最後のお弁当

公開日: 家族 | 悲しい話 |

母の手

私の母は、昔から体が弱かった。

それが原因なのか、母が作ってくれるお弁当は、いつも質素で、見た目も決してきれいとは言えなかった。

カラフルなピックやキャラ弁のような飾りはなく、茶色一色のおかずが詰まっていた。

当時の私は、そんなお弁当が恥ずかしかった。

友達に見られたくなくて、毎日お弁当を持って食堂へ行き、誰にも見られないように、そっとゴミ箱へ捨てていた。

母の気持ちを考える余裕なんて、なかった。

ある朝、母が少し嬉しそうな顔で言った。

「今日は、○○の大好きな海老、入れておいたよ」

私は生返事をして、そっけなく学校へ向かった。

昼休み、誰も見ていない隙に、お弁当の中身を確認した。

確かに、海老は入っていた。

でも、殻の剥き方は不器用で、色合いも悪く、どこか食欲をそそらなかった。

「やっぱりダメだ…」

私はまた、こっそりそのお弁当をゴミ箱に捨ててしまった。

その日の夜、母は珍しく何度も聞いてきた。

「今日のお弁当、美味しかった? 海老、ちゃんと入ってたでしょ?」

私はその時、なんとなくイライラしていた。

溜まっていた気持ちがあふれたのか、つい声を荒げてしまった。

「うるさいな! あんな汚い弁当、捨てたよ! もう作らなくていいから!」

母はしばらく黙っていた。

そして、小さな声でつぶやいた。

「気づかなくて、ごめんね……」

その日から、母は二度とお弁当を作らなくなった。

半年後、母はこの世を去った。

私の知らない病気だった。

診断されたときには、もう手遅れだったという。

あまりに突然のことで、私は何も理解できなかった。

母の遺品を整理していたとき、小さな日記帳が出てきた。

ページを開くと、そこには私のことばかりが書かれていた。

とくに、「お弁当」のこと。

「○○が喜んでくれるように、卵焼きを工夫してみた」

「今日は手の震えが止まらなくて、うまく卵が焼けなかった」

「海老の殻がうまく剥けなかったけど、喜んでくれるといいな」

ページの最後には、あの日のことがこう記されていた。

「嫌だったのかな……気づけなくてごめんね」

それが、日記の最後の言葉だった。

涙が止まらなかった。

あのとき、たった一言でも優しい言葉を返せていたら。

「ありがとう」と、ひとこと伝えていたら。

母は、どれほど嬉しかっただろうか。

私のために、震える手で作ってくれた最後のお弁当。

それを、私は何も感じず、ただ「汚い」と切り捨てた。

ごめんね、お母さん。

本当は、ずっと、感謝してた。

だけど、その気持ちを伝えるには、もう遅すぎた。

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