
私は10歳の息子とともに、今日もいつも通り通院のためにバスに乗りました。
息子は先天的な病を抱えており、車いすでの生活を送っています。
薬の副作用のため体型も変わり、見た目にはいわゆる「ダルマ」のように映るかもしれません。
けれど、息子の知能は年齢相応で、どんなことも自分の言葉で感じ、考えることができる子です。
だからこそ、心無い言葉には深く傷ついてしまうのです。
※
その日もバスに乗ると、運転手さんが配慮してくれて、車いすスペースを空けてくださいました。
しかし、それによって立つことになった乗客の一部が、不満を口にし始めました。
――それはまるで、雑談のふりをした悪意の塊のようなものでした。
「ぶくぶくしてて醜い」
「税金泥棒のために、なんで私たちが立たなきゃいけないの?」
「どうせ補助金で贅沢してるんでしょ」
「役に立たないのに、なんで生かしておくのかなあ?」
それは明らかに、息子に向けられたものでした。
驚いたことに、その声の主たちは、幼い子どもを連れた母親たちだったのです。
※
息子は、それに気づいたのでしょう。
小さくて不明瞭な声で、私にこう言いました。
「お母さん……おりようか?」
息子は耳が少し聞こえにくく、発音も不明瞭です。
だからこそ、そのひとことも、小さな声ながら一生懸命でした。
けれど、その声にまた反応が返ってきました。
「きもっ!」
今度は、はっきりとした声で、冷たく言い放たれました。
私はもう堪えきれずに、声を出しました。
「何か、息子のことでご迷惑でもおかけしましたか?」
その問いに、返ってきたのは――笑い声と嘲笑。
「何か、だって~www うけるwww」
「うちは娘だから、あんなのに目ぇつけられたら困るわ」
「レ●プされても泣き寝入りだもんね、あんな子」
頭が真っ白になりました。
そしてとうとう、バスの停留所で運転手さんが声をかけてきました。
※
「えー、奥さん。ここで降りてください」
……え? 私が?
やっぱり、そうなのか。
心の中で何かが崩れました。
『ああ、もういい。苦情だけ入れて、この路線は二度と使わない』
そう思って、無言で車いすを下ろそうとした、そのとき――
運転手さんが、はっきりと言いました。
「お母さんじゃなくて。後ろの奥さん方。あなたたちが降りてください」
一瞬、空気が凍りつきました。
私も、息子も、後ろの母親たちも、呆然としました。
その瞬間、車内の後方から声が上がりました。
「さっさと降りろよ、迷惑なんだよ!」
「自分の食べこぼしぐらい、片付けて行きなさいよ!」
「さっさとしろ!」
※
子連れの母親たちは、何も言い返せずに降りていきました。
最後にその中の一人が、怒りをぶつけてきました。
「クレーム入れてやるからな! 覚えとけ!」
運転手さんは淡々と、こう返しました。
「どうぞ。乗車賃はいりませんので、さっさと降りてください」
私は、あまりの出来事に言葉を失い、そして運転手さんにお礼を伝えました。
すると、運転手さんは笑ってこう言ってくれました。
「迷惑行為を排除するのは、私たちの仕事です。気にしないでください」
※
私は、その言葉に救われました。
世の中には冷たい視線や、心無い言葉がある。
でも――それだけじゃない。
見てくれている人は、ちゃんといる。
助けてくれる人は、ちゃんと、いる。
私の目に、思わず涙が浮かびました。
息子の手をぎゅっと握りながら、私は心の中で何度もつぶやきました。
ありがとう。
ありがとう。
本当に、ありがとう――。