幸せのお守り

菜の花

「もう死にたい…。もうやだよ…。つらいよ…」

妻は産婦人科の待合室で、人目もはばからず泣いていました。

前回の流産の時、私の妹が妻に言った無神経な言葉が忘れられません。

「中絶経験があると流産しやすくなるんだって」

その言葉に私は怒り、それ以来妹夫婦とは疎遠になっています。

妻は多くを語りませんが、痛みと失望を抱えて苦しんでいたのです。

今日まで何とか二人で乗り越えてきましたが、三度目の流産を迎えました。

過去二回の流産の後も「また、頑張ろう」と励ましてきましたが、今回はただ無言でそばにいるしかできませんでした。

実は、三度目の流産を告げられたとき、私は子供がいない人生を想像し始めていたのかもしれません。

私は、冷淡な動物のようです。情けない。

「ごめんね…。でも、もう私、頑張れないかも。もう、駄目だと思う」

待合室には妻の嗚咽だけが響きました。

「ううん…○○(妻の名前)が悪いわけじゃないんだから。こればかりは、運だから…」

言葉を失いました。

その時、妻の隣に4、5歳の男の子が座りました。

「あのね、これあげるから、もう泣かないで」

男の子が差し出したのは、二つの小さなプラスチック製の指輪でした。彼は続けました。

「水色のは泣かないお守り。こっちの赤いのはお願いできるお守りだよ」

「いいの? だって、これ、ボクのお守りなんでしょ?」

「うん、いいの。ボクね、これ使ったら泣かなくなったんだ。もう強い子だから、いらないんだ」

「赤い指輪は? お願いが叶うお守りなんでしょ? これは、いいよ」

「これね、二つないとパワーがないんだって。おとうさんが言ってた」

そして彼は妻の頭を優しく撫でて言いました。

「だから、もう泣かないで」

彼のお父さんの声が聞こえてきました。

「ゆうき〜、帰るよ〜」

男の子は妻の膝に二つの指輪を置き、

「じゃあね、バイバイ」

と言って去って行きました。

その後、妻は二つの指輪をしっかりと握りしめていました。私たちは迷信を信じない人たちですが、この指輪だけは特別な意味を持つように感じました。

その日から妻は指輪をキーホルダーにして常に持ち歩いています。

それから2年半後の今年、待望の赤ちゃんが生まれました。2770グラムの健康な女の子です。名前は、あの男の子にちなんで「有紀(ゆうき)」と名付けました。

ゆうきくん、あの時は本当にありがとう。

あの時、あなたに会えなかったら、今の幸せはなかったかもしれません。あなたからもらったお守りは、今でも我が家の宝物です。

我が家の有紀も、あなたのように人に幸せを与えられる子に育てたいと思います。

本当に、ありがとう。

関連記事

空(フリー写真)

見守ってくれた兄

我が家の仏壇には、他より一回り小さな位牌があった。 両親に聞いた話では、生まれる前に流産してしまった俺の兄のものだという。 両親はその子に名前(A)を付け、事ある毎に …

3台の携帯

優しさを遺してくれた人へ

先日、亡くなった妻のガラケーの情報を引き出してもらった。 きっかけは、何気なく立ち寄った携帯ショップで見かけた「古い携帯のデータ復旧」の広告だった。 ※ 思い返せば…

手を握る(フリー写真)

仲直り

金持ちで顔もまあまあ。 何より明るくて突っ込みが上手く、ボケた方が 「俺、笑いの才能あるんじゃね」 と勘違いするほど(笑)。 彼の周りには常に笑いが絶えなかった…

柴犬(フリー写真)

おばあちゃんと柴犬

昔の話だが、近所に旦那さんに先立たれ、独り暮らしをしているお婆ちゃんが居た。 お婆ちゃんは室内で柴犬を飼っていた。 嫁いだ娘さんや孫たちがしょっちゅう様子を見に来ていたから…

妊婦さんのお腹(フリー写真)

皆からもらった命

母は元々体が弱く、月に一回定期検診を受けていた。 そこで、私が出来たことも発覚したらしい。 母の体が弱いせいか、私は本来赤ちゃんが居なくてはいけない所に居らず、危ない状態だ…

手(フリー写真)

無償の愛

おじいちゃんは老いから手足が不自由で、トイレも一人で行くのは厳しい。 だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。 おばあちゃん以外が下の世話をするのを嫌がったからだ…

砂浜を歩くカップル(フリー写真)

当たり前の日常

小さな頃から、私と彼はいつも一緒でした。 周りがカップルに間違えるほどの仲でした。 私が彼に恋愛感情を抱いていると気付いたのは、高校3年生の時です。 今思うと、その前…

子供たち

道に咲く愛

ひとりの女性の人生が、いま世界中の人々の心を揺さぶっています。 その名は楼小英(ロウ・シャオイン)。現在88歳の彼女は、腎不全を患い病床にありますが、これまでの人生で築き上げた…

学校の机(フリー写真)

君が居なかったら

僕は小さい頃に両親に捨てられ、色々な所を転々として生きてきました。 小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」などと言われました。 偶に同級生の子と遊んでいて、…

タクシー(フリー写真)

母の愛

俺は母子家庭で育った。 当然物凄く貧乏で、それが嫌で嫌で仕方がなかった。 だから俺は馬鹿なりに一生懸命勉強して、隣の県の大きな町の専門学校に入ることができた。 そし…