師走の朝、まだ暖房も効かない台所で、母から電話があった。
「お父さん、亡くなってたって」
亡くなった、ではなく、亡くなってた、と母は言った。
その過去形のわずかなずれが、受話器を握る指先から、ゆっくりと体の芯へ降りてきた。
いつから、という言葉を、私は喉の奥で飲み込んだ。
窓の外では、薄い雪が、音もなく舗道を白くしていた。
母はそれきり黙り、受話器の向こうで、長く息を吐いた。
※
父と母は、私が小学校に上がる前の年に別れている。
理由を、私は今でも正確には知らない。
金のこと、酒のこと、父の不器用さ。
そのどれもが少しずつ重なって、ある日ふつりと、家族の糸が切れたのだと思う。
父の記憶は、だから、古い写真の余白みたいに薄く、輪郭がない。
覚えているのは、煙草の匂いと、いつも何かに苛立っていた背中くらいだ。
私を膝に乗せた手の感触すら、もう思い出せない。
※
ただ一つ、はっきりと残っている思い出がある。
五つの夏、父に手を引かれて、城下町の夜祭りへ行った。
屋台の灯りの下で、私は玩具の時計に夢中になった。
文字盤の青い、子ども向けの安物の腕時計だった。
ねだると、父は珍しく、何も言わずにそれを買ってくれた。
店の親父に頼んで、私の小さな手首に、その場で巻いてくれた。
父の指は太くて、留め金をとめるのに、ずいぶん手こずっていた。
その不器用な手つきだけを、私はなぜか、四十年経っても覚えている。
※
母の口から出る父の話は、決まって借金と、自分のことしか考えない人だという愚痴だった。
私もいつしか、父とはそういう人なのだと、考えるのをやめていた。
年賀状の一枚も来ない父に、こちらから便りを出すこともなかった。
父という存在は、私の人生のずっと隅のほうで、輪郭を失ったまま静かに錆びていた。
会いたいとも、会いたくないとも思わない。
ただ、いないものとして、私は大人になった。
※
父は信州の城下町で、小さな時計の修理店をひとりで営んでいた。
間口の狭い、シャッターの錆びた店だったと、後から知った。
幼い頃に一度だけ連れて行かれた記憶が、かろうじて残っている。
硝子のケースの中で、たくさんの秒針が、てんでばらばらに時を刻んでいた。
カチ、コチ、と、揃わない音が、店じゅうに満ちていた。
その不揃いの音が、なぜか今も耳の奥に張りついている。
父はその音の真ん中で、背を丸めて、小さな歯車をのぞき込んでいた。
※
両親が別れたあと、父と顔を合わせたのは、片手で数えられるほどだ。
中学の入学式にも、成人式にも、父はいなかった。
私の結婚式にだけ、母に促されて、しぶしぶ案内状を送った。
父は来なかった。
代わりに、祝儀袋だけが、宛名もそっけない字で届いた。
中には、小さな店の売り上げにしては多すぎる額が、入っていた。
私はそれを、見栄だと思って、ろくに礼も言わなかった。
※
最後に会ったのは、三年前の暮れだった。
自分の子を連れて、城下町の蕎麦屋で向き合った。
母が、一度くらい孫の顔を見せてやれと、しつこく言ったからだ。
父は相変わらず何も語らず、黙々と蕎麦をたぐり、茶をすすって、先に席を立った。
孫がはしゃいでも、目尻をわずかに緩めるだけで、言葉はなかった。
別れ際、父は孫の頭にそっと手を伸ばしかけて、結局その手を引っ込めた。
伸ばしかけて、引っ込めた、その中途半端な手を、私はずっと忘れられずにいる。
※
父の死因は、糖尿の悪化だったという。
病院に通う金を惜しんで、インスリンを半年近く打っていなかったらしい。
部屋の隅には、安い菓子と炭酸のペットボトルが、空のまま積まれていた。
血糖を上げるそれらを、父は最後に、すがるように口にしていたのだろうか。
座椅子に背を預けたまま、もがいた跡もなく、静かに事切れていた。
見つかったのは、年の瀬も押し迫った、寒い晩だったと聞いた。
発見が遅れたのは、訪ねてくる者も、案じる者も、いなかったからだ。
※
葬儀は、ごく内輪で、あっけなく終わった。
参列したのは、私と母、それに店の常連だったという老人が、二人きり。
焼香のあいだ、老人のひとりが、ぽつりと言った。
「あんたの親父さん、あんたの話ばっかりしとったよ」
私は、聞き間違いかと思った。
あの無口な父が、私の何を、誰に語ることがあるというのか。
老人はそれ以上、何も言わなかった。
※
遺品の整理に、私はひとりで城下町へ向かった。
誰も来ないだろうし、ひとりで十分だと思った。
特急を乗り継ぎ、雪の積もるホームに降りると、空気が刃物のように冷たかった。
駅前から続く石畳の道を、地図を頼りに歩いた。
父が毎日歩いたであろう道を、私は初めて、自分の足で踏んだ。
角を曲がるたびに、知らない父の生活が、少しずつ立ち上がってくる気がした。
※
店は、商店街のはずれの、日の当たらない一角にあった。
色の褪せた「時計修理」の看板が、雪をかぶって傾いていた。
鍵を開けて中へ入ると、油と埃の混じった、独特の匂いがした。
硝子のケースの時計は、もう誰も巻く者がなく、すべて止まっていた。
あれほど店を満たしていた、不揃いの秒針の音が、嘘のように消えていた。
止まった時計の海の中で、私はしばらく、立ち尽くしていた。
※
店の奥は、人ひとりが寝起きするだけの、こぢんまりとした畳の間だった。
擦り切れた座布団、小さなちゃぶ台、薬の袋。
贅沢なものは、何ひとつなかった。
壁には、私が小学生の頃に描いた、下手な家族の絵が、画鋲で留めてあった。
いつ、どうやって父の手に渡ったのか、私には見当もつかなかった。
色あせたその絵を、父は何十年も、たった一人で眺めていたのだ。
※
作業机の上だけが、不思議なほど、きちんと片づけられていた。
工具は種類ごとに並べられ、拡大鏡は布で磨かれていた。
その机の中央に、見覚えのある古い腕時計が、布の上にそっと置かれていた。
文字盤の小さな、青い時計。
あの夜祭りで、父が私の手首に巻いてくれた、最初の時計だった。
とうに失くしたと思っていた、私の、子どもの時計だった。
※
両親が別れたあの春、私はこの時計を、父の家に置き忘れていったのだ。
取りに戻ることも、欲しいと言うこともないまま、忘れていた。
その時計を、父は二十年以上も、捨てずに持っていた。
いや、ただ持っていたのではなかった。
裏蓋は開けられ、小さな歯車が一つ、ピンセットで外しかけのまま残されていた。
電池はとうに液漏れし、機械の中は、赤茶色に錆びついていた。
※
その錆を、父は一つひとつ、根気よく落とそうとしていた途中だった。
机には拡大鏡が伏せられ、油の差された綿棒が、揃えて置かれていた。
小さな部品が、なくさないように、小皿に分けて並べてあった。
まるで、明日の続きを当たり前に待っているような、整え方だった。
持ち主の手が、ある日ふつりと止まったことを、机だけが知らずにいた。
私は、その途中で止まった時計を、しばらく手に取れずにいた。
※
何のために、と思った。
会いもしない、便りもよこさない息子の、子どもの時計を。
独りきりの、暗い店の奥で、老いて震える手で、なぜ直そうとしていたのか。
視力も、とうに衰えていたはずだ。
それでも父は、毎晩のように拡大鏡をのぞき、小さな錆と格闘していた。
その理由を尋ねる相手は、もう、どこにもいなかった。
※
机の引き出しを開けると、修理伝票の古い束に紛れて、一枚のメモがあった。
父の、角ばった不器用な字で、こう書いてあった。
「直ったら、送ってやろう」
ただ、それだけだった。
送る住所も、私の電話番号も、そこには書かれていなかった。
書かなくても、父はとうに、それを諳んじていたのかもしれない。
※
伝票の束には、何十年分もの、几帳面な父の字が並んでいた。
客の名前と、預かった時計と、直した日付。
そのいちばん古い一枚の裏に、走り書きのような小さな文字を見つけた。
息子の時計、いつか直す、と、それだけが書いてあった。
日付は、両親が別れた、あの春のものだった。
父は二十年以上、その一行を、自分への約束のように抱え続けていたのだ。
きっと、聞けなかったのだ。
今さらどんな顔で連絡すればいいのか、最後まで分からなかったのだ。
だから、せめてこの時計だけでも直しておいて。
いつか渡せる日が来たら、何でもない顔で手渡そうと。
そう決めて、ひとりで、その日を待っていた。
その日は、とうとう来なかった。
来るはずも、なかったのに。
※
私は、店の隅の道具箱から、新しい電池を探し出した。
震える指で、外しかけの歯車を、父がそうしようとした位置に、そっと戻した。
拡大鏡をのぞき、見よう見まねで、最後の部品をはめる。
裏蓋を閉め、竜頭を、ゆっくりと巻いた。
二十年以上、止まっていた青い秒針が、こく、と一つ、動いた。
こく、こく、と、遠慮がちに、時を刻み始めた。
※
その小さな音を聞いた瞬間、堪えていたものが、ぜんぶ溢れた。
止まった時計だらけの店の中で、たった一つ、その青い時計だけが動いていた。
父が直しきれなかった続きを、私が、たった今、引き継いでしまった。
ちゃんと直しておいてやったよ。
ちゃんと、動いてるよ。
なんで言ってくれなかったんだ。
※
最後まで、不器用なまんまで。
伸ばしかけた手を、引っ込めるような人のままで。
一緒に、城下町の蕎麦でも、もう一度たぐりたかったよ。
酒の一杯くらい、注いでやりたかったよ。
声に出して、私は、誰もいない店の奥で、子どものように泣いた。
硝子ケースの止まった時計たちが、それを静かに見ていた。
※
※
片づけを終えた夕方、隣で金物屋を営む老人が、線香を上げに来てくれた。
老人は店を見渡して、あんたが息子さんか、とだけ言った。
父は晩年、ほとんど修理の依頼も減り、暮らしは楽ではなかったらしい。
それでも父は、入った金をきちんと封筒に分け、簞笥の奥に積んでいたという。
「あれは、息子の家に何かあったときの金だって、よう言うとった」
私は、結婚式に届いた、多すぎた祝儀袋を思い出した。
見栄だと決めつけて、礼も言わなかった、あの封筒を。
父は、自分の薬代を削ってまで、会えない私のための金を、ずっと貯めていたのだ。
老人は、湯呑みの茶をすすって、ぽつりと続けた。
「不器用な人やったけど、あんたのことだけは、いつも気にかけとったよ」
その言葉が、冷えた店の空気に、ゆっくりと染みていった。
私は、何も知らなかった自分が、ただ恥ずかしかった。
店を畳む日、私はその腕時計を、自分の手首に巻いて帰った。
子どもの腕に合わせたベルトは、もう私の手首には小さくて、革を継ぎ足してもらった。
少し進みの早い、頼りない時計だ。
きっと、父の手も、最後は思うように動かなかったのだろう。
それでも、毎朝それを巻くたびに、油の匂いのする暗い店の奥を思う。
父は、語る言葉を持たない人だった。
けれど、語らないなりに、ずっと私の時間を、直そうとしてくれていたのだ。
※
父らしい、不器用な最期だったのかもしれない。
今ならそう思える。
あの常連の老人が言った言葉を、私はようやく信じられる気がしている。
父はきっと、店に来る誰かれに、私の話をしていたのだ。
会えない息子の自慢を、時計の音にまぎれて、ぽつりぽつりと。
夜祭りで手こずりながら時計を巻いてくれた、あの太い指のままで。
手首で小さく時を刻むこの音だけが、私と父をつなぐ、たった一つの言葉になった。