
うちの茶箪笥の引き出しには、折り目がすり切れて、半分ほど破れかけた便箋が一枚しまってある。三十年以上前に、兄が私に宛てて書いた手紙だ。
最近、小学三年になった娘が、その兄の手紙を取り出して、声に出して読んでくれるようになった。
今日はその手紙と、兄の話をしたいと思う。
玉子かけ飯と三滴
私が八歳のとき、両親が相次いで病気で亡くなった。母の葬儀が終わった翌週、父の入院していた病院から届いた請求書の束を、兄はひとりで黙って眺めていた。
兄は十五歳だった。親戚の間では、妹の私を預かる話が何度も出たが、兄は首を縦に振らなかった。
「俺が育てます。この家は離れたくないんです」
親戚のおばさんは、困ったように眉を寄せた。
「でもね、あなた、まだ高校生にもなってないのよ。どうやって食べさせていくつもり」
「新聞配達をします。夜も働きます。ミホには、絶対に不自由させません」
兄の声は震えていたが、目だけは真っ直ぐ前を見ていた。
結局、大人たちは根負けして、兄に家を任せることになった。その日の夜、兄は私の隣で、天井を見つめたまま小さく言った。
「ミホ、ごめんな。兄ちゃん、頼りないけど」
「頼りなくないよ。兄ちゃんが一番だよ」
暗闇の中で、兄が鼻をすする音が聞こえた。
玄関の三和土に正座して、兄は大人たちに頭を下げた。その横顔を、私は柱の陰からのぞいていた。
その日から、兄の毎日は変わった。朝は五時に起きて新聞配達、昼は定時制高校、夜は商店街の製麺所でアルバイト。
製麺所の親方が、兄の事情を知って、売れ残りの麺をこっそり袋に入れて持たせてくれた。家の台所には、いつもほんのり小麦粉の匂いが漂っていた。
そんな兄が、私のために毎晩欠かさず作ってくれたものがある。玉子かけ飯だ。
「醤油は三滴だけだ」
兄は決まって、そう言いながら小皿の醤油を箸の先で垂らした。
「三滴じゃ、味が薄いよ」
「足りなくなったら、足せばいい。最初から入れすぎると、取り返しがつかないだろ」
子どもの私には、ただの兄のこだわりにしか聞こえなかった。けれど、その言葉は何年も経ってから、思いがけない場所で私を支えてくれることになる。
貧しかったけれど、不思議と寂しくはなかった。兄は夜遅く帰ってくると、いつも私の布団の端に腰を下ろして、小さな声で今日あった出来事を聞いてくれたからだ。
運動会の日、兄は新聞配達の帰りに、汗だくのままグラウンドへ駆けつけた。他の家の父親たちが並ぶ観覧席の端で、兄は背の高い体を折り曲げて、私の走る姿を一生懸命に目で追っていた。
リレーで私がアンカーを任されたとき、バトンを受け取る直前に、兄の声が聞こえた。
「ミホ、行け!」
その一声に背中を押されて、私は三人を抜いた。ゴールテープを切ったあと、兄は誰よりも大きな声で拍手していた。
「速かったな。おまえ、足が速いんだな」
帰り道、兄はそう言って何度も笑った。まるで、自分が一等賞を取ったかのような顔だった。
あの日の夕焼けの色を、私は今も、ありありと思い出せる。
倒れた冬の夜
私が小学六年になった冬、兄が倒れた。製麺所の厨房で、急に立てなくなったのだという。
病院の廊下で、親方が私の肩に手を置いて、何度も何度も「すまん」と言った。何に対して謝られているのか、そのときの私にはわからなかった。
診断は重い病気だった。兄は二十二歳で、長い入院生活に入った。
医師は私と親方に、病名と、これからの長い見通しを、ゆっくりと説明してくれた。難しい言葉ばかりで、半分も分からなかったけれど、「覚悟が要る」という一言だけは、はっきりと胸に刺さった。
帰り道、親方は麺の香りのする自転車を押しながら、私に言った。
「ミホちゃん。兄ちゃんは、お前の笑った顔が一番の薬なんだ。だから、病室では笑ってやってくれ」
私は黙ってうなずいた。それからは、病室の前で、毎回深呼吸をした。
私は毎日、学校が終わると自転車で病院へ通った。病室の窓の外には、枯れたイチョウの木が見えた。
「また来たのか。宿題は終わったのか」
「終わったよ。兄ちゃん、今日の給食、おいしかった」
「そうか。よかったな」
兄はいつも、痩せた頰で笑ってみせた。点滴の管がつながった腕を、無理に上げて私の頭を撫でようとするのだった。
その手が、日ごとに力をなくしていくのを、私は気づかないふりをして過ごした。
最後の週、病室のベッドの脇で、私が持ってきた玉子かけ飯のおにぎりを、兄はほんのひとくちだけ食べた。
「うまいな。……醤油、ちょうど三滴か」
「うん。兄ちゃんに教わったとおりにしたんだよ」
「そうか。ちゃんと、覚えてるんだな」
兄はそう言って、天井を見つめたまま、細く長く息を吐いた。その目の端から、一筋だけ涙が流れていた。
私は、見なかったことにした。見てしまったら、泣いてしまいそうだったからだ。
春が来る少し前、兄は静かに息を引き取った。二十三歳だった。
お葬式の日、親方が小さなビニール袋を私に差し出した。
喪服の袖口から、小麦粉の匂いがした。親方は何も言わずに、大きな手で私の頭を、不器用に撫でてくれた。
斎場の外では、冬の終わりの雨が、静かに降っていた。
「あいつが、お前にって預けてたもんだ」
兄の手紙の中身
家に帰って、袋の中身を開けると、兄が使っていた小さな道具箱が入っていた。蓋の裏に、青いマジックで「ミホへ」と書いてある。
中には、新聞配達で使っていた手袋、擦り切れた財布、それから、折りたたまれた便箋が一枚だけ入っていた。
便箋には、鉛筆の筆圧の強い、少し右上がりの字が並んでいた。
『ミホへ。この手紙を読んでいるとき、兄ちゃんはもう、そばにはいないと思う。
ごめんな。お前を一人にしてしまって。
兄ちゃんは、お前に何もしてやれなかったと思っている。ランドセルも、制服も、ほとんど親戚のお下がりだった。
でも、一つだけ頼みがある。
笑ってくれ。
お前が笑っていてくれれば、兄ちゃんの一日は、それだけで足りるんだ。
もし足りなくなったら、足せばいい。幸せも、玉子かけ飯の醤油と同じだ。三滴から始めればいい。』
私は便箋を胸に抱いて、声を上げて泣いた。誰にも聞かれない台所の隅で、小麦粉の匂いのする空気を吸い込みながら、いつまでも。
その日から私は、泣くのを一度だけにすると決めた。泣いたぶんだけ、笑う日を増やそうと決めたのだ。
私は便箋を畳み直して、元の道具箱に戻した。それから毎晩、眠る前に蓋を開けて、兄の手紙をそっと読み返した。
読むたびに、紙の端が少しずつ柔らかくなっていった。
裏面に増えていく文字
それから三十年が過ぎた。私は小さな会社に勤め、結婚して、娘が生まれた。
娘が四歳になったとき、私は初めて、あの手紙を茶箪笥から出して見せた。
「これね、ママのお兄ちゃんが書いた手紙なの」
「ママのお兄ちゃんって、どんな人?」
「とっても優しい人だったのよ。ママは会えなかったけど、ずっと見守ってくれてるの」
娘は便箋を両手で持って、一字ずつ指でなぞりながら、たどたどしく声に出して読んだ。
『わらってくれ。……お前がわらっていてくれれば、にいちゃんの、いちにちは、それだけでたりるんだ』
読み終えると、娘は便箋を裏返して、不思議そうな顔をした。
「ママ、こっちにも何か書いてあるよ」
裏面には、見慣れない小さな字が、いくつも並んでいた。
私は息をのんだ。そこには、私の字で書いた覚えのない文章が、数行、薄い鉛筆で書かれていた。
よく見ると、それは私が十歳のときに書いた返事だった。兄が亡くなった年の春に、忘れて眠らせてしまった、自分自身の筆跡だった。
『にいちゃんへ。たりてるよ。ミホは、わらってます。』
私は、ずっと忘れていたのだ。あの頃、私は毎晩、この手紙の裏に、一行ずつ兄への返事を書き足していたことを。
兄の手紙に返事を書くことが、あの頃の私にとって、兄と話す唯一の方法だったのだ。
大人になって、忙しさに紛れるうちに、そんな習慣があったことさえ、忘れてしまっていた。
「ねえ、ママ。わたしも書いていい?」
娘が鉛筆を握って、私の顔を見上げた。
「いいよ。書いてみて」
娘は、舌を少し出して、真剣な顔で便箋の余白に鉛筆を走らせた。曲がった字で、こう書いてあった。
『おじさんへ。ありがとう。わたしもわらいます。』
私は娘を抱きしめた。窓の外で、風がカーテンを揺らしていた。兄の手紙は、また一枚、重みを増した。
夜、娘が眠ったあと、私は便箋をもう一度裏返した。三十年分の鉛筆の跡が、薄く重なり合って、小さな森のように見えた。
兄が三滴ずつ注いでくれた時間は、こうしてたしかに、足りていたのだと思う。
家族の絆を描いた話は、ほかにも書いている。祖母の梅干しは年ごとに薄くなると、曲がったストローを持つ男の子も、あわせて読んでみてほしい。