親父の思い出

師走の朝、まだ暖房も効かない台所で、母から電話があった。

「お父さん、亡くなってたって」

亡くなった、ではなく、亡くなってた、と母は言った。

その過去形のわずかなずれが、受話器を握る指先から、ゆっくりと体の芯へ降りてきた。

いつから、という言葉を、私は喉の奥で飲み込んだ。

窓の外では、薄い雪が、音もなく舗道を白くしていた。

母はそれきり黙り、受話器の向こうで、長く息を吐いた。

父と母は、私が小学校に上がる前の年に別れている。

理由を、私は今でも正確には知らない。

金のこと、酒のこと、父の不器用さ。

そのどれもが少しずつ重なって、ある日ふつりと、家族の糸が切れたのだと思う。

父の記憶は、だから、古い写真の余白みたいに薄く、輪郭がない。

覚えているのは、煙草の匂いと、いつも何かに苛立っていた背中くらいだ。

私を膝に乗せた手の感触すら、もう思い出せない。

ただ一つ、はっきりと残っている思い出がある。

五つの夏、父に手を引かれて、城下町の夜祭りへ行った。

屋台の灯りの下で、私は玩具の時計に夢中になった。

文字盤の青い、子ども向けの安物の腕時計だった。

ねだると、父は珍しく、何も言わずにそれを買ってくれた。

店の親父に頼んで、私の小さな手首に、その場で巻いてくれた。

父の指は太くて、留め金をとめるのに、ずいぶん手こずっていた。

その不器用な手つきだけを、私はなぜか、四十年経っても覚えている。

母の口から出る父の話は、決まって借金と、自分のことしか考えない人だという愚痴だった。

私もいつしか、父とはそういう人なのだと、考えるのをやめていた。

年賀状の一枚も来ない父に、こちらから便りを出すこともなかった。

父という存在は、私の人生のずっと隅のほうで、輪郭を失ったまま静かに錆びていた。

会いたいとも、会いたくないとも思わない。

ただ、いないものとして、私は大人になった。

父は信州の城下町で、小さな時計の修理店をひとりで営んでいた。

間口の狭い、シャッターの錆びた店だったと、後から知った。

幼い頃に一度だけ連れて行かれた記憶が、かろうじて残っている。

硝子のケースの中で、たくさんの秒針が、てんでばらばらに時を刻んでいた。

カチ、コチ、と、揃わない音が、店じゅうに満ちていた。

その不揃いの音が、なぜか今も耳の奥に張りついている。

父はその音の真ん中で、背を丸めて、小さな歯車をのぞき込んでいた。

両親が別れたあと、父と顔を合わせたのは、片手で数えられるほどだ。

中学の入学式にも、成人式にも、父はいなかった。

私の結婚式にだけ、母に促されて、しぶしぶ案内状を送った。

父は来なかった。

代わりに、祝儀袋だけが、宛名もそっけない字で届いた。

中には、小さな店の売り上げにしては多すぎる額が、入っていた。

私はそれを、見栄だと思って、ろくに礼も言わなかった。

最後に会ったのは、三年前の暮れだった。

自分の子を連れて、城下町の蕎麦屋で向き合った。

母が、一度くらい孫の顔を見せてやれと、しつこく言ったからだ。

父は相変わらず何も語らず、黙々と蕎麦をたぐり、茶をすすって、先に席を立った。

孫がはしゃいでも、目尻をわずかに緩めるだけで、言葉はなかった。

別れ際、父は孫の頭にそっと手を伸ばしかけて、結局その手を引っ込めた。

伸ばしかけて、引っ込めた、その中途半端な手を、私はずっと忘れられずにいる。

父の死因は、糖尿の悪化だったという。

病院に通う金を惜しんで、インスリンを半年近く打っていなかったらしい。

部屋の隅には、安い菓子と炭酸のペットボトルが、空のまま積まれていた。

血糖を上げるそれらを、父は最後に、すがるように口にしていたのだろうか。

座椅子に背を預けたまま、もがいた跡もなく、静かに事切れていた。

見つかったのは、年の瀬も押し迫った、寒い晩だったと聞いた。

発見が遅れたのは、訪ねてくる者も、案じる者も、いなかったからだ。

葬儀は、ごく内輪で、あっけなく終わった。

参列したのは、私と母、それに店の常連だったという老人が、二人きり。

焼香のあいだ、老人のひとりが、ぽつりと言った。

「あんたの親父さん、あんたの話ばっかりしとったよ」

私は、聞き間違いかと思った。

あの無口な父が、私の何を、誰に語ることがあるというのか。

老人はそれ以上、何も言わなかった。

遺品の整理に、私はひとりで城下町へ向かった。

誰も来ないだろうし、ひとりで十分だと思った。

特急を乗り継ぎ、雪の積もるホームに降りると、空気が刃物のように冷たかった。

駅前から続く石畳の道を、地図を頼りに歩いた。

父が毎日歩いたであろう道を、私は初めて、自分の足で踏んだ。

角を曲がるたびに、知らない父の生活が、少しずつ立ち上がってくる気がした。

店は、商店街のはずれの、日の当たらない一角にあった。

色の褪せた「時計修理」の看板が、雪をかぶって傾いていた。

鍵を開けて中へ入ると、油と埃の混じった、独特の匂いがした。

硝子のケースの時計は、もう誰も巻く者がなく、すべて止まっていた。

あれほど店を満たしていた、不揃いの秒針の音が、嘘のように消えていた。

止まった時計の海の中で、私はしばらく、立ち尽くしていた。

店の奥は、人ひとりが寝起きするだけの、こぢんまりとした畳の間だった。

擦り切れた座布団、小さなちゃぶ台、薬の袋。

贅沢なものは、何ひとつなかった。

壁には、私が小学生の頃に描いた、下手な家族の絵が、画鋲で留めてあった。

いつ、どうやって父の手に渡ったのか、私には見当もつかなかった。

色あせたその絵を、父は何十年も、たった一人で眺めていたのだ。

作業机の上だけが、不思議なほど、きちんと片づけられていた。

工具は種類ごとに並べられ、拡大鏡は布で磨かれていた。

その机の中央に、見覚えのある古い腕時計が、布の上にそっと置かれていた。

文字盤の小さな、青い時計。

あの夜祭りで、父が私の手首に巻いてくれた、最初の時計だった。

とうに失くしたと思っていた、私の、子どもの時計だった。

両親が別れたあの春、私はこの時計を、父の家に置き忘れていったのだ。

取りに戻ることも、欲しいと言うこともないまま、忘れていた。

その時計を、父は二十年以上も、捨てずに持っていた。

いや、ただ持っていたのではなかった。

裏蓋は開けられ、小さな歯車が一つ、ピンセットで外しかけのまま残されていた。

電池はとうに液漏れし、機械の中は、赤茶色に錆びついていた。

その錆を、父は一つひとつ、根気よく落とそうとしていた途中だった。

机には拡大鏡が伏せられ、油の差された綿棒が、揃えて置かれていた。

小さな部品が、なくさないように、小皿に分けて並べてあった。

まるで、明日の続きを当たり前に待っているような、整え方だった。

持ち主の手が、ある日ふつりと止まったことを、机だけが知らずにいた。

私は、その途中で止まった時計を、しばらく手に取れずにいた。

何のために、と思った。

会いもしない、便りもよこさない息子の、子どもの時計を。

独りきりの、暗い店の奥で、老いて震える手で、なぜ直そうとしていたのか。

視力も、とうに衰えていたはずだ。

それでも父は、毎晩のように拡大鏡をのぞき、小さな錆と格闘していた。

その理由を尋ねる相手は、もう、どこにもいなかった。

机の引き出しを開けると、修理伝票の古い束に紛れて、一枚のメモがあった。

父の、角ばった不器用な字で、こう書いてあった。

「直ったら、送ってやろう」

ただ、それだけだった。

送る住所も、私の電話番号も、そこには書かれていなかった。

書かなくても、父はとうに、それを諳んじていたのかもしれない。

伝票の束には、何十年分もの、几帳面な父の字が並んでいた。

客の名前と、預かった時計と、直した日付。

そのいちばん古い一枚の裏に、走り書きのような小さな文字を見つけた。

息子の時計、いつか直す、と、それだけが書いてあった。

日付は、両親が別れた、あの春のものだった。

父は二十年以上、その一行を、自分への約束のように抱え続けていたのだ。

きっと、聞けなかったのだ。

今さらどんな顔で連絡すればいいのか、最後まで分からなかったのだ。

だから、せめてこの時計だけでも直しておいて。

いつか渡せる日が来たら、何でもない顔で手渡そうと。

そう決めて、ひとりで、その日を待っていた。

その日は、とうとう来なかった。

来るはずも、なかったのに。

私は、店の隅の道具箱から、新しい電池を探し出した。

震える指で、外しかけの歯車を、父がそうしようとした位置に、そっと戻した。

拡大鏡をのぞき、見よう見まねで、最後の部品をはめる。

裏蓋を閉め、竜頭を、ゆっくりと巻いた。

二十年以上、止まっていた青い秒針が、こく、と一つ、動いた。

こく、こく、と、遠慮がちに、時を刻み始めた。

その小さな音を聞いた瞬間、堪えていたものが、ぜんぶ溢れた。

止まった時計だらけの店の中で、たった一つ、その青い時計だけが動いていた。

父が直しきれなかった続きを、私が、たった今、引き継いでしまった。

ちゃんと直しておいてやったよ。

ちゃんと、動いてるよ。

なんで言ってくれなかったんだ。

最後まで、不器用なまんまで。

伸ばしかけた手を、引っ込めるような人のままで。

一緒に、城下町の蕎麦でも、もう一度たぐりたかったよ。

酒の一杯くらい、注いでやりたかったよ。

声に出して、私は、誰もいない店の奥で、子どものように泣いた。

硝子ケースの止まった時計たちが、それを静かに見ていた。

片づけを終えた夕方、隣で金物屋を営む老人が、線香を上げに来てくれた。

老人は店を見渡して、あんたが息子さんか、とだけ言った。

父は晩年、ほとんど修理の依頼も減り、暮らしは楽ではなかったらしい。

それでも父は、入った金をきちんと封筒に分け、簞笥の奥に積んでいたという。

「あれは、息子の家に何かあったときの金だって、よう言うとった」

私は、結婚式に届いた、多すぎた祝儀袋を思い出した。

見栄だと決めつけて、礼も言わなかった、あの封筒を。

父は、自分の薬代を削ってまで、会えない私のための金を、ずっと貯めていたのだ。

老人は、湯呑みの茶をすすって、ぽつりと続けた。

「不器用な人やったけど、あんたのことだけは、いつも気にかけとったよ」

その言葉が、冷えた店の空気に、ゆっくりと染みていった。

私は、何も知らなかった自分が、ただ恥ずかしかった。

店を畳む日、私はその腕時計を、自分の手首に巻いて帰った。

子どもの腕に合わせたベルトは、もう私の手首には小さくて、革を継ぎ足してもらった。

少し進みの早い、頼りない時計だ。

きっと、父の手も、最後は思うように動かなかったのだろう。

それでも、毎朝それを巻くたびに、油の匂いのする暗い店の奥を思う。

父は、語る言葉を持たない人だった。

けれど、語らないなりに、ずっと私の時間を、直そうとしてくれていたのだ。

父らしい、不器用な最期だったのかもしれない。

今ならそう思える。

あの常連の老人が言った言葉を、私はようやく信じられる気がしている。

父はきっと、店に来る誰かれに、私の話をしていたのだ。

会えない息子の自慢を、時計の音にまぎれて、ぽつりぽつりと。

夜祭りで手こずりながら時計を巻いてくれた、あの太い指のままで。

手首で小さく時を刻むこの音だけが、私と父をつなぐ、たった一つの言葉になった。

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