海老の入ったお弁当

お弁当の蓋を開けるとき、わたしはいつも机の下でこっそりと手元を隠していました。

周りの友達の弁当箱には、彩りよく詰められたおかずが並んでいます。それに比べてわたしの弁当は、茶色いおかずばかりで、卵焼きの形も崩れ、いつも隅のほうがどこか歪んでいました。見られるのが恥ずかしくて、わたしはよく、蓋を立てて中身を隠すようにして食べていたのです。

母は昔から体の弱い人でした。詳しい病名を、当時のわたしは知りませんでした。ただ、朝になると台所で長い時間をかけて、何度も何度もフライパンを持ち直しているのを、わたしは知っていました。知っていて、けれど、そのことをちゃんと考えようとはしませんでした。

思春期のわたしにとって、みすぼらしい弁当は、母への不満のかたちそのものでした。どうしてうちの母は、みんなのお母さんみたいにできないのだろう。そんな身勝手な思いばかりが、胸の中で膨らんでいったのです。

幼い頃のわたしは、母の作るごはんが世界でいちばんおいしいと信じていました。

小学校の運動会の日、母のお弁当を広げると、いつも大きな海老フライが並んでいました。まだ体を悪くする前の母は、手際よく衣をつけ、からりと揚げてくれたものです。青いシートの上で、わたしはそれを頬張りながら、得意げに友達に見せていました。

「うちのお母さん、海老フライ作るの上手なんだよ」

母は少し照れたように笑って、「たくさん食べて、午後もがんばってね」と言いました。あの秋晴れの空も、母の割烹着の匂いも、海老のあたたかさも、わたしの中には確かに刻まれていたはずでした。それなのに、成長するにつれて、わたしはいちばん大切な記憶から、目をそらすようになっていったのです。

高校に上がってから、その思いはいっそう強くなりました。

同じクラスの子たちの弁当は、まるで雑誌に載っているようでした。ハート形に抜かれたにんじん、きれいに巻かれた卵焼き、彩り豊かなミニトマト。誰かが「わあ、おいしそう」と声を上げるたびに、わたしは自分の弁当箱を鞄の奥にしまい込みたくなりました。

「あかりのお弁当も見せてよ」

仲のいい友達にそう言われたとき、わたしはとっさに嘘をつきました。

「今日はお弁当忘れちゃって。食堂で食べるから」

そしてわたしは、母が朝早く起きて作ってくれた弁当を、そのまま学校のゴミ箱に捨てました。まだ温かい弁当箱の重みが手のひらに残っていたのを、今でも覚えています。あのときの自分を、わたしは何度、殴ってやりたいと思ったか分かりません。

それが一度きりではありませんでした。わたしは来る日も来る日も、食堂で昼食を買い、母の弁当を人目につかないゴミ箱に捨て続けたのです。

高校では、お弁当の時間が近づくたびに、わたしの胃はきりきりと痛みました。

華やかな弁当を囲んで笑い合う友達の輪に、わたしは自分の弁当箱を持って加わることができませんでした。

「あかりって、いつも一人で食べてるよね。一緒に食べようよ」

親切でそう誘ってくれる子がいるほど、わたしは惨めな気持ちになりました。あの茶色い弁当を、彩りのいい弁当の隣に並べることが、どうしてもできなかったのです。今思えば、恥ずかしかったのは弁当ではなく、母の思いを恥じていた、自分自身の心のほうでした。

家に帰ると、母はいつも決まって同じことを尋ねました。

「今日のお弁当、どうだった?おいしかった?」

わたしは目も合わせずに、「うん、まあ」と生返事をするだけでした。母はそれでも嬉しそうに、「そう、よかった」と微笑むのです。その笑顔を見るたび、わたしは後ろめたさから逃げるように、自分の部屋の扉を閉めました。

母の手が、少しずつ思うように動かなくなっていることに、わたしは気づいていました。箸を落とす回数が増え、湯呑みを持つ手が、時折小刻みに震えていました。それでも母は、毎朝わたしのために台所に立ちました。わたしはその背中を、見て見ぬふりをしていました。

母の手が震えはじめたのは、わたしが中学生になった頃でした。

ある日、母が味噌汁のお椀を運ぶとき、手元が揺れて、少しこぼしてしまったことがありました。母はとっさに笑ってごまかしました。

「あら、いやだ。お母さん、ちょっと疲れてるのかしらね」

その笑顔の奥にあったものを、わたしは見ようとしませんでした。台所で母が、震える右手を左手でそっと押さえているのを、廊下からちらりと見たこともありました。それでもわたしは、声をかけませんでした。心のどこかで、見なかったことにしたかったのだと思います。

ある秋の朝のことでした。

食卓に弁当箱を置きながら、母がいつになく明るい声で言いました。

「今日はね、あかりの大好きな海老、入れといたよ」

海老は、幼い頃のわたしがいちばん好きだったおかずでした。運動会のお弁当に海老フライが入っていると、それだけで一日がうれしくなった、そんな記憶があります。けれど、そのときのわたしは、もうそんな昔のことなど忘れたふりをしていました。

「ふうん」

わたしはそっけなく答えて、弁当を鞄に押し込み、家を出ました。学校に着いてから、わたしはトイレの個室で、こっそり蓋を開けてみました。確かに海老は入っていました。けれど殻の剥き方はいびつで、身はちぎれかけ、周りのおかずも色あせて見えました。

その不格好な海老を見た瞬間、わたしの胸に湧いたのは、感謝ではなく、苛立ちでした。どうして、もっとちゃんとできないの。そんな理不尽な怒りに、わたしは支配されていました。そしてその日も、わたしはその弁当を、食べずにゴミ箱へ捨てました。

その日の夕方、家に帰ると、母はまた尋ねました。

「今日のお弁当、海老、おいしかった?」

いつもより少し弾んだ、期待のこもった声でした。けれどその日のわたしは、部活のことで気が立っていて、いつもの弁当への不満も、胸の奥で限界まで膨らんでいました。

そして、言ってはいけない言葉が、口をついて出てしまったのです。

「うるさいな。あんな汚いお弁当、捨てたよ。もう作らなくていいから」

言った瞬間、母の顔から、すっと色が消えていくのが分かりました。台所に立ったまま、母はしばらく何も言いませんでした。それから、絞り出すように、小さな声で言いました。

「そう……。気づいてあげられなくて、ごめんね」

その謝罪の意味を、そのときのわたしは、まるで分かっていませんでした。ただ、気まずさから逃げるように、わたしは自分の部屋に駆け込みました。

そしてその日を境に、母は二度と、弁当を作らなくなりました。

わたしは内心、少しほっとしていました。

これでもう、恥ずかしい弁当を隠さなくてすむ。そんなふうにさえ思っていたのです。母がなぜ弁当をやめたのか、その本当の理由を考えようともせずに。

朝の台所から、フライパンの音が消えました。母が食卓に座っている時間が、少しずつ長くなっていきました。顔色が悪くなり、痩せていく母を見ても、わたしは「疲れているのだろう」くらいにしか思いませんでした。

わたしは、いちばん大切なことから、ずっと目をそらし続けていたのです。

母が弁当を作らなくなってから、朝の台所は、ひどく静かになりました。

それまで当たり前に聞こえていた、フライパンの音も、まな板を叩く包丁の音も、ふっと消えてしまいました。わたしはその静けさを、せいせいした気持ちで受け止めていました。

母は食卓の椅子に座って、ぼんやりと窓の外を眺めていることが増えました。ときどき、何か言いかけて、けれど飲み込むように口をつぐむのです。あのとき母は、わたしに何を伝えようとしていたのでしょう。今となっては、確かめるすべもありません。

わたしは毎朝、コンビニのパンを片手に、母に「行ってきます」も言わずに家を出ていました。その背中を、母がどんな目で見送っていたのか、想像するだけで胸が締めつけられます。

それから半年後の、寒い朝でした。

母は、わたしの知らない病気で、静かに旅立ちました。手の震えも、動かなくなっていく体も、すべてその病のせいだったのだと、わたしはそのとき初めて知りました。母はずっと、痛みや不安を一人で抱えたまま、それでも毎朝、震える手で、わたしのために台所に立ってくれていたのです。

葬儀が終わり、母の遺品を整理していたときのことでした。

箪笥の引き出しの奥から、一冊の古い日記帳が出てきました。表紙の擦り切れたその日記には、母の丸い文字で、毎日の出来事が綴られていました。そしてそのほとんどが、わたしの弁当のことばかりだったのです。

『手の震えが止まらず、上手に卵が焼けない。あかりに笑われないといいけれど』

『今日はミニトマトを飾ってみた。少しは可愛くなったかな』

『あかりが、おいしいと言ってくれた。それだけで、明日も頑張れる』

わたしの指が震えました。母は、わたしのそっけない生返事を、本気で信じてくれていたのです。捨てられていたことなど、想像もせずに。

日記のページを、わたしは震える手でめくり続けました。

『あかりは反抗期なのね。話しかけても、うるさそうにするけれど、それも成長の証。元気でいてくれるだけで、お母さんは幸せ』

『最近、体がつらい。でも、あの子が学校を出るまでは、なんとか元気でいたい。お弁当だけは、続けたい』

そこには、恨み言など、ただの一行もありませんでした。あるのは、わたしを案じる言葉と、母であり続けようとする、静かな決意だけでした。わたしがどれほど冷たく当たっても、母のノートの中のわたしは、いつまでもかわいい娘のままだったのです。

そして、日記の最後のページに、わたしは、あの日の日付を見つけました。

『今日は、あかりの大好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくて、ぐちゃぐちゃになってしまったけれど……喜んでくれると良いな』

日記は、その一行で、ぷつりと終わっていました。

喜んでくれると良いな。

その言葉を読んだ瞬間、わたしは日記帳を抱えたまま、その場に崩れ落ちました。あの不格好な海老は、震える手で、母が最後の力を振り絞って剥いてくれたものだったのです。わたしのいちばん好きだったおかずを、少しでも喜ばせたい一心で。

それを、わたしは「汚い」と言って、食べもせずに捨てたのです。

母が亡くなってから、わたしは料理を覚えるようになりました。

いつか自分に子どもができたら、その子のために、あたたかいお弁当を作ってあげたい。そう思うようになったのです。海老の殻を剥くたびに、わたしはあの日の母の、震える指を思います。こんなにも細かく、こんなにも面倒な作業を、母は動かない手で、わたしのためにしてくれていたのだと。

「お母さん、今日はね、上手に剥けたよ」

台所に一人で立ちながら、わたしはときどき、そう声に出してみます。返事は、もちろんありません。それでも、窓から差し込む朝の光が、あの頃の台所の光と重なって、母がすぐそばにいるような気がするのです。

母の葬儀の日、親戚のおばが、そっとわたしに耳打ちしました。

「お母さんね、あなたのお弁当を作るのが、毎朝の生きがいだったのよ。手が動かなくなっても、あなたのためならって、必死だったの」

その言葉は、鋭い刃のように、わたしの胸を貫きました。母は、自分の残された時間の多くを、わたしの弁当という、たった一つのことに注いでいたのです。そしてわたしは、その一つひとつを、人目につかないゴミ箱に投げ捨てていました。

おばの前で、わたしは声を上げて泣くこともできませんでした。ただ、遺影の中で優しく微笑む母を見つめながら、体の芯が冷えていくのを感じていました。

どうして、あの日、一口でも食べてあげなかったのだろう。

どうして、おいしかったよ、と、ただ一言、伝えてあげなかったのだろう。

母が本当にほしかったのは、彩りをほめる言葉でも、上手な卵焼きでもありませんでした。ただ、あなたのために作ったよ、という思いを、受け取ってほしかっただけなのです。それに気づくのが、わたしはあまりにも遅すぎました。

今でも、海老の入った料理を見るたびに、わたしの目からは涙が溢れます。後悔と、情けなさと、そして、伝えそびれてしまった感謝が、胸の奥からこみ上げてくるのです。

お母さん。あのお弁当は、この世でいちばん、あたたかいお弁当でした。ちゃんと食べればよかった。ちゃんと、ありがとうって言えばよかった。

母の使っていた古い弁当箱は、今もわたしの手元にあります。角の塗りが剥げ、蓋のとめ具も少し緩んだ、なんの変哲もない弁当箱です。けれどわたしにとっては、母の愛情がそのまま形になったような、宝物です。ときどき取り出して、そっと蓋を開けてみます。もう何も入っていない空っぽの箱から、それでもわたしには、あの日の海老の匂いが、確かに立ちのぼってくるのです。

届かないと分かっていても、わたしは今日も、心の中で手を合わせます。あの日の海老の味を、わたしは一生かけて、想像し続けるのだと思います。

あの海老の味を、わたしは結局、一度も知らないままです。けれど、その味を想像しようとするたびに、母がわたしに注いでくれた愛情の深さを、あらためて思い知らされます。知らないからこそ、わたしは一生、母を想い続けるのでしょう。

あれから長い年月が経ちましたが、後悔は少しも薄れることがありません。

むしろ、自分が親と呼ばれる年齢に近づくほど、母のあの弁当に込められた思いの深さが、痛いほど分かるようになりました。誰かのために、毎朝欠かさず食事を作るということが、どれほどの愛情なのかを。

もし、たった一度でいいから、あの日に戻れるなら。わたしは母の作った不格好な海老を、一つ残らず食べて、こう言うでしょう。

「お母さん、すごくおいしかったよ。ありがとう」

その一言を、母はどれほど聞きたかったことでしょう。伝えられなかった言葉は、伝えられなかったぶんだけ、いつまでも胸の奥で重さを増していきます。だからこそ、わたしはこの話を、あなたに聞いてほしいのです。大切な人の作ってくれたものを、思いごと受け取れるのは、当たり前のようでいて、限りある時間の中の、かけがえのない幸せなのですから。

今になって思えば、母の朝は、想像を絶するほど早かったはずです。

健康な人でも億劫な弁当作りを、思うように動かない体で仕上げるには、人の何倍もの時間がかかったことでしょう。まだ夜も明けきらない台所で、母は一つの卵焼きを焼くために、何度もフライパンを持ち直していたに違いありません。

焦げてしまえば、また初めから。形が崩れれば、ため息をつきながらやり直す。それでも母は、既製品で済ませることをしませんでした。手作りのぬくもりだけは、娘に渡したかったのだと思います。

わたしはそのぬくもりを、味わうことすらせずに、冷たいゴミ箱の底へ捨てていました。母の朝の時間の重みを、わたしはあまりにも軽く見ていたのです。

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