二十個目の錫の湯呑み

灰の降る町から、雪の朝に届いた報せ

師走の朝、まだ暖房の効かない台所で、母から電話がありました。

「お父さん、亡くなってたって」

亡くなった、ではなく、亡くなってた、と母は言いました。

その過去形のわずかなずれが、受話器を握る指先から、ゆっくりと体の芯へ降りてきます。

いつから、という言葉を、私は喉の奥で飲み込みました。

窓の外では、東京にはめずらしい薄い雪が、音もなく舗道を白くしていました。

父の町には、この季節、雪の代わりに桜島の灰が降ります。

母はそれきり黙り、受話器の向こうで、長く息を吐きました。

六月燈の夜に、買ってもらえなかったもの

父と母は、私が小学校に上がる前の年に別れています。

理由を、私は今でも正確には知りません。

金のこと、酒のこと、父の不器用さ。

そのどれもが少しずつ重なって、ある日ふつりと、家族の糸が切れたのだと思います。

父の記憶は、ですから、古い写真の余白みたいに薄く、輪郭がありません。

覚えているのは、煙草の匂いと、いつも何かに苛立っていた背中くらいです。

膝に乗せられた手の感触すら、もう思い出せません。

ただ一つ、はっきりと残っている夜があります。

五つの夏、父に手を引かれて、六月燈の参道を歩きました。

鹿児島の夏は、その灯りから始まります。

石段のわきに並んだ灯籠の絵が、風でゆっくりと揺れていました。

屋台の硝子細工に、私は夢中になりました。

薄い青の、金魚を模した小さな置物でした。

ねだると、父は値札をじっと見て、それから何も言わずに私の手を引きました。

買ってはくれませんでした。

帰り道、私は父の手を振りほどこうとして、うまくいかず、黙って歩きました。

父も、家に着くまで、一言も話しませんでした。

あの晩の私は、父を、けちな人だと思ったのです。

翌朝、枕元にあった小さな湯呑み

翌朝、目を覚ますと、枕元に小さな錫の湯呑みが置いてありました。

子どもの手にちょうど納まる、ずんぐりとした形です。

父は、鹿児島で錫器を打つ職人でした。

底には、私の名の一字が、拙い鏨で彫ってありました。

「口が合わんか」と、父は私の顔をのぞき込みました。

合わない、と答えると、父は湯呑みの縁を、太い指で少しずつ外へ広げていきました。

錫は柔らかいので、指の力だけで、わずかに形が変わるのです。

私の下唇に当てては広げ、また当てては広げ。

その手つきが、ひどく手こずっていたことだけを、私は四十年経っても覚えています。

硝子の金魚のことは、その朝のうちに、きれいに忘れてしまいました。

父は、湯呑みの縁を直しながら、こう言いました。

「錫はな、へこんでも、直るとよ」

それから、こうも言いました。

「いちばんへこんだところは、最後まで叩かんとよ」

意味は、分かりませんでした。

父は、いちばんへこんだところを、最後まで叩かない人でした。

幼い頃、私は一度だけ、その工房に連れて行かれたことがあります。

棚には、酒器や皿が、鈍い銀色で並んでいました。

錫は磨けば白く光り、放っておけば、静かに翳っていきます。

父はその翳りを、灰みたいだ、と言っていたそうです。

桜島が降らせるものと同じ色に、自分の作るものが落ち着いていくのが、気に入っていたのでしょう。

私はその日、削り屑を両手ですくって、母に叱られました。

錫の削り屑は、思ったよりずっと重いのです。

いないものとして、私は大人になりました

母の口から出る父の話は、決まって借金と、自分のことしか考えない人だという愚痴でした。

私もいつしか、父とはそういう人なのだと、考えるのをやめていました。

年賀状の一枚も来ない父に、こちらから便りを出すこともありません。

父という存在は、私の人生のずっと隅のほうで、輪郭を失ったまま静かに錆びていきました。

もっとも、錫は錆びません。

錆びないまま、ただ黒ずんでいくだけです。

会いたいとも、会いたくないとも思わない。

ただ、いないものとして、私は大人になりました。

両親が別れたあと、父と顔を合わせたのは、片手で数えられるほどです。

中学の入学式にも、成人式にも、父はいませんでした。

結婚式にだけ、母に促されて、しぶしぶ案内状を送りました。

父は来ませんでした。

代わりに、祝儀袋だけが、宛名もそっけない字で届きました。

小さな工房の実入りにしては多すぎる額が、そこに入っていました。

私はそれを、見栄だと思って、ろくに礼も言いませんでした。

最後に会ったのは、三年前の夏です。

自分の子を連れて、天文館の甘味屋で向き合いました。

母が、一度くらい孫の顔を見せてやれと、しつこく言ったからです。

父は相変わらず何も語らず、削り氷を一つだけ頼んで、孫の前に置きました。

自分は水を飲んでいるだけでした。

孫がはしゃいでも、目尻をわずかに緩めるだけで、言葉はありません。

別れ際、父は孫の頭にそっと手を伸ばしかけて、結局その手を引っ込めました。

伸ばしかけて、引っ込めた、その中途半端な手を、私はずっと忘れられずにいます。

語らない父を持った人の話を、私は後になっていくつも読みました。父が紋付の裏に遺した言葉という話に触れたとき、私は自分の父の、あの引っ込めた手を思い出しました。

中学二年の冬に、一度だけ、父が学校の前に立っていたことがありました。

紙袋を提げて、校門から少し離れた電柱のわきに、ただ立っているのです。

友達に見られたくなくて、私は気づかないふりをして、通り過ぎました。

翌日、その電柱の下に、紙袋が置いてありました。

中には、私の名の一字が彫られた、小さな錫の湯呑みが入っていました。

私はそれを、その日の帰りに、川へ投げようとして、やめました。

やめた理由は、いまだに自分でも分かりません。

結局それは、机の引き出しの奥で、何年も黒ずんでいきました。

桐箱の十九個のうち、その年のぶんだけが空いていたことに、私は後から気づきます。

葬儀の日に、常連の人が言ったこと

父は長く患っていた持病を、通院の金を惜しんで放っていたそうです。

工房の隅には、薬の袋が、封を切らないまま溜まっていたと聞きました。

見つかったのは、年の瀬も押し迫った寒い晩でした。

発見が遅れたのは、訪ねてくる者も、案じる者も、いなかったからです。

葬儀は、ごく内輪で、あっけなく終わりました。

参列したのは、私と母、それに工房の常連だったという年寄りが二人きり。

焼香のあいだ、そのうちの一人が、ぽつりと言いました。

「あんたの親父さん、あんたの話ばっかりしとったよ」

私は、聞き間違いかと思いました。

あの無口な父が、私の何を、誰に語ることがあるというのでしょう。

年寄りはそれ以上、何も言いませんでした。

甲突川のそばの、間口の狭い工房

遺品の整理に、私はひとりで鹿児島へ向かいました。

飛行機を降りると、十二月の空気に、うっすらと灰の匂いが混じっていました。

路面電車の窓が、細かい粒でざらついています。

父が毎日歩いたであろう道を、私は初めて、自分の足で踏みました。

角を曲がるたびに、知らない父の生活が、少しずつ立ち上がってきます。

工房は、甲突川ぞいの商店街のはずれ、日の当たらない一角にありました。

色の褪せた「錫器打ち直し」の看板が、灰をかぶって傾いています。

鍵を開けて中へ入ると、金気と油の混じった、独特の匂いがしました。

轆轤の台に、削り屑が薄く積もっています。

壁には、大小の当て金と木槌が、大きさの順に掛けてありました。

その並びだけが、この部屋でただ一つ、几帳面な場所でした。

奥は、人ひとりが寝起きするだけの、こぢんまりとした畳の間です。

擦り切れた座布団、小さなちゃぶ台、封を切っていない薬。

贅沢なものは、何ひとつありません。

壁には、私が小学生の頃に描いた、下手な家族の絵が、画鋲で留めてありました。

いつ、どうやって父の手に渡ったのか、私には見当もつきません。

色あせたその絵を、父は何十年も、たった一人で眺めていたのです。

作業台の真ん中に置かれていたもの

作業台の上だけが、不思議なほど、きちんと片づけられていました。

木槌は柄の向きを揃えて置かれ、当て金は布で拭かれています。

その台の中央に、見覚えのある小さな錫の湯呑みが、布の上にそっと据えてありました。

ずんぐりとした、子どもの手に納まる形。

底には、私の名の一字。

あの朝、枕元にあった湯呑みでした。

ただ、記憶と、ひとつだけ違うところがありました。

胴のいちばん深いへこみが、私の覚えている位置にないのです。

手に取ると、思っていたよりずっと軽い。

窓のほうへかざすと、へこみの底が、うっすらと光を通しました。

錫は、打つたびに伸びて、薄くなります。

この一個は、数えきれないほど打ち直されていました。

桐箱の中の、十九個

棚の上に、桐の箱がありました。

紐を解くと、和紙にくるまれた湯呑みが、行儀よく並んでいました。

同じ形の、同じ大きさの、同じ底の一字の湯呑みが、十九個ありました。

並びの手前から奥へ、少しずつ縁の角が丸くなっていきます。

和紙にはそれぞれ、年号だけが鉛筆で書いてありました。

両親が別れた年から、去年まで。

一年に、ひとつずつ。

作業台の上の一個が、二十個目でした。

いえ、順序は逆でした。

作業台の上のものだけが、いちばん古い、最初の一個だったのです。

薄くなるほど打ち直されていたのは、それが十九回ぶん、打ち直され続けたからでした。

桐箱の十九個は、私に送るために毎年打たれた新しいもの。

作業台の一個は、私が置き忘れていった、あの最初のもの。

引き出しを開けると、修理伝票の古い束に紛れて、一枚のメモがありました。

父の、角ばった不器用な字です。

「直ったら、送ってやろう」

ただ、それだけでした。

送る住所も、私の電話番号も、そこには書かれていません。

書かなくても、父はとうに、それを諳んじていたのかもしれません。

伝票の束の、いちばん古い一枚の裏に、走り書きがありました。

息子の湯呑み、いつか渡す。

日付は、両親が別れた、あの春のものでした。

父は二十年、その一行を、自分への約束のように抱え続けていたのです。

隣の店の婆さんが教えてくれたこと

片づけをしていると、隣で豆腐屋を営む婆さんが、線香を上げに来てくれました。

婆さんは工房を見渡して、あんたが息子さんか、とだけ言いました。

それから、桐箱の中を見て、ああ、と小さく声を漏らしました。

「毎年、あんたの誕生日の週に、一個ずつ打っとらしたよ」

その週だけ、父は店の戸を昼まで閉めていたのだそうです。

私は、送り先が分からなかったのだろうか、と訊きました。

婆さんは、首を横に振りました。

「送り先が分からんとやなか。送る顔がなかったとよ」

湯呑みは毎年できるのに、送る顔だけが、二十年、できなかったのです。

婆さんは、作業台の上の薄い一個を、指でそっと撫でました。

「これがいちばん古か。何べんも何べんも、打ち直しとらしたけんね」

あの春、私が土間に落として、深くへこませたのだと、婆さんは言いました。

母と父が言い争っている台所のわきで、私が投げるように置いたのだと。

私には、その記憶がありません。

けれど、へこみの深さだけが、私の代わりに覚えていました。

父は、二十年ぶん、私の湯呑みを打ち続けていました。

まわりから寄せるということ

婆さんは帰りぎわに、湯呑みの直し方を、少しだけ話してくれました。

内側から当て金を入れて、木槌でまわりから叩いていくのだそうです。

「いちばんへこんどるところを、先に叩いたらいかんとよ」

そこを先に叩くと、錫はそこだけ伸びて、二度と元の丸みに戻らない。

「まわりから寄せていけば、真ん中は、いつのまにか上がってくるとよ」

私は、五つの夏の朝の言葉を、そこでようやく思い出しました。

父は、私に対しても、同じ直し方をしていたのです。

会いに来ることも、詫びることも、父はしませんでした。

いちばん深いところには、二十年、手を触れなかったのです。

その代わりに、毎年ひとつ、まわりを打っていました。

結婚式の祝儀袋も、薬を買わずに貯めた封筒も、きっとその一打ちでした。

婆さんは、簞笥の奥の封筒のことも教えてくれました。

「息子ん家に何かあったときの金じゃ、てよう言うとらしたよ」

私は、見栄だと決めつけて礼も言わなかった、あの封筒を思い出しました。

何も知らなかった自分が、ただ恥ずかしかった。

婆さんは、湯を飲みながら、父の可笑しな癖の話もしてくれました。

灰の降った朝は、店の前を三度掃くのだそうです。

一度では気が済まず、二度でも足りず、三度掃いてやっと戸を開ける。

「うちの前まで掃いてくれるもんやから、こっちは掃くとこがなかとよ」

婆さんは、そう言って、少しだけ笑いました。

私は、その掃き方も、まわりから寄せていく打ち方と同じなのだろうと思いました。

東京に帰って、私は母に、桐箱のことを話しました。

母はしばらく黙ってから、湯呑みが十九個ね、とだけ言いました。

それから、あの人らしいわ、と付け足して、それきり何も言いませんでした。

台所の換気扇の音が、やけに大きく聞こえた夜でした。

錫が鳴いた朝

その晩、私は工房に残りました。

壁から木槌を取り、いちばん小さな当て金を、湯呑みの内側に入れました。

父がそうしようとした位置に、そっと据えます。

いちばん深いところには、手を触れませんでした。

まわりから、こつ、こつ、と、遠慮がちに叩いていきます。

震える手では、まっすぐには当たりません。

それでも、二十回ほど叩いたころ、真ん中が、わずかに持ち上がりました。

錫は、曲げると鳴く金物です。

きゅう、と、ごく小さな音が、私の手のひらの中で鳴りました。

その音を聞いた瞬間、堪えていたものが、ぜんぶ溢れました。

父が直しきれなかった続きを、私が、たった今、引き継いでしまった。

ちゃんと直しておいてやったよ。

なんで、二十年も黙っとったんだ。

声に出して、私は、誰もいない工房で、子どものように泣きました。

工房を畳む日、私は二十個ぶんの湯呑みを、東京へ持ち帰りました。

いちばん薄い一個だけを、台所の棚の、手の届く場所に置いています。

縁は、五つの私の口に合わせて広げてあるので、大人には合いません。

朝、茶を飲むと、少しだけ、口の端からこぼれます。

こぼれるたびに、あの太い指が、私の下唇に湯呑みを当てていた朝を思います。

不器用な人でした。

語る言葉を持たない人でもありました。

けれど父は、二十年、いちばん深いところを避けながら、まわりを打ち続けていたのです。

先日、息子がその湯呑みを手に取って、少し驚いた顔をしました。

「これ、鳴った」

鳴くんだよ、と私は答えました。

錫はな、へこんでも、直るとよ。

父の言い方を真似すると、息子は不思議そうに、湯呑みをもう一度握りました。

いつか、この子にも、いちばん深いところの叩き方を教えてやろうと思います。

毎朝それを手に取るたび、いちばんへこんだところに、父の指の順番を思います。

親の不器用さに、あとから気づく話を、私はほかにも読みました。義父が黙って巻いた時計もまた、何も言わない人の手が語っていた物語でした。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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