二十年先の材に引いた線

二十年先の材に引いた線

その駐車場は、もとは丸太を並べる土場でした。

いまはアスファルトが敷かれ、白い線が引かれ、貸本と文具の店の看板が立っています。

けれど雨の日になると、地面に白い輪の跡が浮くのです。

丸太を立てて水を切った跡だと、あの人が教えてくれました。

熊野川の河口の町で

和歌山の新宮という町です。

山から来た木が、川を下って集まる場所でした。

昔は筏を組んで運んだのだと、年寄りはいまでも話します。

私が育ったころには筏はもうありませんでしたが、川べりには製材所がいくつも残っていました。

木を挽く音は、町の音の一部でした。

朝、窓を開けると、川の向こうからその音が届きました。

谷口さんの家は、そのうちのひとつです。

三代続いた小さな製材所でした。

私は町の歯科医院で助手をしていました。

付き合い始めたのは、二十四のときです。

※

土場だった場所

あの駐車場を待ち合わせ場所に選んだのは、あの人でした。

町にはもっと便利な場所がいくらでもあります。

駅前にも、川沿いの公園にも、車は停められました。

それでも、あの人はいつもあそこを指定しました。

理由を聞いたのは、付き合って一年ほど経ったころです。

「ここ、じいちゃんが筏ほどいとった場所や」

「筏」

「山から流してきた木を、ここで組み替えるんや。ほんで陸に上げる」

丸太は、そのまま横に寝かせると乾きが偏るのだそうです。

だから何本かは立てて、水を切らせる。

その跡が、雨の日に浮く白い輪です。

アスファルトを敷いても消えないのだと、あの人は少し得意そうに言いました。

「上から塗っても、下は変わらんもんや」

いま思えば、あの人はずっとその話をしていたのだと思います。

見えなくなっても、なくなったわけではない。

そのことを、二十四の私に、何度も違う言い方で伝えようとしていました。

※

あの人が最後まで隠していたこと

もうひとつ、あとから知ったことがあります。

あの日の駐車場で、私が「メールにしよ」と言い出したとき。

あの人は、少し間を置いてからうなずきました。

あの間は、迷いではありませんでした。

あの人の携帯には、その時点でもう、文章が下書きに入っていたのです。

三週間前の日付でした。

義母が、あとで見せてくれました。

下書きは、七通ありました。

どれも同じことが書いてあって、少しずつ言葉が短くなっていきます。

いちばん古いものは、便箋にすれば三枚ぶんありました。

いちばん新しいものは、送ったものとほとんど同じです。

そして、七通すべての一行目が、同じでした。

先に、あやまらせてください。

三週間、あの人はその一行だけを動かさずに、あとを削り続けていたのです。

私が「メールにしよ」と言ったとき。

あの人は、たぶん、助かったと思ったのだと思います。

声で言う練習だけは、どうしてもできなかったはずですから。

※

川の音で数える

あの人が亡くなったのは、五月の終わりの朝でした。

その前の晩、私は病室の窓を少しだけ開けていました。

熊野川の音が、遠くから聞こえます。

水量の多い時期でした。

あの人は、目を閉じたまま言いました。

「うるさいな」

「閉めよか」

「閉めんでええ」

それが、最後の会話でした。

川の音は、朝まで続きました。

あの町の人は、川の音で季節を数えます。

音が高くなれば雪代、低くなれば夏です。

いまでも、私はその音を聞くと、あの晩の窓の隙間を思い出します。

閉めなくてよかったと、二十年以上経って、ようやく思えるようになりました。

※

木口の線

谷口さんに連れられて、製材所へ行ったことがあります。

切り出した材が、天井まで積んでありました。

木の切り口を、木口と呼ぶのだそうです。

木口には、いつも線が二本、入っていました。

青い鉛筆のような、太い芯で引いた線です。

「これ、なんの印」

「一本目は寸法。長さと厚み」

「もう一本は」

谷口さんは、そこで少し笑って、話を変えました。

「あとで教える」

あとで、が来ないまま、季節がいくつも過ぎました。

私は、そのうち忘れました。

忘れていたつもりでした。

※

二階へ上がらなくなった人

その年の春ごろから、谷口さんは製材所の二階へ上がらなくなりました。

二階には事務机と、休憩用の座布団があります。

お茶を飲むときは、いつもそこでした。

それが、下の作業場のパイプ椅子に座るようになったのです。

私は、何も言いませんでした。

言えば、答えなければならなくなります。

答えたくないから下に座っているのだと、私には分かってしまったからです。

階段は、十四段ありました。

数えたのは私です。

その十四段を上がれない人が、まだ二十七歳でした。

※

私が気づいた日

妊娠に気づいたのは、五月の連休明けでした。

歯科医院の昼休みに、白衣のまま近所の薬局まで歩いて行きました。

川沿いの道です。

帰りに、橋の上で立ち止まりました。

下流に、製材所の屋根が見えます。

その日、屋根の下から音がしていませんでした。

木を挽く音は、風向きによって聞こえたり聞こえなかったりします。

けれど、私はその日、聞こえないほうが本当なのだと分かってしまいました。

階段を上がらなくなった人が、機械の前にも立てなくなっている。

そういうことでした。

橋の上で、私は十分ほど動けませんでした。

嬉しさと、こわさが、同じ大きさで胸にありました。

どちらか片方だけなら、人は泣けるのだと思います。

同じ大きさで並ぶと、涙は出ません。

ただ、指先が冷たくなるだけです。

※

メールで話そうと言い出したのは私

六月の日曜に、いつもの駐車場で会う約束をしました。

私にも、言わなければならないことがありました。

車を並べて停めて、窓を開けて、少し黙りました。

先に口を開いたのは私です。

「あのさ。メールにしよ」

「メール」

「いま、ここで。お互い書いて、同時に送るの」

「なんで」

「声で言われたら、たぶん、わたしが先に泣く」

谷口さんは、少しだけ間を置いて、うなずきました。

私が先に泣いたら、あの人は言えなくなります。

そういう人でした。

人の涙を見ると、自分の用件を引っ込めてしまう人でした。

だから、顔を見ずに済む方法を用意したのです。

※

二十分

二台の車の中で、私たちは二十分ほど、文字を打っていました。

フロントガラスの向こうで、雨が降り出しました。

アスファルトに、白い輪の跡が浮いてきました。

私は、その輪を数えながら、指を動かしていました。

八つありました。

書いては消し、書いては消し。

「もういい?」

「いい」

「せーので送るよ」

「うん」

送りました。

受信の音が、二台の車の中で、ほとんど同時に鳴りました。

※

一行目

あの人のメールには、こう書いてありました。

癌であること。

残された時間は、たぶん一年だということ。

愛していること。

これまでの幸せは計り知れないということ。

結婚の夢は叶わないかもしれないけれど、お前が最後の恋人でよかったということ。

私のメールには、こう書いてありました。

子どもができたこと。

夢を、すぐにでも叶えてしまわないかということ。

お金はないけれど、一緒なら大丈夫だということ。

プロポーズしてくれるなら待っているということ。

三人で幸せになろうということ。

二通のメールは、一行目が同じでした。

「先に、あやまらせてください」

私は、それを見た瞬間に笑ってしまいました。

泣くつもりで用意していたのに、笑ってしまったのです。

「わたしたち、似てるね」

「似すぎやろ」

「残された一年でも、いちばんいい時間にしよ」

雨は、まだ細いままでした。

※

「たぶん」の二文字

あとになって知ったことがあります。

「残された時間は、たぶん一年」

その「たぶん」は、お医者さんの言葉ではありませんでした。

先生は、数字を言わなかったのだそうです。

言えるほど分かるものではない、と。

一年という数字は、あの人が自分で置いたものでした。

そして「たぶん」の二文字も、自分で足したものでした。

なぜ一年にしたのか。

あとで義母から聞きました。

私の妊娠を、あの人はその朝、母親に打ち明けられていたのだそうです。

私が言う前に、義母が気づいて、息子に話していたのです。

生まれるまで、あと七ヶ月。

七ヶ月より短い数字は、書けなかったのだと思います。

書いてしまったら、私が計算してしまうからです。

※

婚姻届

私たちは、その月のうちに婚姻届を出しました。

証人の欄は、あの人の父と、うちの父です。

式は挙げませんでした。

その代わり、製材所の作業場に、近所の人が二十人ほど集まってくれました。

木の匂いのする場所でした。

おかしな話ですが、私はいまでも、あの場所以上の式場を知りません。

近所のおばさんが、川で採ったという花を持ってきてくれました。

「谷口んとこの嫁さんに、山の花ばやらんとな」

「ありがとうございます」

「泣くなよ。泣くのは十年先でよか」

その人は、十年後の私を、ちゃんと想像してくれていました。

※

十一ヶ月

あの人が生きたのは、あの日から十一ヶ月でした。

一年には、少し足りませんでした。

子どもは、その二ヶ月前に生まれました。

男の子でした。

あの人は、抱きました。

抱いて、泣きませんでした。

私が泣くと引っ込めてしまう人だと、私は知っていましたから、私も泣きませんでした。

お互い、最後まで我慢比べをしていたようなものです。

「重たいな」

「三千二百グラム」

「そんなもんか。もっと重たい気がする」

その一言だけ、私はいまでもはっきり覚えています。

※

十一ヶ月のあいだのこと

あの十一ヶ月を、私は不思議なほどよく覚えています。

悲しい話ばかりではありません。

むしろ、笑っていた時間のほうが長かったように思います。

あの人は、体調のいい日に、赤ん坊の名前を紙に書き出しました。

百個以上ありました。

「多すぎる」

「候補やから」

「候補が百あったら、候補って言わんのよ」

「ほな、九十九に減らす」

そんなことで、二人で笑っていました。

秋には、車で三十分の海まで行きました。

砂浜には下りられなかったので、堤防の上に座っていました。

私のお腹はもう目立っていて、あの人は痩せていました。

見た目だけなら、私のほうが元気そうでした。

「太ったな」

「あなたが痩せすぎ」

「バランス取れてええやん」

いま思うと、あの人は最後まで、深刻な顔を私に見せませんでした。

深刻な顔は、たぶん、義母の前でしていたのだと思います。

私の前では、こらえていました。

そういう役割分担を、誰も決めていないのに、みんなが守っていた十一ヶ月でした。

※

二本目の線

四十九日が済んだあと、私は製材所へ行きました。

義父が、材の前に立っていました。

木口の二本の線のことを、そこで初めて聞きました。

二本目の線は、使う人がまだ決まっていない材につける印でした。

木は、挽いてすぐには使えません。

反りが止まるまで、寝かせます。

十年、二十年と寝かせる材もあります。

そういう材は、いま注文が入っていません。

誰が使うか、まだ決まっていないのです。

だから、一本目の寸法の下に、もう一本引く。

「これは、まだ先の材や、いう印や」

「おじいさんの代から、ですか」

「そや。うちの親父も引いた。わしも引いた」

義父は、そのあと、積んである材のいちばん端を指しました。

青い線が、二本。

まだ新しい線でした。

「これはな、あれが引いた」

「あの人が」

「病院から帰った日にな。作業場に降りてきて、これ一枚だけ引いて、また寝た」

あの人が最後に引いた線は、二十年先の材のものでした。

自分の代で使えないと知っていて、引いたのです。

誰が使うかは、まだ決まっていませんでした。

けれど、その二ヶ月後に、決まりました。

※

線の始まり

二本目の線の習わしが、いつ始まったのかも、義父が教えてくれました。

始めたのは、あの人の曽祖父にあたる人です。

戦争のあと、この町の製材所は、注文の切れる時期が長く続きました。

挽いても、買い手がいない。

売れない材が積み上がるばかりです。

働いている人たちは、日に日に手が止まっていきました。

そのとき、曽祖父が、売れ残りの材の木口に線をもう一本引いたのだそうです。

そして、こう言ったと伝わっています。

「これは売れ残りやない。使う人が、まだ生まれとらんだけや」

売れ残りと、まだ決まっていない材。

物としては同じです。

けれど、線が一本増えるだけで、置いておく理由が変わります。

それだけの話です。

それだけの話で、人は次の日も機械の前に立てるのだと、義父は言いました。

「線ちゅうのはな、木につけるもんやない。こっちにつけるもんや」

私は、そのとき初めて、あの人があの日に線を引いた意味が分かりました。

自分の残り時間に、印をつけたのです。

これは終わりやない、まだ決まっとらんだけや、と。

※

義父が引き続けたもの

義父は、それから毎年、一枚ずつ線を引き続けました。

年に一枚だけです。

「多く引いたら、意味がのうなる」

「意味、ですか」

「そや。一年に一枚やから、待っとる、いう形になるんや」

義父は、八十二まで生きました。

亡くなる年の春にも、一枚引いています。

私は、その材を数えたことがあります。

あの人が引いた一枚を含めて、十九枚ありました。

※

息子が線を数えた日

息子には、小さいころから父親の話をしてきました。

写真も、声を録ったテープもあります。

それでも、あの子にとっては、会ったことのない人です。

十七のとき、あの子が製材所の材を数えていたことがありました。

木口の線が二本ある材だけを、順番に触っていくのです。

「なにしとん」

「じいちゃんの引いた線と、親父の引いた線、どっちが上手いか見よる」

「どっちが上手いん」

「じいちゃん。親父の、手ぇ震えとる」

私は、そのとき台所にいて、蛇口を大きく開けました。

あの子に、顔を見られたくなかったからです。

あとで、その材を私も見に行きました。

たしかに、あの人の線だけ、途中で少しよれていました。

二十七歳の手が、青い芯を持って震えていた跡です。

それでも、まっすぐ引こうとしたのが分かる線でした。

※

十九年目

息子が十九になった年に、その材を使いました。

大学へは行かず、製材所を継ぐと言い出したからです。

私は、止めませんでした。

止める言葉を、私は一つも持っていませんでした。

最初の仕事として、息子は自分の作業台を作りました。

十九枚の材のうち、いちばん下にあった一枚を使いました。

父親が引いた線のある材です。

木口を落とすとき、息子は少し迷っていました。

線ごと切り落とすことになるからです。

「残しといたら」

「残したら、使うたことにならんやろ」

その言い方が、あの人にそっくりでした。

会ったことのない父親の、言い方でした。

切り落とした木口は、いま、仏壇の横に置いてあります。

青い線が二本、まだ残っています。

※

雨の日の駐車場

貸本屋はもうありません。

駐車場だけが残っています。

雨の日に通ると、いまでも白い輪の跡が浮きます。

八つあります。

数はあの日と変わりません。

私は、そこに車を停めて、しばらく座っていることがあります。

あの二十分のあいだ、私たちは同じ言葉から書き始めていました。

先に、あやまらせてください。

二人とも、相手を傷つけると分かっていて、それでも言うと決めていたのです。

似ている、というのは、そういうことでした。

あのとき私が笑ってしまったのは、うれしかったからです。

この人と、同じ順番でものを考えられる。

一年しかなくても、それは幸運なことだと、二十四の私は思ったのです。

いまも、そう思っています。

大切な人と交わす言葉の順番に迷ったことのある方には、結婚式場の小さな奇跡や変わらないものも、静かな夜に読んでいただけたらと思います。

製材所は、いまも川べりで木を挽いています。

息子は、去年から二本目の線を引き始めました。

年に一枚だけです。

誰が使うかは、まだ決まっていません。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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