母の湯呑みが、まだ台所の棚にある。
縁の欠けた、椿の柄の湯呑みだ。捨てられないまま、今日で一年になる。
内側には茶渋が薄く残っている。洗剤で擦れば落ちるのだろうが、それをしたら何かが終わる気がして、手をつけられない。
今朝はその湯呑みに茶を入れて、窓際に置いた。一周忌の朝の、俺なりの精いっぱいだった。
母が死んで、今日でちょうど一年が経つ。
母は四十二歳で俺を産んだ。
体を悪くして、子どもは難しいと言われ続けて、諦めかけた頃に俺ができたのだと、あとから叔母に聞いた。
今で言う高齢出産というやつで、授業参観に来る母は、友達の母親たちより明らかに歳を取っていた。
父は俺が五つのときに病気で死んだ。だから物心ついたときから、家は母と俺の二人きりだった。
父の記憶は、ほとんどない。
仏壇の写真の顔と、線香の匂いだけが、俺にとっての父だった。
母は父の話をするとき、決まって「あんたの寝顔ばっかり見てた人」と言った。
夜勤続きの人だったらしい。自分も似たような仕事に就いて、初めてその意味がわかった。
母は商店街の総菜屋で、朝から晩までパートをしていた。
店先で揚げ物をする母の割烹着は、いつも油の匂いがした。
夕方五時を過ぎると、店先にコロッケの行列ができた。並んでいる客の名前を、母はぜんぶ覚えていた。
俺はあの匂いが、子どもの頃は少しだけ恥ずかしくて、今は死ぬほど恋しい。
商店街では、母は「ミっちゃん」と呼ばれていた。美津子だからミっちゃん。
魚屋のおやじも、八百屋のばあちゃんも、俺のことは「ミっちゃんとこの子」としか呼ばなかった。
小三の冬、夜中に俺が熱を出したときのことを覚えている。
母は店の鍵を大将に放り投げて、自転車の荷台に俺を乗せ、夜道を病院まで飛ばした。
背中にしがみつくと、油の匂いに混じって、母の汗の匂いがした。
「しっかりつかまってなさい」と言う声が、白い息になって飛んでいった。
サドルから腰を浮かせて立ち漕ぎする母の息が、ぜいぜいと荒くなっていく。
「母ちゃん、もういいよ。歩けるよ」
「黙って、つかまってなさい」
あの背中の広さを、四十二歳の細い背中だったはずのあの背中を、俺は世界でいちばん大きいものだと思っていた。
病院の待合室で、母は俺の手を握ったまま、医者が呼ぶまで一度も離さなかった。
翌朝、熱の下がった俺の枕元には、剥いたリンゴと、店の売れ残りじゃない新しいプリンが置いてあった。
あれがけっこう高いプリンだったと知ったのは、ずっとあとのことだ。
※
思春期の俺は、ひどい息子だった。
「何でもっと若い頃に産んでくれなかったんだよ」
中二のとき、面と向かってそう言ったことがある。
きっかけは、授業参観だった。
教室の後ろに並んだ母を見て、隣の席のやつが言ったのだ。
「あれ、お前んち、ばあちゃんが来てんの?」
悪気のない一言だった。だからこそ、刺さった。
その日の夜、俺は母に「もう参観に来なくていい」と言った。
母は「そう」とだけ言って、味噌汁の鍋に向き直った。
「そう」のあとの沈黙が、今思えば、どれだけ長かったか。
その背中に向かって、俺はあの言葉を投げつけた。
母は振り返らなかった。お玉を持つ手が、少し止まっただけだった。
心配性な母が、当時の俺にはとにかくうっとうしかった。
傘を持て、上着を着ろ、夜道は大通りを歩け。
毎朝の弁当のフタの裏には、小さな付箋が貼ってあった。
「今日は冷えるから上着を着なさい」「ちゃんと野菜も食べなさい」
友達に見られるのが嫌で、俺は読みもせずに丸めて捨てていた。
弁当の卵焼きは、砂糖の入った甘いやつだった。
「うちのは塩味だぜ」と笑われてから、それも恥ずかしくなった。
今なら、誰に笑われても言い返せる。砂糖入りの卵焼きはうまい。あれは自慢の味だった。
「明日から卵焼き入れんなよ」と言うと、次の日から本当に入らなくなった。
代わりに俺の好きな唐揚げが、一個多くなっていた。
そういう母だった。
高二の体育祭には、来るなと言ったくせに、弁当だけは三段重ねで持たされた。
クラスの男子に「分けてくれ」と群がられて、空になった重箱を持ち帰ったとき、少しだけ、ほんの少しだけ、誇らしかった。
その「少し」を、俺は一度も母に言わなかった。
文句だけ言って自分の部屋に引き上げた夜、襖の向こうから、母のすすり泣く声が聞こえたことがある。
俺は布団をかぶって、聞こえないふりをした。
自分の不甲斐なさに気づいていたくせに、謝る勇気がなかった。
あの夜の布団の中の苦しさを、俺は今でも全部覚えている。
翌朝、母は何事もなかったような顔で、味噌汁と甘い卵焼きを出した。
目だけが、少し赤かった。
俺は「いただきます」しか言えなかった。それすら、口の中でもごもご言っただけだった。
中三の進路相談の時期には、もっとひどい喧嘩をした。
「高校なんか行かねえよ。働くよ。うち、金ないんだろ」
そう言った瞬間、母は初めて俺に向かって声を荒げた。
「あんたが家のために働くのは、私が死んでからにしなさい」
あのときの母の目を、俺は受験勉強のあいだじゅう、ずっと思い出していた。
結局、行けと言われた高校に受かった。母は合格発表の掲示板の前で、俺より先に俺の番号を見つけて、隣の知らないおばさんと抱き合っていた。
恥ずかしいから、やめてくれと思った。
今は、あの掲示板の前に、もう一度連れて行きたいと思う。
※
高校を出て、俺は地元の運送会社に就職した。
制服姿で内定の報告に行った日、母は店の奥から大将を引っ張ってきて、「ほら、うちの子」とだけ言った。
大将は「聞いた聞いた、もう三回聞いた」と笑っていた。
学歴もないし、給料も安い。それでも初任給で、母に椿の柄の湯呑みを買った。
「あんた、こんな無駄遣いして」
そう言いながら、母はその日から、欠けるまで毎日その湯呑みを使った。
二十歳を過ぎたあたりから、ようやく俺は、親孝行というものを考えるようになった。
早くに産んでくれていたら、なんて思っていた俺が、高齢出産だった母に、孫の顔を早く見せたいと思うようになった。
皮肉なもんだと思う。
付き合っていた彼女のことも、母は気に入っていた。
彼女が家に来ると、母は嬉しさを隠しきれないくせに、素っ気ないふりをして、帰り際に総菜を山ほど持たせた。
「重いから半分でいいです」と彼女が言っても、聞こえないふりをして詰めた。
「あの子、ちゃんとご飯食べてるの」
「俺より あの子の心配かよ」
「あんたはほっといても食べるでしょう」
そんな軽口を叩き合える親子に、俺たちはやっとなれていた。
給料日には、帰りに総菜屋へ寄るのが習慣になっていた。
コロッケを二つ買って、一つはその場で食う。母はいつも「うちの売りもんで夕飯済ませない」と怒った。怒りながら、紙袋にもう一つ余分に入れた。
彼女を初めて店に連れて行った日、母は仏頂面で「いらっしゃい」しか言わなかった。
あとで大将に聞いたら、前の晩から「明日、息子がね」と店じゅうに自慢して回っていたらしい。
「ミっちゃん、揚げ物の衣、三回も付け直しとったで」と大将は笑った。
なれていた、はずだった。
来年は温泉に連れて行こうと思っていた。
再来年あたりは、もしかしたら結婚式で、隣に座ってもらえると思っていた。
親孝行の予定表だけが、頭の中でどんどん長くなっていた。
※
去年の六月のことだ。
夜勤明けに寄った実家で、母はいつもどおり、揚げ物の匂いをさせて夕飯を作ってくれた。
帰り際、玄関で母は言った。
「あんた、顔が疲れてる。今日はお風呂に入って、もう寝なさい」
「わかったって。また来るわ」
それが最後の会話になった。
翌朝、店に出てこない母を心配した総菜屋の大将が、家で倒れている母を見つけた。
心臓だった。あっという間だったらしい。
電話を受けたとき、俺は配送センターの仕分けレーンの前にいた。
大将の声が遠くて、何を言っているのか半分もわからなかった。
気がつくと、高速を運転していた。どうやって会社を出たのか、今でも思い出せない。
病院の白い廊下で、俺は自分の足音だけを聞いていた。
対面した母の体は、冷たかった。
手だけが、生きていた頃の形のまま、軽く開いていた。
付箋を書くときの、ペンを持つ形に見えて仕方がなかった。
抱きしめても、声をかけても、何も返ってこなかった。
あんなに口うるさかった人が、何も言ってくれなかった。
傘を持てとも、上着を着ろとも、もう二度と言ってくれないのだった。
通夜の晩、俺は喪服のまま、実家の台所に立った。
棚には椿の湯呑み。流しには、洗いかけのボウルがひとつ。
冷蔵庫には、俺に持たせるつもりだったらしい唐揚げが、タッパーに詰めて冷ましてあった。
俺はそれを、立ったまま全部食べた。
涙と一緒に飲み込んだから、味なんてわからなかった。
それでも、世界でいちばんうまい唐揚げだった。
葬式には、商店街の人たちがびっくりするほど大勢来てくれた。
魚屋のおやじは、棺の前で子どもみたいに泣いていた。
大将は焼香のあと、俺の肩を掴んで言った。
「ミっちゃんはなあ、あんたの話ばっかりしとったで。休憩のたんびに、あんたの話や。聞き飽きるくらいやった」
聞き飽きるほどの話なんて、俺の人生のどこにあったんだろう。
運送会社で荷物を運んでいるだけの、どこにでもいる息子の話を、母は毎日、誰かにしていたのだ。
※
四十九日が過ぎて、叔母と二人で遺品の整理をした。
母の部屋の押し入れから、古い縫い物かごが出てきた。
針山と、ボタンの缶と、その下に、輪ゴムで束ねた紙の塊があった。
付箋だった。
書き損じた付箋が、輪ゴムでまとめて、何十枚も取ってあった。
「字が曲がったから書き直したのよ、きっと」と叔母は笑った。
笑ってから、叔母は長いこと黙った。
「今日は冷えるから」まで書いて、やめたやつ。
「べんきょうがんばれ」を、ひらがなで書き直したやつ。
俺が読まずに捨てていたあの付箋を、母は一枚書くのに、何枚も書き損じていたのだ。
かごの底には、もうひとつ、菓子の缶が入っていた。
開けると、千円札と小銭がぎっしり詰まっていて、フタの裏にマジックで書いてあった。
「まごのため」
叔母がそれを見て、堪えきれずに泣き出した。
泣きながら、教えてくれた。
「あんたが参観に来るなって言ったあともね、姉さん、毎回行ってたのよ。教室に入らないで、廊下のいちばん後ろの、窓の陰から見てたの」
「あんたが手を挙げると、帰ってきてから電話してきてね。『うちの子、ちゃんと手を挙げた』って、それはもう嬉しそうに」
俺は畳に座ったまま、動けなかった。
窓の陰の母に、俺は一度も気づかなかった。
気づかせないように立っていたのだ。あの人は、そういう人だった。
かごのいちばん底から、母子手帳が出てきた。
四十二歳の妊婦だった母の、検診の記録がきっちり並んでいた。
欄外に、若い頃の母の字で、小さく書き込みがあった。
「元気に生まれてきてくれますように。私の歳のことで、この子が苦労しませんように」
俺は、その一行の上に、ぼたぼたと涙を落とした。
苦労なんて、何ひとつしていない。
苦労していたのは、参観のたびに窓の陰に立っていた、あんたのほうだった。
「何でもっと若い頃に産んでくれなかったんだよ」
あの日の自分を殴りに行けるなら、俺は今すぐ行きたい。
叔母は、洟をすすってから教えてくれた。
「姉さんね、四十二で産むって決めたとき、周りに散々反対されたのよ。体のこともあるからって」
「でも一度だけ、私に言ったの。『この子に会えるなら、私の人生はもう全部おまけでいい』って」
おまけどころか、あんたの人生は最後の最後まで、俺のためにあったじゃないか。
※
そして先月のことだ。
彼女の生理が来なくて、二人で病院へ行った。
先生は笑って言った。「おめでとうございます」
待合室のソファで、彼女が先に泣いた。
俺は天井を見上げて、堪えた。堪えきれなかった。
帰り道、彼女がぽつりと言った。
「お義母さんの卵焼き、教わっておけばよかったな」
「砂糖入りの、甘いやつな」
「うん。あの味、出せる気がしないんだよね」
「いいよ、二人で何回でも失敗すれば」
その足で商店街に寄って、大将に報告した。
大将はタオルで顔をごしごし拭いて、「ミっちゃん、墓で泣くで」と言った。
お母さん。聞こえてるか。
孫だよ。あんたが缶に貯めてた、あの「まご」だよ。
缶の金は、一円も使わずに取ってある。
この子のランドセルは、あんたが買うんだ。そういうことに、俺たちの中では決まっている。
無事に生まれてくれたら、それでいい。男でも女でも、どっちでもいい。
ただ、あんたの優しさを少しでも分けてもらえたら、それ以上は何もいらない。
俺、少しは一人前になったよ。
学歴もないし給料も安いままだけど、ついに家庭ってやつを持つよ。
休みの日は子どもといっぱい遊ぶ。
四十二の母さんより、俺はまだ若いからな。肩車だって、逆上がりだって、いくらでも付き合える。
弁当も作ってやる。卵焼きは、砂糖入りの甘いやつにする。
フタの裏には、付箋を貼る。
「今日は冷えるから上着を着なさい」
あんたの文面を、そっくりそのまま使わせてもらう。
あれより上手い言い方を、俺はまだ知らない。
字が曲がったら、何枚でも書き直す。
あんたがそうしてくれていたって、俺はもう知ってるから。
なあ、母さん。
何で死んじゃうんだよ。
もっと甘えておけばよかった。もっと話しておけばよかった。
温泉でも旅行でも、どこでも連れて行けたのに。うまいものだって、いくらでも食わせてやれたのに。
あの最後の夜、風呂なんか入らないで、一晩中話しておけばよかった。
後悔は、たぶん一生消えない。
けど、後悔ってのは、たぶん愛してもらった証拠なんだ。
何もしてもらっていない人間には、後悔のしようもないんだから。
それでも、前は向く。あんたの孫が、もうすぐ来るから。
※
明日は仕事が休みだから、彼女と墓参りに行く。
墓前には、商店街のコロッケを供えるつもりだ。大将が「ミっちゃんのレシピで揚げたる」と言ってくれている。
それからエコー写真も持っていく。まだ豆粒みたいな、あんたの孫の最初の写真だ。
湯呑みに茶を入れて、仏壇にも報告した。
「四ヶ月だって。年明けには生まれるって」
写真の母は、いつもの困ったような笑い方のままだった。
けど、線香の煙が、その日はやけにまっすぐ昇った。
子どもの名前、どうしようかな。
男だったら、画数より呼びやすさだろうか。
母さんなら、なんて付ける?
画数とか気にするんだろうな。本で調べて、付箋なんか貼ったりして。
女の子だったら、あんたの名前から一字もらおうかと、彼女が言ってくれている。
美津子の「美」。いい字だと思う。
その付箋、今度は捨てないよ。一枚も捨てない。
最後に、生きているうちに言いたくて、どうしても言えなかった言葉を書く。
ばあちゃんみたいだなんて言って、ごめん。
本当はずっと、自慢の母ちゃんだった。
「お母さん、生んでくれてありがとう」