
母が老人ホームに入ったのは、去年の秋のことだった。
私はそのとき、実家の整理をするために一人で車を走らせていた。温泉街の坂道をのぼりながら、長年うまく言えなかった言葉のことを考えていた。母と二人きりになると、私はいつも黙ってしまう。子どものころからそうだった。
実家は温泉街の外れにある、もう営業していない小さな旅館だった。父が早くに亡くなってから、母はその旅館を一人で維持してきた。私が東京に修行に出てからも、戻ってきてからも、母はあの家を手放さなかった。老人ホームに移るとき、担当のケアマネージャーさんに「思い出が多い場所ですね」と言われたとき、母は「そうですね」とだけ答えていた。
玄関の鍵を開けると、久しぶりの家の匂いがした。
線香と、古い畳と、かすかに漂うなにか甘いもの。私は花屋をやっているから匂いには敏感なのだけれど、その甘さが何なのかはうまく特定できなかった。もしかしたら、長い年月をかけて家そのものに染み込んだ、母の暮らしの匂いだったのかもしれない。
押し入れの整理から始めた。布団を出し、古い座布団を積み上げ、ビニール袋に詰めていった。奥のほうから、段ボール箱がいくつも出てきた。旅館の帳簿や古い請求書、それから私が小学生のときに書いた絵日記。ぱらぱらとめくってみると、「今日はお母さんとスーパーに行きました」とか「お母さんがカレーを作ってくれました」とか、そういうことしか書いていなかった。母が主語の文章ばかりだった。子どものころの私の世界は、そのくらい母に満ちていたのだ。
それなのに、私たちはどこかでうまくいかなくなった。
父が亡くなったのは私が十六のときだった。母は葬式のあいだ泣かなかった。その後も泣かなかった。私は何度か母が泣いているところを見ようとして、でも一度も見られなかった。母の悲しみがどこに行ったのかが分からなくて、私は少しずつ母のことを怖いと思うようになっていった。泣かない人が怖かった。感情をどこかに隠している人が怖かった。
高校を出てすぐ、私は東京の花屋に就職した。帰省するたびに母と話すことが減っていって、電話でも「元気?」「元気よ」だけで終わるようになった。故郷の温泉街に戻ってきて花屋を開いてからも、距離は縮まらなかった。同じ町にいながら、私たちは月に一度会うかどうかという関係になっていた。
そういう積み重ねの末に、私たちは今の距離になっていた。
箱の奥から、一枚の紙が出てきた。
折り畳まれたそれを広げると、古い観光マップだった。温泉街のものだった。何十年前のものだろう、印刷の色が薄れていて、紙の端が黄ばんでいた。けれども赤いボールペンで、地図のあちこちに小さく丸印がつけられていた。
私は思わず地図を膝の上に広げた。
印は全部で七つあった。旧産院の前の交差点。桜並木のある公園。川原の土手沿いの小道。父がよく連れて行ってくれた蕎麦屋の場所。私が子どものころ毎朝通った小学校の門前。私が初めて自分のお小遣いで花を買った、あの小さな花屋の角。そして、母が一人で切り盛りしていた実家の旅館。
私が関係している場所ばかりだった。
※
地図を持って、裏の路地を歩いた。母が長年親しくしていた、旧旅館の女将さんが住んでいる。もう七十過ぎで、今は一人で暮らしているその人は、私が顔を出すと「咲ちゃん! 久しぶりじゃないの」と縁側に呼んでくれた。
お茶を出してもらいながら、地図のことを話した。女将さんはしばらく黙っていた。
「それ、お母さんが毎年春になると歩いとったやつだよ」
ゆっくりと言葉を選びながら、女将さんは続けた。
「あんたが東京にいるころから、毎年ひとりで。ぐるっと全部まわって、最後に旅館の前に立って、それでおしまい。聞いたら、咲の誕生日だって言っとったよ。毎年あんたの誕生日に、あんたと関係のある場所を全部まわって、元気でいるように祈ってたって」
私は縁側の板の目を見つめた。
「咲のことが心配で心配で、でも電話すると気をつかわせるから、こうやって一人でやっとったんだって。不器用でしょ、お母さんも」
女将さんは笑った。でも目は笑っていなかった。
「毎年、帰り道に私のとこに寄ってお茶飲んでいくんだけど、その日だけはね、涙流すの。あんたのこと話しながら。あんたのことが大好きで、でも伝え方が分からないって、ずっと言っとったよ」
私はうまく返事ができなかった。
女将さんのうちを出て、地図の印の場所を一つずつ歩いた。産院の前の交差点には今は小さなコンビニが建っていた。桜並木の公園にはまだ枯れ枝しかなかった。もうひと月もすれば、花が咲くのだろう。川原の土手には枯れた草が揺れていた。蕎麦屋はもうなくなっていて、今は駐車場になっていた。小学校の門の前で立ち止まると、黄色い帽子を被った低学年の子どもたちが走り出てきた。声が明るくて、冬の空気の中に白い息が散った。
母が毎年一人でここを歩いていた。私の誕生日に。
私は知らなかった。
全部の場所を回り終えたとき、空が夕暮れで橙色に染まっていた。温泉街の路地の奥から湯気が立ち上っていて、どこかの宿の夕食の匂いがした。古い街灯が一つずつ点きはじめていた。私は立ったまま、その光を見ていた。こんなにも長いあいだ、母はひとりでここを歩いていたのか。ひとりで花を摘むように、私の記憶を拾い集めながら。
私はその場で老人ホームに電話をして、明日の朝に面会に行きたいと伝えた。
※
翌朝、花を一束持って老人ホームに向かった。
仕入れたばかりのラナンキュラスと、あとはスイートピー。母がむかし好きだと言っていた花で、言われたのは何十年も前のことだったけれど、私はずっと覚えていた。花屋をやっているということは、そういうことなのかもしれないと思った。言葉にならない気持ちを、花の名前に置いて、大事にしまっておくということ。
母は窓際の椅子に座っていた。面会室に入ると、こちらを向いた。
名前を呼ぶと、「あら、咲」とだけ言った。最近は記憶が行ったり来たりするので、今日がどういう日なのかは分からない。でも、私のことは分かるらしかった。
「これ、持ってきた」
花を差し出すと、母は両手で受け取った。ラナンキュラスの淡いピンク色を、少し眩しそうに見た。
「きれいね」
「お母さんが好きだって言ってたから」
母は顔を上げた。
「言ってたっけ」
「昔、言ってた」
しばらく沈黙があった。私は鞄の中から地図を取り出して、母の膝の上に置いた。
母は地図を見た。しばらくじっと見ていた。
「押し入れにあった」と私は言った。「毎年春に歩いてたって、女将さんに聞いた」
母はなにも答えなかった。ただ、地図の上に皺だらけの指を乗せた。赤い丸印の一つを、静かになぞった。
「ここ、咲が生まれた病院の前よ」
小さな声だった。
「春になると、前の植え込みにチューリップが咲くの。色とりどりで、きれいなのよ」
私は泣かないようにしようとしたけれど、だめだった。
「知らなかった」
「言わなかったものね」
母はかすかに笑った。それが照れ隠しなのか、それとも老いてからの余裕なのか、私には分からなかった。でも母が笑うのを見るのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。
「来年の春、一緒に歩こう」と私は言った。
母はしばらく考えるように黙っていた。
「元気だったらね」
「元気にしてもらわないと」
「難しい娘ね」
また笑った。今度は私も笑った。ずっとうまく笑えなかった気がしたから、少し驚いた。
窓の外では、冬の光がやわらかく地面を照らしていた。老人ホームの庭の木はまだ葉がなくて、でもよく見ると枝の先に小さな芽が膨らみかけていた。もうひと月もすれば、あの桜並木に花が咲く。母が毎年一人で歩いた道に、私も一緒に立てる。
それがいつか終わる日のことは考えなかった。
今日だけは、隣にいた。それで十分だと思った。