三枚目の朝

朝の光と猫のぬくもり

ミルクが逝った朝、縫い物かごの蓋を開けることができなかった。

かごは畳の上に置いたままで、私は台所に立ち、やかんの中の水が沸くのをただ見ていた。

十七年分の重さが、あの古い籐のかごの中に残っている気がして。

私の仕事は、義肢装具士というものだ。

足を失った人に義足を作り、手を失った人に義手を作る。

採型をして、型を取って、素材を削り、縫い合わせて、調整する。

生活の中で使われる道具を作る仕事だから、見た目よりも「動き」を大事にしなければならない。

職場は滋賀の城下町にある小さな装具製作所で、私は新卒からずっとそこに勤めていた。

二十代のころは東京に出たいとも思っていたけれど、いつのまにか彦根の古い町並みが、私の体の一部になっていた。

城跡の石垣が見える路地で、古い商店の軒が連なる大通りで、私は毎日同じ道を歩いた。

仕事の帰りにコロッケを一個だけ買って、町家の玄関を開けると、ミルクが廊下の奥から歩いてきた。

「む」と一声だけ言って、また奥に引っ込んだ。

それが、十七年間の日課だった。

ミルクは、私が二十八歳のときに縁あって引き取ったサビ猫だった。

前の飼い主が事情で手放すことになったと、同僚から聞いた。

当時すでに一歳を過ぎていたから、今年で十七年目ということになる。

もっとも、彼女が逝ったのは先月のことで、「今年で」という数え方にはもう意味がないのだけれど。

ミルクはおとなしい猫で、鳴き声がとても小さかった。

ご飯のときでも、「む」と一音だけ言って、すぐに食べ始めた。

怒ったときも、甘えたいときも、その「む」だけで、あとは静かだった。

でも夜になると必ず私のそばに来て、縫い物かごの隣に丸くなった。

私が繕いものをしているあいだ、針の動きを目で追いながら、静かに眠りについていった。

離婚届けを書いた夜も、そうだった。

職場でミスをして、取引先に頭を下げに行った日も、そうだった。

義足の採型がうまくいかなくて、深夜まで試作品を縫い直した夜も、かごの隣でミルクは丸まっていた。

縫い物かごの隣に丸まったミルクを横目に、私は何度も何度も、針を布に刺し続けた。

彼女が「む」と鳴くたびに、なんとなく続けられた夜が、何度あったかわからない。

ミルクの足がふらつくようになったのは、昨年の秋ごろからだった。

もともと身軽な猫で、棚の上にも悠々と飛び乗っていたのに、ある朝気づいたら、ソファの段差でよろめいていた。

フローリングを歩くとき、後足が少し内側に折れるような癖が出てきた。

動物病院の先生に診てもらうと、老化による筋力の低下と、爪が地面を捉えにくくなっていることが原因だと言われた。

「フローリングで滑るのがしんどいみたいですね。ゆっくり過ごせる環境を整えてあげてください」

先生はそう言って、栄養補助のサプリメントを処方してくれた。

私は家に帰る途中、ホームセンターで滑り止めマットをいくつも買い込んだ。

廊下に、台所に、縫い物かごのまわりに敷いた。

それでもミルクは、時々フローリングに足をとられた。

後ろから見ていると、背骨が少し丸くなっていた。

若いころは細くてしなやかだったのに、いつのまにか老人のように、ゆっくり歩くようになっていた。

義肢装具士の仕事をしていると、「接触面と摩擦」については人並み以上に考える。

義足のソケットと皮膚の境界面。ライナーの素材と汗の関係。滑りどめの加工とグリップ力。

だから、ミルクがよろめくたびに、私の頭には仕事の言葉が浮かんだ。

ある夜、作業台に余り布が積まれているのを見て、思い立った。

猫用の靴下を縫ってみようと思ったのだ。

義肢装具士として、ライナーや靴下型の装具を作る機会はある。

伸縮素材の端切れと、薄いゴムシートを合わせれば、猫の肉球に優しいソックスが縫えるはずだった。

一枚目を縫い上げるのに、四日かかった。

採型なんてできないから、ミルクが眠っているあいだに足のサイズを測り、紙に型を写した。

前足用と後足用で形が違う。指の入り口を狭くしすぎると嫌がるだろうから、少しゆとりを持たせた。

滑り止めのゴムは細かいドット柄に切り抜いて、底面に丁寧に縫いつけた。

できあがったとき、我ながらよくできたと思った。

義肢の仕事では日常的に扱う技術だが、こんなに小さな布片にここまで集中したのは久しぶりだった。

翌朝、ミルクを抱き上げてそっとはかせようとした。

ミルクは最初の十秒、じっとしていた。

でも次の瞬間、器用に後足で引っ張り、するりと脱いでしまった。

猫らしいと言えばそれまでだけれど、少し落ち込んだ。

縫い直してみようかと思い、素材を変えて二枚目を縫った。

今度は内側に薄いフリースを重ねて、肉球の感触をやわらかくした。

三日後に完成したが、やはりミルクは二分もたたないうちに脱いだ。

脱いだソックスを口でくわえて、縫い物かごの隣に置いた。

私はその様子を見て、笑うべきか、泣くべきか、しばらく判断できなかった。

「嫌なの?」

訊いても、ミルクは「む」とだけ言って、目を細めた。

十一月に入ると、ミルクはほとんど動かなくなった。

食事の量が減り、トイレ以外はほぼ一日中、縫い物かごの隣で丸まって過ごした。

目は開けているが、焦点が合っていないことが多かった。

先生に診てもらうと、腎臓の数値が上がっていた。

「猫の十七歳は、人間でいうと八十代後半です。よく頑張ってきましたね」

先生は静かに、でもはっきりとそう言った。

私はその夜、仕事から帰ってから三枚目を縫い始めた。

理屈では意味がないとわかっていた。

また脱いでしまうだろうとも思っていた。

でも手を動かしていないと、落ち着かなかった。

義肢装具士になって十三年、困ったときはいつも縫い続けてきた。

採型がうまくいかないときも、患者さんとの対話がかみ合わないときも、夜中に針を持った。

今夜も同じだった。

ミルクは縫い物かごの隣で、ゆっくりと、とても規則正しく息をしていた。

私は彼女の呼吸に合わせるように針を動かした。

彼女が息を吸うたびに一針、吐くたびにまた一針。

いつのまにか深夜の二時をまわっていた。

三枚目が完成した。

ミルクはもう眠っていた。

起こすのが忍びなくて、ソックスを縫い物かごの縁に引っかけておいた。

「明日の朝にはかせてみるね」

呟いても、返事はなかった。

部屋の灯りを消す前に、ミルクの耳の後ろを一度だけ撫でた。

温かかった。

翌朝、目が覚めてすぐにミルクを探した。

縫い物かごの隣に、いなかった。

台所に、洗面所に、探した。

見つけたのは、縫い物かごの中だった。

古い籐のかごの蓋が少し浮いていて、隙間から彼女の尻尾だけが見えていた。

そっと蓋を開けると、ミルクは丸くなって眠るような姿勢でいた。

もう息をしていなかった。

かごの底には、私が縫った三枚のソックスが敷かれていた。

一枚目も、二枚目も、昨夜の三枚目も。

彼女はそれを重ねて、やわらかな寝床を作っていたのだ。

私はしばらく、声が出なかった。

縫い物かごはミルクが好きな場所だった。

十七年間、針を持つたびに隣に来て、眠った場所。

最後にその中に入ったのは、私が縫ったものを持って行くためだったのかもしれない。

嫌だから脱いでいたのではなかったのかもしれない。

かごに持って帰りたかったから、脱いでいたのかもしれない。

私はミルクの背中にそっと手を置いた。

もう温かくはなかったけれど、縫い物かごの中だけが、朝の光の中で柔らかく光って見えた。

「ありがとう」

その一言しか、出てこなかった。

嫌いだったんじゃないのか、とか、なんで言ってくれなかったのか、とか、そういう言葉は浮かばなかった。

ただ、十七年間そこにいてくれたことへの、純粋な感謝だけがあった。

今もあのかごは、棚の上に置いてある。

中には三枚のソックスが、きれいに重なったままだ。

私はまだ触れていない。

でも夜、仕事から帰って縫い物を始めると、かごの方向に目がいく。

視線の端に、籐の格子模様がある。

それだけで、針が動く気がした。

義肢装具士の仕事を続けていると、「ちょうどいい」という感覚の難しさを知る。

きつすぎず、緩すぎず。支えすぎず、任せすぎず。

ミルクはずっと、私のそばで「ちょうどいい」距離にいてくれた。

縫い物かごの隣で、針の動きを目で追いながら、眠りながら。

声が小さくても、言葉がなくても、そこにいてくれることが、私には十分だった。

三枚のソックスは、私が作った中で一番小さな装具だ。

誰かの体を支えるために縫ったものではなかったけれど、結果として、私の手を動かし続けてくれた。

ミルクがいなくなっても、針を持つたびに思い出す。

あの「む」という小さな声と、縫い物かごの隣の温かさを。

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