折り鶴の数え方

花屋の午後の輝き

私が花屋を開いたのは、三十二のときだ。

小さな商店街の角にある店で、広さは十坪もない。それでも毎朝花を並べるのが好きで、今年で六年目になる。

あの日のことを、今でも思い出すのは、彼女のせいだと思う。

幼馴染の名前は、ひかりといった。

同じ団地に住んでいた。小学校から中学校まで同じで、ランドセルを背負って登校し、帰り道も一緒に歩いた。二人とも折り紙が好きで、彼女の部屋で何時間も鶴を折り続けた。

ひかりは折るのが丁寧で、私はとにかく早かった。十羽折る間に私は二十羽折れたが、形は彼女の方がずっときれいだった。「雑だよ」と言われるたびに、「速さで勝負してるから」と言い返した。そのたびに彼女は呆れたように笑った。

中学三年のとき、ひかりの家が引っ越した。父親の転勤だった。「また会えるよ」と言って別れたが、それきりになった。携帯もメールもない時代で、手紙を数回やりとりしただけで、いつの間にか連絡が途絶えた。

引っ越した先の住所も、いつしか忘れてしまった。

でも、ひかりのことを忘れたわけではなかった。

花屋を始めてから、季節ごとに思い出すことがあった。白い花を見るたびに、彼女の部屋の畳の上に広げた折り紙の色を思い出した。黄色や赤や青の紙が積まれていて、折った鶴を窓辺に並べていた。ひかりの部屋はいつも日当たりがよかった。

大人になってからも、どこかにいるのはわかっていた。でも連絡する方法がわからなかったし、今更どう連絡すればいいかもわからなかった。SNSで名前を調べたことが一度あったが、よくある名前だったので、結局どれが彼女かわからなかった。

商店街に店を出したのは偶然だった。物件を探していたとき、ちょうどここが空いていた。昔住んでいた団地の近くだとは気づかなかった。後で地図を確認して、懐かしい気持ちになったことは覚えている。

その日は、十月の初めで、店に菊を多めに仕入れていた。お彼岸が終わったばかりで、まだ仏花の需要がある時期だった。

午後の遅い時間に、六十代くらいの女性が店に入ってきた。

「菊をいただけますか。白と黄色を」

包みながら、なんとなく顔が気になった。どこかで見たことがある、という感じがした。でも思い出せなかった。

「ひかりのお母さんですか」

自分でも驚くほど自然に、その言葉が出た。目元の形と、少し首を傾ける仕草が、ひかりそっくりだった。

女性は目を細めた。

「あなた……もしかして、みちこちゃん?」

私の名前だった。

菊を包み終えてから、少し話してもいいですか、と言った。女性は頷いた。

ひかりは、去年亡くなっていた。

病気だったということだった。発覚してから二年ほど闘病して、三十六歳で逝った。結婚はしていなかった。仕事が好きな人だったから、と母親は言った。最後まで仕事に行っていたと。

「この商店街にひかりが好きな花屋があるって聞いて、ずっと来てみたかったんです」

ひかりがこの商店街に来ていたことを、私は知らなかった。

「私の店に来ていたんですか」

「いつも入るか迷って、入れなかったみたいで」

どうして、と聞こうとしたが、言葉が出なかった。

「ずっと連絡しようと思っていたけど、大人になってから急に連絡するのは恥ずかしいって言って。あなたが頑張っているのを見て、なんか照れちゃうって」

店の入り口から、私がいるのが見えていたのかもしれない。花を束ねている私の横顔を、外から見ていたのかもしれない。そう思ったら、なんでか、胸が痛くなった。

声をかけてくれればよかった、と思う。でも、かけられなかったのがひかりらしいとも思う。子供の頃から、そういう人だった。言いたいことがあっても、タイミングをはかって、結局言えないまま帰る。言えなかったことを折り紙に折り込んでいたのかもしれない。

女性はバッグから小さな袋を取り出した。

「これ、持ってきたんです」

袋の中には、折り紙の鶴が入っていた。白い紙で折られた、小さな鶴が三羽。

「ひかりが入院中に折ったものです。病院でよく折っていたみたいで。たくさん残っていたんですが、その中にみちこちゃんへって書いてある袋があって」

私の名前が書いてあった。

「いつかここに来ることができたら渡そうと思って、ずっと持っていたんです」

鶴を手に取った。

折り目が丁寧で、角がきちんと揃っていた。昔から、ひかりの折り方はこうだった。丁寧で、時間をかけて、きれいに。私みたいに雑に早く折らずに、一羽一羽を大事に折る。

「全部で何羽折ったか、数えていたみたいなんです」と母親が言った。「ノートに正の字で書いてあって。最後のページが三百二十七って書いてありました」

三百二十七羽。

「千羽まで折るつもりだったみたいで、途中で体がしんどくなって、やめたって書いてあって」

母親は少し言葉を切ってから、「でも袋に入れて名前を書いていたくらいだから、三羽だけでも届けようとしていたんだと思います」と言った。

誰のために折っていたのか、ノートには書いていなかったそうだ。でも母親には、なんとなくわかったという。

「あなたのことを心配していました。独立して花屋をやっているって聞いて、うれしそうでしたよ。商店街にある小さな店だって言っていました。お客さんからたまたま聞いたのかな。会いたいけど会いに行けないって、そう言っていました」

私は、レジカウンターの端を指でなぞった。何か言おうとしたが、言葉がまとまらなかった。

「ひかりらしいですね」とだけ言った。

母親が少し笑った。「本当にそうですね」と言った。

その日の夕方、閉店後に私は折り紙を出した。

ストックしてある折り紙の中に、白い紙があった。ひかりが選びそうな色だと思った。

いつもより丁寧に、一羽折った。

昔、ひかりに何度も言われたことを思い出しながら。角を合わせる。折り目をしっかりつける。急がない。

形はまだ雑だったが、昔よりはましだと思う。角のあたりに、まだひかりには及ばない粗さがある。でも、時間をかけて折るようになっただけで、少しは変わった気がする。

三羽の鶴を棚に並べた。今日折った一羽を、その隣に置いた。

三百二十八羽目だ、と思った。

私が折り続ければ、いつかひかりが数えていた続きに追いつく。千羽まで、まだずいぶん先だが、急ぐことはない。毎日一羽折るとしても、二年近くかかる計算だ。でも、それくらいかけてもいいと思った。

翌朝、仕入れてきたリンドウの花を並べながら、入り口のガラスの向こうを何度か見た。

誰もいなかった。でも、なんとなく見てしまった。

ひかりがここに来るたびに、入るか迷っていたのだとしたら、どんな顔をしていたのだろうと思った。あの頃と同じ顔で、中を覗いていたのだろうか。

今日仕入れたリンドウの紫が、朝の光の中でやけにきれいだった。これが好きだったかどうかはわからないが、なんとなく、好きだったような気がした。

閉店前に、もう一羽折った。三百二十九羽目だ。白い紙を選んだ。

急がなくていい。丁寧に折る。昔、何度も言われた言葉を、もう一度自分に言い聞かせながら。

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