
元号が昭和から平成に変わろうとしていた頃のことです。
私は二十代半ば、彼女も同い年でした。
ちょうど、付き合おうかという時期に――彼女から、泣きながら一本の電話がかかってきました。
「……結婚はできない体だから、付き合えないの」
それは、真夜中のことでした。
気になって仕方がなく、すぐに彼女の家へ向かいました。
そして、彼女の口から告げられたのは、こんな言葉でした。
「……一度、乳癌の手術をしていて……私、片胸が無いの……」
私は黙って聞いていました。
けれど、心の中でははっきり決めていました。
「………それは……僕にとって“結婚できない理由”にはならないよ」
そう、彼女が好きだったから。
片腕や片足がなかったとしても、きっと私は変わらずに愛するだろうと思っていた。
そうして、私たちは一緒に暮らすようになりました。
※
けれど、幸せな日々は長くは続きませんでした。
彼女の肺に、癌が転移しているかもしれないという連絡が入ったのです。
急遽入院が決まり、検査が続きました。
特に肺への内視鏡検査は辛かったようで、検査後は何も食べられない日もありました。
※
入院から二週間ほど経ったある晩のこと。
面会時間が終わり、帰り際に彼女が言いました。
「左足をちょっと引きずってるみたい」
心配になった私は、
「明日、先生に話してみるよ」
と約束し、その日は病院をあとにしました。
※
翌日、主治医にそのことを伝えると、少し沈黙したあとで言われました。
「……明日、頭部の検査をしましょう」
なぜ足の異常が“頭の検査”につながるのか、理解できずに戸惑ったのを、今でも覚えています。
※
その晩、CTスキャンの結果を聞くため、私は病院の応接室へ向かいました。
彼女には
「大丈夫だよ、大したことないさ」
と笑って言いながら。
でも、私の手は震えていました。
迎えてくれたのは、若い先生でした。
これまでずっと、真剣に向き合い、励まし続けてくれた先生です。
その先生が開口一番、涙を浮かべながら言いました。
「……どうしようもないんです」
検査の結果、脳への転移が確認されたのです。
しかも――
「癌細胞の進行が早く、すでに脳の周囲を圧迫し始めています。摘出したいのですが、周囲の組織が柔らかくなっていて、今の医学では取り除けない……」
私は、泣きました。
嗚咽が止まりませんでした。
それでも、勇気を振り絞って聞きました。
「……あと、どれくらい……?」
彼女は、見た目には元気そのもので、病人とは思えないほどでした。
ですが、先生は静かに、こう告げました。
「何もしなければ……余命2ヶ月。延命処置をすれば、半年……」
「……治療をしても、半年ですか?」
「……治療というより、“延命”です」
その「延命処置」とは、放射線治療のことでした。
激しい嘔吐、脱毛、めまい――
もはや、副作用に耐えることそのものが、命の負担になるような治療でした。
私は悩みました。
考えて、考えて、それでも決断はできませんでした。
せめて、余命が2年だったなら。
髪が抜けても、また生えてくるでしょう。
でも、半年なんて。
※
翌日、外泊許可をもらって、私たちは自宅へ帰りました。
その夜、彼女が口を開きました。
「……検査の結果、教えて。嘘はなしで」
私は――彼女を信じて、すべてを正直に伝えました。
この瞬間が、人生で一番辛かった。
言葉にするたびに胸が引き裂かれそうで、何度も詰まりながらも、最後まで話しました。
二人とも、声を出して泣きました。
でも、彼女は強かった。
すべてを受け止めたうえで、こう言ったのです。
「退院して、少しでも楽しもう!」
※
病院へ戻り、先生に私たちの決意を伝えると、先生は深くうなずいてくれました。
「頑張ってください。負けないで!」
その言葉に、私たちは背中を押された気がしました。
そして二日後、彼女は退院しました。
※
すぐに旅行代理店へ行きました。
新婚旅行の手配をして、『結婚しました』という葉書を友人たちに送りました。
彼女の病気のことは、誰にも知らせませんでした。
みんな笑顔で、私たちを祝ってくれました。
彼女もとても嬉しそうでした。
余命2ヶ月と告げられてから4ヶ月が経ち、『花の博覧会』にも行くことができました。
車椅子ではありましたが、彼女は心から喜んでくれました。
けれど――病気は、確実に進んでいました。
体力が落ち、自宅での療養が難しくなり、再び入院することになりました。
※
ある夜。
雨がしとしとと降る、静かな夜でした。
彼女は意識を失いました。
そして――
翌朝。
私の腕枕の中で、静かに息を引き取りました。
彼女の顔は、最後まで穏やかでした。
※
あれから、15年近くが経ちます。
けれど今も、私はあの時の彼女の強さに追いつけていません。
本当に、彼女は強かった。
そして――ここからが本題です。
※
一緒に暮らし始めた頃。
私たちは、いろいろな暗証番号やパスワードを統一しようと話し合って、二人の誕生日を足した『○△◇■』という番号を決めました。
それが私たちの“共通番号”でした。
彼女が亡くなってしばらくして、公的機関への提出に必要な書類を病院に取りに行きました。
その時、死亡診断書を2通もらったのですが――
なぜかそのうちの1通が、すでに開封されていたのです。
つい、目が留まりました。
死亡時刻――
そこに書かれていた時刻を見たとき、私は言葉を失いました。
『平成*年*月*日 ○△:◇■分』
あの、私たちが二人で決めた暗証番号と、まったく同じ数字だったのです。
もちろん、偶然かもしれません。
でも私は、あの時確かに聞こえた気がしたのです。
「……忘れないでね」
彼女が、そう言ってくれたような気がしてならなかったのです。
忘れるはずなんて、ありません。
この先も、何があっても。
私はきっと、死ぬまで、彼女を忘れません。