
救急通報で駆けつけた古い平屋の庭先で、担架に横たわる老人の顔を見た瞬間、私の手が止まった。
痩せて、皺が深く刻まれていた。だがその目元に、二十年前の記憶が重なった。
中学三年の卒業式。壇上で「特別賞」と手書きされた表彰状を差し出してくれた、あの人の顔だった。
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私が育ったのは、この島から船で五時間ほど離れた本土の港町だった。
中学時代の私は、いわゆる問題児だった。授業中は机に突っ伏し、掃除当番はサボり、教師の言葉にはいちいち噛みついた。父は私が小学四年のときに家を出て行き、母は朝から晩まで弁当工場で働いていた。夕方、薄暗い台所に帰っても誰もいない。やり場のない苛立ちを、全部学校にぶつけていた。
三年生に上がったとき、担任が替わった。赴任したばかりの坂口先生は、四十代半ばの痩せた男で、声が小さく、教室の後ろまで届かないことがあった。最初の授業で黒板に名前を書く手が微かに震えていたのを、クラスの全員が見ていた。生徒は最初から舐めていたし、私も同じだった。
ある日の放課後、私は校舎裏のフェンスに寄りかかって空を睨んでいた。その日、母が体調を崩して工場を休んだと近所のおばさんから聞いた。だが私には何もできなかった。何もできない自分が腹立たしくて、壁を蹴っていた。
坂口先生が来たのは、そのときだった。怒鳴るでもなく、注意するでもなく、黙って隣にしゃがみ込んだ。しばらく二人で何も言わなかった。
「君は手が大きいな」
先生が言った。意味がわからなかった。
「人を助ける手だ」
先生はそう言って立ち上がり、ポケットから一枚の紙を取り出して私に渡した。折り目のついたA4用紙には、消防士の採用試験の案内が印刷されていた。
「三年後でいい。覚えておけ」
私は鼻で笑った。消防士なんて柄じゃない。だが、その紙だけは丸めて捨てる気になれず、教科書の間に挟んだまま持ち帰った。
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それから卒業までの一年間、坂口先生は私に何度も声をかけた。職員室に呼び出して説教するような真似はしなかった。廊下ですれ違うたびに「おう」と短く声をかけ、たまに体育館の裏で話し込んだ。先生の話はいつも淡々としていた。自分が若い頃に何度も挫折したこと。教師になるまで十年かかったこと。誰かに「お前には無理だ」と言われるたびに、かえって体が動いたこと。
私は黙って聞いていた。返事はほとんどしなかったが、先生はそれでよかったらしく、話し終えると「じゃあな」と背を向けて去っていった。
卒業式の日、成績優秀でもなく皆勤でもない私に、先生は壇上で一枚の表彰状を手渡した。「特別賞」と手書きされた紙に、会場がざわついた。何の賞なのか、誰にもわからなかったからだ。
席に戻ってから裏を見た。先生の字で、一行だけ書いてあった。
「信じている」
たった四文字だった。けれどその夜、私は初めて自分の将来について考えた。消防士の採用案内を引っ張り出し、試験日程を確認した。
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高校を出て、消防の採用試験を受けた。母に伝えると、母は湯呑みを両手で包んだまま、長く頷いた。試験勉強は独学だった。合格通知が届いた朝、私は坂口先生に報告しようと思った。だが先生はすでに他の学校に異動していた。転任先を調べかけて、途中でやめた。今さら連絡しても迷惑だろう。先生は何百人もの生徒を送り出してきたのだ。私のことなど、とうに忘れているかもしれない。
消防学校を経て、本土の署に配属された。初めて火災現場に入った日。煙の中でうずくまる子どもを抱えて走ったとき、先生の言葉が耳の奥で鳴った。「人を助ける手だ」と。
あれから十五年、何度も先生の顔が浮かんだ。表彰を受けた日。後輩を指導する立場になった日。住宅火災で逃げ遅れた老人を背負って階段を降りた日。そのたびに報告したいと思い、そのたびに「遠慮」という名の壁に阻まれた。先生は忙しい。先生にはもっと優秀な教え子がいる。あの頃の問題児が突然訪ねてきたら、困惑するだけだ。そう言い聞かせているうちに、二十年が過ぎた。
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離島への異動を志願したのは三年前の春だった。本土の署で十五年勤めた後、人手不足のこの島に手を挙げた。人口八百人、高齢者が半分以上を占める小さな島だった。消防署はひとつだけ。署員は私を含めて六人。火事よりも救急出動のほうが圧倒的に多い島で、転倒、脱水、持病の悪化——出動のたびに顔なじみの老人と会った。
あの日の通報は、午前十一時過ぎだった。「高齢男性が庭で倒れている」と近隣住民からの電話で、私と後輩の二人が駆けつけた。
低い石垣に囲まれた庭には、丁寧に手入れされた菜園が広がっていた。トマトの支柱が等間隔に並び、茄子の葉が海風に揺れている。その奥で、白髪の男性がうつ伏せに倒れていた。
駆け寄り、体を仰向けにした。そのとき、私は息を呑んだ。
二十年の歳月が顔に刻まれていたが、細い目元と、少し曲がった鼻筋は変わっていなかった。坂口先生だった。
先生は意識があった。脱水症状と軽い熱中症。点滴の針を刺しながら、私の指が微かに震えた。先生は私の顔をじっと見ていた。
「……名前は」
私は名乗った。先生の目が、ゆっくりと開いた。
「大きくなったな」
それだけ言って、先生は目を閉じた。救急車のサイレンが、島の静けさに吸い込まれていった。
※
先生は三日で退院した。見舞いに行こうとして、やめた。二十年ぶりの再会が救急現場だったというだけだ。それ以上踏み込む理由がない。——いや、理由ならいくらでもあった。ただ、勇気がなかった。また遠慮が、私の足を止めた。
翌週、島の郵便局に立ち寄ったとき、カウンターの女性に呼び止められた。
「消防署の方ですよね。坂口さんのところに出動されたって聞きました」
私が頷くと、彼女は少し迷った後、声をひそめた。
「坂口さん、毎朝うちに新聞を取りに来るんです。カウンターで広げて、何かを探すように読んで。ときどき記事を切り抜いていくんですよ。火事のとか、救助のとか」
私は黙って聞いていた。
「帳面に貼ってるんです、大事そうに。一度だけ聞いたことがあるんです。教え子が消防士になったんだって。それをずっと追いかけてるんだって」
彼女は続けた。
「もう何年もですよ。この島に来てからずっと。本土の新聞をわざわざ取り寄せてまで」
私はしばらく、カウンターの前から動けなかった。
※
その日の夕方、勤務が終わった後、私は先生の家を訪ねた。石垣の門をくぐると、庭のトマトが西日を浴びて赤く染まっていた。潮の匂いを含んだ風が、菜園の葉を揺らしていた。
引き戸を叩くと、先生がゆっくり出てきた。私を見て、一瞬だけ目を細めた。
「上がれ」
居間に通された。六畳の畳部屋に、小さな本棚と座卓があった。先生は座卓の引き出しから、一冊の分厚いスクラップ帳を取り出した。
最初のページを開くと、黄ばんだ新聞の切り抜きが貼ってあった。私が最初に配属された本土の署の管内で起きた住宅火災の記事だった。隅に先生の字で日付が書かれ、「よくやった」と添えてあった。
ページをめくった。切り抜きはどんどん増えていった。私の名前が載っている記事もあれば、載っていないものもあった。それでも管轄の火事や救助の記事を、一つ残らず切り抜いていた。
二冊目、三冊目。二十年分の記事が、先生の手で丁寧に貼り揃えられていた。どのページにも、短いコメントが添えられていた。「冬場は気をつけろ」「無理するな」「立派だ」。届くはずのない言葉が、帳面の中でずっと私に向けられていた。
先生はお茶を淹れながら、静かに言った。
「新聞に名前が出るたびに、ああ、まだやっとるなと思った」
私は何か言おうとして、声がつかえた。
「君が島に来たのは知っとった。だが私から声をかけるのは違うと思った。教師の仕事は送り出すことだからな」
先生もまた、遠慮していたのだ。私と同じように、踏み込むことを恐れていたのだ。
私は鞄の中から、ずっと持ち歩いていたものを取り出した。二十年前の表彰状だった。四つ折りの跡がつき、角が擦り切れている。裏の「信じている」の四文字は、まだはっきりと読めた。
先生はそれを受け取り、長い間じっと見つめていた。やがて眼鏡の奥の目が潤んで、唇が微かに震えた。
「届いとったか」
私は深く頭を下げた。言葉にならなかった。それでも、絞り出すように言った。
「ありがとうございました」
先生は黙って頷き、お茶を一口飲んだ。窓の外で、夕暮れの海がゆっくりと色を変えていた。
※
あれから半年が経った。私は毎週木曜の夕方、先生の家を訪ねるようになった。特別な話はしない。庭のトマトを一緒にもいだり、先生が淹れてくれるお茶を飲んだりするだけだ。ときどき先生がスクラップ帳を開いて「この火事はどうだった」と聞く。私が当時のことを話すと、先生は黙って頷く。その横顔を見るたび、二十年の空白が少しずつ埋まっていく気がした。
あの表彰状は、今も防火服の内ポケットに入れてある。
出動のたびに、紙の角が胸に触れる。あの四文字が、今日も私の背中を押している。