妹を守る兄
兄が6歳、私が2歳の頃に両親が離婚した。
私にその当時の記憶は殆ど無く、お父さんが居ないことを気にした覚えもありませんでした。
小学生に上がる頃に母が再婚し、義理の父が本当の父親だと思っていました。
そのうち私の下に妹ができ、私には幸せな家庭であると思えていました。
しかしその幸せも長くは続かず、両親は頻繁に喧嘩するようになりました。
私はただただ声を荒げる両親が恐く、首の座らない幼い妹を抱え、廊下で泣くこともありました。
私なりに、
『妹に両親の喧嘩を聞かせては駄目』
と考えたのか、必死に妹を抱え、両親の居ない所へ行った覚えがあります。
兄が居る時は必ず私と妹を連れ出し、私を宥め、妹を寝かしつけ、
「大丈夫だから、何も心配は要らないから」
と何度も言ってくれていました。
そんな月日が続き、元々若くして兄を生んだ母はまだ20代半ば、母は朝帰りをし始め、育児を放棄。
離婚は時間の問題でしたが、当時の私は離婚という言葉も意味も勿論解りません。
人一倍お母さんっ子だった私は、
『お母さんが家になかなか帰って来ない、寂しい』
そんな感覚しか無く、両親や親族達がこれから何を考えているかも全く知らなかった頃、その日はやって来ました。
※
夜、珍しく両親と両親の親がテーブルを囲んでいて、小学2年生の私にも解る明らかに不穏な空気。
何を聞いた訳でもないのに、私は母親にしがみつきました。
「お母さんと一緒におる!みんなあっち行って」
そう言い続けた記憶ははっきり残っています。
「大丈夫」「早く寝なさい」「お母さんはどこにも行かないよ」
そう言う大人達の言葉が嘘だと何故か解ったんです。子供は大人が思うよりも深く勘付くものなのでしょうか。
「嫌!絶対嫌。お母さんと一緒におる」
そう言い放つと、祖母がこう言いました。
「お母さんは病気になったのよ。入院するだけだから」
するとそれに合わせるように、
「そうだよ、すぐ戻って来るよ」
と、その場凌ぎに大人達が口を揃えて言います。
事さらに信じれるはずもなく、私は
「ぜったいうそだ!おばあちゃんもおじいちゃんも、みんな嫌い。お母さんはずっと一緒におるの!」
そう言って泣き崩れると、私を宥めに来たのは兄でした。
「○○(私の名)大丈夫、大丈夫だから一緒に寝よう」
当時、不仲な両親の元で私をいつも励ましてくれた兄は、私の中のヒーロー的な存在でした。
その兄が言うならと、グズりながらも私は兄と子供部屋に戻りました。
※
部屋に戻ってからも、兄は
「大丈夫」
と言い続けてくれました。
泣き疲れた私は、
『寝ては駄目、お母さんが居なくなっちゃう』
と思いながらも、眠りに就いたのです。
※
翌朝、母の姿は何処にもありませんでした。
誰に聞いても入院しているの一点張り。
父も祖父母も兄さえも、何も無かったかのようにいつも通り
「おはよう」
と言う違和感。
母が居なくなった悲しみから、兄に
「嘘つき!お兄ちゃんのバカ!」
と罵ったこともありました。
※
それからすぐ私と兄は母方の祖父母に引き取られ、妹は父親に。
母親の失踪理由、父親だと思っていた相手が義父であったことなど…。思春期を迎えた頃に全てを把握した私が、真っ直ぐに育つ訳も無く。
反抗期には相当の苦労を祖父母、兄に掛けましたが月日は経ちどうにかこうにか成人を迎えました。
その頃には、離婚を期に祖父母から勘当されていた母とも、いつでも連絡が取れて会える環境になっており、成人を迎えたことを区切りに聞きたかったことを母に問いました。
「何故、妹を私達を置いて出たのか」
母親が姿を消したのはとてもショックな出来事でしたが、当時まだ一歳くらいだった妹を置いて出たことが、私はずっと気になっていました。
自ら置いて出て行ったのであれば赦せない。母親とはもう会わない。その気持ちで聞きました。
「せめて○○(妹の名前)ちゃんだけでも連れて行かせてくれと何度も頼んだけど、お父さん達が許してくれなかった」
母親の返事はこうでした。兄と私のことも連れて行く意思を見せたが、祖父母に独りで家を出ろと強く言われたとも言っており、後に父と祖父母にも確認しました。
妹を捨てたのではなかった。私も捨てられた訳ではなかった。そう思うと涙が出そうでした。
その時、母親が涙を流しながら言いました。
「お兄ちゃん(兄のこと)には本当に…」
言葉が詰まり泣く母が何を言いたいのか解らず、
「何? お兄ちゃんがどうかしたの?」
と聞くと、ようやく話し出した母の言葉は、私にとって衝撃的でした。
「あの日、お母さんが家を出たのは、夜中の3時過ぎだったと思う。
玄関で靴を履き、誰にも会わず、物音も立てずに出て行けと言われ、その通りに出ようとしたその時…。
お兄ちゃんが玄関に来て、泣きながらお母さんにこう言って来たのよ」
「お母さん、出て行かないで。○○(私)が泣くからここに居て。○○(妹)はまだ赤ちゃんだよ。○○(私)もお母さんが居ないと駄目だから…。
僕がちゃんと妹の面倒見るから居なくならないで、お願い」
涙が出ました。兄とは言え、当時小学6年生です。
あの出来事の翌朝、私にどんな気持ちで
「おはよう」
と声を掛けたのかと思うと、涙は止まることはなく。
自分ばかりが辛い、そう思っていた自分の愚かさが悔しかった。
全てを理解していた兄が辛くないはずが無かったのに、兄はその姿を私には見せなかった。
妹の父親と血の繋がりが無いと知った時も、祖父母はただ写真を出し、
「これが本当の父親だ」
と言うだけで、何も説明してくれなかった。その時も兄が、私に兄が知る範囲の父親の話をしてくれた。
家庭のことでとにかく素行を悪くした私が祖父母と大喧嘩した時も、ただ叱るだけではなく、話を聞いてやって欲しいと祖父母に頼んでくれたのも兄。
全てに於いて兄だけだった。
※
色々な出来事を経験し、大人になった現在、こうして生きているのは兄のお陰だと私は思っています。大袈裟と思われるでしょうが。
勿論、色々ありましたが育ててくれた祖父母、義理の父、母親にも感謝はしています。
ですが、私は兄が居たからこその私だと思うので…。ブラコンですかね(笑)。
妹も今では成人し、両親のことも兄のことも知っています。
妹もとても辛い時期があったのですが、それを踏まえても
「お兄ちゃんが一番辛かったと思う。お兄ちゃんが私たちのお兄ちゃんで良かった。自慢のお兄ちゃんだよ」
と言っていました。
※
兄は既に小学生の子供を持つ父親です。
父親としては少し頼りないようで、子供の頃に甘えられなかったせいでしょうか…。
奥さんに甘えっきりで、義理の姉には申し訳ないですが、私達妹としては多少のことは大目に見てあげて欲しかったりもします(笑)。
長くなり支離滅裂な文になってしまったかもしれません。すみません。
この兄の話を思い出す度に、子供は解っていないようで全てを理解しているし見ているとしみじみ思います。
大人の都合で子供を振り回すのは、出来るだけ回避して欲しいと切に思います。
※
最後に、兄への感謝を込めて。
お兄ちゃん、本当にありがとう!