
母さんの手帳の一月十四日には、毎年、赤い丸がついていた。
誰の誕生日でもない。
命日でもない。
その手帳の赤い丸が何の印なのか、俺は四十年近く知らずにいた。
知ったのは、通夜の席だった。
俺が六歳の春、親父が再婚した。
仕事から帰ってきた親父が、玄関に女の人を立たせたまま言った。
「今日からこの人がお前のお母さんだ」
その人は、コートを脱ぐ前に膝をついて、俺と目の高さを合わせた。
「はじめまして」
それだけだった。
名前も名乗らなかった。
俺は返事をせず、台所の柱の陰に隠れた。
柱には、俺の背の高さを刻んだ傷が三本ついていた。
その人は次の日、四本目を刻んだ。
三本は、生みの母がつけたものだった。
四本目だけ、線の引き方が違った。
定規の端を柱の角にきっちり当てて、水平を確かめてから引いてある。
几帳面というより、間違えるのが怖い人の引き方だった。
定規を当てて、鉛筆で線を引いて、その上を小刀でなぞった。
「これから毎年やろうね」
俺は黙って頷いた。
その晩、布団に入ってから、柱のところまで歩いて行った。
暗い中で、指で傷をなぞった。
四本目だけが、まだ木の粉の匂いがした。
翌年の春、五本目が刻まれた。
一年で三センチ伸びていた。
母さんは、その数字を手帳に書き写していた。
「なんで書くの」
「あとで見返すと面白いから」
面白いというより、確かめている顔だった。
自分がこの家にいた年数を、数えていたのかもしれない。
血が繋がっているとか、いないとか。
そういう言葉を知らない年齢だった。
だから俺にとっては、その人が本当の母親だった。
母さんは、朝が早かった。
六時には台所に立っていて、味噌汁のにおいで俺は目を覚ました。
弁当の蓋を開けると、必ず卵焼きが入っていた。
甘いのが好きだと、いつの間にか知られていた。
運動会には、親父と二人で来た。
保護者席のいちばん後ろで、母さんは立ったまま見ていた。
座ればいいのにと言うと、後ろの人が見えなくなるからと答えた。
そういう人だった。
前に出ない。
けれど、いなくならない。
参観日も、いつも廊下の端にいた。
ほかの母親たちが教室の後ろに並ぶ中で、ひとりだけ廊下側の窓から見ていた。
「なんで入ってこないの」
「ここのほうがよく見えるの」
嘘だった。
いま思えば、名字の違う母親として並ぶのを避けていたのだろう。
いや、それも俺の勝手な想像かもしれない。
あの人は、理由を説明する人ではなかった。
給食の献立表には、毎月、鉛筆で印がついていた。
俺の苦手なものの日に、丸がしてある。
その日の夕飯は、必ず俺の好きなものになった。
そんな細かいことを、口に出して言われたことは一度もない。
気づいたのは、卒業して献立表が来なくなってからだった。
あの人のやり方は、いつもそうだった。
先に印をつけておいて、理由は言わない。
今日からこの人が
手帳のことに気づいたのは、小学三年の冬だった。
炬燵の上に置きっぱなしの手帳を、何の気なしにめくった。
月ごとのページの、一月十四日にだけ、赤いボールペンで丸が書いてある。
予定は何も書かれていない。
丸だけだった。
「これ、何の日」
母さんは、みかんを剥く手を止めなかった。
「母さんの、大事な日」
「誕生日?」
「ううん」
「じゃあ何」
「そのうちね」
そのうちは、四十年近く来なかった。
一度だけ、しつこく食い下がったことがある。
「じゃあヒント」
「ヒントね」
母さんは、みかんの筋を一本ずつ取りながら考えていた。
「母さんが、いちばん驚いた日」
「怒られた日?」
「ううん。びっくりして、そのあと嬉しくなった日」
そのときの俺には、大人がびっくりして嬉しくなる日が想像できなかった。
いまなら分かる。
びっくりして嬉しくなるというのは、諦めていたものを差し出されたときの顔だ。
そういう日は、人生に何度もない。
だから手帳に書く。
書いて、毎年見返す。
翌年の手帳にも、同じ場所に赤い丸があった。
その次の年も。
俺はいつしか、それを見つけるのが正月明けの習慣になった。
新しい手帳の一月十四日を開いて、丸があるのを確かめる。
あるのが当たり前になると、人は理由を聞かなくなる。
高校に上がった年、母さんの手帳が新しい柄になった。
それまでは事務用の黒い手帳だったのに、その年だけ紺の布張りだった。
手帳の赤い丸は、その年も同じ場所にあった。
ボールペンの色が、前より少し濃かった。
書き足しているのだと、そのときは思わなかった。
中学に上がった年、親父が事故で還らぬ人になった。
仕事帰りの国道で、トラックに巻き込まれたと聞いた。
朝、いつも通り「行ってくる」と言って出ていった人だった。
その日の弁当箱が、そのまま鞄の中に入っていた。
蓋は、開けられていなかった。
母さんは、その弁当箱を洗わずに三日置いた。
四日目の朝、俺が起きると、洗って伏せてあった。
台所の隅で、母さんは立ったまま味噌汁をかき混ぜていた。
背中しか見えなかった。
肩が動いていないのが、かえって怖かった。
四十九日が済むまで、母さんは一度も泣かなかった。
泣いたのは、俺が学校で友達と喧嘩をして帰った日だった。
理由は、母親のことを言われたからだ。
本当の親じゃないだろう、と言われた。
俺は殴り返して、担任に連れ戻された。
母さんは頭を下げたあと、帰り道でひとことだけ言った。
「ごめんね」
謝るのはそっちじゃないと思った。
けれど、そう言えなかった。
その晩、台所で水を飲もうとしたら、母さんが流しの前で肩を震わせていた。
気づかれないうちに、俺は部屋へ戻った。
葬儀場の長い廊下
葬儀には、親父の親族は誰も来なかった。
親父の両親はとうに亡く、親戚付き合いも切れていた。
後から知ったことだが、親父は子供の頃に両親を亡くして、親戚の家をたらい回しにされたらしい。
扱われ方も、ひどいものだったという。
自分で働けるようになってから、親父はその縁を全部切った。
だから葬儀の親族席には、母さんの両親と、俺の生みの母の両親だけが並んだ。
焼香が終わったあと、控室でこれからの話し合いになった。
俺は廊下に出された。
長い廊下だった。
片側の壁に、造花の菊がずっと並んでいた。
襖は閉まっていたが、声はよく通った。
母さんの父親が言った。
「おまえもまだ若いんだ。やり直せる」
生みの母の父親が言った。
「こちらで引き取ります。血の繋がりがありますから」
双方の言い分は、途中まで同じ方向を向いていた。
俺を、母さんから離す方向だった。
母さんの両親は、もともとこの結婚に反対していた。
娘の相手が子連れだということが、最後まで飲み込めなかったらしい。
だから、これで元に戻れると思ったのだろう。
話はまとまりかけていた。
その時だった。
それまで一言も口を挟まなかった母さんが、襖の向こうで声を上げた。
「この子は私の子です」
声が割れていた。
「血が繋がっていなくても、私の子供です」
「お願いですから、この子は私に任せてください」
物腰の柔らかい人だった。
語気を荒げるところを、俺は一度も見たことがなかった。
廊下の造花が、少し揺れた気がした。
俺は、膝が震えて座り込んだ。
造花の菊の葉が、埃をかぶって白くなっていた。
廊下の突き当たりに、自動販売機の明かりがあった。
その音だけが、ずっと続いていた。
襖の向こうで、誰かが咳払いをした。
母さんの父親の声が、少し小さくなった。
「お前がそこまで言うなら」
その一言で、俺のこれからが決まった。
控室から出てきた母さんは、いつもの顔に戻っていた。
俺の頭に手を置いて「帰ろうか」と言った。
手が、まだ震えていた。
帰りのバスで、母さんは窓の外ばかり見ていた。
降りる停留所をひとつ過ぎても、気づかなかった。
俺が知らせると、慌てて降車ボタンを押した。
「ごめん、考え事してた」
何を考えていたのかは、聞かなかった。
最後には、双方の親が折れた。
折れさせたのは、あの三つの文だったと思う。
大学へ行きなさい
稼ぎ頭がいなくなって、母さんは働きに出た。
昼は事務、夕方から仕出しの厨房に入った。
帰りは十時を過ぎた。
それでも、俺の弁当の卵焼きは毎朝あった。
高校三年の夏、俺は進路を就職に決めた。
家の事情を考えれば、それしかないと思っていた。
その話をした日、母さんは箸を置いて言った。
「大学に行きなさい」
「無理だよ」
「お金は母さんが何とかするから、あんたは大学に行きなさい」
俺は返事ができなかった。
なぜ実の息子でもない俺に、そこまでするのか。
その問いを、口に出すのが怖かった。
出せば、答えが返ってくる。
その頃、俺は母さんの帰りを玄関で待つようになっていた。
十時過ぎに引き戸が開く。
仕出しの油のにおいがした。
「ただいま」より先に「ごはん食べた?」と聞かれた。
食べたと嘘をついた日も、母さんは二人分の茶碗を出した。
その二つの茶碗が、いつも同じ柄だったことを、後になって思い出す。
茶碗は、三つ一組で買う人だった。
ふたつ使って、ひとつを棚の奥に置く。
「割れたとき困るから」と言っていた。
親父が還らぬ人になったあとも、三つずつ買っていた。
棚の奥に、使われない茶碗が少しずつ増えた。
その数を、俺は数えたことがない。
返ってきた答えが「情」だったら、俺はそれ以上そこにいられない気がした。
だから聞かずに、泣いた。
遅れて受験勉強を始めた。
浪人はできない。
母さんを落胆させたくない。
その一心だった。
入れたのは、名前を言っても誰も知らない大学だった。
それでも合格を伝えたとき、母さんは涙混じりの顔で笑った。
その顔を、俺はいまでも思い出せる。
合格発表の日、母さんは仕事を休んでいた。
家に帰ると、玄関に赤飯の匂いがした。
「気が早いよ」と言うと、母さんは首を振った。
「落ちてても炊くつもりだったから」
そういう用意の仕方をする人だった。
その晩、手帳を開いているのを見た。
何かを書き足しているようだった。
覗こうとしたら、そっと閉じられた。
大学に入ってからは、生活費くらいは自分でと思って働いた。
朝は新聞、夜は居酒屋。
よく留年しなかったものだと、いまでも不思議に思う。
四年で卒業して、就職も決まった。
最初の給料で、母さんに肩掛けを買った。
大した物ではなかった。
それでも母さんは、包みを開けたまま「ありがとう、ありがとう」と繰り返して泣いた。
感謝しなければならないのは、こちらのほうだった。
同居のあとの台所
三十の手前で、結婚したい相手ができた。
母さんがどう思うか、それだけが気掛かりだった。
連れて行くと、母さんは玄関で深く頭を下げた。
「この子を、よろしくお願いします」
妻は後で、あの頭の下げ方が忘れられないと言った。
一緒に暮らそうと誘ったが、断られた。
「お嫁さんに悪いから、母さんはここで暮らすよ」
妻も賛成していると伝えても、首を縦に振らなかった。
結局、離れて暮らすことになった。
けれど結婚して一年経った頃、母さんが台所で倒れた。
幸い大事には至らなかった。
同じことがあってはいけないと、半ば強引に同居に踏み切った。
母さんは、うちの台所には立ちたがらなかった。
「ここはお嫁さんの場所だから」
そう言って、隅の椅子に座って妻の背中を見ていた。
それでも、孫が生まれてからは変わった。
抱き方が、驚くほど上手かった。
首の支え方も、げっぷのさせ方も、慣れていた。
妻が「教わりたい」と言うと、母さんは少し困った顔をした。
「本で読んだだけだから」
本で読んだだけの人の手ではなかった。
いつか使うかもしれないと思って、何十年も覚えていた手だった。
首の据わらない赤ん坊を、片手で支えて揺らしていた。
「上手いね」と言うと、母さんは少し黙ってから答えた。
「練習したからね」
いつ、誰でと聞く前に、子供が泣き出した。
その年の正月明け、俺は久しぶりに母さんの手帳を見た。
台所の棚の、醤油差しの隣に置いてあった。
手帳の赤い丸は、やはり一月十四日にあった。
老眼になってからは、丸が少し大きくなっていた。
「まだ書いてるんだ」
「書かないと、忘れちゃうから」
忘れるような人ではなかった。
それでも毎年、書いていた。
手帳の赤い丸の日
母さんが逝ったのは、先月だった。
くも膜下出血で、あっけなかった。
朝、湯呑みを洗っている途中だったという。
流しには、洗い終えた茶碗が伏せてあった。
通夜の席で、妻が俺の隣に座って話し始めた。
「お義母さんのこと、どこまで聞いてます?」
俺は首を振った。
この歳になるまで、母さんの人生を聞いたことがなかった。
聞けば、母さんが自分の話をしなければならなくなる。
その気配を、母さんはいつも上手によけていた。
妻は、湯呑みを両手で包んで言った。
「台所に立ってる時間が長い人でしたよね」
「うちの台所には立たなかったよ」
「立ってましたよ。私が寝てから」
知らなかった。
「作り置きを、こっそり足してくれてたんです」
「それ、いつから」
「同居した月から、ずっと」
妻は、そこで少し笑った。
「最初は気味が悪かったんですよ。朝起きると、煮物が一品増えてるんですから」
「言えばよかったのに」
「言いました。そしたら、次の日から量が減って、味だけ残ってました」
やり方が、いかにも母さんだった。
やめるのではなく、気づかれない量まで減らす。
「お義母さん、こうおっしゃってました」
「なんて」
「この家の味は、私の味じゃないほうがいいって」
妻は、母さんから少しずつ聞いていたらしい。
「お義母さん、子供を産めない体だったそうです」
指先が冷たくなった。
「だから最初、お義父さんの話は断ったって」
「断った」
「何度も。相手に悪いからって」
その時、親父はこう言ったのだという。
「俺たちには子供が居るじゃないか」
「俺の息子の母親になってくれないか」
母さんは、その場で泣いて頷いたそうだ。
親父も、店の人がいるのに構わず泣いていたという。
「あんなみっともないプロポーズは無かったけど、嬉しかった」
母さんは妻にそう言って笑ったらしい。
俺は湯呑みを持ったまま、動けなかった。
「それ、いつの話」
妻は手帳を取り出した。
母さんの遺品から預かってきた、最後の一冊だった。
一月十四日に、赤い丸がついていた。
「一月十四日です。お義父さんに、あの子の母親になってくれと言われた日」
四十年、毎年書かれていた丸だった。
誕生日でも、命日でもなかった。
手帳の赤い丸は、母さんが俺の母親になると返事をした日だった。
息が苦しくなるほど泣いたのは、あの夜が初めてだった。
妻も泣いた。
話しながら、もう一度泣いた。
子供たちは、わけも分からずつられて泣いた。
母さん。
血は繋がっていないけれど、あなたは俺にとって本当の母親です。
生みの母には悪いけれど、あなた以上の母はいません。
親父、そっちで会ったら褒めてやってください。
あなたが選んだ人は、四十年ずっと、一月十四日に赤い丸をつけ続けました。
義母がくれた本当の愛を読み返すと、あの控室の襖の向こうの声を思い出す。
おかえりと言ってくれる人も、家族になるとはどういうことかを書いた話だった。
今年の一月十四日には、俺が赤い丸をつけようと思う。
柱の傷は、いまも四本目から数えられる。