
母の弁当箱は、蓋がいつも少しだけ斜めに閉まっていた。
手が震えて、きちんとはめ込めなかったのだと知ったのは、ずいぶん後のことだ。
私が母の最後のお弁当を捨てたのは、高校二年の秋だった。
捨てたのは、その日だけではない。
毎日だった。
それでも二十年たった今、いちばん胸に刺さるのは、あの海老の朝のことだ。
茶色いおかずの昼休み
母は昔から体が弱く、朝の台所に立つだけで息が上がる人だった。
縫製工場のパートは週に三日。休みの日は、布団で横になっていることが多い。
それでも、私の弁当だけは毎朝つくってくれた。
小学校の遠足の朝を、いまも覚えている。
母は夜明け前に起きて、タコの形のウインナーを六つ並べてくれた。
足の切れ込みが一本多くて、八本ではなく九本あった。
「ほら、足が一本おまけ」
母は照れくさそうに笑った。
あの頃の私は、それを自慢して友達に見せて回った。
いつから茶色い弁当を、恥ずかしいと思うようになったのだろう。
弁当箱は、角の塗りがはげた黄色いアルミの箱だった。
中身は、焦げた卵焼きと、甘辛く煮た牛蒡と、ちくわの磯辺揚げ。
どこを見ても、茶色い。
隣の席の由香の弁当には、ハートに抜いたハムと、星の形のにんじんが入っていた。
「それ、お母さんが作ったの? かわいいね」
「うん。毎朝うるさいんだけどね」
由香は笑って、箸でハムをつまんでみせた。
私は自分の弁当箱を、机の上で開けられずにいた。
卵焼きの端が、炭のように黒い。
牛蒡の煮汁が、仕切りのカップから染み出している。
土の匂いが教室に広がるのも、嫌だった。
昼休みになると、私は包みを抱えて校舎の裏手へ回った。
体育倉庫のわきに、青いポリバケツがある。
蓋を持ち上げ、中身だけをざらりと空ける。
空になった箱は、洗いもせずに鞄へ戻した。
由香に、一度だけ聞かれたことがある。
「ねえ、最近、お昼どこで食べてるの?」
「委員会の用事」
嘘は、思ったより簡単につけた。
由香はそれ以上、何も聞かなかった。
その沈黙が、かえって私を急がせた。
ある冬の朝、早く目が覚めて、襖の隙間から台所をのぞいたことがある。
湯気の向こうで、母が卵焼き器に両手を添えていた。
片手では、菜箸の先が定まらないのだ。
ガスの青い火が、母の頬をぼんやり照らしていた。
私はそっと襖を閉めて、布団に潜り込んだ。
見てはいけないものを見た気がして、胸の奥がざらついた。
それなのに、その日も弁当はバケツに空けた。
母は包みを結ぶとき、いつも結び目を指で三度押さえた。
「これでよし」と、小さな声でつぶやきながら。
私は、その癖がなぜか癇に障った。
午後の空腹は、購買の焼きそばパンでごまかした。
小遣いは、ほとんどそこに消えていった。
学校の帰り道、縫製工場の前を通ることがあった。
窓の向こうで、母がミシンの前に座っていた。
背中を丸めて、布の端を、何度も押さえ直している。
針の下で震える指先を、もう一方の手で包むようにして。
私は、見なかったふりをして自転車を漕いだ。
最後のお弁当の朝
その朝、母は珍しく機嫌がよかった。
あれが最後のお弁当になるとは、思いもしなかった。
台所から、油の跳ねる音がしていた。
「今日はね、海老を入れたからね」
母は背中を向けたまま言った。
「あんた、好きでしょう。むきエビ、安かったの」
「ふうん」
私はそれだけ答えて、母が包みを結ぶのも待たず、玄関を出た。
戸を閉める間際、台所から、小さな「いってらっしゃい」が聞こえた。
私は、振り返らなかった。
昼休み、体育倉庫の裏で包みをほどいた。
ふっと、揚げ油の匂いがした。
蓋を開けると、海老のフライが二尾、斜めに寝ていた。
衣がところどころはがれて、尾の先が焦げている。
そのわきに、殻の残った海老が一尾、むき損ねたまま入っていた。
爪の先ほどの殻が、身にこびりついている。
「なにこれ」
声が、勝手に出た。
由香にこんな弁当を見られたら、と考えた。
考えた途端に、手が動いていた。
弁当箱を逆さにして、ポリバケツの中へ、すべて空けた。
蓋が閉まる乾いた音が、校舎の壁にはね返った。
その晩、母は夕食の支度をしながら、何度も同じことを聞いた。
「お弁当、おいしかった? 海老、ちゃんと入ってた?」
「入ってたよ」
「そう。よかった。揚げ油がね、うまく温まらなくて」
母は背中を向けたまま、手首をさすっていた。
私はその日、模試の結果が悪くて、苛立っていた。
「しつこいな」
言葉が、口からこぼれた。
「あんな汚いお弁当、いつも捨ててるよ。もう作らなくていいから」
台所の水音が、止まった。
蛇口から落ちる雫の音だけが、やけに大きく聞こえた。
母は振り返らなかった。
しばらくして、小さな声がした。
「気づかなくて、ごめんね」
怒鳴り返されることはなかった。
翌朝から、黄色い箱は洗われたまま、流しの水切りかごに伏せられていた。
あの海老の弁当が、母の最後のお弁当になった。
水切りかごの黄色い箱
弁当を作らなくなって最初の朝、台所には、湯気ひとつ立っていなかった。
母は炊飯器の前に立ち、白いご飯だけをよそっていた。
「パン代、足りてる?」
「足りてる」
「そう」
母は千円札を一枚、テーブルの端に置いた。
それは、翌朝も、その翌朝も、置かれていた。
私は一度も、礼を言わなかった。
それから半年、母とは、必要なことしか話さなくなった。
謝るきっかけを、何度も探した。
けれど、台所に立つ小さな背中を前にすると、喉の奥が固く閉じた。
年が明けた二月、母は職場で倒れた。
医師は、私の知らない病気の名前を、淡々と告げた。
手の震えも、疲れやすさも、その兆しだったのだという。
入院して三週間。
病室のベッドで、母は私の顔を見て言った。
「ちゃんと、お昼は食べてる?」
「……食べてるよ」
母は目を細めて、うなずいた。
それから何か言いかけて、口を閉じた。
「……ううん、いいの」
その続きを、私は聞かなかった。
それが、まともに交わした最後の会話になった。
春を待たずに、母は旅立った。
病院からの帰り道、私は初めて気がついた。
空の弁当箱を、自分で洗って返したことが、一度もなかった。
母は毎晩、何も言わずに、それを洗っていたのだ。
鞄の底から出てくる箱には、飯粒ひとつ残っていない。
母はそれを見て、毎晩、きれいに食べてくれたのだと信じていたのだろう。
(台所に残る母の記憶を綴った話は、義母の味をめぐる物語やお盆のある日にもあります)
葬儀の夜の卵焼き
葬儀の夜、誰もいない台所に立った。
水切りかごでは、黄色い箱が、まだ伏せられたままだった。
卵を三つ割って、母の古い玉子焼き器に流し入れる。
菜箸を握った指が、思うように動かない。
一度目は、ぼろぼろに崩れた。
二度目は、端が黒く焦げた。
三度目で、ようやく形になった。
端の焦げた、不格好な卵焼き。
母が毎朝、手の震えと向き合いながら焼いていたものと、同じ顔をしていた。
ひと切れ口に入れると、甘くて、少ししょっぱかった。
これが、毎日バケツに空けていたものの味だった。
仏壇の写真の母は、カメラに向かって、少しだけ口角を上げていた。
手が震えるのを隠すように、膝の上で両手を重ねている。
その重ねた指の下に、どんな朝があったのかを、私は知らなかった。
黄色い箱の蓋を、そっと閉めてみる。
やはり、少しだけ斜めに浮いた。
手の震えのせいだけではなかった。
箱そのものが、長い年月のあいだに、わずかに歪んでいたのだ。
角の塗りがはげた場所に、細い傷が何本も走っている。
母が毎朝、蓋をはめ込むために立てた、爪の跡だった。
その傷のひとつひとつが、私に宛てた朝の数だった。
そこへ祖母が、母の裁縫箱を抱えて入ってきた。
「これ、あんたが持っていなさい」
受け取った箱の底に、青い表紙の手帳が一冊、入っていた。
開くと、几帳面だった母の字が、後ろへ行くほど崩れていく。
日付のたびに、短い言葉が並んでいた。
大半は、私のことだった。
「卵焼きを二回やり直した。三回目で、やっとひとつ形になった」
「手が言うことをきかない。包丁より菜箸のほうが難しい」
「あの子は牛蒡が好きだと言っていた。去年の話だけど」
どの頁にも、最後のお弁当の日まで、私を責める言葉はひとつもなかった。
そして、あの日の頁。
「海老を入れた。殻をむくとき、爪が滑ってうまくいかなかった。きれいに揃えられなかったけど、喜んでくれるといいな」
その次の頁には、墨の濃い文字で、たった二行。
「全部捨てたと言われた。汚いお弁当、と。
嫌だったのかな。気づけなくてごめんね。」
手帳の余白に、小さく書き添えてあった。
「結び目を三回押さえると、中身がこぼれないおまじない。おばあちゃんに教わった」
私は声を出して泣いた。
今朝も、娘の弁当を包んだ。
卵焼きは、また少し焦げた。
結び目を、指で三度押さえる。
「これでよし」
声に出した途端、手が止まった。
窓から入る秋の光が、台所の床に、斜めに落ちていた。