父が枕元に置いていた空の箱

父の枕元には、二十八年ずっと、同じ箱が置いてあります。

大きさは、みかんが二つ入るくらい。

紙で折った箱で、角は潰れ、糊がはみ出したところが茶色く固まっています。

実家に帰るたび、私はその箱を見ます。

そして毎回、少しだけ息が浅くなります。

あの箱を作ったのは、三つの私だからです。

日田の霧と、杉の匂い

私が育ったのは、大分の日田です。

朝、盆地の底に霧が溜まって、向かいの山が消える町です。

父は三隈木工という小さな工場で、下駄の台を削っていました。

日田杉の柾目を、鉋で薄く薄く送っていく仕事です。

父が帰ってくると、玄関がまず杉の匂いになりました。

作業ズボンの折り返しに、細かい削り屑がいつも溜まっていました。

母はその屑を、玄関のたたきで払わせてから家に入れました。

「もったいないねえ」

母は毎回そう言って、集めた屑を紙袋に入れ、風呂の焚きつけに使っていました。

その頃、うちは貧しかったと思います。

思う、と書いたのは、当時の私にその自覚がなかったからです。

借家の畳は端が擦り切れていて、冬は台所の窓がびっしり結露しました。

母は昼間、椎茸の選別の内職をしていました。

茶色い笠を大きさで分けて、木箱に並べていく仕事です。

私はその横で、いつも紙を折って遊んでいました。

鉋の音でわかること

三隈木工は、川沿いの、トタン屋根の平屋でした。

職人は父を入れて四人。

私は小学校に上がるまで、母に連れられて何度かその中に入りました。

建物の外まで、鉋の音がしていました。

しゃっ、しゃっ、という、紙を裂くのに似た音です。

父の鉋屑は、ほかの人のより長く、切れずにつながって落ちました。

床に落ちた屑は、薄すぎて、向こうの床板が透けて見えました。

下駄の台は、木の目の向きを一本ずつ見て決めます。

柾目のまっすぐな杉は、履いたときに減り方が揃うのだと父は言いました。

「足の裏は、正直じゃけん」

父はそう言って、削り終えた台を裏返し、歯の入る溝を指でなぞりました。

その指の腹には、いつも薄く杉のあくが染みていました。

洗っても落ちない、茶色い色でした。

掛け紙という紙

父の工場では、贈答用の下駄に「掛け紙」というものを掛けます。

桐の箱にかける、和紙のような手ざわりの、少し厚い紙です。

店の名前と、日田杉の絵が刷ってあります。

刷りがずれたり、端が汚れたりすると、その紙は使えません。

父はその紙を、家に持ち帰ることがありました。

私はそれを、絵を描く紙としてもらっていました。

掛け紙の裏は、まっさらで、鉛筆の乗りがよかったのです。

掛け紙は、月に一度、隣町の印刷屋がまとめて刷ってきます。

版が古くて、店の名前の「駄」の字が、しばしばかすれました。

そういう紙は、束のまま返すか、工場の隅の段ボールに放り込まれます。

母は工場に用があるたび、その段ボールから何枚か抜かせてもらっていました。

「子どもの落書き用に」と断って、頭を下げて。

そのことを、母は父には言いませんでした。

言えば、父が「そんな真似はせんでいい」と言うことが分かっていたからです。

父は、紙にうるさい人でした。

「一枚は一枚じゃ」

これが口癖でした。

削り屑ひとつも捨てない家で、紙だけが例外であるはずがありません。

だから私は、母が「これは使うていいよ」と言った箱の紙しか触りませんでした。

三つの子どもなりに、そこだけは守っていました。

母の内職は、一箱いくらの仕事でした。

椎茸の笠を、大きさと厚みで四つに分けます。

指先で笠の縁を押して、跳ね返り方で乾き具合を見るのだと言っていました。

台所の電球の下で、母の手だけがずっと動いていました。

私はその横で、掛け紙の裏に、家の絵ばかり描いていました。

屋根と、窓が二つと、そのあいだに人が三人。

母はときどき手を止めて、その絵を横から見ました。

「三人おるね」

それだけ言って、また笠を分けはじめました。

日田の冬の朝は、霧が濃い日ほど冷え込みます。

父はその霧のなかを、自転車で工場へ通っていました。

前かごに弁当、荷台に鉋の入った木箱。

母は毎朝、玄関先まで出て、父の背中が霧に溶けるまで見ていました。

見送りが済むと、母は必ず、たたきを箒で掃きました。

前の晩に落ちた削り屑を、集めるためです。

クリスマスの前の晩

平成六年の暮れのことです。

うちにツリーはありませんでした。

代わりに、母が裏の蜜柑の木から枝を一本切ってきて、茶の間の隅に立てました。

その枝に、私が折った紙の輪をかけました。

掛け紙を細く切って、糊でつないだ輪です。

母は「ようできた」と言って、輪の数を毎日数えてくれました。

父がその枝の下の箱を見つけたのは、二十四日の夜でした。

仕事から帰って、たたきで削り屑を払って、茶の間に入ったところです。

枝の下に、掛け紙で折った箱がひとつ置いてありました。

不格好で、蓋の合わせ目がずれていて、糊が指の形にはみ出していました。

父はそれを見て、すぐに私を呼びました。

「この紙、どこから持ってきた」

声は大きくありませんでした。

大きくないぶん、部屋の空気が固くなりました。

あの箱を折るのに、私は掛け紙を三枚使ったそうです。

一枚目は角が合わず、二枚目は糊をつけすぎて破れました。

三枚目が、あの箱です。

母は失敗した二枚を、いまも菓子箱の底に取ってあります。

去年の正月、それを見せてもらいました。

くしゃくしゃに折れた紙に、まだ糊の跡が白く残っていました。

「うまいこと折れんで、半日泣きよったよ」

私はその半日を、まったく覚えていません。

父が叱った

私は答えられませんでした。

三つの子どもに、「お母さんがくれた」と説明する言葉がなかったのです。

父は、掛け紙が工場の紙であることだけを見ていました。

「よそさんの紙じゃ」

「勝手に切ったらいけん」

父は膝をついて、私の目の高さで言いました。

「一枚は、一枚じゃ」

私は泣きませんでした。

泣かずに、その箱を両手で持って、父に差し出しました。

「パパ、これはパパのだよ」

父は箱を受け取って、蓋を開けました。

中には、何も入っていませんでした。

父はしばらく、箱の底を見ていました。

それから、こう言いました。

「プレゼントは、空っぽの箱だけかい」

母が台所から出てきかけて、そのまま立ち止まったのを、私はうっすら覚えています。

からっぽじゃないよ

私は父を見上げて、こう言ったそうです。

「からっぽじゃないよ」

「パパのために、キッスをいっぱい入れたの」

「ぜんぶ、パパのなの」

父は、動かなくなりました。

本当に、しばらく動きませんでした。

それから、削り屑のついた手で私を抱き上げて、何度も謝りました。

父が私に謝ったのは、後にも先にもあの一度だけです。

その晩から、箱は父の枕元に置かれるようになりました。

うちに寝室というものはなく、茶の間に布団を敷いて寝る家でしたから、正確には、たたんだ座布団の上でした。

朝になると、母がその箱をそっと簞笥の上に移します。

夜になると、また枕元に戻ります。

二十八年、それが続いています。

父が箱を枕元に置くようになってから、母は寝具の並びを変えました。

それまで父は壁側に寝ていたのですが、箱を置く場所がないという理由で、廊下側に移りました。

冬の廊下側は、明け方に冷えます。

母はそのぶん、父の布団に毛布を一枚足しました。

誰も何も言わないまま、家の並びだけが変わりました。

膝で手を拭く人

父は、あの箱を開ける前に、必ず一度、作業ズボンの膝で両手を拭きました。

石鹸で洗ったあとでも、拭きました。

そして蓋を、一度きちんと閉め直してから、あらためて開けました。

閉めてから開ける、というのは、考えてみればおかしな順序です。

けれど父はいつもそうしました。

私はそれを、父の癖だと思っていました。

父が箱を開けるのは、決まって、うまくいかない日の夜でした。

納期に追われて夜遅くに帰ってきた日。

工場の景気が悪くなって、人が減った年。

私が高校で問題を起こして、担任と話をして帰ってきた晩。

父は何も言わずに座って、膝で手を拭いて、蓋を閉め直して、それから開けました。

中には、いつも何も入っていないはずでした。

高校二年の冬

私は高校で、あまり良い生徒ではありませんでした。

二年の冬に、同級生と揉めて、親が呼ばれました。

父は仕事を早引けして、作業着のまま学校へ来ました。

職員室で、父はほとんど喋りませんでした。

担任が話し終えるまで、膝に手を置いて、まっすぐ座っていました。

帰りの車の中でも、何も言われませんでした。

叱ってくれたほうが楽だったのに、と当時の私は思いました。

その晩、水を飲みに起きたら、茶の間に明かりがついていました。

父が座って、あの箱を持っていました。

膝で手を拭いて、蓋を一度閉め直して、それから開けていました。

私は襖の陰で、それを見ていました。

父は中を見て、しばらくして、蓋を戻しました。

それから、電気を消して寝ました。

私はその晩、なぜだか布団の中で謝りたくなって、けれど朝には言えませんでした。

母が取っておいた紙

私が大人になって、はじめて母に訊いたのは、二十歳を過ぎてからです。

あの紙は、どこから来たのか。

母は椎茸の笠を分ける手を止めずに、こう言いました。

「刷り損じよ」

「捨てる紙だけ、もろうてきよったんよ」

工場では月に何十枚も刷り損じが出ます。

それを一枚ずつもらって、母は簞笥の下の菓子箱に貯めていました。

私が触っていたのは、その箱の紙だけです。

つまり、あの晩、叱られる理由は、どこにもなかったのです。

母は父に、そのことを言わなかったと言いました。

「言うたら、あの人、もっとしんどうなるけん」

父はいまも、あの紙が刷り損じだったことを知りません。

知らないまま、二十八年、その紙で折った箱を枕元に置いています。

箱の底のひとつまみ

父が入院したのは、三年前の冬です。

肺を悪くして、二か月ほど戻れませんでした。

私は実家に泊まって、母と交代で通いました。

病室の父は、しきりに家のことを気にしていました。

戸締まりのこと、風呂の焚きつけのこと、玄関の電球のこと。

私が「大丈夫やけん」と言うと、父は天井を見て、こう言いました。

「箱、簞笥の上にあるか」

それが、二か月のあいだで唯一、父が自分から欲しがったものでした。

翌日、私はそれを持っていきました。

父はベッドの上で、点滴の入っていないほうの手を、寝間着の膝で拭きました。

そして蓋を閉め直してから、開けました。

ある晩、簞笥の上の箱が目に入って、私はそれを手に取りました。

父のいない部屋で、はじめて自分から蓋を開けました。

底に、杉の削り屑が、ひとつまみ入っていました。

屑は、ほんの少しでした。

指でつまめば消えてしまうくらいの量です。

けれど、色が違うものが混ざっていました。

白っぽい杉の屑にまじって、赤みのある、堅そうな屑がありました。

のちに父に訊いたら、それは桜だと言いました。

私の名前に、桜の字が入っています。

父は下駄の台に桜を使うことはほとんどありません。

それでも、年に一度か二度、桜の端材が出た日には、その屑を入れていたのだそうです。

母に見せると、母は「ああ」と言っただけでした。

「毎晩じゃ」

「あの人、寝る前に、ちょっとずつ入れよる」

なぜ、と訊きました。

母は椎茸の木箱を膝に載せたまま、少し笑いました。

「減ったら悪いけん、こっちも入れとかんと不公平じゃろ、て」

父は、私のキッスに、毎晩ひとつまみずつ返事をしていました。

入院した年の屑は、いつもより多く溜まっていました。

母によれば、その冬、父は夜に何度も起きたのだそうです。

そのたびに、ひとつまみ入れていたのだと。

「一晩に一回て決めとったのに、守れんかったみたい」

母はそう言って、少し笑いました。

笑いながら、椎茸の木箱の縁を、指で何度もなぞっていました。

そして母は、もうひとつ教えてくれました。

あの晩、箱を差し出した三つの私は、父にこう言ったのだそうです。

「手を、きれいきれいしてね」

「あけるまえに、ちょっとまってね」

「手を、きれいきれいしてね」と言ったのは、三つの私でした。

父は二十八年、その二つを守っていたのです。

膝で手を拭くのも、蓋を一度閉め直すのも、癖ではありませんでした。

名前の入らない下駄

父の削った下駄の台には、父の名前は入りません。

工場の名前と、産地の焼き印が押されるだけです。

何万足も削って、どれ一つ、父のものではありませんでした。

あの箱の裏には、三つの子どもの字で「ぱぱ」と書いてあります。

ひらがなの「ぱ」の丸が、二つとも紙からはみ出しています。

父の名前が書かれたものは、たぶん、あれだけです。

工場が畳まれた日

三隈木工が閉じたのは、五年前の三月です。

下駄そのものが売れなくなって、最後の二年は、風呂の腰かけや踏み台ばかり削っていました。

私は片づけを手伝いに帰りました。

父は、自分の使っていた鉋を三挺だけ持ち帰りました。

あとは全部、後輩の職人さんに譲りました。

帰り道、車の助手席で、父は膝の上の鉋を手で押さえていました。

「ようけ、削ったなあ」

それだけ言いました。

家に着いて、父はその鉋を仏壇の脇に置きました。

そして、ふと思い出したように、簞笥の上の箱を見ました。

その日の夜も、父は膝で手を拭いて、蓋を閉め直してから、それを開けました。

私は台所から、その音だけを聞いていました。

紙の蓋が合わさる、こつん、という小さな音です。

二十八年、毎晩鳴っていた音でした。

手が震えるようになって

父は今年、七十四になりました。

三隈木工は五年前に畳みました。

いまは手が震えて、鉋を持っても線が引けません。

それでも、朝は五時に起きます。

そして、たたきで、ありもしない削り屑を払う仕草をします。

母はそれを黙って見ています。

私は福岡に出て、いま三十一です。

娘が三つになりました。

先月、その子が私のレシートを切り刻んで、箱のようなものを折りました。

ぐしゃぐしゃで、蓋も閉まりません。

「ママにあげる」

私は、叱りませんでした。

叱らなかった自分に、あとから少し泣きました。

いまも枕元に

正月に、その箱を父に見せに行きました。

孫の折った、レシートの箱です。

父は縁側で、それを受け取りました。

そして、震える手を、一度、ズボンの膝で拭きました。

蓋を、閉まらない蓋を、それでも一度きちんと合わせ直してから、開けました。

中は、当然、空っぽです。

父は底をしばらく見て、こう言いました。

「ようけ、入っとるなあ」

帰り際、父の枕元を見ると、二十八年前の箱がありました。

私は蓋を持ち上げませんでした。

いま何がどれだけ入っているのか、確かめないほうがいい気がしたのです。

杉の匂いは、もうほとんどしません。

それでも、あの家の玄関を出るとき、私はいつも足の裏を一度、たたきでこすります。

癖というものは、たぶん、いちばん静かな遺言です。

不器用な父の思いを描いた話では、父が三十年彫り続けたものや、父の色褪せた半纏も、静かな余韻の残る一編です。

小さな子どもの何気ない一言が家族を変える話としては、娘の朝のおまじないもあわせてお読みいただけたら嬉しく思います。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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