母が綴った愛のかたち

公開日: 家族 | 心温まる話 | 戦時中の話 | | 祖父母

会津慈母大観音像

俺の母方のばあちゃんは、いつもニコニコしていて、とてもかわいらしい人だった。

生んだ子供は四姉妹。

娘たちがみんな嫁いでからは、じいちゃんと二人で穏やかな日々を過ごしていた。

けれど、じいちゃんは20年前に亡くなり、それからの17年間、ばあちゃんはずっと一人暮らしだった。

ばあちゃんは、3年前、92歳で静かにこの世を去った。

長い間、ひとりきりでどれだけ寂しかっただろう。

それでも、ばあちゃんが弱音を吐いたところを、一度たりとも聞いたことがなかった。

火葬が終わり、親戚一同で遺品の整理をしていたときのことだった。

古びた箱の中から、一束の手紙が見つかった。

母たちは宛名を見て声を上げた。

「戦時中の父さん(じいちゃん)への手紙だわ」

まるで宝物を見つけたように騒ぎながら、みんなはラブレターだと盛り上がった。

「きっと惚気た手紙ばっかりよ〜」と冷やかし合う。

そんな中、母がそのうちの一通を手に取り、声を震わせながら読み始めた。

『○○さんへ。

今日、△△が風邪をひきました。

豪雪で腰まで雪が積もり、電車も動かないので、隣町まで背負って行きました。

でも、お医者様はお休みでした。

大事な娘を診てもらうことすら出来ないなんて…。

このような戦争は、どうか一日も早く終わってほしいです』

その手紙を読んでいた母の声は、最後には掠れて、もう字を追うこともできなくなった。

部屋はしんと静まり返り、みんなが涙を流していた。

もちろん、俺もその一人だった。

他の手紙を開いてみても、そこに綴られていたのはすべて、娘たちのことばかりだった。

じいちゃんに会いたい、寂しい、そういった言葉よりも――

「子どもたちは元気です」

「今日は熱が下がりました」

「この子はよく笑います」

ばあちゃんがその筆先に込めていたのは、何よりも自分の子どもたちのことだった。

その瞬間、俺は心に誓った。

いつか自分に子どもができて、もし風邪をひいたら、どんな豪雪の中でも背負って歩こうと。

何十キロ先でも、迷わず歩いて連れていくと。

そして年を重ねたら、ばあちゃんのように、ただ穏やかに微笑みながら、誰かを想って生きられる人になりたいと、心から思った。

関連記事

家族の影(フリー写真)

家族で笑った思い出

数年前に、実家の一家の大黒柱である父が倒れた。 脳梗塞で、一命は取り留めたものの麻痺が残ってしまった。 母は親戚(成年後見人)に上手いことを言われて離婚させられた。 …

猫(フリー写真)

息子が教えてくれた

ある日、子供が外に遊びに行こうと玄関の戸を開けた。 その途端、まるで見計らっていたかのように、猫は外に飛び出して行ってしまいました。 そして探して見つけ出した時には、あの子…

ベランダの洗濯バサミ

君たちがいた家

嫁と娘が、ひと月前に亡くなった。 交通事故だった。車は大破。単独事故だったらしい。 その知らせを受けたのは、出張先の根室にいたときだった。 何とかして帰ろうとしたが…

ファミレス(フリー写真)

兄妹の情

ファミレスで仕事をしていると、隣のテーブルに親子が座ったんです。 妙に若作りしている茶髪のお母さんと、中学一年生くらいの兄、そして小学校低学年くらいの妹です。 最初はどこに…

戦闘機(フリー写真)

海行かば

このお話は8年程前、九州の西日本新聞に掲載され、映画化もされました。 ご存知の方も多いはずです。特繰出身の学徒兵の方々のお話です。 当時東京に居た私は、銀座の東映に軽い気持…

ローカル電車(フリー写真)

特別な千円札

学生時代、貧乏旅行をした。 帰途、寝台列車の切符を買ったら残金が80円! もう丸一日、何も食べていない。 家に着くのは約36時間後…。 空腹をどうやり過ごすか考…

ベース(フリー写真)

やりたいこと頑張りなさい

三年前のある日、両親が離婚。俺と弟が母さんに付いて行きました。 母さんは今まで専業主婦だったから、仕事なんて全然出来ない。 パートを始めるも、一ヶ月も経たない内に退職の繰り…

救急車(フリー写真)

死の淵にいた私を救ってくれた妻

私はあの日、緊急搬送されました。 生まれて初めて救急車に乗りました。 心臓の3分の2は停止していたそうです。 ※ 今から7年前の事を書きます。 私はフィ…

学校の教室(フリー素材)

伝説になった校長先生

中学生の頃、同級生に本屋の娘さんがいた。 その娘の本屋さんで万引きをして警察に突き出された生徒達が、 「お前の親のせいで希望の高校に行けなくなるかもしれない!お前が責任を…

パソコンを操作する手(フリー写真)

遅れて届いた母からのメール

私が中学3年生になって間もなく、母が肺がん告知を受けたことを聞きました。 当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、 『生活は大丈夫なんだろうか』 『お金は…