明石までのベンチと、三年生の約束
JR大久保駅から通勤していた頃の話です。 当時、週に 2日だけ「 10時までに舞子に着けばいい」という勤務がありました。 朝はゆっくりできるし、電車も空いていて…
続きを読む色鉛筆のアルバムと母の宝物
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた頃、家にはカメラなんてなかった。 だから母さんは、その代わりに色鉛筆で俺の姿を描いて、アルバムみたいにしてくれていた。 絵は…
続きを読む先に行ったあなたへ届ける手紙
あなたが天国に足早に旅立って、もう十二年になります。 あのとき二歳だった娘も、 生まれたばかりだった息子も、今ではすっかり中学生です。 泣き声ばかり聞かせていた…
続きを読む娘にだけは泣き顔を見せたくなかった
60歳を過ぎて、癌だと告げられても、私は治療はしないつもりでいます。 5年前には一人娘も無事に結婚しましたし、親としての務めも、もうひと通りは果たせたと思ってい…
続きを読む最後までしっかり者だったおばあちゃんへ
私には、気が強くて、しっかり者のおばあちゃんがいた。 思春期に身長がぐんぐん伸びて、それを気にしていた私に向かって、 「あんた、でかいわねぇ」 と、悪びれもせず…
続きを読む飴玉ひとつで教わった優しさ
少し前、近所のスーパーに行ったときのことです。 最近のスーパーって、レジは店員さんが通して、お金を払うところだけセルフになっているところが多いですよね。 その方…
続きを読む泣き虫さんへ ― 私がいなくなったあとも
私の命は、まもなく静かに尽きます。 不思議と、恐れはありません。 ただ、あなたが大丈夫かだけが心配です。 恋愛ドラマで私より先に泣いていたあなたを、置いていくこ…
続きを読む最後の小さな願い ― 一粒のぶどう
女の子は一歳の頃から入退院を繰り返し、五歳の冬を迎えた。 治療の手立ては尽き、医師からは穏やかな最期を支えるターミナルケアに移ると告げられた。 「好きなものを、…
続きを読む母のカレー、折り紙の「たつや」― 甲子園に託した一打
常葉大菊川(静岡)に敗れた日、日南学園(宮崎)の左翼手・奥野竜也君(3年)は、闘病中の母に思いを託して甲子園に立った。 彼の胸の奥で燃えていたのは、家族が抱き続…
続きを読む11年後のぼくが伝えたいこと
こんにちは。 11年後の君です。 儲け話も、これから出会う誰かの名前も、今は教えません。 代わりに、もっと大事なことだけを渡します。 ※ 明日、弟が亡くなります…
続きを読むパパの1時間を買うために
ヘタレプログラマーの父は、今日も仕事で疲れ果てて帰ってきた。 深夜の玄関。明かりがまだついていることに気づいて、彼は眉をひそめた。 「まだ起きていたのか。もう遅…
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