母の弁当箱

朝のキッチンでの静かなひととき

母は毎朝、四時に起きる。

俺が目を覚ますのは五時半で、台所のテーブルにはもう弁当箱が置いてある。白い包みに輪ゴムが一本。いつからそうなのか、もう覚えていない。

配達員の仕事を始めて六年になる。高校を出てすぐ、近所の運送会社に入った。進路調査の紙を母に見せた時、母は「あんたの好きにしなさい」とだけ言った。それきり、何も聞かれなかった。

俺と母は、東京の外れにある古い団地に住んでいる。四階建ての三階、エレベーターはない。父のことは知らない。物心がついた時から、この団地で母とふたりだった。

母は清掃の仕事をしている。駅ビルやスーパーを回って、床を拭き、ゴミを集め、トイレを磨く。帰りは夕方の五時で、俺が配達から戻るのも同じくらいの時間だから、玄関ですれ違うことがある。「ただいま」「おかえり」。それだけ交わして、それぞれの部屋に入る。夕飯は別々に食べることが多かった。

母は昔から口数が少なかった。

小学校の運動会に来たことは一度もなかった。参観日も、六年間で一度だけ。授業が終わった後、教室の後ろの壁際に立っている母を見つけた。目が合うと、母は小さく頷いた。それだけだった。隣の席の田中の母親は手を振って「がんばったね」と言っていた。俺の母は、ただ頷いただけだった。

「頑張ったね」とも「偉いね」とも言われた記憶がない。通知表を見せると黙って目を通して、テーブルに戻す。翌朝の弁当のおかずが一品増えているのが、母なりの何かだったのかもしれない。当時はそんなことに気づく余裕もなかった。

中学で陸上部に入った時も「好きにしなさい」だった。ただ、練習着は毎日洗ってあった。泥だらけのスパイクも、朝になると玄関でぴかぴかに並んでいた。部活がきつくて辞めたいと漏らした夜、母は何も言わなかった。翌朝、弁当箱がいつもより少しだけ重かった。おかずの下に、肉そぼろが詰めてあった。

高校の進路面談に母が来た日のことを覚えている。担任が「お母さん、健太くんのいいところはどこですか」と聞いた。母は長い沈黙の後、「丈夫なところ」とだけ答えた。先生は少し困った顔をした。俺はうつむいて、自分の靴の先を見つめていた。丈夫なところ。母が俺について言った、たぶん唯一の褒め言葉だった。

弁当のことを意識するようになったのは、去年の梅雨の頃だった。

いつものように配達先のマンションでインターホンを押すと、同い年くらいの女性が出てきた。荷物を渡す時、俺の鞄から弁当箱の白い包みが覗いていたらしい。

「お弁当、手作りですか?」

「ああ、母が作ってます」

「いいなあ。うちの母は一度も作ってくれなかったから」

女性はそう言って笑った。その笑顔が少し寂しそうで、俺は何と返していいかわからなかった。

翌日から、弁当箱を少しだけ注意して見るようになった。

中身はいつも似たような内容だった。玉子焼き、ウインナー、ほうれん草のおひたし、昆布の佃煮、白いご飯。特別な日でも変わらない。クリスマスも、俺の誕生日も、同じおかずが同じように詰めてある。

ただ、気づいたことがあった。

夏になると、おかずが傷みにくいものに入れ替わっていた。梅干しが必ず添えられ、生野菜が消える。冬はアルミホイルで弁当箱が二重に包んであって、昼に開けるとまだほんのり温かさが残っていた。雨の日は白い包みの上からビニール袋がかかっている。

毎日同じように見えて、毎日違っていた。季節が変わるたびに、天気が変わるたびに、母の弁当は静かに形を変えていた。

十一月の終わりの朝だった。

五時半に起きて台所に行くと、テーブルの上に何もなかった。

一瞬、意味がわからなかった。白い包みがない。輪ゴムもない。テーブルの木目だけが、蛍光灯の下でぼんやり光っている。

母の部屋を覗くと、布団にくるまって咳をしていた。

「風邪。大したことない」

母は俺の方を見ずにそう言った。声がかすれていた。

「飯は」

「コンビニで買いなさい」

母はそれだけ言って、布団を頭まで引き上げた。

コンビニでおにぎりを二つ買って出勤した。配達の合間、トラックの助手席でビニールを開けた。海苔がぱりぱりで、ご飯が冷たくて、具は明太子なのに妙に味がしなかった。

午後、信号待ちの間にふと助手席を見た。いつも弁当箱を置いている場所が空いていた。鞄の中が軽い。たかが弁当箱ひとつ分の重さなのに、その軽さが胸のどこかに引っかかった。

配達を終えて団地の階段を上がりながら、ふいに数えてしまった。二十四年間。保育園の頃から毎朝欠かさず、母は弁当を作ってきた。小学校の六年、中学の三年、高校の三年、配達員になってからの六年。大晦日も、正月も、俺が修学旅行でいない日を除いて、ほぼ毎日。何千個の弁当を、母はひとりで台所に立って作り続けたのだろう。

そのことに、俺は一度も「ありがとう」を言っていなかった。

ドアを開けると、台所の明かりがついていた。

テーブルの上に、弁当箱が置いてあった。白い包みに輪ゴムが一本。明日の分だ。

流しの横に、風邪薬の空き袋があった。

母は熱のある体で起き上がって、薬を飲んで、明日の弁当を仕込んでから、また布団に戻ったのだ。

俺は弁当箱の前に立ったまま動けなかった。白い包みの結び目に指を触れた。いつもと同じ、少しだけきつめの輪ゴム。母の手は力が強い。清掃の仕事で鍛えた手だ。

こみ上げてくるものを、うまく飲み込めなかった。

翌朝、三時半に目覚ましをかけた。母が起きるより三十分前に、俺は台所に立った。

冷蔵庫を開けて、卵を三つ取り出した。フライパンを温めて油をひいた。玉子焼きの作り方なんて知らない。母がどれくらい砂糖を入れているのかも、どうやってあの形に巻いているのかも。見よう見まねで箸を動かしたが、卵は崩れて、端が少し焦げた。

ウインナーは切れ目を入れすぎて花みたいに開いてしまった。ほうれん草は茹ですぎてくたくたになった。昆布の佃煮だけは作り方がわからなくて、母の作り置きを小皿に少しだけ盛った。

白いご飯を詰めて、おかずを並べた。不格好だった。母のようにきれいに収まらない。隙間ができて、おかずが片寄る。それでも蓋をして、白い包みで包んだ。輪ゴムのかけ方がわからなくて、二本使ってしまった。

弁当箱の横に母の箸を置いた。湯呑みにお茶を注いで添えた。テーブルの、いつも俺の弁当が置いてある場所に、母の弁当を置いた。

四時を少し過ぎた頃、廊下にスリッパの音がした。

母が台所の入口で足を止めた。テーブルの上を見ている。白い包みと、湯呑みと、箸を。

しばらく何も言わなかった。

「……不格好ね」

小さな声だった。かすれた声の奥に、別の何かが混じっていた。

「弁当、いつもありがとう」

俺の声も、少し震えていた。

母は黙って椅子に座った。湯呑みを両手で包むように持ち上げて、口をつけた。一口飲んで、また一口飲んだ。長い間、お茶を飲んでいた。

台所の窓から、うすい朝の光が差し込み始めていた。団地の屋根の向こうに、冬の空がゆっくりと白んでいく。

母が湯呑みを置いた。目元を指の背でそっと拭って、小さく言った。

「……ばかね」

俺は母の向かいに座った。蛍光灯を消した。窓からの朝の光だけで、台所が淡く照らされている。白い包みの弁当箱が、その光の中に静かに置かれていた。

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