
その駐車場は、もとは丸太を並べる土場でした。
いまはアスファルトが敷かれ、白い線が引かれ、貸本と文具の店の看板が立っています。
けれど雨の日になると、地面に白い輪の跡が浮くのです。
丸太を立てて水を切った跡だと、あの人が教えてくれました。
熊野川の河口の町で
和歌山の新宮という町です。
山から来た木が、川を下って集まる場所でした。
昔は筏を組んで運んだのだと、年寄りはいまでも話します。
私が育ったころには筏はもうありませんでしたが、川べりには製材所がいくつも残っていました。
木を挽く音は、町の音の一部でした。
朝、窓を開けると、川の向こうからその音が届きました。
谷口さんの家は、そのうちのひとつです。
三代続いた小さな製材所でした。
私は町の歯科医院で助手をしていました。
付き合い始めたのは、二十四のときです。
※
土場だった場所
あの駐車場を待ち合わせ場所に選んだのは、あの人でした。
町にはもっと便利な場所がいくらでもあります。
駅前にも、川沿いの公園にも、車は停められました。
それでも、あの人はいつもあそこを指定しました。
理由を聞いたのは、付き合って一年ほど経ったころです。
「ここ、じいちゃんが筏ほどいとった場所や」
「筏」
「山から流してきた木を、ここで組み替えるんや。ほんで陸に上げる」
丸太は、そのまま横に寝かせると乾きが偏るのだそうです。
だから何本かは立てて、水を切らせる。
その跡が、雨の日に浮く白い輪です。
アスファルトを敷いても消えないのだと、あの人は少し得意そうに言いました。
「上から塗っても、下は変わらんもんや」
いま思えば、あの人はずっとその話をしていたのだと思います。
見えなくなっても、なくなったわけではない。
そのことを、二十四の私に、何度も違う言い方で伝えようとしていました。
※
あの人が最後まで隠していたこと
もうひとつ、あとから知ったことがあります。
あの日の駐車場で、私が「メールにしよ」と言い出したとき。
あの人は、少し間を置いてからうなずきました。
あの間は、迷いではありませんでした。
あの人の携帯には、その時点でもう、文章が下書きに入っていたのです。
三週間前の日付でした。
義母が、あとで見せてくれました。
下書きは、七通ありました。
どれも同じことが書いてあって、少しずつ言葉が短くなっていきます。
いちばん古いものは、便箋にすれば三枚ぶんありました。
いちばん新しいものは、送ったものとほとんど同じです。
そして、七通すべての一行目が、同じでした。
先に、あやまらせてください。
三週間、あの人はその一行だけを動かさずに、あとを削り続けていたのです。
私が「メールにしよ」と言ったとき。
あの人は、たぶん、助かったと思ったのだと思います。
声で言う練習だけは、どうしてもできなかったはずですから。
※
川の音で数える
あの人が亡くなったのは、五月の終わりの朝でした。
その前の晩、私は病室の窓を少しだけ開けていました。
熊野川の音が、遠くから聞こえます。
水量の多い時期でした。
あの人は、目を閉じたまま言いました。
「うるさいな」
「閉めよか」
「閉めんでええ」
それが、最後の会話でした。
川の音は、朝まで続きました。
あの町の人は、川の音で季節を数えます。
音が高くなれば雪代、低くなれば夏です。
いまでも、私はその音を聞くと、あの晩の窓の隙間を思い出します。
閉めなくてよかったと、二十年以上経って、ようやく思えるようになりました。
※
木口の線
谷口さんに連れられて、製材所へ行ったことがあります。
切り出した材が、天井まで積んでありました。
木の切り口を、木口と呼ぶのだそうです。
木口には、いつも線が二本、入っていました。
青い鉛筆のような、太い芯で引いた線です。
「これ、なんの印」
「一本目は寸法。長さと厚み」
「もう一本は」
谷口さんは、そこで少し笑って、話を変えました。
「あとで教える」
あとで、が来ないまま、季節がいくつも過ぎました。
私は、そのうち忘れました。
忘れていたつもりでした。
※
二階へ上がらなくなった人
その年の春ごろから、谷口さんは製材所の二階へ上がらなくなりました。
二階には事務机と、休憩用の座布団があります。
お茶を飲むときは、いつもそこでした。
それが、下の作業場のパイプ椅子に座るようになったのです。
私は、何も言いませんでした。
言えば、答えなければならなくなります。
答えたくないから下に座っているのだと、私には分かってしまったからです。
階段は、十四段ありました。
数えたのは私です。
その十四段を上がれない人が、まだ二十七歳でした。
※
私が気づいた日
妊娠に気づいたのは、五月の連休明けでした。
歯科医院の昼休みに、白衣のまま近所の薬局まで歩いて行きました。
川沿いの道です。
帰りに、橋の上で立ち止まりました。
下流に、製材所の屋根が見えます。
その日、屋根の下から音がしていませんでした。
木を挽く音は、風向きによって聞こえたり聞こえなかったりします。
けれど、私はその日、聞こえないほうが本当なのだと分かってしまいました。
階段を上がらなくなった人が、機械の前にも立てなくなっている。
そういうことでした。
橋の上で、私は十分ほど動けませんでした。
嬉しさと、こわさが、同じ大きさで胸にありました。
どちらか片方だけなら、人は泣けるのだと思います。
同じ大きさで並ぶと、涙は出ません。
ただ、指先が冷たくなるだけです。
※
メールで話そうと言い出したのは私
六月の日曜に、いつもの駐車場で会う約束をしました。
私にも、言わなければならないことがありました。
車を並べて停めて、窓を開けて、少し黙りました。
先に口を開いたのは私です。
「あのさ。メールにしよ」
「メール」
「いま、ここで。お互い書いて、同時に送るの」
「なんで」
「声で言われたら、たぶん、わたしが先に泣く」
谷口さんは、少しだけ間を置いて、うなずきました。
私が先に泣いたら、あの人は言えなくなります。
そういう人でした。
人の涙を見ると、自分の用件を引っ込めてしまう人でした。
だから、顔を見ずに済む方法を用意したのです。
※
二十分
二台の車の中で、私たちは二十分ほど、文字を打っていました。
フロントガラスの向こうで、雨が降り出しました。
アスファルトに、白い輪の跡が浮いてきました。
私は、その輪を数えながら、指を動かしていました。
八つありました。
書いては消し、書いては消し。
「もういい?」
「いい」
「せーので送るよ」
「うん」
送りました。
受信の音が、二台の車の中で、ほとんど同時に鳴りました。
※
一行目
あの人のメールには、こう書いてありました。
癌であること。
残された時間は、たぶん一年だということ。
愛していること。
これまでの幸せは計り知れないということ。
結婚の夢は叶わないかもしれないけれど、お前が最後の恋人でよかったということ。
私のメールには、こう書いてありました。
子どもができたこと。
夢を、すぐにでも叶えてしまわないかということ。
お金はないけれど、一緒なら大丈夫だということ。
プロポーズしてくれるなら待っているということ。
三人で幸せになろうということ。
二通のメールは、一行目が同じでした。
「先に、あやまらせてください」
私は、それを見た瞬間に笑ってしまいました。
泣くつもりで用意していたのに、笑ってしまったのです。
「わたしたち、似てるね」
「似すぎやろ」
「残された一年でも、いちばんいい時間にしよ」
雨は、まだ細いままでした。
※
「たぶん」の二文字
あとになって知ったことがあります。
「残された時間は、たぶん一年」
その「たぶん」は、お医者さんの言葉ではありませんでした。
先生は、数字を言わなかったのだそうです。
言えるほど分かるものではない、と。
一年という数字は、あの人が自分で置いたものでした。
そして「たぶん」の二文字も、自分で足したものでした。
なぜ一年にしたのか。
あとで義母から聞きました。
私の妊娠を、あの人はその朝、母親に打ち明けられていたのだそうです。
私が言う前に、義母が気づいて、息子に話していたのです。
生まれるまで、あと七ヶ月。
七ヶ月より短い数字は、書けなかったのだと思います。
書いてしまったら、私が計算してしまうからです。
※
婚姻届
私たちは、その月のうちに婚姻届を出しました。
証人の欄は、あの人の父と、うちの父です。
式は挙げませんでした。
その代わり、製材所の作業場に、近所の人が二十人ほど集まってくれました。
木の匂いのする場所でした。
おかしな話ですが、私はいまでも、あの場所以上の式場を知りません。
近所のおばさんが、川で採ったという花を持ってきてくれました。
「谷口んとこの嫁さんに、山の花ばやらんとな」
「ありがとうございます」
「泣くなよ。泣くのは十年先でよか」
その人は、十年後の私を、ちゃんと想像してくれていました。
※
十一ヶ月
あの人が生きたのは、あの日から十一ヶ月でした。
一年には、少し足りませんでした。
子どもは、その二ヶ月前に生まれました。
男の子でした。
あの人は、抱きました。
抱いて、泣きませんでした。
私が泣くと引っ込めてしまう人だと、私は知っていましたから、私も泣きませんでした。
お互い、最後まで我慢比べをしていたようなものです。
「重たいな」
「三千二百グラム」
「そんなもんか。もっと重たい気がする」
その一言だけ、私はいまでもはっきり覚えています。
※
十一ヶ月のあいだのこと
あの十一ヶ月を、私は不思議なほどよく覚えています。
悲しい話ばかりではありません。
むしろ、笑っていた時間のほうが長かったように思います。
あの人は、体調のいい日に、赤ん坊の名前を紙に書き出しました。
百個以上ありました。
「多すぎる」
「候補やから」
「候補が百あったら、候補って言わんのよ」
「ほな、九十九に減らす」
そんなことで、二人で笑っていました。
秋には、車で三十分の海まで行きました。
砂浜には下りられなかったので、堤防の上に座っていました。
私のお腹はもう目立っていて、あの人は痩せていました。
見た目だけなら、私のほうが元気そうでした。
「太ったな」
「あなたが痩せすぎ」
「バランス取れてええやん」
いま思うと、あの人は最後まで、深刻な顔を私に見せませんでした。
深刻な顔は、たぶん、義母の前でしていたのだと思います。
私の前では、こらえていました。
そういう役割分担を、誰も決めていないのに、みんなが守っていた十一ヶ月でした。
※
二本目の線
四十九日が済んだあと、私は製材所へ行きました。
義父が、材の前に立っていました。
木口の二本の線のことを、そこで初めて聞きました。
二本目の線は、使う人がまだ決まっていない材につける印でした。
木は、挽いてすぐには使えません。
反りが止まるまで、寝かせます。
十年、二十年と寝かせる材もあります。
そういう材は、いま注文が入っていません。
誰が使うか、まだ決まっていないのです。
だから、一本目の寸法の下に、もう一本引く。
「これは、まだ先の材や、いう印や」
「おじいさんの代から、ですか」
「そや。うちの親父も引いた。わしも引いた」
義父は、そのあと、積んである材のいちばん端を指しました。
青い線が、二本。
まだ新しい線でした。
「これはな、あれが引いた」
「あの人が」
「病院から帰った日にな。作業場に降りてきて、これ一枚だけ引いて、また寝た」
あの人が最後に引いた線は、二十年先の材のものでした。
自分の代で使えないと知っていて、引いたのです。
誰が使うかは、まだ決まっていませんでした。
けれど、その二ヶ月後に、決まりました。
※
線の始まり
二本目の線の習わしが、いつ始まったのかも、義父が教えてくれました。
始めたのは、あの人の曽祖父にあたる人です。
戦争のあと、この町の製材所は、注文の切れる時期が長く続きました。
挽いても、買い手がいない。
売れない材が積み上がるばかりです。
働いている人たちは、日に日に手が止まっていきました。
そのとき、曽祖父が、売れ残りの材の木口に線をもう一本引いたのだそうです。
そして、こう言ったと伝わっています。
「これは売れ残りやない。使う人が、まだ生まれとらんだけや」
売れ残りと、まだ決まっていない材。
物としては同じです。
けれど、線が一本増えるだけで、置いておく理由が変わります。
それだけの話です。
それだけの話で、人は次の日も機械の前に立てるのだと、義父は言いました。
「線ちゅうのはな、木につけるもんやない。こっちにつけるもんや」
私は、そのとき初めて、あの人があの日に線を引いた意味が分かりました。
自分の残り時間に、印をつけたのです。
これは終わりやない、まだ決まっとらんだけや、と。
※
義父が引き続けたもの
義父は、それから毎年、一枚ずつ線を引き続けました。
年に一枚だけです。
「多く引いたら、意味がのうなる」
「意味、ですか」
「そや。一年に一枚やから、待っとる、いう形になるんや」
義父は、八十二まで生きました。
亡くなる年の春にも、一枚引いています。
私は、その材を数えたことがあります。
あの人が引いた一枚を含めて、十九枚ありました。
※
息子が線を数えた日
息子には、小さいころから父親の話をしてきました。
写真も、声を録ったテープもあります。
それでも、あの子にとっては、会ったことのない人です。
十七のとき、あの子が製材所の材を数えていたことがありました。
木口の線が二本ある材だけを、順番に触っていくのです。
「なにしとん」
「じいちゃんの引いた線と、親父の引いた線、どっちが上手いか見よる」
「どっちが上手いん」
「じいちゃん。親父の、手ぇ震えとる」
私は、そのとき台所にいて、蛇口を大きく開けました。
あの子に、顔を見られたくなかったからです。
あとで、その材を私も見に行きました。
たしかに、あの人の線だけ、途中で少しよれていました。
二十七歳の手が、青い芯を持って震えていた跡です。
それでも、まっすぐ引こうとしたのが分かる線でした。
※
十九年目
息子が十九になった年に、その材を使いました。
大学へは行かず、製材所を継ぐと言い出したからです。
私は、止めませんでした。
止める言葉を、私は一つも持っていませんでした。
最初の仕事として、息子は自分の作業台を作りました。
十九枚の材のうち、いちばん下にあった一枚を使いました。
父親が引いた線のある材です。
木口を落とすとき、息子は少し迷っていました。
線ごと切り落とすことになるからです。
「残しといたら」
「残したら、使うたことにならんやろ」
その言い方が、あの人にそっくりでした。
会ったことのない父親の、言い方でした。
切り落とした木口は、いま、仏壇の横に置いてあります。
青い線が二本、まだ残っています。
※
雨の日の駐車場
貸本屋はもうありません。
駐車場だけが残っています。
雨の日に通ると、いまでも白い輪の跡が浮きます。
八つあります。
数はあの日と変わりません。
私は、そこに車を停めて、しばらく座っていることがあります。
あの二十分のあいだ、私たちは同じ言葉から書き始めていました。
先に、あやまらせてください。
二人とも、相手を傷つけると分かっていて、それでも言うと決めていたのです。
似ている、というのは、そういうことでした。
あのとき私が笑ってしまったのは、うれしかったからです。
この人と、同じ順番でものを考えられる。
一年しかなくても、それは幸運なことだと、二十四の私は思ったのです。
いまも、そう思っています。
大切な人と交わす言葉の順番に迷ったことのある方には、結婚式場の小さな奇跡や変わらないものも、静かな夜に読んでいただけたらと思います。
製材所は、いまも川べりで木を挽いています。
息子は、去年から二本目の線を引き始めました。
年に一枚だけです。
誰が使うかは、まだ決まっていません。