二十個目の錫の湯呑み

二十個目の錫の湯呑み

灰の降る町から、雪の朝に届いた報せ

師走の朝、まだ暖房の効かない台所で、母から電話がありました。

「お父さん、亡くなってたって」

亡くなった、ではなく、亡くなってた、と母は言いました。

その過去形のわずかなずれが、受話器を握る指先から、ゆっくりと体の芯へ降りてきます。

いつから、という言葉を、私は喉の奥で飲み込みました。

窓の外では、東京にはめずらしい薄い雪が、音もなく舗道を白くしていました。

父の町には、この季節、雪の代わりに桜島の灰が降ります。

母はそれきり黙り、受話器の向こうで、長く息を吐きました。

※

六月燈の夜に、買ってもらえなかったもの

父と母は、私が小学校に上がる前の年に別れています。

理由を、私は今でも正確には知りません。

金のこと、酒のこと、父の不器用さ。

そのどれもが少しずつ重なって、ある日ふつりと、家族の糸が切れたのだと思います。

父の記憶は、ですから、古い写真の余白みたいに薄く、輪郭がありません。

覚えているのは、煙草の匂いと、いつも何かに苛立っていた背中くらいです。

膝に乗せられた手の感触すら、もう思い出せません。

※

ただ一つ、はっきりと残っている夜があります。

五つの夏、父に手を引かれて、六月燈の参道を歩きました。

鹿児島の夏は、その灯りから始まります。

石段のわきに並んだ灯籠の絵が、風でゆっくりと揺れていました。

屋台の硝子細工に、私は夢中になりました。

薄い青の、金魚を模した小さな置物でした。

ねだると、父は値札をじっと見て、それから何も言わずに私の手を引きました。

買ってはくれませんでした。

帰り道、私は父の手を振りほどこうとして、うまくいかず、黙って歩きました。

父も、家に着くまで、一言も話しませんでした。

あの晩の私は、父を、けちな人だと思ったのです。

※

翌朝、枕元にあった小さな湯呑み

翌朝、目を覚ますと、枕元に小さな錫の湯呑みが置いてありました。

子どもの手にちょうど納まる、ずんぐりとした形です。

父は、鹿児島で錫器を打つ職人でした。

底には、私の名の一字が、拙い鏨で彫ってありました。

「口が合わんか」と、父は私の顔をのぞき込みました。

合わない、と答えると、父は湯呑みの縁を、太い指で少しずつ外へ広げていきました。

錫は柔らかいので、指の力だけで、わずかに形が変わるのです。

私の下唇に当てては広げ、また当てては広げ。

その手つきが、ひどく手こずっていたことだけを、私は四十年経っても覚えています。

硝子の金魚のことは、その朝のうちに、きれいに忘れてしまいました。

※

父は、湯呑みの縁を直しながら、こう言いました。

「錫はな、へこんでも、直るとよ」

それから、こうも言いました。

「いちばんへこんだところは、最後まで叩かんとよ」

意味は、分かりませんでした。

父は、いちばんへこんだところを、最後まで叩かない人でした。

※

※

幼い頃、私は一度だけ、その工房に連れて行かれたことがあります。

棚には、酒器や皿が、鈍い銀色で並んでいました。

錫は磨けば白く光り、放っておけば、静かに翳っていきます。

父はその翳りを、灰みたいだ、と言っていたそうです。

桜島が降らせるものと同じ色に、自分の作るものが落ち着いていくのが、気に入っていたのでしょう。

私はその日、削り屑を両手ですくって、母に叱られました。

錫の削り屑は、思ったよりずっと重いのです。

いないものとして、私は大人になりました

母の口から出る父の話は、決まって借金と、自分のことしか考えない人だという愚痴でした。

私もいつしか、父とはそういう人なのだと、考えるのをやめていました。

年賀状の一枚も来ない父に、こちらから便りを出すこともありません。

父という存在は、私の人生のずっと隅のほうで、輪郭を失ったまま静かに錆びていきました。

もっとも、錫は錆びません。

錆びないまま、ただ黒ずんでいくだけです。

会いたいとも、会いたくないとも思わない。

ただ、いないものとして、私は大人になりました。

※

両親が別れたあと、父と顔を合わせたのは、片手で数えられるほどです。

中学の入学式にも、成人式にも、父はいませんでした。

結婚式にだけ、母に促されて、しぶしぶ案内状を送りました。

父は来ませんでした。

代わりに、祝儀袋だけが、宛名もそっけない字で届きました。

小さな工房の実入りにしては多すぎる額が、そこに入っていました。

私はそれを、見栄だと思って、ろくに礼も言いませんでした。

※

最後に会ったのは、三年前の夏です。

自分の子を連れて、天文館の甘味屋で向き合いました。

母が、一度くらい孫の顔を見せてやれと、しつこく言ったからです。

父は相変わらず何も語らず、削り氷を一つだけ頼んで、孫の前に置きました。

自分は水を飲んでいるだけでした。

孫がはしゃいでも、目尻をわずかに緩めるだけで、言葉はありません。

別れ際、父は孫の頭にそっと手を伸ばしかけて、結局その手を引っ込めました。

伸ばしかけて、引っ込めた、その中途半端な手を、私はずっと忘れられずにいます。

語らない父を持った人の話を、私は後になっていくつも読みました。父が紋付の裏に遺した言葉という話に触れたとき、私は自分の父の、あの引っ込めた手を思い出しました。

※

※

中学二年の冬に、一度だけ、父が学校の前に立っていたことがありました。

紙袋を提げて、校門から少し離れた電柱のわきに、ただ立っているのです。

友達に見られたくなくて、私は気づかないふりをして、通り過ぎました。

翌日、その電柱の下に、紙袋が置いてありました。

中には、私の名の一字が彫られた、小さな錫の湯呑みが入っていました。

私はそれを、その日の帰りに、川へ投げようとして、やめました。

やめた理由は、いまだに自分でも分かりません。

結局それは、机の引き出しの奥で、何年も黒ずんでいきました。

桐箱の十九個のうち、その年のぶんだけが空いていたことに、私は後から気づきます。

葬儀の日に、常連の人が言ったこと

父は長く患っていた持病を、通院の金を惜しんで放っていたそうです。

工房の隅には、薬の袋が、封を切らないまま溜まっていたと聞きました。

見つかったのは、年の瀬も押し迫った寒い晩でした。

発見が遅れたのは、訪ねてくる者も、案じる者も、いなかったからです。

※

葬儀は、ごく内輪で、あっけなく終わりました。

参列したのは、私と母、それに工房の常連だったという年寄りが二人きり。

焼香のあいだ、そのうちの一人が、ぽつりと言いました。

「あんたの親父さん、あんたの話ばっかりしとったよ」

私は、聞き間違いかと思いました。

あの無口な父が、私の何を、誰に語ることがあるというのでしょう。

年寄りはそれ以上、何も言いませんでした。

※

甲突川のそばの、間口の狭い工房

遺品の整理に、私はひとりで鹿児島へ向かいました。

飛行機を降りると、十二月の空気に、うっすらと灰の匂いが混じっていました。

路面電車の窓が、細かい粒でざらついています。

父が毎日歩いたであろう道を、私は初めて、自分の足で踏みました。

角を曲がるたびに、知らない父の生活が、少しずつ立ち上がってきます。

※

工房は、甲突川ぞいの商店街のはずれ、日の当たらない一角にありました。

色の褪せた「錫器打ち直し」の看板が、灰をかぶって傾いています。

鍵を開けて中へ入ると、金気と油の混じった、独特の匂いがしました。

轆轤の台に、削り屑が薄く積もっています。

壁には、大小の当て金と木槌が、大きさの順に掛けてありました。

その並びだけが、この部屋でただ一つ、几帳面な場所でした。

※

奥は、人ひとりが寝起きするだけの、こぢんまりとした畳の間です。

擦り切れた座布団、小さなちゃぶ台、封を切っていない薬。

贅沢なものは、何ひとつありません。

壁には、私が小学生の頃に描いた、下手な家族の絵が、画鋲で留めてありました。

いつ、どうやって父の手に渡ったのか、私には見当もつきません。

色あせたその絵を、父は何十年も、たった一人で眺めていたのです。

※

作業台の真ん中に置かれていたもの

作業台の上だけが、不思議なほど、きちんと片づけられていました。

木槌は柄の向きを揃えて置かれ、当て金は布で拭かれています。

その台の中央に、見覚えのある小さな錫の湯呑みが、布の上にそっと据えてありました。

ずんぐりとした、子どもの手に納まる形。

底には、私の名の一字。

あの朝、枕元にあった湯呑みでした。

※

ただ、記憶と、ひとつだけ違うところがありました。

胴のいちばん深いへこみが、私の覚えている位置にないのです。

手に取ると、思っていたよりずっと軽い。

窓のほうへかざすと、へこみの底が、うっすらと光を通しました。

錫は、打つたびに伸びて、薄くなります。

この一個は、数えきれないほど打ち直されていました。

※

桐箱の中の、十九個

棚の上に、桐の箱がありました。

紐を解くと、和紙にくるまれた湯呑みが、行儀よく並んでいました。

同じ形の、同じ大きさの、同じ底の一字の湯呑みが、十九個ありました。

並びの手前から奥へ、少しずつ縁の角が丸くなっていきます。

和紙にはそれぞれ、年号だけが鉛筆で書いてありました。

両親が別れた年から、去年まで。

一年に、ひとつずつ。

※

作業台の上の一個が、二十個目でした。

いえ、順序は逆でした。

作業台の上のものだけが、いちばん古い、最初の一個だったのです。

薄くなるほど打ち直されていたのは、それが十九回ぶん、打ち直され続けたからでした。

桐箱の十九個は、私に送るために毎年打たれた新しいもの。

作業台の一個は、私が置き忘れていった、あの最初のもの。

※

引き出しを開けると、修理伝票の古い束に紛れて、一枚のメモがありました。

父の、角ばった不器用な字です。

「直ったら、送ってやろう」

ただ、それだけでした。

送る住所も、私の電話番号も、そこには書かれていません。

書かなくても、父はとうに、それを諳んじていたのかもしれません。

※

伝票の束の、いちばん古い一枚の裏に、走り書きがありました。

息子の湯呑み、いつか渡す。

日付は、両親が別れた、あの春のものでした。

父は二十年、その一行を、自分への約束のように抱え続けていたのです。

※

隣の店の婆さんが教えてくれたこと

片づけをしていると、隣で豆腐屋を営む婆さんが、線香を上げに来てくれました。

婆さんは工房を見渡して、あんたが息子さんか、とだけ言いました。

それから、桐箱の中を見て、ああ、と小さく声を漏らしました。

「毎年、あんたの誕生日の週に、一個ずつ打っとらしたよ」

その週だけ、父は店の戸を昼まで閉めていたのだそうです。

私は、送り先が分からなかったのだろうか、と訊きました。

婆さんは、首を横に振りました。

「送り先が分からんとやなか。送る顔がなかったとよ」

湯呑みは毎年できるのに、送る顔だけが、二十年、できなかったのです。

※

婆さんは、作業台の上の薄い一個を、指でそっと撫でました。

「これがいちばん古か。何べんも何べんも、打ち直しとらしたけんね」

あの春、私が土間に落として、深くへこませたのだと、婆さんは言いました。

母と父が言い争っている台所のわきで、私が投げるように置いたのだと。

私には、その記憶がありません。

けれど、へこみの深さだけが、私の代わりに覚えていました。

父は、二十年ぶん、私の湯呑みを打ち続けていました。

※

まわりから寄せるということ

婆さんは帰りぎわに、湯呑みの直し方を、少しだけ話してくれました。

内側から当て金を入れて、木槌でまわりから叩いていくのだそうです。

「いちばんへこんどるところを、先に叩いたらいかんとよ」

そこを先に叩くと、錫はそこだけ伸びて、二度と元の丸みに戻らない。

「まわりから寄せていけば、真ん中は、いつのまにか上がってくるとよ」

私は、五つの夏の朝の言葉を、そこでようやく思い出しました。

父は、私に対しても、同じ直し方をしていたのです。

※

会いに来ることも、詫びることも、父はしませんでした。

いちばん深いところには、二十年、手を触れなかったのです。

その代わりに、毎年ひとつ、まわりを打っていました。

結婚式の祝儀袋も、薬を買わずに貯めた封筒も、きっとその一打ちでした。

婆さんは、簞笥の奥の封筒のことも教えてくれました。

「息子ん家に何かあったときの金じゃ、てよう言うとらしたよ」

私は、見栄だと決めつけて礼も言わなかった、あの封筒を思い出しました。

何も知らなかった自分が、ただ恥ずかしかった。

※

※

婆さんは、湯を飲みながら、父の可笑しな癖の話もしてくれました。

灰の降った朝は、店の前を三度掃くのだそうです。

一度では気が済まず、二度でも足りず、三度掃いてやっと戸を開ける。

「うちの前まで掃いてくれるもんやから、こっちは掃くとこがなかとよ」

婆さんは、そう言って、少しだけ笑いました。

私は、その掃き方も、まわりから寄せていく打ち方と同じなのだろうと思いました。

※

東京に帰って、私は母に、桐箱のことを話しました。

母はしばらく黙ってから、湯呑みが十九個ね、とだけ言いました。

それから、あの人らしいわ、と付け足して、それきり何も言いませんでした。

台所の換気扇の音が、やけに大きく聞こえた夜でした。

錫が鳴いた朝

その晩、私は工房に残りました。

壁から木槌を取り、いちばん小さな当て金を、湯呑みの内側に入れました。

父がそうしようとした位置に、そっと据えます。

いちばん深いところには、手を触れませんでした。

まわりから、こつ、こつ、と、遠慮がちに叩いていきます。

震える手では、まっすぐには当たりません。

それでも、二十回ほど叩いたころ、真ん中が、わずかに持ち上がりました。

※

錫は、曲げると鳴く金物です。

きゅう、と、ごく小さな音が、私の手のひらの中で鳴りました。

その音を聞いた瞬間、堪えていたものが、ぜんぶ溢れました。

父が直しきれなかった続きを、私が、たった今、引き継いでしまった。

ちゃんと直しておいてやったよ。

なんで、二十年も黙っとったんだ。

声に出して、私は、誰もいない工房で、子どものように泣きました。

※

工房を畳む日、私は二十個ぶんの湯呑みを、東京へ持ち帰りました。

いちばん薄い一個だけを、台所の棚の、手の届く場所に置いています。

縁は、五つの私の口に合わせて広げてあるので、大人には合いません。

朝、茶を飲むと、少しだけ、口の端からこぼれます。

こぼれるたびに、あの太い指が、私の下唇に湯呑みを当てていた朝を思います。

不器用な人でした。

語る言葉を持たない人でもありました。

けれど父は、二十年、いちばん深いところを避けながら、まわりを打ち続けていたのです。

※

先日、息子がその湯呑みを手に取って、少し驚いた顔をしました。

「これ、鳴った」

鳴くんだよ、と私は答えました。

錫はな、へこんでも、直るとよ。

父の言い方を真似すると、息子は不思議そうに、湯呑みをもう一度握りました。

いつか、この子にも、いちばん深いところの叩き方を教えてやろうと思います。

毎朝それを手に取るたび、いちばんへこんだところに、父の指の順番を思います。

親の不器用さに、あとから気づく話を、私はほかにも読みました。義父が黙って巻いた時計もまた、何も言わない人の手が語っていた物語でした。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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