一緒に最後まで
福岡市の臨海地区にある総合病院。周囲はクリスマス商戦で賑わっていましたが、病院の玄関には大陸からの冷たい寒気が吹き込んでいました。
そんな夕暮れ時、心肺停止状態の老人を乗せた救急車がERに到着しました。老人は86歳で、瞳孔は完全に散大し、医学的には死亡確認ができる状態でした。彼の身に着けていたのは、パリッと糊の利いた白いシャツで、その姿が印象的でした。
一緒に救急車に乗ってきた80歳の妻によると、老人は自宅の居間でテレビを視ていたはずですが、妻が買い物から帰った時にはすでに息をしていませんでした。長い間、肺気腫を患っており、老衰による死と受け止めても良い状態だったのです。
僕はその日、救急当直であり、医長の指示のもとで心臓マッサージを開始しました。しかし、この心臓マッサージは、患者の妻が死を受け入れるまでのデモンストレーションでもありました。
妻が言うのを待っていたはずが、彼女は予想外の行動を取りました。彼女はよろよろと歩いて来て、僕に心臓マッサージの方法を教えてほしいと頼みました。医長も驚いた表情でしたが、「教えて差し上げなさい」と指示しました。
看護婦が急いで足台を持ってきて、その台に登った老婆に、僕は心臓マッサージの手の置き場所、力加減、タイミングを教えました。彼女は弱々しくも正確なタイミングで心臓マッサージを開始し、「これで良かですか?」と尋ねました。僕は小さく頷き、「お上手ですよ。それで結構です」と答えました。
老婆は微笑みながら夫に語りかけ始めました。「お父さん、あんたはいつも自分のことができなくて、あたしがずっとそばにいてやったんよ。しまいには心臓すら動かしてあげなきゃいけないなんて、情けないけど、あたしは幸せだった。楽しかったわ。覚えてる?姪浜で喧嘩した時のことを……」
その場にいた医療スタッフたちは、彼女の言葉にただ呆然としました。何が始まったのかと、他の仕事をしていた看護婦たちも集まってきました。しかし、医長は手を振って、スタッフたちに病室を退出するように合図しました。
10分ほど経過した後、病室のドアが開き、妻が出てきました。彼女は繰り返し深々と頭を下げ、「御迷惑をお掛けしました。もう結構です」と告げました。その目には涙の跡が残されていましたが、同時に満足そうな微笑みを浮かべていました。
老婆が夫と共に歩んだ人生を胸に、最後の瞬間まで添い遂げたのです。