一生忘れない結婚式

一生忘れない結婚式

夏みかんは、中身を先に出す。

親指を皮の縁に入れて、袋ごとそっくり抜いて、丸いかたちだけを残す。

それから水に晒して、蜜で炊いて、最後に羊羹を流し込む。

私がこの仕事でいちばん最初に教わったのは、味でも火加減でもなく、その順番だった。

「空にしてからやないと、何も入らんのよ」

教えてくれた人の声は、二十年以上経った今でも、そのままの調子で出てくる。

藤野ミヨさん。

萩の、土塀のつづく川沿いの道にあった、小さな菓子屋の奥さんだった。

私がミヨさんに教わったのは、二年と少しだけだ。

それなのに、私の手はいまだに、あの人の手つきを真似ている。

※

昭和の終わりに高校を出て、私はそのまま橙屋に住み込んだ。

勉強がまるで続かなかった私に、担任が「手を使う仕事を探せ」と言ったのが始まりだった。

面接らしい面接はなかった。

工房の戸を引いたら、ミヨさんは振り向きもせずに言った。

「そこの前掛け、締めてみんさい」

結び目が斜めになって、それを見て笑われた。

それだけで、次の日から私はこの家の人間になった。

はじめて包丁を持たされたのは、住み込んで四日目だった。

皮の縁に親指を入れて、袋を抜く。

それだけのことが、どうしてもできなかった。

私が破るたび、ミヨさんは黙って新しい玉を寄越した。

十七個目で、ようやく丸いままの皮がひとつ残った。

「上手やない」

「けど、破らんかった」

それが、あの人が私にくれた最初の言葉らしい言葉だった。

工房は西向きで、午後になると床の一枚板が飴色に光った。

皮を煮る鍋の湯気に、柑橘の匂いと、砂糖が焦げる寸前の匂いが混ざる。

あの匂いを、私は今でも一日の真ん中の匂いだと思っている。

ミヨさんの手は、指の腹が黄色く染まっていた。

洗っても落ちないのだと、あとで自分の手を見て知った。

作業中は音を立てない人で、包丁も鍋も、あの人が使うと静かだった。

だから、外の音がよく入ってきた。

川の水の音、自転車のベル、隣の乾物屋の奥さんが誰かを呼ぶ声。

工房の一日は、その音の順番でできていた。

ミヨさんの旦那さんの正一さんは、山手の段畑で夏みかんを作っていた。

暗いうちに軽トラで上がって、昼前に籠を三つ積んで下りてくる。

工房の裏に籠を置いて、水を一杯飲んで、また出て行く。

夫婦が話しているところを、私は最初の半年、ほとんど見た覚えがない。

用があるときは、正一さんは私に言った。

「七重ちゃん、明日は上のほうの木から採るけえ、玉が小そうなる言うといて」

私が伝えると、ミヨさんは鍋のほうを向いたまま、うん、と言う。

それで用は済んでいた。

※

久実ちゃんは当時三つで、工房の隅に座って、切り落とした皮の端を並べて遊んでいた。

並べ方に決まりがあるらしく、崩すと本気で怒った。

ミヨさんは怒られながら、久実ちゃんの前にだけ、蜜を吸わせた皮を一切れ置いた。

「これは味見の人の分」

久実ちゃんは自分の役目を疑わずに、毎日その一切れを食べた。

あるとき、久実ちゃんがその一切れを口に入れずに、指でつまんだまま外へ出て行った。

追いかけると、裏の石段に座って、蟻の行列の前にそれを置いていた。

ミヨさんは戸口から見ていて、私に何も言うなという顔をした。

そして久実ちゃんが戻ってくると、何事もなかったように、もう一切れ皿に置いた。

「味見の人は、忙しいけえのう」

ミヨさんは、皮を晒す水を、いつも一晩より少しだけ早く上げた。

夜中の二時ごろ、井戸端で桶の縁が石にあたる音がして、それで私はよく目が覚めた。

一度、なぜ朝まで待たないのかと訊いたことがある。

ミヨさんは桶を傾けたまま、こちらを見ずに答えた。

「苦みを、少うし残しとかんとね」

「甘いだけのもんは、日持ちせんのよ」

そのときの私は、菓子の日持ちの話として聞いていた。

工房の棚のいちばん奥に、菓子の空き箱がひとつ置いてあった。

中にはカセットテープが何本か立てて入っていて、いちばん手前の一本だけ、貼り紙のラベルの端が剝がれかけていた。

名前の下半分だけが残っていて、私は勝手に、久実ちゃんの名前だと思い込んでいた。

母親が幼い娘に何か吹き込んで残す。

そういう話は、当時の私でも聞いたことがあった。

だから、それ以上は考えなかった。

※

ミヨさんが工房に立てなくなったのは、私が二十歳になった年の秋だった。

はじめは腕が上がらないという話で、次に、鍋の前に長く立てないという話になった。

それでも晒しの桶だけは、最後の月まで自分で上げていた。

上げられなくなった晩、ミヨさんは布団の中から私を呼んだ。

「今日から、あんたが上げるんよ」

「一晩、待たんでええけえね」

私は返事をして、それから台所で一人になって、蛇口の水をずっと出しっぱなしにしていた。

その秋の終わりに、正一さんが押入れから古いラジカセを出してきた。

晩ごはんのあと、ミヨさんは奥の六畳でそれに向かって話していた。

襖は閉まっていて、私は廊下で洗濯物をたたんでいた。

声はよく聞こえなかった。

時々、笑い声だけが襖を抜けてきて、そのあとに長い間があった。

何度も録り直しているのは、テープの巻き戻る音でわかった。

三日ほど続いて、それきりラジカセは棚の奥にしまわれた。

あとから思えば、あの三晩でミヨさんは、自分がもう畑にも工房にも戻れないことを、はっきり決めたのだと思う。

翌日から、あの人は私に炊き上げの見極めを教えはじめた。

鍋の縁に上がる泡の、大きさと消えかたの話だ。

「音で覚えんさい」

「目は、そのうち効かんようになるけえ」

布団の中から、鍋の音だけを聞いて、火を落とせと言う日もあった。

私が落とすと、少し間があって、うん、と聞こえた。

ミヨさんは、しまう前に、テープを一本だけ正一さんの手に載せた。

「久実が嫁に行く日に、いっしょに聞いてください」

正一さんは受け取って、何も言わずに前掛けのポケットに入れた。

それが、私が見た最後の、夫婦のやりとりだった。

※

ミヨさんがいなくなった年の冬、正一さんは段畑を売る話を進めていた。

仲介の人が二度、店の座敷に上がった。

三つの久実ちゃんを抱えて畑と店の両方は無理だと、周りもそう言った。

私は台所で湯呑みを洗いながら、ずっと手を止めていた。

三度目に仲介の人が来た日、私は座敷の襖を開けて、正一さんの前に座った。

「店は、私にさせてください」

言ってしまってから、自分の声がひどく震えているのに気がついた。

正一さんは長いこと畳を見ていた。

それから、湯呑みを両手で持ったまま言った。

「七重ちゃん、あんた、まだ二十歳じゃろう」

「そうです」

「……ほうか」

畑の話は、その日でいったん止まった。

正一さんは翌朝も暗いうちに軽トラを出して、昼前に籠を三つ置いて行った。

それから二十年、その籠は一日も途切れなかった。

久実ちゃんが中学に上がった年、一度だけ大喧嘩をしたことがある。

父親の作った弁当が恥ずかしいと言って、丸ごと持ち帰ってきた日だ。

正一さんは何も言わずに、その弁当を自分で食べた。

翌朝から、弁当の包みは紺の風呂敷から、無地の巾着に変わった。

それだけの返事だった。

久実ちゃんは高校を出るまで、その巾着を使い続けた。

私はずっと、正一さんが娘のために畑を守ったのだと思っていた。

毎年、ミヨさんの命日には、正一さんが私を段畑まで連れて上がった。

墓には行かず、畑の南の端の、いちばん古い木の下に立つ。

何をするでもなく、二人でしばらく海のほうを見る。

「この木がいちばん酸いんよ」

「じゃけえ、丸漬けにするんは、これがええ」

毎年、同じことを言った。

私も毎年、はじめて聞いたような顔で聞いた。

※

久実ちゃんが嫁に行ったのは、平成八年の秋だった。

その年の夏、久実ちゃんが婚約者を連れて工房へ挨拶に来た。

帰りぎわ、彼を先に表へ出して、久実ちゃんだけが作業台のところに残った。

「七重さん」

「お母さんの声って、どんなんじゃった?」

手が止まった。

三つで別れた人の声を、覚えているはずがない。

私は湯気の向こうで、しばらく言葉を探した。

「低うはないよ」

「怒っとるときだけ、ちょっと低うなる」

久実ちゃんは笑って、そう、とだけ言って出て行った。

その夜、私は棚の奥の菓子箱を出して、ラベルの剝がれたテープを長いこと眺めていた。

聞いてしまえばいいのに、と思った。

それでも私は箱の蓋を閉めて、元の場所に戻した。

あれは、私が聞いていいものではなかった。

式場は湊の見えるホテルで、大きな窓の向こうに、朝から白い船が一隻ずっと停まっていた。

披露宴の相談で、久実ちゃんはテープを流したいと言った。

正一さんは渋った。

「あの日のことは、思い出したないんよ」

「みんながおってくれる日なら、こわうないよ」

久実ちゃんはそう言って、司会の人に頭を下げた。

私は末席のほうの、商店街の人たちのテーブルに座っていた。

控室で、久実ちゃんの白無垢の袖を直しながら、私は妙に落ち着かなかった。

あの箱の蓋を開けなかった二十年が、今日ぜんぶ開くのだと思うと、指先が冷えた。

久実ちゃんは鏡のほうを見たまま言った。

「七重さん、手、冷たいよ」

「そりゃあ、水仕事じゃけえ」

嘘だった。

隣は魚屋の重雄さんで、乾杯のあとからずっと機嫌よくしゃべっていた。

「七重ちゃん、あんた泣くんじゃろう」

「泣きません」

「賭けようや」

そういう軽口の途中で、照明が落ちて、テープが回りはじめた。

スピーカーから、まず紙の擦れるような音がした。

それから、ミヨさんの声がした。

「久実、おめでとう」

会場が少しざわついて、すぐに静かになった。

「あんた、何歳で嫁に行ったんかね」

「お母さんは、二十四やったよ」

「あんまり早う行きなさんな、言うといたのに」

あちこちで笑いが起きた。

声は思ったより明るくて、私が覚えているミヨさんより、少しだけ高かった。

久実ちゃんの小さいころの話が続いた。

皮を並べて遊んでいたこと、味見の一切れをいつも最後まで残していたこと。

「あんたは、好きなもんを後に取っとく子でね」

「そういう子は、ええ嫁さんになるんよ」

新郎のご家族のテーブルからも、笑い声が上がった。

五分ほど話して、ミヨさんの声が少し途切れがちになった。

言葉を探しているのが、間の長さでわかった。

そろそろ終わりだと、会場の空気がゆるみかけた。

「ほんで、最後に」

また、間があいた。

「正一さん」

名前が呼ばれた瞬間に、会場の音が一段落ちた。

「久実を、ここまで、よう連れてきてくれました」

「あんたは何にも言わん人やけど、私は、それでよかったです」

「お腹の出た正一さんも、頭の寂しゅうなった正一さんも、好きです」

「おじいさんになった正一さんも、たぶん、好きですよ」

少しだけ笑って、それから、テープはぷつりと終わった。

※

高砂のほうから、椅子の脚が畳をこする音がした。

正一さんがテーブルに突っ伏していた。

口を手のひらで塞いでいるのに、それでも音が漏れていた。

久実ちゃんが裾を持ち上げて駆け寄って、父親の背中に覆いかぶさるようにして泣いた。

新郎さんが、どうしていいかわからないまま、白い手袋の手を二人の後ろに浮かせていた。

私の隣で、重雄さんが天井を見上げて、鼻から長く息を吐いた。

「賭けは、わしの負けじゃ」

重雄さんの目のほうが、先に濡れていた。

司会の人が、間を取ってから、明るい声で言った。

「本当に、素敵なメッセージでしたね」

「引き続き、お食事をお楽しみください」

それでも十分ほど、会場はお通夜のようだった。

料理が下げられて、また運ばれてきて、少しずつ話し声が戻った。

新婦の父の挨拶になったとき、正一さんは目のふちを赤くしたまま立った。

畑の人だから、人前で話すのは苦手なはずだった。

それなのに、妙に声を張った。

「本日は、まことに、ありがとうございました」

「わしは、あんまりしゃべれませんので」

そう言って、いきなり地元の祭りの木遣りを一節うたった。

新郎側のテーブルが、あきらかに戸惑っていた。

それでも商店街の人たちだけは手を叩いて、最後は会場じゅうが笑って、拍手が長く続いた。

照れ隠しだと、みんながわかっていた。

お開きのあと、玄関の外で、久実ちゃんが正一さんの前に立った。

何か言いかけて、やめて、また言いかけた。

結局、二人とも黙ったまま、白い船の停まっている湊のほうを見ていた。

風が強くて、久実ちゃんのベールが横に流れた。

正一さんが手を伸ばして、それを押さえた。

娘の頭に触れるのを、私はその日はじめて見た。

※

式の翌朝、私はいつもどおり工房にいた。

戸が開いて、正一さんが入ってきた。

手に、あのテープを持っていた。

「七重ちゃん、糊があったら貸してくれんかね」

作業台の端で、剝がれかけたラベルを貼り直しはじめた。

指が震えていて、なかなか端が合わなかった。

私は手を止めて、その手元を見ていた。

貼り直されたラベルには、久実ちゃんの名前は書かれていなかった。

あのテープの表には、正一さんの名前が書いてあった。

ミヨさんの、あの少し右上がりの字で。

二十年、私は下半分だけを見て、勝手に読み違えていたのだ。

「知っとったんですか」

訊いたら、正一さんは糊の蓋を閉めながら答えた。

「知っとった」

「じゃけえ、聞きとうなかったんよ」

「あの日は、久実の日じゃけえのう」

※

その年の暮れ、正一さんの姉のタエさんが、法事の帰りに工房へ寄った。

タエさんは茶をすすりながら、思い出したように言った。

「ミヨさんはね、最後の年に、うちに一遍だけ電話をよこしたんよ」

「あの人は、私がおらんようになったら、畑を手放してしまう、いうて」

茶碗を置く音がした。

「久実が嫁に行く日まで、手放させんようにしとかんと、いうて」

私は、湯呑みを持ったまま動けなくなった。

あのテープに条件が付いていた理由が、そこでやっとつながった。

久実が嫁に行く日に、いっしょに聞いてください。

あの一言は、正一さんに二十年ぶんの理由を渡すための言葉だった。

畑を続ける理由。

朝の暗いうちに軽トラを出す理由。

娘が嫁に行くその日まで、何があっても生きていてもらうための、理由。

ミヨさんは、テープにも、苦みを少うしだけ残していた。

甘い言葉だけで終わらせていたら、あれは二十年もたなかった。

※

今、工房には久実ちゃんの娘が来ている。

高校二年で、母親に似ず、手が大きい。

はじめて包丁を持たせた日、私はまず、中身の出し方だけを教えた。

皮を破らずに、袋をそっくり抜く。

何度やっても破って、そのたびに悔しそうな顔をする。

「詰めるのは、いつからですか」

「まだ先よ」

「空にしてからやないと、何も入らんのよ」

言ってから、自分の声がミヨさんの調子になっているのに気がついた。

晒しの桶は、今も一晩より少しだけ早く上げる。

苦みが少し残った皮を、正一さんは今でも、味見と言って一切れ持って帰る。

軽トラの荷台には、籠が三つ載っている。

この間、久実ちゃんの娘が十八個目でようやく丸い皮を残した。

手のひらに載せて、こちらへ差し出してくる。

「上手やないね」

「けど、破らんかった」

言ってしまってから、少しだけ、胸の奥が熱くなった。

あの日の私が受け取った言葉が、まだ、この工房で使われている。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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