針が落ちた夜

窓

本土から三百キロ離れたこの島で、灯台の明かりを守り始めて、もうすぐ四年になる。

祖母が逝ったのは、先月の、嵐の夜だった。

彼女の部屋を整理していた俺は、棚の奥から古びたノートを一冊、見つけた。

表紙に日付も名前も書いていない。ただ、ページを繰るたびに、黒々とした文字が続いている。

祖母の字だった。

几帳面だったが、日記を書くような人ではないと思っていた。年賀状の宛名書きと、誕生日のメッセージカード。俺が知っている祖母の字は、それだけだった。

窓際の椅子に腰を下ろして、最初のページを開く。

日付は、俺がこの島に赴任した年の春から始まっていた。

四年分だった。

祖母との距離は、いつも少し遠かった。

嫌いなわけじゃない。むしろ、俺は祖母のことが好きだった。だが俺も祖母も、互いに「遠慮」という厄介なものを抱えていた。

孫が心配をかけてはいけない、と俺は思っていた。

祖母も、孫に甘えてはいけない、と思っていたらしい。

電話をすれば「元気か」「元気よ」で終わる。帰省すれば「大変だろうに、来なくていいのに」と言われ、俺は「そんなことないよ」と笑う。それが俺たちの習慣だった。

遠慮が積み重なると、言葉が薄くなる。本当に伝えたいことは、いつもその下に沈んでいた。

祖父は俺が中学生の頃に逝った。祖母はその後、一人で本土の古い一軒家に住んでいた。俺が親戚の中で一番近くに住んでいたこともあって、何かあれば俺が顔を出す、という暗黙の取り決めがいつの間にかできていた。

でも島に来てからは、半年に一度帰れればいい方だった。

祖母が俺に古いレコードをくれたのは、ちょうどこの島への赴任が決まった日だった。

「これ、持っていきなさい」

薄紙に包まれた一枚。曲名も書いていない、素っ気ないジャケット。

何を聞けばいいかわからなくて、俺はただ「ありがとう」とだけ言った。

祖母は何も説明しなかった。笑顔でもなかった。ただ、少しだけ目を細めて、俺の手を一度だけ、ぎゅっと握った。

島に来て、灯台守の官舎の棚にそのレコードを飾った。

でも、一度も針を落としたことはなかった。

プレーヤーを持っていなかった。それに、何となく、軽々しく聴いてはいけない気がした。祖母の表情が、どこか特別な何かを込めていたような気がして。

「いつか聴こう」と思いながら、四年が過ぎた。

帰省のたびに棚に飾られたままのレコードを見ながら、俺は毎回「来年こそプレーヤーを買おう」と思った。でも、毎回そのままだった。

祖母が島を訪ねてきたのは、一度だけだった。

赴任して最初の夏、祖母は一人でフェリーに乗ってきた。観光ではなく、ただ俺の官舎を見たかったと言った。

棚のレコードを見た祖母は、「飾ってくれてるの」とだけ言った。

俺は「うん」と答えた。

それ以上、何も話さなかった。

日記を読み始めて、俺はすぐに手が止まらなくなった。

祖母は、俺がレコードを聴いていないことを知っていた。

「あの子は遠慮しているのだろう。プレーヤーがないから言い出せないのかもしれない。私も言い出せないでいる。あの子が島に来てから、もう半年が経った」

その一文に、胸が詰まった。

ページをめくると、祖母は毎年俺の誕生日が近くなると「プレーヤーを贈ろうか」と書いていた。でも結局、何年も贈らなかった。

「あの子はお金を使われると申し訳なさそうにする。先週の電話でも、新しいコートが必要かと聞いたら、すぐに『大丈夫』と言った。だから、プレーヤーも断るだろう」

「あのレコードをまだ聴かないのは、もしかしたらあの子なりの理由があるのかもしれない。邪魔をしたくない」

俺も、祖母も、ずっと同じことを考えていた。

相手を思って、何も言わなかった。

あの夏の帰島の記録もあった。

「官舎の棚に、ちゃんとあった。一度も聴いていないのに、ほこりひとつなかった。あの子はきっと、毎日拭いているのだろう。嬉しかった。なぜ嬉しかったのか、うまく説明できない。ただ、嬉しかった」

その行を読んで、俺は息が出なかった。

毎日拭いていた、というのは本当だった。理由はなかった。ただ、何となく。

日記の終わりに近いページで、他と筆圧の違う、力のこもった段落を見つけた。

「あのレコードには、おじいちゃんが吹いたハーモニカが入っている。二人でまだ若かった頃に、レコーディングした。私が歌って、あの人がハーモニカを吹いた。ただそれだけの、素人の録音。プロの演奏でも、きれいな音でもない。でも世界に一枚しかない。結婚する前のことだ。あの人と二人で、夏の公民館に忍び込んで、二時間かけて録った。あの人はずっと笑っていた」

次のページが続いていた。

「あの子に持っていてほしかった。いつかあの子の耳に届いてほしかった。私が言えなかったのは、なぜだろう。大事なものほど、言葉にするのが怖くなる。もし聴いてくれるなら、嵐の夜がいい。灯台の光が一番よく見える夜に、聴いてほしい。そのとき私のことを思い出してくれるなら、それでいい」

俺はノートを閉じて、しばらく天井を見上げた。

部屋に西日が差し込んでいた。

窓の外には、祖母が四十年以上見続けたという裏山が広がっていた。風に揺れる木々が、夕暮れの光の中でゆっくりと動いている。

泣きたかったのかもしれない。でも、涙は出なかった。ただ、呆然としていた。

「大事なものほど、言葉にするのが怖くなる」という一文を、何度も頭の中で繰り返した。

島に戻ったのは、嵐の前夜だった。

俺は本土の中古品店で、プレーヤーを一台買って帰った。

あの棚から、四年ぶりにレコードを手に取った。

ジャケットの裏を見ると、小さく文字が書いてあった。

祖父の名前と、日付。

四十三年前の夏。

俺はプレーヤーをセットして、窓を少し開けた。

潮の匂いが入ってくる。遠くで波の音がする。灯台の光が、窓の外の海をゆっくりと走っていた。

レコードに針を落とした。

最初はザラザラとした雑音。それから、ピアノの和音が低く響いた。

そして、ハーモニカの音が来た。

素人の演奏だった。でも、丁寧だった。一つ一つの音が、慎重に、真剣に吹かれている。まるで大切なものを壊さないように触れているような、そういう音だった。

やがて、歌が入ってきた。

若い頃の祖母の声だと、すぐにわかった。

俺は目を閉じた。

海が鳴っている。風が来ている。灯台の光が、一秒ごとに暗闇を切り取っていた。

祖母がこのレコードを渡した理由が、わかった。

四年間、何も言わなかった理由も。

遠慮じゃなかった。

愛情が、言葉になれなかっただけだ。

大切だから、言えなかった。届けたかったから、直接は言えなかった。

レコードが一周する間、俺はずっとそこに座っていた。

針が上がり、部屋に静寂が戻った。

海の音だけが残った。

俺は窓の外を見た。灯台の光が、変わらず回っていた。

祖母も、ずっとこの光を見ていたのだろう。

遠い夜の海の向こうで、孫がそこにいると感じながら。

何も言わなくても、わかることがある。

俺はそのことを、四年越しに、一枚のレコードから教えてもらった。

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