再生の贈り物

駅

私には本当の親がいない。物心ついたときにはすでに施設で育てられていました。親が生きているのか、死んでいるのかもわからないまま、私はただ普通に生きてきました。

施設での唯一の家族は、三歳年上の恋人でした。彼は私が幼い頃からずっと一緒にいて、私たちは結婚を約束していました。

しかし、幸せな日々は突然終わりを告げました。ある日、私たちがデートから帰る途中、トラックが突っ込んできて彼とその運転手は即死しました。私は右脚の腿から下を失い、右半身の感覚もなくなってしまいました。

事故の後、私は何も感じられなくなりました。死にたいと思いながらも、病院の中では死ぬこともできませんでした。生きるためにも、死ぬためにも、動けるようになるしかなかったのです。死ぬ気でリハビリをしました。

長いリハビリの末、私は一人で生活できるようになりました。義足の扱いにも慣れ、右腕も少し動かせるようになりました。そして、決断したのです。自分の命を終わらせる決断を。

事故以来、一度も着ることのなかったお気に入りのワンピースを身にまとい、駅へと向かいました。彼がいなくなった後も、私の中で生き続ける彼への想いを胸に、最後の場所へ。

駅で切符を買おうとしたその時、私は小銭を落としてしまいました。身体の不自由さを感じながらも、小銭を拾おうとすると、年配の夫婦が手を差し伸べてくれました。

その夫婦の妻が、車椅子から身を乗り出して私に話しかけてきました。「しんどいわねぇ…でも貴女には明日があるのよ。」その言葉に、私は涙が止まりませんでした。

その出会いがきっかけで、その夫婦は私を養子に迎え入れました。「これからは飛び込まれたら困るわね」と彼らは言い、私も「もうしないよ」と答えました。

私は施設からこの家に迎えられ、素敵な家族を得ました。両親にも、新しくできた姉にも長生きしてほしいと願っています。

関連記事

教室の机(フリー写真)

丸坊主だらけの教室

中学生の弟が、学校帰りに床屋で丸坊主にして来た。 失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と言う。 彼女は今まで病気で入院…

通学路(フリー素材)

私を育ててくれた母

私は産まれてすぐ親に離婚され、両親共に引き取ろうとせず、施設に預けられました。 そして三歳の時に、今の親にもらわれたそうです。 当時の私にはその記憶がなく、その親を本当の…

男の子の横顔

あした かえるね

私の甥っ子は、母親である妹が病気で入院したとき、しばらくの間、私たち家族のもとで過ごすことになりました。 「ままが びょうきだから、おとまりさせてね」 そう言って、小さな…

赤ちゃん(フリー写真)

生まれてくれてありがとう

子供が2人居る。 でも本当は、私は3人の子持ちだ。 ※ 18歳の春に娘が生まれた。 結婚してくれると言っていた父親は、結局認知すらしてくれなかった。 若い私にとっ…

老夫婦(フリー写真)

夫婦の最期の時間

福岡市の臨海地区にある総合病院。 周囲の繁華街はクリスマス商戦の真っ只中でしたが、病院の玄関には大陸からの冷たい寒気が、潮風となって吹き込んでいたと思います。 そんな夕暮れ…

手を握る(フリー写真)

仲直り

金持ちで顔もまあまあ。 何より明るくて突っ込みが上手く、ボケた方が 「俺、笑いの才能あるんじゃね」 と勘違いするほど(笑)。 彼の周りには常に笑いが絶えなかった…

食堂

美味かったな

二十年前のことです。当時、私たち家族は母一人による育てられ、非常に厳しい経済状況にありました。母は私たち三人の子供を育てるため、夜も眠らずに働いていましたが、それでも生活は極貧でした…

手を繋ぐ親子(フリー写真)

会いたい気持ち

私が4歳の時、父と母は離婚した。 当時は父方の祖父母と同居していたため、父が私を引き取った。 母は出て行く日に私を実家に連れて行った。 家具や荷物がいっぱい置いてあ…

花束(フリー写真)

大切なあなたに花束を

私は介護施設で働いています。 時々おじいちゃんやおばあちゃん宛に、ご家族の方よりお手紙や花束が届きます。 花束を持って行くと、皆さん集まって来ます。 自分かもしれない…

サイコロ

おばあちゃんの願い

子どもの頃、家庭の事情でおばあちゃんの家に預けられた俺。見知らぬ土地に来て間もないこともあり、友達はおらず、孤独を感じていた。 その寂しさを紛らわせるため、ノートに自分で考えた…