三十四枚の手ぬぐい

春の田舎道と桜の風景

四月の初め、下北沢の細い路地に私の店がある。「田所」という看板を出して六年になる、十二席だけの小さな蕎麦屋だ。

昼の営業が終わりかけた頃、常連の武田さんが財布を探しながらため息をついた。

「今日、手ぬぐい忘れてきてしもた」

七十近い武田さんは、いつも同じ藍染めの手ぬぐいを持ち歩いている。孫娘が誕生日に染めてくれたと、前に聞いた覚えがあった。

「いいんですよ、急いで帰らなくて」

「そういうわけにもいかんのよ。あの子、今日だけ早く帰れるいうて待ってるんよ。こっちに来て初めての誕生日でね」

武田さんが嬉しそうに笑って立ち上がった。私はそれを見送りながら、黙って出汁の後始末をした。

孫が誕生日を楽しみにしている。ただそれだけの話だ。なのに、その日の夜、閉店後に一人で賄いを食べながら、私はずっと祖母のことを考えていた。

愛媛の山あいの町に、祖母がいる。田所たつ、八十歳。腰が悪いと去年の年賀状に書いてあった。上京して十五年になる。盆も正月も、仕事を言い訳にして帰れていない。電話は年に数回。それでも祖母はいつも同じように言う。「元気よ。気にせんでいいけんね」と。

その言葉を、私はずっと真に受けてきた。

夜の九時を過ぎていたが、私は携帯を取り出した。

「大ちゃんかい」

祖母はすぐに出た。声は変わっていないようで、でも少しかすれていた。

「久しぶりだね、ばあちゃん。元気にしてる」

「うん、元気よ。ちょっと腰がねえ、前みたいには動けんけど。それより大ちゃん、飯はちゃんと食べとる」

「食べてる食べてる。店もどうにか軌道に乗ってきたよ」

「そうかね。ようやったね」

祖母は短くそう言って、また「よかったねえ」とつぶやいた。それだけだった。特別なことは何もない電話だったのに、切ったあと、私は長い間スマートフォンを握ったまま動けなかった。

元気よ、という声が、どこかぎりぎりの場所から絞り出されているように聞こえた気がした。

翌週の木曜日、予約の入っていない昼の営業を急遽休みにして、早朝の新幹線に乗った。

岡山で乗り換えて特急に揺られ、松山に着いたのは昼過ぎだった。バスを乗り継いでさらに一時間、祖母の家がある集落に降りたときには、山の向こうに夕方の空気が漂い始めていた。

農道を歩きながら、子供の頃に何度も走ったこの道を思い出した。祖父がまだ生きていた頃、夏休みになると毎年愛媛に来ていた。祖父は無口だったが、川で魚を捕まえるのが上手くて、捕った魚を祖母が塩焼きにした。そういう夏が、当たり前のように続くと思っていた。

坂道を上がると、玄関の灯りがついていた。

「来てくれたんかい」

引き戸を開けた瞬間、祖母が廊下に立っていた。腰が丸まって、記憶の中よりずっと小さく見えた。でも目が笑っていた。

「電話したから来てよかったかなと思って」

「そんなん言わんといて。何年待ったと思う」

そう言いながら、祖母はさっさと台所に向かった。炊き込みご飯の匂いが家の中に漂っていた。

夕飯を一緒に食べた。祖母の炊き込みご飯は、鶏と牛蒡と油揚げが入っていて、出汁は昆布と煮干しを合わせた優しい味だった。プロとして毎日出汁を引いて生きてきた私が、箸を止めてしまうような、体にしみこんでいく味だった。

「こんな量、食べられへんのに、なんで作ったん」

「大ちゃんが来る気がしたんよ。準備しとったんよ」

祖母は笑って、おひつからまた飯をよそった。私は黙って受け取った。

食後、縁側に二人で出た。庭の梅の木は葉が出ていた。子供の頃、あの木に登ったことがある。

「大ちゃん、覚えとる。あの木から落ちて泣いたとき」

「覚えてるよ。ばあちゃんが血だらけやって大騒ぎしてた」

「大ちゃんは泣かんかったのにね。強い子やったけん」

祖母がくすくす笑った。私も笑った。夜の虫が鳴き始めていた。その音を聞きながら、なぜもっと早く来なかったのだろうと、静かに悔やんでいた。

その夜は客間の布団に泊まった。押入れの匂いが昔と同じだった。それだけで胸が痛かった。布団の中で天井を見上げながら、来年の正月は帰ろうと思った。来年こそ、と何度も思ってきた。今度は本当に来よう。そう決めて、目を閉じた。

翌朝、早く目が覚めた。祖母はすでに台所にいて、お茶を入れていた。

帰る前に少し片付けを手伝おうと廊下を歩いていると、壁際の古い戸棚の引き出しが一つ、半分飛び出していた。直してやろうと手をかけたとき、中に何かが畳まれているのが見えた。

布だった。

白と藍色のまだら染め。一枚取り出して広げると、見慣れた文字が染め抜かれていた。

「大輔 一九九一」

それが一番上の一枚だった。

私は棚の前にしゃがんで、二枚目を取り出した。「大輔 一九九二」。三枚目。四枚目。一枚ずつめくっていくと、毎年の年号が順番に続いていた。紙のように薄い布に、震えのない筆跡で年号と私の名前が染め抜かれていた。どれも丁寧に折り畳まれて、積み重なっていた。

全部で三十四枚あった。私が生まれた年から、去年まで。

「ばあちゃん」

台所から呼ぶと、祖母がゆっくり歩いてきた。引き出しの前にしゃがんだまま手ぬぐいを持っている私を見て、少し困ったような顔をした。

「見てしもたんか」

「毎年、染めてたん」

「うん。手仕事が好きやけんね。藍染めは長う続けとるから」

祖母はそれだけ言って、横の壁に手をついてゆっくりと腰を下ろした。

「会えんかった分、ちょっとずつね。渡せんかったけど、いつかまとめて渡そうと思うとって」

私は三十四枚の手ぬぐいを抱えたまま、声が出なかった。

一九九一年から二〇二四年まで、一年も欠けていなかった。私が初めて蕎麦屋に入って研修で泥のようになっていた年も、店を出す資金が足りなくて毎晩帳簿を睨んでいた年も、繁忙期に電話一本かけられなかった年も、祖母はこの小さな家の台所の隅で、毎年一枚ずつ布に私の名前を染めていたのだ。

渡せなかったから、引き出しにしまっておいた。それだけのことだった。文句も愚痴も言わずに、ただ待ちながら、染め続けていた。

「ばあちゃん、ごめん」

言葉が勝手に出た。謝りたかったわけじゃない。ただそれ以外に言える言葉がなかった。

「なんで謝るん。大ちゃんは悪いことしてないやろ」

祖母が静かに言った。

「会えんかっただけよ。それはどっちもや」

縁側の外で鳥が鳴いた。山の方から風が吹いてきた。三十四枚の手ぬぐいを抱えたまま、私はしばらく動けなかった。

昼のバスで帰ろうとすると、祖母が一枚の手ぬぐいを持ってきた。

「これだけ持って帰り」

引き出しの一番上に重ねてあった新しい一枚だった。「大輔 二〇二五」と染め抜かれている。

「今年のはもうできとったんよ。今年は渡せると思うとったから」

「なんで」

「なんとなくね」

祖母は笑って、それ以上は言わなかった。私はその手ぬぐいを受け取った。洗い込まれた藍色が、手のひらにしっとりと馴染んだ。

来年も来よう、と思った。再来年も。祖母が元気なうちに、毎年もらいに来よう。そう決めたら、胸の中の何かが、静かにほどけた気がした。

バスに乗り込む前、振り返ると祖母が玄関の縁に立っていた。腰を押さえながら、小さく手を振っていた。

私も手を振った。

手の中の手ぬぐいが、春風に少しだけ揺れた。藍色が、まだ温かかった。

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