大切なペンダント

公開日: ちょっと切ない話 | 恋愛

恋人同士(フリー写真)

中学2年生の時、幼馴染のKという女子に恋心を抱いていた。

しかし、Kは俺よりも数倍かっこいい男子と付き合っていた。

俺がかなう相手でもなく、彼女自身がそれを伝えてきたので、複雑な気持ちになった。

しかも、恋愛経験のない俺にいろいろ悩みを相談してきた。

ある日、人気のない公園でKの相談に乗っていた時、Kが彼氏と関係がちょっと危ういと言いだした。

話が一段落したところで、Kが俺のペンダントを取って、

「仲直りってことで、これ彼氏にあげてくるね♪」と言った。

他人のお古を彼氏に渡すなんて、どういうことだ?

その2ヶ月後、Kは車にひかれて死んでしまった。

かなり急なことだったので、その事を聞いた時は、全く動けなかった。

葬式の時も、まだ素直に現実を受け止められなかった。

家に帰った後、どうしても抑えきれず、Kのお母さんにKの部屋を見せてほしいと頼んだ。

Kの部屋に入ってみたら、どこか懐かしい香りがした。

部屋を見ていると、タンスの上に箱があった。

恐らく小さい頃からずっと使っていたんだろう。

そっと開けてみると、中にはちっちゃな消しゴムや鉛筆、友達とピースしている写真などが、沢山入っていた。

そして、俺のあの時のペンダントがあった。

よく見てみると、消しゴムの一部や鉛筆の端っこには、俺の名前がうっすらと残されていた。

思わずドキッとした。

もしかして……と思った瞬間、急に涙が溢れてきた。

止められやしなかった。

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