母のエプロン

給料の入った封筒を、ズボンの尻ポケットに突っ込んで歩いていた。

厚みなんて大してないのに、折り目がつくのが急に惜しくなって、途中から手に持ち替えた。

二十二歳の八月。母の誕生日の、前の日のことだ。

港町の商店街は、夕方になると干物の匂いと揚げ油の匂いが混ざる。魚屋のシャッターが半分下りて、その下から水を流す音がしていた。

僕はその通りを三度往復した。買うものが決まらなかったからではない。渡すときの言葉が、どうしても決まらなかったからだ。

僕の手には、印刷工場のインクの匂いが染みついていた。夜勤明けにいくら洗っても、爪の際の黒だけは落ちない。その手で封筒を持っているのが、その日はやけに心もとなかった。

工場の休憩室で、先輩に相談したこともある。母親に何を買えばいいのか、と。

先輩は缶コーヒーを傾けながら、こう言った。

「うちのお袋は、何やっても要らんって言うぞ」

「うちもです」

「そう言う人ほど、ほんまは欲しいもんがあるんや。言わへんだけでな」

その言葉の意味が分かったのは、それから三年半も後のことだった。

母は、僕が五つの年からひとりで僕を育てた。

父のことを、母の口から一度も悪く言われたことがない。ただ「遠くへ行ってしまった人」とだけ、僕は聞かされて育った。

昼はパン屋の厨房、夜は仕出し屋の下働き。母の手はいつも小麦粉と洗剤で白く粉を吹いていて、冬になるとその白さが割れて、赤い筋になった。

小学校の運動会の朝、僕が四時に目を覚ますと、台所の電気がもうついていた。

母は流しの前に立って、卵を溶いていた。声をかけると、驚いた顔で振り向いた。

「起こしちゃった?」

「ううん、勝手に目が覚めた」

「もうちょっと寝といで。お弁当、いいのできるから」

その日の卵焼きは、端が少しだけ焦げていた。母は「失敗した」と笑ったけれど、僕は焦げたところだけを先に食べた。甘くて、少し苦かった。

母は、その運動会には来られなかった。仕出し屋の仕込みが昼にかかると、抜けられない日があるのだ。

僕は隣の席の子の家族に混ぜてもらって、弁当を広げた。

あとになって知ったのだが、母は昼の休憩の三十分に自転車を飛ばして、校庭の金網の外まで来ていたらしい。

金網の外から、僕が誰かの家族のシートで笑っているのを、しばらく見て帰ったのだという。

それを聞いたのは、僕が大人になってからだった。母は、そういうことを自分からは言わない人だ。

高校の入学式の日、母が着てきたスーツは、親戚から借りたものだった。

式のあいだ、僕はずっと母の袖口を見ていた。ほつれた糸が一本、風のたびに揺れていた。

それを恥ずかしいと思ってしまった自分を、僕はいまだに許していない。

中学二年の冬に、一度だけ、母の仕事場に行ったことがある。

母が高熱を出した日だった。それでも起き上がって支度を始めるので、僕が代わりに配達に行くと言い張った。

雪の降る晩だった。自転車の前かごに、二段重ねの折を四つ積んで、僕は坂の下の料亭まで運んだ。

手袋をしていない指が、途中で感覚をなくした。折を落とさないように、腕ごと胸に押しつけて走った。

届け先の勝手口を開けると、湯気と出汁の匂いが、雪の冷たさをいっぺんに押し戻した。

出てきたのは、仕出し屋の女将さんだった。母より十ほど年上の、背の低い人だった。

「あんた、みっちゃんとこの子ぉか」

「はい。母が熱を出したので」

「よう来たね。手ぇ、まっ赤やないの」

女将さんは僕の手を取って、しばらく自分の手で包んでいた。ざらついた、厚い手だった。

そのとき僕は、女将さんのエプロンを見ていた。生成りの厚い布に、細い藍の縞が入ったものだった。

何度も洗われて柔らかくなった布で、胸のところに小さな染みがひとつあった。

「お母さんな、この仕事に誇り持ってはる人やで」

帰り際に、女将さんはそう言った。

僕は、はい、とだけ答えて自転車にまたがった。誇りという言葉が、その晩はうまく飲み込めなかった。

母がなぜ、あんなに手を痛めてまで他人の家の台所に立ち続けるのか、十四の僕にはまだ分からなかった。

高校を出て、僕は町の印刷工場に入った。

インクの匂いが体に染みつく仕事だ。刷り上がった紙の束を抱えると、紙は思っているよりずっと重くて、手のひらの皮が硬くなる。

初めての給料日、僕は封筒の中身を一枚も崩さずに家へ持ち帰った。

母は封筒を両手で受け取って、しばらく黙って重さを量るように持っていた。それから、そっと僕の手に戻した。

「これはあんたのお金や」

「いや、家に入れる」

「三年、いや五年は、自分のために使い。母さん、それが見たいの」

だから僕は、その年の八月まで、給料をそのまま貯めた。母の誕生日に、何か大きなものを買ってやるつもりだった。

けれど、いざとなると何を選べばいいのか分からなかった。

母が何を欲しがっているのか、僕は二十二年生きてきて、ひとつも知らなかったのだ。

服の好みも、行きたい場所も、聞いたことがなかった。聞けば、きっと「何もいらん」と返ってくると分かっていたからだ。

二十歳の秋に、一度だけ、母と本気で言い合いをしたことがある。

工場を辞めたい、と僕が言い出した晩だった。同じ紙を刷り続ける毎日に、意味が見いだせなくなっていた。

母は、しばらく何も言わずに茶碗を洗っていた。水を止めてから、僕のほうを向いた。

「辞めるのはええ。next の当てはあるの」

「ない」

「ほな、なんで辞めるの」

「意味がないから」

母が声を荒らげたのを、僕はそのとき初めて聞いた。

「意味なんか、後からしか分からへん」

「そんなの、母さんの世代の話だろ」

「そうやね。母さんの話や」

母はそう言って、それきり黙った。

翌朝、台所には僕の弁当が置いてあった。卵焼きの端が、また少しだけ焦げていた。

僕は工場を辞めなかった。あの焦げが、理由のすべてだったとは言わない。ただ、あれ以上に強い言葉を、僕はまだ知らない。

当日、僕は嘘をついた。

「選ぶのめんどくさいから、自分で選べよ」

そう言って、母を隣町のデパートへ連れて行った。

ほんとうは、前の週に一人で下見に行っていた。どの階の何を見せれば母が喜ぶか、三周して確かめてから帰ったのだ。

それを言えないのが、僕という人間だった。

エスカレーターに乗るとき、母は手すりに手を置くのをためらった。人の多い場所に慣れていない人の、あの一瞬の迷い方だった。

一階の化粧品売り場を抜けるとき、母は背筋を伸ばして、少し早足になった。香水の匂いの中を、申し訳なさそうに通り過ぎる人の歩き方だった。

「何でもいいから、適当に買えよ」

僕は前を向いたまま、そう言った。

昼を、七階の食堂で食べた。

母は品書きをひととおり見てから、いちばん端の、いちばん安いものを頼んだ。

「他のにしろよ」

「これが好きなんよ」

母はそう言って、割り箸を丁寧に割った。割れ方が真っ直ぐだったことに、母は少しだけ嬉しそうな顔をした。

窓の外に、港のクレーンが二本見えた。母はそれをしばらく眺めてから、こう言った。

「あんたが小さいとき、あのへんまでよう歩いたね」

「覚えてない」

「そうやろね。おんぶやったから」

母は、婦人服の階も、鞄の階も、宝飾の階も、ぜんぶ「見るだけ」と言って通り過ぎた。

母には、商品を手に取る前にまず値札をめくる癖がある。値段を見てから、その品物を好きになるかどうかを決める人だった。

僕はその癖を、その日はじめて、直視した。

五階の生活雑貨売り場で、母はようやく足を止めた。

「ちょっと見てくるわ」

戻ってきた母は、一枚のエプロンを胸に抱えていた。

生成りの厚い布に、細い藍の縞。あの雪の晩に見たものと、同じ柄だった。

そのときの僕は、それに気づかなかった。

「高いエプロンやけど、ええかな」

おずおずと差し出された値札には、三千円と書いてあった。

僕の財布には、四か月分の給料が入っていた。

「こんな安物かよ」

言ってしまってから、喉の奥が熱くなった。僕はエプロンをひったくって、母に背中を向け、レジまで走った。

服でも、鞄でも、旅行でも、何でも買ってやれるんだ。今日だけは、何でも。

そう思った瞬間に涙が出たので、トイレで顔を洗い、鏡の中の自分を睨みつけてから戻った。

素知らぬ顔で袋を渡すと、母はそれを、胸の前で抱きしめた。

抱きしめてから、少しだけ体を揺らした。子どもをあやすときの、あの揺れ方だった。

帰りの電車で、母は袋を膝の上に置いて、両手をその上に重ねたまま、一度も窓の外を見なかった。

それから三年が過ぎた。

僕は工場で刷版を任されるようになり、母はパン屋の勤めをやめて、仕出し屋だけを続けていた。

ある冬の夕方、商店街の乾物屋の前で、澤田さんに呼び止められた。母と同い年の、口の悪い、面倒見のいい人だ。

「あんた、お母さんにエプロン買うたやろ」

「三年も前の話ですよ」

「うちはな、あれ、ぜんぶ見てたんよ」

澤田さんの店は、デパートの外商が回ってくる並びにある。母は月に一度、そこへ乾物を買いに来ていた。

「あんたのお母さん、あのエプロン、半年も前から見に行っとった。買わへんのに、何遍も」

「……半年」

「行っては帰ってきて、うちの前で立ち止まってな。買うたん、って聞いたら、今日はやめとくわ、って笑うんよ」

「なんでですか」

「値段の話やないと思う」

澤田さんは、乾物の箱を並べ直しながら言った。

「あの人な、自分のもんを選ぶ練習をしとったんやと思うわ。ずうっと、誰かのもんばっかり選んできた人やから」

僕はその場で、うまく返事ができなかった。

帰り道、鞄の持ち手を握る手に、また力が入っていた。

その年の暮れ、僕は台所の抽斗を整理していて、母の家計簿を見つけた。

表紙の擦り切れた、十年以上使い込まれたものだった。中には短くなった鉛筆が一本、栞のように挟まっていた。

数字の並んだ最後のページの、余白のところに、母の字で小さくこう書いてあった。

「ほしいもの」

その下に、七つほど品名が並んでいた。冬のコート。眼鏡の新しいの。踵の低い靴。

どれも、上から線を引いて消してあった。消しゴムで消そうとした跡が、紙を薄く毛羽立たせていた。

消してある文字のいちばん下に、あとから書き足された一行があった。

「藍縞のエプロン 三千円」

そこだけが、消されていなかった。

日付は、僕が就職した年の四月だった。デパートで母がそれを胸に抱えてくるより、一年以上も前のことになる。

僕は、雪の晩の勝手口を思い出した。

湯気と出汁の匂い。僕の赤い手を包んだ、ざらついた厚い手。そして、女将さんの胸元にあった生成りと藍の縞。

母は、あのエプロンをきれいだと思っていたのだ。

他人の家の台所に二十年立ち続けた人が、いつか自分の台所で締めるものとして、たったひとつだけ消さずに残していた。

欲しいものの一覧の中で、母が最後まで消せなかったのは、母がいちばん長く憧れていた仕事の姿だった。

安物かよ、と僕が吐き捨てたその値札の裏には、母の六年分の我慢が、きれいに畳んで仕舞われていた。

僕は家計簿を閉じて、抽斗を戻し、しばらく台所の床に座っていた。

どれくらいそうしていたのか分からない。冷蔵庫の音が止まって、また動きはじめた。

三年前のあの日、僕がひったくった袋の中には、母が半年かけて選んだものが入っていた。

僕はそれを、一秒も見ずにレジへ走った。値段しか見ていなかったのは、母ではなく、僕のほうだった。

年が明けてから、僕は仕出し屋を訪ねた。

店はもう息子夫婦が継いでいて、女将さんは奥の部屋で、湯たんぽを抱えて座っていた。

僕のことを、しばらく思い出せない様子だった。それから、ああ、と言った。

「雪の日に、折を四つ持ってきた子ぉか」

「はい」

「手ぇ、まっ赤やった」

覚えていてくれたことに、僕は何か言おうとして、うまく言葉が出なかった。

エプロンの話をすると、女将さんは目を細めた。

「あれなあ。うちが嫁に来たときに、姑にもろたもんや」

「母が、同じ柄のを持っています」

「知っとるよ」

女将さんは湯たんぽを抱え直して、しばらく黙っていた。

「みっちゃんな、うちのこれ見て、いっぺんだけ、ええなあ、言うたことがある」

「いつですか」

「二十年で、いっぺんだけや」

二十年働いて、たった一度だけ口に出した「ええなあ」を、母は自分の欲しいものの一覧のいちばん下に、鉛筆で書いた。

そして、他の全部を消して、それだけを残した。

帰りの坂道で、僕は自転車を押しながら歩いた。あの雪の晩に下った坂を、今度はゆっくり上った。

次の休みに、僕は同じ売り場へ行った。

同じ柄のエプロンが、まだ棚にあった。値段も、三千円のままだった。

僕はそれを一枚買って、家に帰り、黙って台所に立った。

母が仕事から戻ってきて、僕の背中を見て、はじめは何も言わなかった。

それから、洗い場のほうへ回り込んで、僕の顔を覗き込んだ。

「あんた、それ」

「二枚あったほうが、洗い替えに困らんやろ」

「……そういうことにしとこか」

母は笑って、自分のエプロンの紐を、慣れた手つきで結んだ。

三年使い込まれた生成りは柔らかくなって、藍の縞が少し薄くなっていた。

僕のは、まだ折り目がついたままで、糊のにおいがした。

母の背中を見ながら、僕はエプロンの紐を自分の腰の後ろで結んだ。うまく結べなくて、二度やり直した。

母がそれを横目で見て、何も言わずに手を伸ばし、結び直してくれた。

指が一瞬、僕の腰に触れた。ひび割れて、硬い指だった。

並んで立つと、母の背は僕の肩より低かった。いつからそうだったのか、僕は思い出せなかった。

「味噌汁くらい、覚えとき」

「教えろよ」

「教えるのは、ええけど」

母は鍋に水を張りながら、少し照れたように言った。

「あんたが作ったの、いっぺん食べてみたかったんよ」

出汁の匂いが立ちのぼって、窓の内側が白く曇った。

あの雪の晩に、勝手口で僕を押し戻したのと同じ匂いだった。

その年の八月、母の誕生日に、僕はまた同じ売り場へ行った。

今度は下見をせずに行って、三十分ほど棚の前で迷って、結局、何も買わずに帰った。

帰り道で豆腐と葱と揚げを買い、家で味噌汁を作った。教わったとおりに、出汁を先に取った。

母は一口飲んで、しばらく黙っていた。

「濃いわ」

「言うと思った」

「でも、ええ濃さや」

それだけ言って、母は最後まで飲んだ。椀の底が見えてから、そっと両手で椀を包んだ。

何かを抱きしめるときの、あの手つきだった。

「毎年これでええよ」

「安上がりだな」

「あんた、まだそれ言うの」

母は笑って、エプロンの裾で手を拭いた。

あの日、僕が言えなかった言葉は、たぶんもう、言わなくてもいいのだと思う。

母は毎日それを締めて、台所に立っている。紐の結び目のところだけが、白く色が抜けてきた。

色が抜けるまで使われた三千円を、僕はいまでも、この世でいちばん高い買い物だったと思っている。

隣で同じ柄のエプロンを締めるたびに、あの日の値札の重さを、手のひらが思い出す。

焦げた卵焼きの端を、先に食べた朝のことも、一緒に。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

ラクリマを応援する

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。