知ってるよ

知ってるよ

「実はな。俺と、お前は、血ぃ繋がっとらんのだ」

父がそう言ったとき、俺は三十一で、味噌汁を口に運ぶ途中だった。

椀を置く音が、やけに大きく響いた。

結婚したい人がいる、と電話で伝えたのが三日前。

帰省した晩に「大事な話がある」と言われて、卓袱台の前に正座させられた。

母は父の斜め後ろで、湯呑みを両手で持ったまま動かなかった。

父の顔は、俺が生まれてから見たことのない顔だった。

三日前の電話は、三十秒で終わっていた。

「結婚したい人がおる」

「そうか」

「秋に、そっち連れてく」

「そうか」

それだけだった。

電話を切ってから、母から折り返しがあった。

「父さん、電話切ったあと、庭に出て三十分帰ってこんかったわ」

そういう人だった。

※

父は、町営バスの運転手だった。

奥多摩の、谷にへばりつくような小さな町だ。

日向沢線という一本きりの路線を、一日六往復する。

始発が朝の六時十分、終点は大平という、家が七軒しかない集落だった。

三十年、同じ道を走った。

雪の日も、台風の日も、乗客がひとりでも走った。

父は無口な人で、家では三日に一度くらいしか声を出さなかった。

だから俺にとっては、降車ボタンの音のほうが、よほど父の声らしかった。

ピンポン、という、あの間の抜けた音。

あれを聞くと、いまでも父の背中が浮かぶ。

日向沢線の乗客は、多い日で十人ほどだった。

大平の山田さんは、月に二度、町の医院へ通うのに乗った。

橋のたもとの佐野さんは、孫が来る日だけ乗った。

誰がいつ乗るのか、父は全部知っていた。

山田さんが停留所にいない日は、少し待った。

時刻表より二分遅れても、待った。

そのことで、営業所に苦情が来たこともあったらしい。

父は、それについて家では何も言わなかった。

母だけが、夕飯のときに「父さん、今日また怒られたって」と笑っていた。

「怒られとらん」

それが、その日の父の唯一の発言だった。

雪の日は、朝の三時から起きてタイヤを見に行った。

俺が中学のとき、大雪で町の道が全部止まったことがある。

それでも日向沢線だけは走った。

大平に、透析に通う人が一人いたからだ。

そういう仕事を、三十年やった人だった。

町の人は、父を「たーちゃん」と呼んだ。

田代忠雄で、たーちゃん。

子どもが呼ぶあだ名を、七十過ぎの婆さんまで使っていた。

怒った顔を見た人がいない、という理由らしい。

家でも同じだった。

俺は物心ついたときから、父を「たーちゃん」と呼んでいた。

途中から「親父」に変えたのは、たしか高校のころだ。

変えた日に、父が味噌汁をこぼしたのを憶えている。

※

父には、変わった癖が二つあった。

ひとつは、営業所に戻って車を降りるとき、必ず一度だけ振り返ることだ。

誰も乗っていないのに、一番後ろの席を見る。

見て、それから降りる。

忘れ物の確認だと思っていた。

母に訊いたら「癖でしょ」と言われて、それきり訊かなかった。

もうひとつは、日誌だ。

町営バスには運行日誌があって、天候と運行状況を書く欄がある。

その下に、五センチほどの余白がある。

父の日誌は、余白に一行だけ書く決まりだった。

長くても十字を超えない。

「大平の橋、凍る」

「山田さん、杖新しい」

そんな一行が、三十年分ある。

営業所の連中は「田代さんの俳句」と呼んで笑っていたらしい。

俺は一度だけ、その日誌を覗いたことがある。

小学四年の夏、父の鞄から出して開いた。

父は珍しく大きな声を出した。

「それは、触るな」

怒鳴られたのは、後にも先にもそれきりだ。

すぐに謝られた。

「悪い。仕事のもんだから」

俺は、仕事の書類とはそういうものかと思って、それきり忘れていた。

※

話を、卓袱台に戻す。

父は言った。

「でもな! でもな、父さんは、いっぺんも、そんなふうに思ったことはない!」

俺は口を挟もうとした。

「いや、あの、俺」

「お前は、俺の息子だ!」

父の目が、いきなり赤くなった。

母が、後ろで声を上げて泣き出した。

俺は、正座したまま固まっていた。

父は、震える手で湯呑みを掴んで、こう言った。

「解るよ。うん。いきなりこんなん言われたら、混乱するわな」

「黙っとって、悪かった。父さんが、悪かっ……」

「知ってるよ」

俺が言った。

父の口が、開いたまま止まった。

「……うん。そうだよな。うん、そら、そうだよ、な」

「あ?」

「いや、だから。俺、それ知ってるよ」

「え?」

「え?」

本当に、そういう会話をした。

三十一年生きてきて、実の親子でもない男二人が、卓袱台を挟んで「え?」を言い合うことになるとは思わなかった。

母だけが、泣いたままの顔で、まだ泣いていた。

沈黙が、三十秒ほど続いた。

父が立ち上がって、便所へ行った。

戻ってきて、また正座した。

「もういっぺん、言ってくれ」

「知ってるよ」

「……いつから」

「たぶん、最初から」

父は、天井を見上げた。

それから、湯呑みの茶を一息で飲んだ。

茶は、とっくに冷めていたはずだ。

※

俺が知っていたのには、理由がある。

父は母と一緒になる前、うちの隣に住んでいた。

実の父は、俺が二つのときに家を出て、それきり戻らなかった。

母は朝の弁当屋で働いていて、保育所が休みの日は俺を預ける先がなかった。

そういう日、俺は父のバスに乗せられていた。

朝いちばんから、終バスまで。

三歳の記憶なんて、普通は残らない。

それでも、バスの匂いだけは体に残っている。

油と、埃と、朝の霜が溶けたときの、あの湿った匂い。

座席の青いビニールが、夏はぬるく、冬は冷たかった。

俺は料金箱の音が好きで、大平の折り返しのたびに触りに行った。

父は、運転席から一度も怒らなかった。

その代わり、握らせるものがあった。

ハッカの飴だ。

父は運転中に眠くならないよう、いつも一袋持っていた。

俺が料金箱に手を伸ばすと、後ろも見ずに飴を差し出す。

俺はそれで、大人しく席に戻った。

三歳の俺は、あの飴を辛いと思いながら、毎回受け取っていたらしい。

いまでも、ハッカの匂いを嗅ぐと、バスの揺れが体に戻ってくる。

それでも、ひとつだけ、はっきり残っている場面がある。

夕方の車庫で、母が迎えに来て、俺を抱き上げたときのことだ。

母が、こう訊いた。

「たーちゃんが、あきらのパパになったら、あきらはどう?」

たーちゃんというのは、父のことだ。

田代忠雄で、たーちゃん。

俺は何と答えたか。

「すごく、うれしい」

そう言ったはずだ。

言ったときの、母の髪の匂いまで憶えている。

だから俺は、小学校に上がる前から知っていた。

知っていて、二十八年、黙っていた。

黙っていた理由は、うまく説明できない。

中学のとき、進学の書類で戸籍を見る機会があった。

そこに書いてある日付と、自分の記憶が、きちんと噛み合った。

ああ、やっぱりそうか、と思っただけだった。

驚きはなかった。

驚きがなかったことのほうが、俺には大事だった。

父は、参観日に一度も来なかった。

代わりに、朝の五時に起きて弁当を作った。

母より父のほうが上手だったから、というだけの理由だ。

卵焼きは甘くて、いつも一切れ多く入っていた。

俺が野球を辞めた日も、何も訊かなかった。

ただ、その週の弁当に、俺の好きな唐揚げが四日続いた。

言葉で確かめる必要が、どこにもなかった。

確かめれば、父に「証明」をさせることになる。

それがどうしても嫌で、俺は口を開かないまま大人になった。

※

その話をしたら、母が畳に手をついた。

「だって……あんた、あんなに小さかったし」

「絶対、憶えとらんと思って」

そう言って、また泣いた。

父は、湯呑みを持ったまま、しばらく何も言わなかった。

それから、下を向いたまま言った。

「そっか」

「知っとったか」

「知っとって、一緒におってくれたんか」

危うく俺も泣きそうになって、慌てて味噌汁を飲んだ。

すっかり冷めていた。

※

その晩、父は先に寝た。

母が茶を淹れ直して、押し入れから段ボールを出してきた。

「これ、父さんが営業所からもらってきたやつ」

去年の春、父は定年で運転席を降りた。

そのとき、三十年分の日誌の写しを、営業所の若い所長が製本して渡してくれたのだという。

父は一度も開かず、押し入れに入れたままにしていた。

「見てみる?」

俺は、なんとなく手に取った。

昭和の分から、年ごとに背表紙が並んでいた。

紙が茶色くなっていた。

俺は、自分が生まれた年から順に、ぱらぱらとめくった。

「大平の橋、凍る」

「山田さん、杖新しい」

「今日は乗客ゼロ。鹿が二頭」

父の字は、角ばっていて、行から少しはみ出していた。

笑いながらめくっていて、ある年の綴りで手が止まった。

※

昭和六十二年。

俺が三つの年だ。

四月の頭から、余白の一行が、それまでと違っていた。

四月一日。

「今日も、あの子が乗っている」

四月二日。

「今日も、あの子が乗っている」

四月三日。

同じ一行だった。

俺はページをめくる手が止まらなくなった。

五月も、六月も、同じだった。

乗った日は、必ずその一行。

乗らなかった日は、空白。

空白の日には、天候の欄だけが書いてあった。

三年分、続いていた。

三百と何十回か、父はその一行を書いていた。

俺は台所の蛍光灯の下で、指先が冷たくなっていくのを感じた。

空白の日を数えてみた。

三年のうち、乗らなかった日は思ったより少なかった。

雨の日の一行だけ、少し違っていた。

「雨。今日も、あの子が乗っている」

雨の日は、母が仕事を休めない日だ。

父はそれを、天候の欄と一緒に憶えていた。

母が横から覗き込んで、口を押さえた。

※

そして、四月八日のページを開いた。

あの、車庫の夕方だ。

天候の欄に「晴」。

運行状況の欄に「異常なし」。

その下の余白には、いつもの一行がなかった。

日誌のその日の余白には、四文字だけ。

「うれしい」とだけ、書いてあった。

俺は、その四文字を、たぶん一分近く見ていたと思う。

母が、小さな声で言った。

「……あの日、父さん、車庫におったんやね」

いた。

母が俺を抱き上げたとき、父は運転席の窓を拭いていた。

背中しか憶えていない。

けれど、いた。

俺が「すごく、うれしい」と答えた声を、父は運転席の側で聞いていたのだ。

※

つまり、こういうことだった。

知っていたのは、俺だけではなかった。

父もまた、俺が答えを知っていることを、二十八年前から知っていた。

知っていて、黙っていた。

俺が黙っていたのと、同じ長さだけ。

不思議なもので、腹は立たなかった。

むしろ、少し可笑しかった。

親子で、同じ場所に手を置いて、二十八年、目を合わせずにいたわけだ。

その手の下にあったものが何だったのか、俺はいまも言葉にできない。

ただ、卓袱台であんなに慌てた父の顔を見られたのだから、黙っていた甲斐はあった。

なぜ言わなかったのか、俺は次の日の朝に訊いた。

父は縁側で、バスの模型を磨いていた。

営業所から餞別にもらった、日向沢線の車体の模型だ。

父は磨く手を止めずに答えた。

「あんな返事、二回もさせられんだろ」

意味がわからなくて、俺は黙っていた。

父は続けた。

「三つの子が、なんも考えんで言った『うれしい』が、いっとう本物なんだ」

「大きくなってから、もう一回訊いたらな」

「お前は、気ぃ遣って言うだろ」

「そんなん聞いたら、父さん、あの日の分がなくなってまう」

朝の谷は、まだ霧が残っていた。

父は模型のフロントガラスのあたりを、指の腹で拭いた。

「お前が中学ぐらいのとき、気づいとるやろなとは思っとった」

「そうなん」

「弁当箱の返し方が、丁寧になったから」

俺は、そんなことは意識したこともなかった。

「気ぃ遣わせとるなと思って、余計に言えんくなった」

父は、そこで初めて手を止めた。

「悪かったな。三十年も、持たせて」

俺は、返す言葉がなかった。

父が三十年、告白を先延ばしにしていたのは、勇気がなかったからではなかった。

あの夕方に手に入れた四文字を、上書きされたくなかったからだ。

※

もうひとつ、わかったことがある。

父が車を降りるときに一番後ろの席を見る、あの癖だ。

三歳の俺は、いつも一番後ろの窓際に座らされていた。

そこがいちばん揺れなくて、寝てしまっても倒れない席なのだと、母が言った。

俺が乗らなくなってからも、父は三十年、その席を見てから降りていた。

忘れ物の確認ではなかった。

誰も乗っていないことを、毎日ひとりで確かめていたのだ。

※

式は、秋にやった。

父は挨拶を頼まれて、三日前から便箋を破いていた。

当日、マイクの前に立って、こう言った。

「章の父の、田代です」

「三十年、バスを運転しとりました」

「本日は、ありがとうございました」

三行で終わった。

後で便箋を見たら、七枚あった。

七枚書いて、三行に減らす人だった。

妻が、控室で便箋を見て言った。

「お義父さん、ぜんぶ書いてから消したんだね」

七枚目の最後に、消しゴムで消した跡があった。

光にかざすと、二文字だけ読めた。

「章は」

そこから先は、力を入れて消してあった。

母に見せたら、便箋を畳んで、鞄の底にしまった。

「これは、あの人のものだから」

母は昔から、父のものと自分のものを、はっきり分ける人だった。

その線引きが、うちの家族をずっと保っていたのだと思う。

誰も、誰かの領分に踏み込まない。

踏み込まないことで、三人はちょうどよい距離にいられた。

そう言って、それきり出してこない。

その三行の一行目に、あの人の三十年が全部入っていた。

※

先月、うちに男の子が生まれた。

名前は、俺と妻で決めた。

決めてから、父に電話で伝えた。

父は「そうか」としか言わなかった。

数日して、母から封筒が届いた。

中に、便箋を四つに折ったものが一枚だけ入っていた。

広げると、真ん中に一行だけ書いてあった。

あの角ばった、行からはみ出す字だった。

「今日から、あの子が乗っている」

俺は、その紙を持ったまま、しばらく玄関に立っていた。

妻が奥から出てきて、紙を覗き込んだ。

「なんて書いてあるの」

俺は、うまく声が出なかった。

妻はそれを読んで、少し考えてから言った。

「お義父さん、また数えはじめたんだね」

そのとおりだと思った。

父はきっと、これから空白の日を作らないように生きるのだと思う。

退院した週末に、実家へ連れて帰った。

父は抱こうとしなかった。

「手ぇ、洗ってからにする」

そう言って、台所で三回洗った。

それでも抱かなかった。

「落とすといかんから」

母が「三十年ハンドル握った手が、何言うとるん」と笑った。

父は、笑わなかった。

真剣に、指だけを差し出していた。

「落とすといかんから」と言って、指だけ握らせていた。

帰りに、廃止が決まった日向沢線に乗った。

いまの運転手は、父の後輩にあたる若い人だ。

俺は一番後ろの窓際に座った。

妻が「ここ、揺れないね」と言った。

揺れないのではない。

揺れが、いちばん優しく届く場所なのだと思う。

父が三十年、降りる前に必ず見ていた席だ。

大平の一つ手前で、俺は息子の手を持って、降車ボタンに触れさせた。

ピンポン。

あの間の抜けた音が、谷に響いた。

前の席で、父が振り返った。

何も言わずに、こっちを見て、それから前を向いた。

いつもの、車を降りる前の癖と同じ順番だった。

俺は、その背中に向かって、心の中でだけ言った。

知ってるよ、と。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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