頂に届けたふたつの櫛
女人禁制の霊山を担ぐ強力の俺と、頂を焦がれた許婚のスズ。彼女が遺した黄楊の櫛に託された『片割れが待っている』という言葉の本当の意味を、俺は雲海の頂で知る。昭和の…
胸が締め付けられるような、あの感覚。泣けるほど悲しいわけではないのに、なぜか心のどこかに引っかかって残る話があります。後悔、別れ、言えなかった言葉。切なさの中にこそ、人が生きる美しさがある——そんな短編をまとめました。
女人禁制の霊山を担ぐ強力の俺と、頂を焦がれた許婚のスズ。彼女が遺した黄楊の櫛に託された『片割れが待っている』という言葉の本当の意味を、俺は雲海の頂で知る。昭和の…
教室で一年間声が出せなかった十四歳のわたしに、担任は給食の献立だけを読ませた。〈壁に読め〉と鉛筆で書かれた藁半紙。十四年後、声を失った恩師が病室で綴った一枚の筆…
昭和四十四年、雪深い湯の町の写真館。療養に来た娘・佐紀さんに頼まれ、僕は毎日一枚だけ町を撮った。裏を見ないでとわたした写真の、その裏に綴られていた言葉――万華鏡…
昭和の造船の町で、船大工見習いの俺は幼馴染の千代に想いを伝えたばかりだった。突然倒れた彼女の枕元で、俺は「いつか乗せて」と約束した小さな木の舟を彫り続けた。最後…
海辺の町の小さなプラネタリウムで星を映す私と、心臓の弱い幼い少女ほのか。名もない星に名前をつけたあの子が、落とした星座ノートの最後の頁にそっと描き残していたもの…
祖母が背負った紙芝居の木箱と、鞄の底にある端の焦げた朝顔の絵。夏の体育館で、小さな女の子に絵の中の男の子の名前を問われた私は、絵の裏に書かれた震える文字の意味を…
昭和の信州の宿場町を舞台にした泣ける話。峠の鍛冶屋として生きる私は、生き別れた父の顔を知らずに育った。ある雪の夜、村に担ぎ込まれた行き倒れの老人の巾着には、幼い…
昭和の終わり、東京で学ぶ私は、活版印刷の植字工だった兄をどこか恥じていた。兄弟の絆の意味も知らぬまま。やがて兄は、見えなくなった目で指の記憶だけを頼りに私の名前…
瀬戸内の造船の町で、身寄りのない見習いの私は、廻船問屋の娘・志津と出会った。療養先から届く文の終いには、いつも「迎えに来てね」。五十年近く手放せずにいる、掌ほど…
教壇を下りて独りになった七十代の元教師の私に、孫の太一がくれた小さな砂時計の三分。音読が苦手で心臓の弱いあの子と、平成初期の縁側で一冊の本を読みあった日々。別れ…
嫁にもらってもらった負い目を抱えて、四十年。夫と二人、城下町の小さな和菓子屋を守ってきた。店を畳む日、桔梗の菓子木型の奥から出てきた一冊の帳面が、負い目だと思っ…
三十年、引き出しの奥にしまい続けた黄楊の王将。親友との別れを恐れ、約束を捨てて故郷を離れた男が、危篤の報せに、幼馴染の彫った駒を手に三十年ぶりに帰郷する。盤の上…
昭和の織物の町で、無口な機織りの伯母に育てられた私。家業を継ぐのを拒み、ひどい言葉を投げつけた後、伯母は病に倒れた。和解できぬまま迎えた別れの間際、震える手で渡…
湯を落とす日の朝、湯守の捨松は桐の小箱から赤いお手玉を見つけた。四十年前の雪の冬、片足を引きずって谷を登ってきた蛍さんが教えてくれた遊びと、北向きの部屋の柱に残…
納戸の桐箪笥に仕舞われていた十二反の藍布は、夫が夜明け前の藍場で独り染めたものでした。十二の約束の中身を私が知ったのは、四十九日のあとに染め帳の最後の頁を開いた…