「ありがとう」から始まった家族

小さな女の子の横顔

兄家族が、俺たちの家に突然やってきた。 

そして――長女を置いて、引っ越していった。

兄も兄嫁も、昔から甥っ子ばかりを溺愛していた。

甥は確かにすごい奴だった。

教科書を一読すれば全部覚えるほどの頭の良さ。

運動もできて、人気者だったらしい。

それに比べて長女は――。

「出来が悪い」と勝手に決めつけられ、ほとんど放置されていた。

その頃、彼女はまだ小学生だったが、まるで幼稚園児のように細くて小さな体をしていた。

風呂には一か月に一度しか入れてもらえなかったらしい。

身体中は汚れ、髪の毛も固まっていた。

初めて家で風呂に入れてやったときのことだ。

嫁が一緒に入っていたんだが、途中で泣き出した。

「頭を洗ってあげただけで『ありがとう』って泣くんだよ。

『暖かいお風呂だね』って、泣くんだよ…」

食事を出せば、

「おいしいね、暖かいね」

と笑う。

その姿を見て、胸の奥に何かが突き刺さった。

この子は、こんなにも何も与えられてこなかったのか。

「これはもうダメだ」

そう思って、兄に言った。

すると、兄はあっさりこう言った。

「100万よこせば、そいつはやるよ」

嫁が、唇を震わせながら怒った。

「…100万。子どもをなんだと思ってるの!」

俺は怒るよりも、ただ呆れ果てた。

「これが俺の兄貴だったんだな」と。

次の日。

俺は自分の貯金から100万円をおろし、嫁に渡した。

すると、嫁もこう言った。

「実は私も、用意してた」

そうして俺たちは、200万円を兄に渡した。

「これで俺たちの子どもだな!」

言葉にしながら、胸の中に何とも言えない気持ちが込み上げてきた。

子どもを金で買ったみたいで…。

でも、彼女を絶対に幸せにしたい、そう思った。

その時、俺たちはまだ22歳だった。

突然の「親」になった俺たちを、近所の人たちは驚いた顔で見ていた。

でも、みんな本当に優しくて、いろんなことで助けてくれた。

長女が12歳のときに、次女が生まれた。

俺たちはちょっと不安だった。

だけど長女は、たくさんたくさん次女を可愛がってくれた。

おかげで次女は、今や立派なお姉ちゃんっ子に育った。

昨日、俺の誕生日だった。

長女が言った。

「お父さん、誕生日おめでとう!」

そう言って、手作りの煙草ケースをくれた。

これがまた、すごく凝ってる。

木と革でできていて、手に馴染む使い心地のいいやつだ。

「吸いすぎないように」

そんな一言も添えられていて…。

なんかもう、胸がいっぱいになった。

昔とは比べ物にならないくらい、今の長女は明るい子だ。

友達もたくさんいて、よく家に遊びにも来てくれる。

勉強もできる。多分、俺に似なかったんだな。良かった。

そのかわり、次女はというと…アッパラパー(笑)。

でも、毎日元気に走り回ってるし、友達にも恵まれている。

そのうち落ち着くと信じてる。多分な。

ふたりとも、これからどんどん大きくなって、いずれは結婚して家を出ていくんだろうな。

そう思うと、少しだけ寂しい。

でも、きっとそれでいい。

今日、久しぶりに兄から年賀状が届いた。

そこにはこう書かれていた。

「東大に受かったよ。息子。幸せな家族です」

……そうか、そっちはそっちで幸せなんだな。

だけど俺は、胸を張って言える。

俺たち家族のほうが、ずっと幸せで、ずっとあったかい家庭をつくってる。

「ありがとう」って泣いたあの夜から、俺たちは本当の家族になったんだ。

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