
港町の郵便局に勤めて、もう八年になる。
毎朝、磯の匂いをはらんだ風の中を自転車で走り、配達を終えると局に戻って仕分けをする。
その繰り返しの中に、三年間、彼女がいた。
俺より五つ年下で、地元の病院で事務をしていた。
付き合いはじめた頃、俺は地元の神社のお守りを二つ買って、一つを彼女に渡した。
「安全祈願って書いてあるけど、まあ何でも守ってくれるだろ」
照れ隠しにそう言ったら、彼女は受け取って「大切にする」と笑った。
※
別れたのは、付き合って三年目の冬だった。
彼女から「もう会えない」と言われた。
理由を聞いても、「ごめんね」しか返ってこなかった。
俺はしつこく聞いた。好きじゃなくなったのか、他に誰かいるのか。
彼女はただ首を振って、「違う」とだけ言った。
その翌日、俺の部屋の郵便受けに小さな封筒が入っていた。
中には、あのお守りと、一枚の便箋。
「返すのが遅くなってごめんなさい。ずっと持っていたかったけれど、これはあなたを守るものだから」
それだけ書いてあった。
意味がわからなかった。俺を守るためにお守りを返す?意味がわからなかった。
怒りとも悲しみとも取れない感情を持て余したまま、俺はその封筒を引き出しの奥にしまった。
※
それから半年後、彼女の母親から連絡が来た。
「娘が、あなたに会いたいと言っています」
病院に行くと、彼女はベッドの上にいた。
別れた頃よりずっと細くなって、点滴のチューブが腕に繋がっていた。
「来てくれたんだ」
彼女はそう言って、少し困ったように笑った。昔と変わらない笑い方だった。
付き合っていた頃からもう病気だったこと、当時すでに医師から余命を告げられていたこと、それでも俺に言えなかったこと。
話しながら、彼女の声は少しも乱れなかった。
「心配させたくなかったから」
「迷惑かけたくなかったから」
「でもほんとうは、ずっと一緒にいたかった」
俺はうまく返事ができなかった。
彼女の手を握ったまま、港の方角を向いた窓の外をずっと見ていた。
※
彼女は、その冬を越せなかった。
今でも俺は毎朝、港町を自転車で走る。
磯の匂いをはらんだ風が吹くたびに、彼女のことを思い出す。
引き出しの奥のお守りは、ずっとそこにある。
彼女が俺に返してくれたもの。
俺を守るためにと言って、自分の手を離したもの。
今は俺が持っている。
彼女の分も、守れるように。