘をついている子の声ではなかった。
六つの子は、しばらく青い車を見て、それから両手で受け取った。
受け取ってすぐ、床に置いてレバーを押した。
車は、廊下の板の上をまっすぐ走って、下駄箱にぶつかって止まった。
子どもが、はじめて笑った。
母親は頭を下げたまま、しばらく上げなかった。
中学生の子は、赤い車を受け取ると、そのまま私のところへ持ってきた。
「おっちゃん、これ、直りますか」
「直る。部品が来たらな」
「ほな、お願いします」
それだけ言って、その子は列の後ろに戻っていった。
※
そのあとが、私はいちばん忘れられない。
配給の窓口に立っていた雑貨屋のおばさんが、その子に缶詰を二つ余分に押しつけた。
「これ、持って帰り」
「いや、僕のぶんはもらいました」
「あんた、うちの店で毎年ようけ買うてくれとるやろ」
「買うてないです」
「買うてくれとるの」
そんな押し問答があって、結局その子は缶詰を持たされた。
それを見た年寄りが、自分の分の餅を二つ包んで渡した。
豚汁の鍋の前にいたおばちゃんは、椀に肉ばかりをよそった。
「にいちゃん、これは肉や。汁やない」
公民館のなかが、少しだけ明るくなった気がした。
発電機の音は相変わらずうるさかったし、外は降り続いていた。
電気も水も足りていなかった。
それでも、あの三十分ほどのあいだ、あそこにいた全員が、たしかに温かかった。
※
家に帰って、私は赤い車を作業台に置いた。
それから、もうひとつのことに気がついた。
あの子が渡した青い車のことだ。
受け取るとき、底を見た。
その底には、シールを剥がした跡が四角く白く残っていた。
妙だとは思ったが、そのときは深く考えなかった。
気になりだしたのは、夜になってからだった。
ラジコンの底に貼るシールなど、普通は貼らない。
貼るとしたら、名前だ。
子ども会の大会や、学校の持ち物に、親が名前を書いて貼る。
私は次の日、公民館でその子を捕まえて、少し話をした。
「あの青いの、去年からずっと持っとったんか」
「はい」
「誰かにもろたんか」
その子は少し黙って、それから言った。
「去年の冬に、同じこと言われて、もらいました」
「同じこと、いうのは」
「サンタさんに頼まれた、って」
私は、しばらく声が出なかった。
あの言葉を去年もらったのは、あの子のほうだったのだ。
その場では、それ以上を聞けなかった。
ただ、ひとつだけ確かめた。
「あの青いの、走らせたことあるんか」
「一回だけです」
「一回だけ」
「もらったとき、走らんかったんです」
「走らんかった」
「はい。せやから、ずっと机の上に置いてました」
公民館の帰り道、私は雪の壁の間を歩きながら、そのことばかり考えていた。
走らないラジコンを、一年間、机の上に置いておく子がいる。
そして、その走らないものを、より小さい子に渡す。
渡すときに、走らないとは言わなかった。
あの日、六つの子が廊下で走らせたとき、たしかに車は動いた。
おかしい、と思った。
あとで分かったことだが、あの子は雪の三日のあいだに、乾電池の当たりを紙やすりで磨いていた。
接点の錆を落としただけで動いたのだ。
中学二年の子が、懐中電灯の下でそれをやっていたのだと思うと、私は自分の仕事が少し恥ずかしくなった。
「誰にもろたんや」
「言うたらあかん言われました」
「そうか」
「でも、底のシールは剥がしてから渡せ、って言われました」
「なんでや」
「サンタさんからのやつに、人の名前が付いとったらおかしいから」
※
その晩、私は作業台の灯りをつけて、青い車のことを考えていた。
剥がした跡には、まだ薄く糊が残っているはずだった。
私は翌日、あの子に頼んで、いちど車を借りた。
底の四角い跡を、爪の先で丁寧にこすった。
糊の下から、油性ペンの字が浮いてきた。
去年、私が直せないと言って返した子の名前だった。
覚えていた。
忘れていたことにしていた、というほうが正しい。
おととしの暮れに、母親と二人で店に来た子だ。
同じ型の青いラジコンで、モーターが焼けていた。
あのときの私は、部品の型番が廃番になっていることだけを調べて、それで終わりにした。
「これはもう出とらんのですわ」
そう言って、袋に入れて返した。
問屋に電話一本すれば、代わりのモーターは見つかったはずだ。
私は、その一本をかけなかった。
あのとき、店の柱時計は七時を回っていた。
母親は「そうですか」と言って、財布を出しかけて、引っ込めた。
子どものほうは、袋を抱えて、何も言わなかった。
帰り際に一度だけ振り返ったのを、私は見ていた。
見ていて、そのまま暖簾を下ろした。
店じまいの時間だった、というのが本当のところだ。
あの子は、直らないまま持って帰って、それでも捨てずにおいて、次の年に誰かへ渡した。
渡すときに、名前を剥がした。
そして、その相手が今年、さらに次の子へ渡した。
私が「直せない」と言って手放したものが、私の知らないところで、二年かけて三人の手を回っていた。
※
その夜、私は靖子にその話をした。
妻は流しに立ったまま、背中で聞いていた。
「あんた、去年その子に、なんて言うたん」
「もう出とらんのですわ、て」
「ほんまに出とらんかったん」
「調べたんは、型番だけや」
しばらく、水の音だけがしていた。
「ほな、直しといたらええやん」
「いまさらか」
「いまさらでも、直るもんは直るやろ」
妻は振り向かずにそう言って、鍋の蓋を閉めた。
結婚して二十年で、いちばん効いた説教だった。
雪が退いたのは、二月の半ばだった。
峠が開いた日、私は下の町の問屋に行った。
赤い車の基板は、結局そっくり取り替えることになった。
アンテナの線を引き直し、防水のゴムを噛ませて、モーターも新しくした。
ついでに、青いほうも預かって、焼けたままだったモーターを載せ替えた。
廃番の部品は、問屋の奥の棚で埃をかぶっていた。
「電話一本くれたら、いつでも出したのに」
問屋の主人は、そう言って笑った。
私は笑い返せなかった。
問屋の主人は、その棚から段ボールをひとつ下ろして、中身を見せてくれた。
廃番のモーターが、まだ十いくつ眠っていた。
「これ、なんで置いてあるんです」
「たまに、あんたみたいなんが来るからや」
私はその日、モーターを五つ買って帰った。
使う当てがあったわけではない。
ただ、これから先、直せないと言わずに済む数を、手元に置いておきたかった。
赤い車は三月に返した。
六つの子は、走らせながら、母親に何度も同じことを言っていた。
「サンタさん、怒ってなかったんやな」
「そうやな」
「来年も来るかな」
「来るよ」
母親は帰り際、私に頭を下げた。
「あの、部品代」
「あんなもん、要らんです」
「そういうわけには」
「ほな、来年、電球買いに来てください」
母親は笑って、それから少し泣いた。
子どもは、そのあいだも車を走らせていた。
私はその日、店の帳面に一行だけ書いた。
「電話一本」
それ以来、直らんと言う前に、必ず一本かけることにしている。
それで直ることは、実際には半分もない。
それでも、電話をかけてから断ると、こちらの言葉が少し変わる。
「出とらんのですわ」ではなく、「探したんですけど、ありませんでした」になる。
受け取る側からすれば、たぶん同じことだ。
けれど、あの日の子は、帰り際に一度だけ振り返った。
あの一度を、私は死ぬまで覚えているのだと思う。
※
あの中学生の子は、その春に下の高校へ進んで、いまはもう集落にいない。
去年の暮れに、店に寄ってくれた。
三十を過ぎて、子どもが二人いるという。
「おっちゃん、まだやっとるんですね」
「ぼちぼちな」
「あのラジコン、まだ持ってます」
「どっちや」
「青いほうです」
そう言って、その人は少し照れたように笑った。
私は奥から、去年の暮れに直しておいた古い型のラジコンを出してきた。
五年ほど前に、修理に持ち込まれたまま取りに来られなかったものだ。
持ち主には連絡がつかず、捨てるに捨てられず、直したまま置いてあった。
「持って帰るか」
「ええんですか」
「ええよ。頼まれたから」
「誰にです」
「言うたらあかんことになっとる」
その人は、声を出して笑った。
それから、車の底をひっくり返して、ちゃんと確かめていた。
店を閉めたあと、私は残ったモーターを数えた。
五つのうち、まだ二つ残っている。
使う相手は、そのうち向こうから来る。
三十年やっていると、それくらいは分かる。
この話を書いたのは、自慢したいからではありません。
あの雪の三日間に、私は集落の人たちから、ずいぶん分けてもらいました。
缶詰も、餅も、肉ばかりの豚汁も。
そして、電話一本ぶんの後悔も。
もらったものは、置いておくと重くなります。
だから、こうして少しずつ渡しています。
だから今年も、底のシールは剥がしておきました。