才能の代わりに

あの町では、夕方になると、教室の窓から見える山の稜線が、ゆっくりと藍色に沈んでいきました。チャイムが鳴り終わったあとの静けさと、木造校舎のきしむ音を、私は今でもはっきりと思い出すことができます。

私が通っていたのは、全校で百人ほどしかいない、谷あいの小さな小学校です。給食の牛乳瓶が触れ合う音まで、廊下の端まで聞こえてくるような学校でした。

三年生の春、同じ組に透君という男の子がいました。

計算はとても苦手で、音読の順番が回ってくると、机の下で指を一本ずつ折りながら、長いあいだ黙り込んでしまう子でした。先生が「ゆっくりでいいよ」と言っても、言葉を一つ選び出すのに、人の何倍も時間がかかるのです。

そのたびに教室の空気が、少しだけ重く、気まずくなりました。

けれど透君には、ほかの誰にもない、不思議な手がありました。

昼休みになると、彼はいつも校庭の隅の、藤棚の下のベンチに座って、小さな彫刻刀で、木の切れ端から鳥を彫り出していたのです。

工作の時間に余った端材を、彼は宝物のように、古い飴の缶にためていました。

彫り上がるのは、いつも掌におさまるほどの、山雀でした。胸のあたりのふっくらとしたふくらみ、たたんだ羽のわずかな角度、今にも首をかしげそうな仕草。羽の一枚一枚に、本物の体温が宿っているように見えました。

木くずのあたたかい匂いと、刃が木の上を滑っていく、しゅっ、しゅっという乾いた音。それは、透君のまわりにだけ、ゆっくりと流れている、特別な時間でした。あの音を聞いていると、不思議と、こちらの心まで静かになっていくのでした。

私はその時間が、なぜだか好きで、よくそばで眺めていました。

ある日、私が「すごいね、本物みたい」と声をかけると、透君は耳まで真っ赤にして、彫りかけの鳥を、そっと私のほうへ差し出しました。

「これ、あげる」

たった一言でした。けれど、その小さな鳥の、木のぬくもりと重みを、私は三十年たった今でも、はっきりと覚えています。

秋の図工展でのことも、忘れられません。

体育館の壁ぎわに、生徒たちの工作が並べられた、その隅に、透君の彫った山雀が一羽、置かれていました。札には、賞の名前も、立派な題も書かれていません。ただ「三年 透」とだけ、鉛筆で記されていました。

授業参観に来ていた、よその学年の保護者や、地域の年配の方々が、その前を通り過ぎていきました。

けれど、ひとりの白髪の男性だけが、その鳥の前で、長いあいだ足を止めていました。眼鏡を外し、近づいて、また離れて、いろいろな角度から、じっと見入っているのです。

「これは……ただごとじゃないな」

その人は、誰にともなく、そうつぶやきました。後で聞いたところでは、隣町で表具屋をしている、目の肥えた方だったそうです。

けれど、肝心の透君は、その場にいませんでした。

私が探しにいくと、彼は人のいない廊下の隅に、ひとりでしゃがみ込んで、次の鳥を彫っていました。

「透君、あのおじさんが、透君の鳥、すごいって。ただごとじゃないって、言ってたよ」

私が息を切らしてそう伝えると、透君は彫りかけの木から顔を上げて、少し驚いたような顔をしてから、はにかんで言いました。

「ほんと?」

たった、それだけでした。彼はまた、しゅっ、しゅっと、刃を木の上に走らせ始めました。誰に褒められるためでもなく、ただ、木のなかの鳥を、外に出してやるために。

担任の戸田先生のことを、私はずっと苦手にしていました。いいえ、正直に言えば、嫌っていたのだと思います。

算数の時間になると、戸田先生は、解けないと分かっているはずなのに、わざわざ透君を指して、答えさせるのです。

額に汗を浮かべ、「ええと、ええと」と繰り返す透君を、後ろの席の何人かが、口に手を当てて、くすくすと笑いました。

それでも戸田先生は、答えが出るまで、何度でも待ちました。チョークを持った手を下ろしたまま、ただ黙って、じっと待つのです。

その長い沈黙が、私には、たまらなく意地悪なものに思えました。

どうしてあの子ばかり、こんなふうに、みんなの前で立ち往生させるのだろう。先生は透君のことが嫌いなんだ、と本気で思っていました。

放課後、職員室の前を通ると、戸田先生はいつも、遅くまで学校に残っていました。怖い人だ、関わらないでおこう。私はそう決めていました。

子ども心に、私は戸田先生を、冷たくて厳しいだけの先生だと、すっかり決めつけていたのです。

一度だけ、私はあの教室を、のぞいたことがあります。

放課後、体操着を教室に忘れて、ひとりで取りに戻ったときのことです。

廊下の奥から、低く、穏やかな声が聞こえてきました。誰かが、ゆっくりと本を読み聞かせているような声でした。

その声に続いて、たどたどしく、同じ言葉を繰り返す、もう一つの声。透君の声でした。

私は教室の扉の窓から、そっと中をのぞきました。

夕日の差し込む教室で、戸田先生と透君が、机を並べて座り、一冊の本を一緒に読んでいたのです。

そのとき一緒にいた友達が、「早く行こう、見つかったら怒られるよ」と私の袖を引きました。

私は、怖い先生に見つかってはいけないと思い込んで、その場から逃げ出してしまいました。

あのとき目にしたものの意味を、私はずっと、取り違えたままでいたのです。

一度だけ、透君と一緒に下校したことがあります。

彼の家は、私の家とは反対の、川沿いの細い道の先にありました。普段は別々なのに、その日はなぜか、二人とも掃除当番で、帰る時間がぴったり同じになったのです。

川のそばまで来ると、透君は急に立ち止まって、土手の下を指さしました。

前の年の台風で倒れた大きな桜の木が、半分だけ水に浸かったまま、横たわっていました。

「あそこの木、いいんだ」

透君は、そう言って、嬉しそうに笑いました。

「水につかると、すぐ腐っちゃう木と、かたく、しまっていく木があるんだよ。あの木は、しまるほう。だから、鳥になれるんだ」

人の何倍も時間をかけて言葉を選ぶあの子が、木のことになると、こんなにも滑らかに話すのを、私は初めて見ました。

夕暮れの川面が、橙色に光っていました。水の匂いと、草いきれの匂いがしました。

透君の世界は、私の知らないところで、こんなにも豊かに、深く広がっているのだと、そのとき私は思いました。

計算ができないことや、音読が遅いことなんて、その世界の大きさの前では、ほんの小さな、取るに足らないことに思えたのです。

組替えを経て、私たちが六年生に上がる、その前の冬のことでした。

戸田先生が、海の近くの学校へ転任することになりました。

全校でお別れの会を開くことになり、児童代表のお別れの言葉を、誰が読むかで、ちょっとした騒ぎが起きました。

「一番手を焼かせたんだから、透が言えばいいじゃん」

そう言い出した子がいたのです。

きっと、みんなの前で言葉に詰まって、立ち往生する姿を、面白がって見たかったのでしょう。何人かが、それいい、いいね、と笑いました。

私は、胸の奥が、すっと冷たくなりました。

やめてあげて。喉まで出かかったのに、結局、私は何も言えませんでした。自分が笑われる側に回るのが、怖かったのです。

その日の自分の卑怯さを、私は長いあいだ、忘れることができませんでした。

お別れの会の日。体育館の床は冷たく、足の裏から底冷えが上ってくるようでした。

壇上に、透君がひとりで立ちました。マイクの前で、いつものように、しばらく黙ったままでした。

誰かが、待ちきれずに、小さく笑いかけた、ちょうどそのときです。

透君が、はっきりとした、落ち着いた声で、話し始めました。

「ぼくを、みんなと一緒に、勉強させてくれて、ありがとうございました」

会場が、しんと静まり返りました。

「ぼくは、字を読むのが、とても遅いです。算数も、できません。だから戸田先生は、毎日放課後に、ぼくが分かるまで、一緒に本を読んでくれました」

「彫刻刀の使い方も、先生が教えてくれました。木には目があるんだよ、その目を読むと、刃が逃げないんだよって、何度も、教えてくれました」

透君の感謝の言葉は、十分以上も続きました。たどたどしくても、一つ一つ、確かめるように、ゆっくりと。

放課後の、誰もいない教室で、二人きりで、声に出して本を読んだこと。

指を切らないように、先生が後ろから手を添えて、木を彫らせてくれたこと。

そのあいだ、おしゃべりをする子は、ひとりもいませんでした。広い体育館が、透君の声だけを聞いていました。

私は、その壇上で、初めて知ったのです。

私が意地悪だと思い込んでいた、あの算数の時間の沈黙の、本当の意味を。

先生はあのとき、透君を笑いものにしていたのではありませんでした。みんなと同じ教室で、みんなと同じように、透君が自分の力で答えを出せる、その日を、ただ信じて待っていたのです。

そして、私たちが家に帰ったあとの教室で、先生はずっと、透君の隣に座り続けていたのです。あの日、私が逃げ出した教室で。

壇上の戸田先生は、肩を小さく震わせていました。

いつも一文字に、厳しく結ばれていたその口元が、ほどけていました。

嗚咽をこらえようとして、こらえきれない声だけが、広い体育館の天井に、こだましていました。

私は、自分がどれほど浅はかだったかを、痛いほど思い知りました。

人の優しさというものは、いつも、分かりやすい優しい顔をしているわけではないのだと。

厳しく見えるその手が、いちばん深いところで、誰かを静かに支えていることが、この世にはあるのだと。

私はあのとき、透君を笑った子の輪の中で、ただ黙っていました。やめてと言えなかった自分を、今でも恥ずかしく思います。けれど、その恥ずかしさを抱えていたからこそ、私はこの話を、忘れずにいられたのだとも思うのです。

会の終わりに、戸田先生が、声を整えて、透君のことを話してくれました。

「透君が彫る鳥はね、生きているんですよ」

「みなさんは気づかないかもしれないけれど、彼は木のなかに、もういる鳥を見つけ出して、そっと外に出してあげているんです。だから、あんなに本物に見えるんです」

「透君は、才能の代わりに、ほかの持ち物が、みんなより少しだけ少ない」

「けれど、それは決して、取り返せないものではありません」

「彼は今、その少ないものを、一生懸命、自分のものにしようとしています。これは、決してたやすいことではないんですよ。みなさんにも、どうか覚えておいてほしいのです」

先生の声は、最後まで、穏やかでした。震えながらも、ひとことひとことが、はっきりと、体育館の隅まで届きました。

その日、透君を笑っていた子の何人かが、下を向いていました。私も、そのうちの一人でした。

あれから、長い歳月が流れました。私はこの町を出て、街で働き、結婚し、子どもを持つ年齢になりました。

先日、隣の県へ出かけた帰りに、私はふと、古い商店街の小さなクラフトショップで、足を止めました。

棚の上に、掌におさまるほどの、木彫りの山雀が、何羽も、並んでいたのです。

羽の一枚一枚に、見覚えのある、あの体温がありました。胸のふくらみを見たとたん、私は息が止まりそうになりました。

今にも首をかしげそうな、あの仕草。木の目に逆らわない、滑らかで、迷いのない曲線。

添えられた小さな木の札には、作家の名前が、丁寧な字で記されていました。

それは、間違いなく、透君の本名でした。

彼は地元の中学と高校を卒業したあと、木工の道に進み、今では各地の店に作品を置く、ひとりの職人になっていたのです。

私は山雀を一羽、手のひらにのせて、しばらく動けませんでした。レジの人が不思議そうにこちらを見るまで、私はただ、そこに立ち尽くしていました。

私は結局、その山雀を一羽、買い求めました。

包んでもらいながら、店の人に「この作家さんを、昔から知っているんです」と、つい口にしてしまいました。小学校の同級生で、彼の彫る鳥を、子どものころ一羽もらったことがあるのだと。

店の人は驚いて、こんなことを教えてくれました。透君は今でも、注文がどれだけ立て込んでいても、年に一度だけは、必ず一羽、誰かのために無償で彫る鳥があるのだと。

それが、戸田先生に毎年贈られる鳥なのだと、私はすぐに分かりました。

その店の人に尋ねて、私は、さらにもう一つのことを知りました。

戸田先生は今、ずっと山の奥にある分校で、校長先生をしているそうです。

子どもたちが、家から一時間以上もかけて、谷を下りて通ってくるような、小さな小さな学校だといいます。

先生は、誰かに命じられたのではなく、自分から望んで、その土地へ赴いたそうです。教える手の足りない場所へ、自分の足で、歩いていったのです。

そして毎年、春になると、先生のもとには、透君から、木彫りの鳥が一羽、届くのだと、店の人は教えてくれました。

巣立ちの季節に、巣立った者が、自分を見送ってくれた人へ、鳥を一羽、贈る。

きっと、そういうことなのだと、私は思いました。胸の奥が、じんと熱くなりました。

才能の代わりに少ないものは、誰の手のなかにも、きっと一つや二つ、あるのだと思います。

私自身、いまだに、人より遅いこと、うまくできないことを、たくさん抱えたまま、生きています。

けれど、その隣に、黙って座り続けてくれる人がいれば。笑わずに、ただ待っていてくれる人がいれば。

取り返せないと思い込んでいたものは、ほんの少しずつ、自分のものになっていくのかもしれません。

私はあの日の、体育館の冷たい床と、あの長い沈黙を、今でも時々、思い出します。

あれは意地悪な沈黙などではなく、誰かが誰かの隣にいる、この世でいちばん静かで、いちばん優しい時間だったのです。

あの川のそばで横たわっていた、半分水に浸かった桜の木のことも、私はときどき思い出します。腐ってしまう木と、かたくしまっていく木。その違いは、誰かがそばで信じて待ってくれたかどうかで、決まるのかもしれません。

実をいうと、私がこの話を思い出したのには、わけがあります。

今、小学校に通う私の息子も、字を読むのが、人より少しゆっくりなのです。音読の宿題のたびに、つかえては、ためいきをついて、「どうせ僕はだめだ」と、机に突っ伏してしまう日があります。

その背中を見ていると、私はあの谷あいの教室を、どうしても思い出してしまうのです。

だから私は、息子の隣に座って、急かさずに、最後まで待つようにしています。

うまくできないからといって、その子のなかにあるものが、消えてしまうわけではない。戸田先生が教えてくれたのは、きっと、そういうことだったのだと、今になって思います。

いつか息子がもう少し大きくなったら、この木彫りの鳥の話を、ちゃんとしてやろうと思います。

店で買い求めた掌のなかの山雀は、今にも飛び立ちそうな顔をして、私の机の上に、そっととまっています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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