最期の言葉と、今も続く恋しさ

公開日: 家族 | 悲しい話 |

母

いつも通り、朝が来て、夜が来る。

楽しいことがあっても、辛いことがあっても、変わらず朝が来て夜が来る。

当たり前のような日常の始まりと終わり。

あの日も、確かにそうだった。

会社で仕事をしていた時、携帯電話が鳴った。

父からの着信だった。

「お母さんの心臓の鼓動がおかしい。」

「看護士さんもかなり厳しい状態だと言っている。」

その声を聞いた瞬間、心臓が凍りつくような思いで、母の入院する病院へ駆けつけた。

病室に入ると、母の呼吸は浅く、心臓の鼓動も乱れていた。

母は、二週間ほど前から入院していた。

それまでは、父と二人で自宅で介護を続けていた。

母の病は、脳腫瘍――癌の中でも特に過酷な病だった。

医学がどれほど進歩しても、脳腫瘍は容赦なく命を削っていく。

発覚した時にはすでに末期で、手術も放射線治療も、ほとんど効果は望めなかった。

それでも母は約二年間、必死に闘病を続けた。

母は最後まで自分らしくあろうとした。

自宅にいる頃は、どんなに辛くても必ず自分でトイレに行った。

失禁一つなかった。

病院の看護師さんは驚いて言った。

「この状態で、よくここまで自宅で介護されましたね。」

それほど、母は強く、そして父と私たち家族は懸命に支え合ってきた。

母の姿を思い返すと、なぜか浮かんでくるのは、私が闘病中の母に心ない言葉をかけてしまった記憶ばかりだった。

あんなに優しく、穏やかで、健気に家族を支えてきた母に、どうしてあの時あんなことを言ってしまったのか。

悔やんでも悔やみきれない。

母は入院する直前から、言葉を発することが難しくなっていた。

それでも最後に、はっきりと伝えてくれた言葉がある。

「あんたが、そばにおってよかった。」

「もう、あんたに何もしてやれん。」

その言葉を聞いた時、胸が張り裂けそうになった。

最期の刻が迫っていた。

父は、母の手をしっかりと強く握りしめていた。

母は苦しそうに大きく息を吸い――そして、そのまま呼吸が止まった。

命の灯火が、静かに消えた瞬間だった。

母がいなくなって、もうすぐ一か月が経つ。

いい歳をした自分だが、それでも母が恋しい。

ただ会いたい。ただ一度でいい。

一年に一度でいいから、母に会う時間が欲しい。

幽霊でも幻でも構わない。

街を歩けば、母と父と一緒に行った場所ばかりが目につく。

思い出が、いっそう母を求めさせる。

今日も、真夏の暑さの中で――母のぬくもりを探している。

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