最後のショットバー

公開日: 兄弟姉妹 | 心温まる話

バー

20歳の誕生日、姉は私を雰囲気の良いショットバーに連れて行ってくれた。初めてのバー体験に圧倒されている私を見て、姉は「緊張してんの? 何か子供の頃のアンタみたい」と笑いながら、彼女が大好きなコロナビールを飲んでいた。

私と姉は非常に仲が良く、ファッションや音楽の趣味もほぼ同じでした。一緒に買い物に出かけることも多く、途中で飽きることは一度もありませんでした。友人たちからは、私たちが本当に兄弟かと問われるほどでした。

その夜、酔いがまわった姉はいつもと違う表情で、「本当、アンタとこんな風に飲めるなんて思わなかったわよ。あの時、アンタが死んでたらアタシも死んでたかもしれない…。いつでもアンタは…アンタはアタシの弟なんだよ…。アタシ、アンタの姉で良かった」と言って涙を流しました。

私は小学生の時、交通事故に遭い、生死の境をさまよったことがあります。その時、姉は私と一緒に登校しており、事故の衝撃から私を守ろうとしました。後に親から聞いた話では、姉は加害者に向かって「弟が死んだらアタシも死んで化けて出てやる」と叫んだそうです。

事故の話をしていた夜、姉はふざけて「ねぇねぇ、アンタ彼女にフラれたらしいじゃん。寂しいならアタシが構ってあげるよ〜」と言い、私は「姉ちゃん酔いすぎだヴォケ!」と笑いながら応じました。その時も、姉の存在がどれほど私にとって大切かを改めて感じました。

姉はいつも元気で、困った時は必ず相談に乗ってくれ、時には私の好きなポテトサラダを作ってくれるような人でした。

しかし、去年姉は他界しました。病気を抱えていたにも関わらず、家族にはその苦しみを隠していました。最期に姉は、「あの時にアタシはアンタに命を分けた気がするよ。だから、アンタはアタシの分までしっかり生きるんだよ」と言い残しました。

私は姉がどれほど好きだったか、そして姉が私の実姉であることにどれほど感謝しているかを心から思います。彼女との思い出は、これからもずっと私の心の中で生き続けるでしょう。

関連記事

プログラミング(フリー素材)

パパの一時間はいくら

プログラマーの父は、今日も仕事で疲れ切って遅い時間に帰って来た。 すると、彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。 彼は驚いて言った。 「まだ起きていた…

教室

笑顔のつながり

私の中学時代は、新興住宅地に位置しており、ほとんどの生徒が持ち家に住む裕福な家庭出身でした。お母さんが専業主婦である家庭が多く、いじめや仲間はずれが皆無という幸せな環境でした。 …

豚骨ラーメン(フリー写真)

父の記憶

俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。 ガンだった。 確か亡くなった当時の年齢は34歳だったと思う。 今思えばかなりの早死にだった。 呆気なく死んでしまった…

レストラン

震災後のファミレスにて

阪神大震災後のことです。当時、私はあるファミレスで働いており、震災後にはバイキングメニューを無料で提供することになりました。 開店と同時に店内は満席になり、外には長い行列ができ…

雨の日の紫陽花(フリー写真)

いってらっしゃい

もう二十年ほど前の話です。 私が小さい頃に親が離婚しました。 どちらの親も私を引き取ろうとせず、施設に預けられ育ちました。 そして三歳くらいの時に、今の親にもらわれた…

結婚式(フリー写真)

二人目の子供

俺が結婚したのは20歳の頃だった。当時、妻は21歳。学生結婚だった。 二年ほど貧乏しながら幸せに暮らしていたのだが、ある時、妊娠が発覚。 俺は飛び上がるくらい嬉しく、一人で…

虹(フリー写真)

自分らしく生きる言葉

嫌いな人を憎むより、大好きな人を愛したい。 悪い噂話をするより、嬉しいことや楽しいことを話したい。 そのような時間を多くして生きたい。 大切な時間を大切に。大切な人…

星空

天国でも携帯が

妹からの最後のメールを読んだ時、命の尊さと、失った者の残された悲しみがどれほど深いかを痛感しました。妹は白血病で苦しみ、わずか14歳でこの世を去りました。彼女が2歳半の時に病気が発覚…

手を繋ぐカップル(フリー写真)

人に優しくあるためには

私は事故に遭い、足が不自由になってしまいました。 車椅子なしでは外出も出来ませんし、トイレも昔のようにスムーズに行うことが出来ません。 そんな私から友人たちも離れて行きまし…

犬(フリー写真)

盲導犬のサリー

私がかつて知っていた盲導犬のサリーの話です。 サリーはとても頭の良い犬でした。 盲導犬としての訓練を優秀な内容で終え、飼い主さんの元へ預けられました。 サリーは晴れ…