慎吾のベッドの下には、ゲームの雑誌が積んでありました。
どれも、背表紙が奥を向いていました。
題名の見えない白い小口だけがこちらに揃っていて、私はそれを、隠してあるのだと思いました。
そう思ったまま、十四年が過ぎました。
磨き屋の二階
新潟の燕は、洋食器の町です。
スプーンやフォークの、あの鏡のような面をつくるのは、磨きという仕事です。
回るバフに金属を当てて、青い研磨剤を噛ませて、指の腹で角度を決めていきます。
町の細い路地に、そういう小さな工場がいくつも並んでいました。
夕方になると、どの家からも同じ低い唸りが出ていて、路地を歩くと音が重なって聞こえます。
村松慎吾の家も、その一つでした。
戸を開けると、青くて熱い匂いが、まず出てきます。
慎吾の父親は、私が行くといつも同じことを言いました。
「上がってけ。慎吾は二階だ」
返事を待たずに、もうバフの音に戻ってしまう人でした。
手を止めない人だと、子どもの私は思っていました。
いま思えば、止めないのではなく、止められない量の仕事があったのです。
その父親の指には、指紋がありませんでした。
研磨剤で削れてしまうのだと、慎吾が教えてくれました。
「うちの親父、判子押すときだけ困っとるんだよ」
そう言って笑うので、私も笑いました。
二階の六畳が、私たちの場所でした。
畳の焼けた匂いと、下から上がってくる機械の振動を、いまでも思い出せます。
先に行って、待っている子
慎吾はゲームがうまい、というより、速い子でした。
新しいロールプレイングが出ると、次の週にはもう終わらせていて、こちらが詰まったところを、聞く前に当ててきます。
「橋のとこだろ。あれは、いっぺん南に戻るんだよ」
「なんで分かるんだよ」
「みんな、そこで来るから」
その言い方が少しも自慢に聞こえないのが、慎吾でした。
中学一年の夏に、私たちは一本のソフトを二人で回しました。
私の家に一週間、慎吾の家に一週間という約束です。
順番を決めるとき、慎吾は必ず言いました。
「お前が先でいいよ」
そのときは、気前がいいのだと思っていました。
あとで考えれば、先にやったほうが詰まるのです。
詰まった相手に教えるほうが、慎吾には面白かったのでしょう。
先に行って、待っている。
あの子の位置は、いつもそこでした。
※
秋の終わりの、ひとつの日
中学二年の十一月に、慎吾は事故に遭いました。
国道の交差点で、車と接触したのだと聞きました。
命に別条はありませんでした。
ただ、右の手首から先が、戻りませんでした。
私が見舞いに行けたのは、暮れも近くなってからです。
行けなかったのではなく、行かなかったのだと思います。
病室で、慎吾はテレビの天気予報を見ていました。
雪の予報が出ていて、画面がずっと白い矢印でした。
「よお」
「よお」
それだけで、あとは何も出ませんでした。
私は、持っていくつもりだった携帯ゲーム機を、鞄から出せませんでした。
出したら、いけない気がしたのです。
いま思えば、鞄から出せなかったことのほうが、よほど失礼でした。
帰り際に、慎吾は天気予報のほうを向いたまま言いました。
「明日から荒れるってさ」
私は、そうだな、とだけ返しました。
その冬に、私はもう一つ知りました。
あの日、慎吾は私の家へ向かっていたのです。
前の週に借りていったソフトを、返しに来る途中でした。
私はそれを、誰にも言いませんでした。
言えば、慎吾に「気にすんな」と言わせることになるからです。
言わずにいれば、なかったことにできる気がしていました。
左手の練習のことを、私は本人からは聞いていません。
ずっとあとに、母さんが少しだけ話してくれました。
退院してから春までのあいだ、慎吾は毎晩、台所の卓で線を引いていたそうです。
横に一本、まっすぐな線を引く。ただそれだけを、何十枚も。
「上手にならんでもいい、って言うのよ」
「上手に、ですか」
「同じに引ければいいんだ、って」
速さでも美しさでもなく、同じであること。
検品の台に立つ人の考え方を、あの子はもうそのころに持っていたのだと思います。
一人で終わらせたソフト
事故のあった週、私の家には、慎吾が返しに来るはずだったソフトの続きが残っていました。
私は、それを一人で進めました。
橋のところで、また詰まりました。
いっぺん南に戻る、と教わったことを覚えていたので、すぐに抜けられました。
抜けたのに、少しも面白くありませんでした。
面白いのは、先に行った誰かが待っていてくれることだったのだと、そのとき初めて分かりました。
終わらせたあと、私はそのソフトを机の引き出しにしまいました。
慎吾に返す日が来ると思っていたからです。
引き出しに入れたまま、十四年が経ちました。
捨てられなかったのではありません。
捨てれば、あの日のことを認めることになる気がしていたのです。
卒業したから
三年に上がって、慎吾は学校に戻ってきました。
左手で字を書く練習を、夏のあいだにひととおり終えていて、板書は誰よりも速いくらいでした。
体育も、出られるものは全部出ました。
私は、以前と同じように誘いました。
「今日、うち来る? 新しいの、買ったんだ」
慎吾は少し間を置いてから、笑いました。
「俺、もうああいうの卒業したから」
「え」
「あんなの子供の遊びじゃん」
その言葉を、私は何度も聞くことになりました。
誘うたびに、慎吾は同じ形で断りました。
間の置き方も、笑い方も、毎回そっくり同じでした。
用意してある言葉なのだと、そのときは思いませんでした。
三度目くらいから、私は誘う回数を減らしました。
減らしたことを、気を遣ったのだと自分に説明していました。
※
ベッドの下
高校が別々になった年の春に、慎吾の部屋で、私はそれを見ました。
ベッドの下に、雑誌が積んでありました。
先月のもありました。先週のもありました。
ふつうは別のものを隠すところだろうに、と、私はひとりで可笑しくなって、それから、笑えなくなりました。
背表紙が、全部、奥を向いていたからです。
題名を見せない置き方だと思いました。
読んでいることを、知られたくないのだと思いました。
私はその日、何も言いませんでした。
言えば、慎吾に嘘をつかせることになると思ったからです。
それが優しさだと、私は長いこと信じていました。
本当は、確かめるのが怖かっただけです。
確かめてしまえば、次に誘わなければならなくなります。
検品の台
高校を出て、私は市内の運送会社に入りました。
慎吾は工場に残りました。
磨きの仕事は、両手で金属を支えます。
片手では、当てる角度が保てません。
それでも慎吾がいたのは、検品の台でした。
白い蛍光灯の下で、スプーンの面を傾けて、曇りや細い筋を見つける仕事です。
一度、配達のついでに寄らせてもらったことがあります。
慎吾は台の前に立って、左手だけで次々と傾けていました。
目の動きが、こちらが追えないほど速いのです。
「速いな」
「目だけは、いいから」
慎吾はそう言って、少し笑いました。
その笑い方だけは、断るときのものではありませんでした。
検品の台には、傷の見本がひとそろい置いてありました。
わざと曇らせたもの、わざと筋を入れたもの。
目を慣らすために、朝いちばんにそれを見るのだそうです。
「毎朝、失敗から見るんだよ」
慎吾は、そう言って見本の箱を軽く叩きました。
その言い方に、負け惜しみのようなものは一つもありませんでした。
失敗を先に見ておけば、いいものが分かる。
それは仕事の話であって、それだけの話ではない気がしました。
父親は、少し離れたところでバフを回していました。
こちらを一度も見ませんでした。
あとで知ったことですが、あの工場には、左利きの職人さんが一人いました。
小野さんという年配の方で、逆手でバフを使う人でした。
やり方はある、と父親は知っていたはずです。
それでも、息子には一度も言いませんでした。
言えば、できるはずだ、という意味になってしまうからだと思います。
そのころ、私にも下の子が生まれていました。
休みの日は、車のなかで眠ってしまうような暮らしです。
慎吾のことを考えなくなったのは、忙しかったからではありません。
考えても仕方がないと決めたほうが、楽だったからです。
年に二度か三度、私たちは飲みました。
ゲームの話は、どちらからも出しませんでした。
出さないことが、私たちの作法になっていました。
ずっとあとになって、痛みを知る者という話を読みました。
痛みを知った分だけ、人に優しくなれる、という話です。
読みながら、私は落ち着かない気持ちになりました。
慎吾のほうが、ずっと先にそこへ着いていたからです。
一度だけ、訊きかけた夜
二十代の終わりごろだったと思います。
駅前の焼き鳥屋で、慎吾が珍しく先に酔いました。
串を持つ手を止めて、慎吾が言いました。
「なあ。お前さ、俺に訊きたいことあるだろ」
店の煙が、私たちのあいだをゆっくり流れていました。
「……ないよ」
「そうか」
それだけで、慎吾は串を口に運びました。
あのとき訊いていれば、と思ったことは、数えきれないほどあります。
ただ、訊かなかったから続いた十四年でもありました。
私たちは、触れない場所を決めて、その外側でずっと友達をしていたのです。
慎吾は、私にとって最初の友人でした。
友人というものは、こちらが差し出したものを受け取ってくれる人のことだと、長いあいだ思っていました。
そうではないのだと分かるまでに、ずいぶんかかりました。
受け取らないという形で、こちらを守ってくれる人もいるのです。
店を出るとき、慎吾は左手で暖簾を上げて、私を先に通しました。
お前が先でいいよ、と言われた気がしました。
※
剣を振るドラクエ
三十をいくつか過ぎたころ、新しい据置機が出ました。
棒のような操作機を、剣のように振って遊ぶ機械です。
その機械で出たドラクエは、『ドラゴンクエストソード』という題でした。
電器屋の店頭で映像を見て、私は立ち止まりました。
画面の前の人が、片手で振っていたのです。
もう片方は、膝の上にありました。
これなら、と思いました。
思った瞬間に、自分の顔が熱くなりました。
十四年のあいだ、私は一度も「これなら」と思ったことがなかったのです。
やめたのだと決めて、そこで考えるのをやめていました。
やめたのだと決めたのは、慎吾ではなく私のほうでした。
慎吾の誕生日は、九月の終わりです。
私は本体とソフトを買って、包んでもらって、車に積みました。
包み紙を選ぶのに、十分ほど迷いました。
子どもっぽい柄にすると、嫌味になる気がしたのです。
嫌味かよ
渡したのは、工場の裏の駐車場でした。
油の缶が積んであって、そこだけ地面の色が濃いところです。
慎吾は箱を受け取って、しばらく黙って見ていました。
持ち上げて、重さを確かめるような手つきでした。
それから、笑いました。
「こんなもん要らねーよ」
「振るだけだって。見たんだよ、俺」
「出来る訳ねーだろ。嫌味かよ」
笑ったままの声でした。
そこが、いちばんこたえました。
慎吾は箱を助手席に置いて、封も切らずに、そのまま家へ入っていきました。
戸が閉まる音がして、そのあとすぐ、バフの音が始まりました。
私は車を出して、途中のコンビニの駐車場で、一時間ほど動けませんでした。
十四年ぶんの誘い方を、私は一度も変えていなかったのです。
※
夜の電話
九時を回ったころ、携帯が鳴りました。
慎吾の母さんでした。
「あのね」
それきり、しばらく声がしませんでした。
受話器の向こうで、何か軽い音がしていました。
「あの子がね、泣きながら、やってるんだわ」
私は、返事ができませんでした。
「テレビの前で、立って。ずうっと」
「……はい」
「あんた、来てくれるかい」
人が泣くのを、止めなくていい日があります。
あとになって悲しい時は泣くんだよという話を読んだとき、私はあの電話を思い出しました。
母さんは、息子の泣き声を隠しませんでした。
受話器のほうへ、そのまま向けていたのです。
雑誌を買っていた人
着いたとき、慎吾はテレビの前に立っていました。
左手で棒を握って、画面のなかの剣を、下から上へ振り上げていました。
肩から動かす、大きな振り方でした。
私が入っても、振り向きませんでした。
「おせえよ」
「悪い」
それだけでした。
台所で、母さんが湯を沸かす音がしていました。
湯呑みを置きながら、母さんは思い出したように言いました。
「あの日ね。あの子、あんたんとこにソフト返しに行くとこだったの」
「……知ってます」
「知っとったの」
「ずっと」
「あの子もね、あんたが知っとるって、知っとったよ」
だから慎吾は、笑って断り続けたのだと思います。
私に、謝る隙を作らせないために。
母さんは、湯呑みの縁を指でなぞってから、もう一つ言いました。
「雑誌はね、私が買っとったの」
「……え」
「あの子、店には行かんかったから」
燕の町では、駅前の本屋の主人が、誰の子かをみんな知っています。
毎週あの棚の前に立てば、必ず何か言われます。
母さんは、十四年のあいだ、それを黙って買いに行っていました。
買ってきて、黙って二階に置いていました。
一度も、読みなさいとは言わずに。
母さんは、そのあと少しだけ笑いました。
「毎週ね、同じ棚の前に立つの。慣れんもんだねえ、十四年経っても」
「……すみません」
「なんであんたが謝るの」
私は、うまく答えられませんでした。
雑誌を買いに行く役は、本当なら私がやるべきだったのだと思います。
誘うことしか思いつかなかった私の代わりに、母さんは十四年、棚の前に立ち続けていました。
背を奥に向けてあった理由
私は、二階へ上がりました。
何のためだったのか、自分でもよく分かりません。
六畳は、あのころのままでした。
ベッドの下に、雑誌がありました。
先月のもありました。先週のもありました。
私は一冊を抜こうとして、手が止まりました。
背表紙をこちらに向けて並べると、抜くのに両手が要ります。
片方で束を押さえて、もう片方で引かないと、全部が一緒に動いてしまうのです。
小口を手前にしておけば、上から親指を差し込んで、片手で引ける。
背を奥に向けてあったのは、隠すためではありませんでした。
棚の前にしゃがんだまま、私は少しのあいだ動けませんでした。
この十四年、慎吾は一度も、やめてなどいなかったのです。
やめたことにしていたのは、断られた側の私でした。
私は、抜いた一冊を開きました。
あいだに、付録の薄い攻略本が挟まっていました。
ずいぶん古い号のものでした。
その隅に、鉛筆の線がありました。
操作機の絵です。何度も引き直した、下手な絵でした。
攻略本の隅には、右手のいらない持ち方が、鉛筆で描いてありました。
※
誘い方だけ
慎吾はいまも、検品の台にいます。
去年は、片手でも持てる柄のスプーンを試作した話を、電話でしていました。
「うちの町でしか作れんよ、あれは」
あの夜のことを、私は一度も本人に話していません。
話せば、また用意された言葉が返ってくるでしょうから。
ただ、誘い方だけは変えました。
「うち来る?」とは言いません。
「これ、二人でやるやつなんだけど」と言います。
断る言葉を、用意させないためです。