弟の物語が変えた家族

公開日: 兄弟姉妹 | 家族 | 心温まる話

リビング

私の家族は、父、母、私、そして弟の四人家族です。弟は私より十二歳も年下で、その当時はまだ六歳でした。とても可愛い弟です。しかし、私は遊び盛りで、家にいれば父と母が喧嘩をしていることが多かったため、家に帰ることが少なかったです。弟はきっと毎日、とても寂しかったでしょう。

ある日、久しぶりに家に帰ると、普段はお酒を飲んでいる父が、一冊のノートを手に取り、涙を流していました。私もそのノートを覗いてみると、弟がまだ拙い字で書いた物語が書かれていました。

「ごめんな」と父が急に言いました。ノートには、こんな言葉が綴られていました。

「僕には楽しいパパ、優しいママ、いつも笑顔のお姉ちゃんがいます。いつもみんなで美味しいご飯を笑いながら食べます。毎週日曜日は、家族でお出かけをします。僕はいつもみんなに可愛がってもらっていて、幸せいっぱいです。毎日笑顔がいっぱいです」

これは、一家にとっては現実とはかけ離れた理想の家族像でした。しかし、弟の純粋な願いが詰まったその物語を読み、私と父は涙を流しました。その日、パートから帰ってきた母もノートを読んで、泣きました。

その夜、家族そろって鍋を囲みました。弟にとっては初めての経験で、彼はとても楽しそうに笑っていました。父も母も私も、照れくさくなりながらも笑いました。

その日を境に、家族は少しずつ変わり始めました。弟の夢が書かれた物語が少しずつ現実のものとなり、今では笑顔でいっぱいの家族になりました。

関連記事

子供の手(フリー写真)

嫁の手

うちの3才の娘は難聴。殆ど聞こえない。 その事実を知らされた時は嫁と泣いた。何度も泣いた。 難聴と知らされた日から、娘が今までとは違う生き物に見えた。 嫁は自分を責め…

北部ソロモン諸島(ブーゲンビル島)の戦い

貴様飲め!

俺のおじいちゃんは戦争末期、南方に居た。 国名は忘れたけど、とにかくジャングルのような所で衛生状態が最悪だったらしい。 当然、マラリアだのコレラだのが蔓延する。 おじ…

渓流(フリー写真)

お母さんと呼んだ日

私がまだ小学2年生の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。 特に苛められたとかそういうことは無かったのだけど、何だか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べない…

キャンドル

もどれない過去と、隣にある幸せ

僕が会社を辞めたのは、24歳のときだった。 理由は、当時の上司の姿に未来の自分を重ねてしまったから。 彼は会社の駐車場で寝泊まりし、わずかに見られるのは子どもたちの寝顔だ…

花

父の最期と再会

私の家族は複雑な関係を持っており、両親は離婚後、別々の生活を送っています。私は三姉妹の末っ子で、唯一定期的に父を訪ねていましたが、姉たちは父とはほぼ十年間会っていませんでした。 …

花(フリー写真)

母心

ちょっとした事で母とケンカした。 3月に高校を卒業し、4月から晴れて専門学生となる私は、一人暮らしになる不安からか、ここ最近ずっとピリピリしていた。 「そんなんで本当に一人…

病院

母は亡くなった

14年も前のこと。 母は亡くなった、癌のせいで。 私たち姉妹は、その事実を知ることなく彼女を見送った。 彼女は私の永遠の尊敬の対象、そして追い続ける理想である。 …

レジ(フリーイラスト素材)

一生懸命に取り組むこと

その女性は、何をしても続かない人でした。 田舎から東京の大学に進学し、サークルに入ってもすぐに嫌になって、次々とサークルを変えて行くような人でした。 それは、就職してからも…

猫(フリー写真)

会いに来てくれた猫

五年前に飼っていた茶トラ猫。 当時、姉が家出同然で出て行ってしまい、家の雰囲気が暗かったのを憶えています。 そんなこともあり、私は家では出来るだけ明るく振る舞っていましたが…

廃墟

神戸からの少女

2年前、旅行先の駐屯地祭での出来事です。 例によって、特定の市民団体が来場し、場の雰囲気が少し重たくなっていました。そのとき、女子高生と思しき一人の少女がその団体に向かって歩い…